ヴォジャノーイ亜種
一旦列車に戻ってからブハンカに乗り、アルザ郊外へと向けて走らせること20分。美しかった湿地の中に、何ともまあ嫌なものが見えてくる。
ドラム缶に何の用途に使うかも分からぬ機械部品、金属製のコンテナ。いずれも錆び付いた状態で放置されて……いや、投棄されていて、かなりの月日が経っている事が窺い知れる。大地から染み出た水にも虹色に輝く油膜がこってりと浮かんでいて、澄んでいた空気にも廃油や錆びた金属、廃棄物の異臭が混じり始める。
カーラジオから流れてくるノヴォシア語のロックを聴きながら、環境保護団体が見ようものならばブチギレ確定な風景を助手席からぼんやりと眺める。冒険者なのか、そういった放置された廃品を回収している男女が何人かいて、俺たちを見るなり敵を威嚇するような目つきに変わるのがここからでも分かった。
廃品回収の最中に限り、他の冒険者は同業者ではなく”競争相手”に切り替わる。仲良くやろうぜ、みたいな緩い感じで廃品回収しようものならば、せっかくの一攫千金のチャンスが台無しになってしまう。
まあ、相手と取り分は山分けにしよう、という暗黙の了解でもあるというならば話は別だが、一応他の冒険者との戦闘行為は禁止されているとはいえ街の外は実質的な無法地帯。特にダンジョンの中ともなれば冒険者同士の成果の奪い合いが頻発するものである。
だから彼らがああいう目で俺たちを見るのも理解できる。こっちは敵じゃないよ、と親しみを込めて手を振るが、彼らは特に手を振り返す様子もなく、せっせとモーターのカバーを取り外して内部の配線を引っ張り出し始める。
おー怖い怖い、と肩をすくめて窓を閉める。冒険者にとってスクラップはまさに宝の山だが、それは同時に人を狂暴な生き物に変えてしまう。金だってそうだ。誠実な人間でも、莫大な富を目の前にすると狡猾に変貌してしまう。
金には、というかその手の”力”にはそういう魔力が宿っているのかもしれない。思考が些か哲学的な感じになってきたところで、カーラジオから流れるロックが間奏に突入した。
《―――あー、あー。よう同志諸君、俺のイケボが聴こえるかな?》
パヴェルの声がヘッドセットの右側から聞こえてきて、ああ、やっと復水器の修理が終わったのかと安堵する。AA-20には元々復水器は搭載されていないが、長旅に備えてパヴェルが後付けしていたものなのだそうだ。想定外の設計で不具合が出るのは致し方ない。
《復水器の修理作業を終えたパヴェルさんがお送りするぞ。さて、お前らが受けた依頼について管理局に問い合わせて把握したので、まあ分かっているとは思うが依頼内容の確認をしておく》
仕事が早い。
最近のパヴェルは銃よりもアセチレンガスのボンベを担いでいる姿の方がよく目にするのだが、気のせいだろうか。
というかなんかもごもごしながら喋ってるなパヴェル……いや待てお前、なんか食べながら無線で喋ってない?
《依頼内容は”ヴォジャノーイ亜種”15体の討伐。作戦展開地域はアルザ南方の湿原地域。依頼主は近隣の工場経営者……どうやら当局の目を逃れて廃品を湿原に投棄していたところ、それに付着していた化学物質だか廃油だかを摂取して変異したヴォジャノーイが工場付近をうろつくようになって困っているらしい。自業自得といえばまあそうだが、それに近隣住民が巻き添えを喰らったらかなわん。まあ、利益と良心の間で随分葛藤し良心を選んだってわけだ。根っからの悪人というわけではないだろう。手助けしてやろうぜ》
「これに懲りたら、廃品の処分は正規の手続きを経てやってほしいもんだな」
《全くだ。罰則が軽すぎる制度の方にも問題はあるがな》
ノヴォシアでの不法投棄の罰則は【30万ライブル以上の罰金】。工場によっては正規の手続きでその倍以上のコストがかかってしまうケースもあり、バレなきゃラッキー、バレたら30万ライブルをポンと払えばいいや、という軽いノリで不法投棄に手を染めてしまう企業が後を絶たないのだとか。
コンプライアンスもクソもない。
まあ、そういう連中のおかげで冒険者は廃品回収で利益を得ているわけなのだが。中には管理局の監視が緩い事をいいことにフリーダンジョンの敷地内に廃品を投棄していく工場もあり、それを冒険者が回収して一獲千金……一種の共生関係が構築されてて草生える。
そういう事もあり、帝国議会では定期的にこれの厳罰化が議論されており、議会関係者からは”春の風物詩”呼ばわりされているのだとか。嫌だよそんな風物詩。
さて、今回の討伐対象となるヴォジャノーイ亜種だが……何となく察してる人も居るだろうけど、コレ、以前にミカエル君が遭遇済みのアイツだ。ほら、フリーダンジョンに行った時に遭遇した変な色のヴォジャノーイ。
あれの詳細を管理局に報告した後、色々と事態は動いた。既知の魔物、その遭遇例のない変異種となっては管理局としても調査する他なく、あの後直ちに職員が派遣されたのだそうだ。撃破された新種のヴォジャノーイ成体を研究所へと移送、その後フリスチェンコ博士の手によって解剖の上徹底的な調査が行われ、冒険者管理局の上層部より正式にそれが『ヴォジャノーイの亜種である』と認められたのだという。
つまりはアレの討伐に初めて成功したのはこのミカエル君……なんだが、何か特別報酬とかないのかな? ミカエル君待ってるんだけど。
《ヴォジャノーイ亜種の動きは通常種と変わらんが、口から毒液を吐く上に表皮は毒性のある粘液で覆われている。毒液を浴びるのはともかく表皮に触れた程度では問題ないとは思うが……接近戦は避けるのが吉だな》
「ワタシ詰んだネ」
選んだ仕事が拙かった、と言わんばかりに後部座席で頭を抱えるリーファ。運転席でハンドルを握るクラリスは苦笑いしているが、接近戦のリスクがいつも以上に高くなる以上、接近戦を同じく得意とするクラリスとしてもやり辛い相手なのかもしれない。
「なしてコレ選んだのよ?」
「イラスト見テ”あっこれなら楽勝ネ”って……」
討 伐 す る 魔 物 を 絵 で 選 ぶ な 。
いやまあ、でもリーファはまだノヴォシア語の読み書きが怪しい所があるのでそれは仕方ないか……字が読めず書けないともなれば、頼りになるのは絵とか記号だ。
まあいい、こっちには銃がある。
近寄られる前に華麗に撃ち抜いてやるさ、とホルスターの中から拳銃を引っ張り出し、トグルを引いた。
今回のサイドアームはいつものMP17……ではなく、すらりと伸びた細身の銃身が特徴的な、随分と古風な銃だった。
それもそのはず、今回のサイドアームに選んだ『ルガーP08』は、第一次世界大戦開戦前に開発された初期の拳銃の一つなのだ。最大の特徴は発砲の際にスライドが後退するスタイルではなく、上部に搭載された”トグル”と呼ばれるパーツが後退する事で薬莢の排出、弾丸の装填を行う機構を採用している点である。
近年では目にしない方式だが、お察しの通りこの方式よりも実用的な設計が主流となったために廃れたのだ……おまけに構造も複雑で整備に手間がかかり、万一泥でも入ったら本当に大変な事になる。
列車の中でいつか使ってみようと思い射撃訓練と分解結合を何度かやったけど、部品が本当に細かくて無くしそうになった。
しかしそれでも昔のドイツを支えた傑作拳銃、性能は折り紙付きである。
俺が持っているのは8インチの銃身が特徴の”アーティラリー”と呼ばれるモデルだ。通常モデルと比較して銃身が長く、付け根のところには旧式のライフルによく見られるタンジェントサイトがある。
グリップ下部から突き出ている”スネイルマガジン”と呼ばれる丸いマガジンには32発もの9×19mmパラベラム弾が装填可能で、更にはグリップ下部に脱着可能なストックを備える。ストック側面にはルガーを納めておくためのホルスターまで収まっている。
こういうストックが付けられる”ピストルカービン”は昔は流行っていて、今でいうSMGやPDWのような役割だったのだそうだ。
ちなみにこのスネイルマガジン、かの有名な黎明期のSMGであるMP18と共用可能である。もちろん通常のマガジンも使用可能なので安心しよう。
ストックを装着しタンジェントサイトをチェック。そろそろかな、と思っていたところでブハンカのブレーキがかかり、大きな工場の配管が投棄されているところの前でブハンカが停車した。
「……」
うっすらと霧がかかった湿原のど真ん中。目の前には錆び付き塗装も剥げ落ちた工場の配管やら何かのフレームやらが投棄されていて、湿原の中に廃油を垂れ流している。
車のエンジンを切り、クラリスが真っ先にブハンカから降りた。手には既に愛用のQBZ-97があり、安全装置も外してあるらしい。俺もルガーの安全装置を解除して降りると、べちゃ、とブーツが廃油交じりの泥に軽く沈み込んだ。
うえぇ、と顔をしかめている俺の後ろで平然と降りるリーファ。既に敵地であるためか、彼女の目つきは鋭い。あんなに温厚で親しみやすく、誰にでも元気に振る舞うリーファとは思えない程だ。
その辺はパンダの獣人だからなのだろう。忘れられがちだけど、パンダだって猛獣の端くれである。
聴覚での索敵を試みるミカエル君だが、聞こえてくるのは遠くで鳥が鳴く声くらい。音だけだったらいたって普通の平穏な湿原といった感じだが、うっすらとかかった霧に積み上げられた配管、そして足元の廃油という要素がそう思わせてはくれない。
それに―――獣人として生まれ変わったからなのか、殺気に対してそれなりに鋭敏になったような気がする。
殺気は確かにするのだ。どこかで息を潜め、飛びかかるその時を待ち受けているかのような気配は確かに感じる。そこに居るのは分かるが気配のみで、具体的な位置までは分からない―――そんなところか。
さて、こうして我慢比べをするのも良いが……。
「クラリス」
「かしこまりました」
踵を返し、ブハンカの方へと戻っていくクラリス。ドアが開き、それから閉まる音がしたかと思いきや、ジャコンッ、と重々しく殺意に満ちた金属音が、静寂に終わりを告げた。
ブローニングM2重機関銃―――12.7mm、50口径の弾丸をひっきりなしに撃ち出すそれは、歩兵の頼れる支援役として、あるいは戦車の懐刀として西側諸国で広く採用されている重機関銃のベストセラーだ。
コッキングの余韻が耳から消えぬうちに、今度は暴力的な銃声が霧の中で弾けた。
ドガガガガ、というそれは普通の銃声とは違う。その重い銃声だけで威力を推し量ることができるほどだ。実際、12.7mm弾はその装薬量と小銃弾以上の質量もあって驚異的な威力を持っており、生半可な遮蔽物であれば容易く貫通してしまう。
12.7mm弾の豪雨が牙を剥いたのは、正面に横たわる、直径50mはあろうかという配管だった。いったい何に使う配管なのだろうか―――煙突の一部だったのだろうかとは思うが、そんな疑問も鉄板が撃ち抜かれる無機質な音と、それに混じって聞こえてくる呻き声を知覚した瞬間には消え失せた。
来るか、とケモミミが湿った音を拾った瞬間に、白濁した霧の中にカエルのようなシルエットが浮かぶ。間違いない、ヴォジャノーイ亜種―――しかもオタマジャクシのような形態ではなく、自分の足で歩行し地上で生活する成体だ。
ルガーのストックを肩に押し当て、左手をストックに添えながら引き金を引いた。トグルが後退しつつ勢いよく跳ね上がり、9×19mmパラベラム弾の薬莢が、消炎というドレスを纏いながら踊る。
放たれた弾丸は狙い通り、飛びかからんとするヴォジャノーイ亜種の眉間を直撃。がっくん、と頭を大きく後ろに振りながら、青紫色のいかにも毒ですよ感がすごい体液を撒き散らしながら吹っ飛んでいく。
確かに見た―――紫色の表皮に、オレンジ色の斑模様が浮かんだ人間サイズのカエルとかいうグロテスクな魔物、ヴォジャノーイ亜種。見ろよあれ、体液に触れた金属から白い煙が上がって緩やか~に溶けてらっしゃる。
「コイツの体液に触れるな!!」
物陰から飛び出したヴォジャノーイ亜種に向かって弾丸を叩き込みながら叫ぶが、言うまでもないようだった。クラリスの無慈悲な機銃掃射で遮蔽物諸共撃ち抜かれるヴォジャノーイ亜種。その傍らでは何を思ったか、徒手空拳でヴォジャノーイ亜種に挑まんとするリーファの姿があって、オイオイ話聞いてたか、と困惑する。
まさか俺の言葉が理解できなかったのでは、と言語面でのコミュニケーション失敗を悟るが、そうではないらしい。
「ハッ!!」
勢いよく振り下ろすリーファの手刀。確かにその鋭利で体重の乗った一撃は、直撃すれば鎖骨だろうが頭蓋だろうが煎餅のように砕くだろうが、しかし彼女の身体を噛み砕かんと迫るヴォジャノーイ亜種を捉えるにはまだ、間合いが遠かった。
空振りか、という心配は、しかし次の瞬間には杞憂で終わる事になる。
ブォンッ、と風が吼えた。まるで刃が空気を切り裂くような音―――いや、それよりも重みがある音だった、と感想を抱いた頃には、彼女の目の前に迫っていたヴォジャノーイ亜種の肉体が縦に真っ二つに裂け、ピンク色の臓物を体液と共に晒していた。
「―――へ?」
あのパンダ、手刀から衝撃波出しやがった!?
左肩から右の太腿にかけて両断された哀れなヴォジャノーイ亜種は、体液を後方に撒き散らしながら廃液の浮かぶ水溜りへと落下、そのまま沈んでいった。
恐るべし、ジョンファの拳法……基礎だけ学んだって言ってたけど、アレもう達人名乗ってもいいのでは?
いやいやいや、驚いてる場合じゃない。仕事しろミカエル君。
頭の中で二頭身ミカエル君たちに急かされ、俺もルガーP08を発砲。32発というアサルトライフル並みの大弾数である事をいいことに、軽快に弾丸をばら撒いてヴォジャノーイ亜種たちを撃ち抜いていった。
結局、規定数の倍のヴォジャノーイ亜種が出てきたのだが、戦闘は10分足らずで終了する事となった。
主にリーファのせいで。




