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アレーサとの別れ


 アレーサにある教会近くの高台からは、藍色の黒海が良く見える。


 頭上を舞うカモメたちもすっかり獣人たちに慣れているようで、近付いても逃げようとする気配はない。むしろ観光客がやたらと餌をあげるせいなのだろう、獣人たちは餌をくれると勘違いしてしまっているようで、こうしてヒトの姿を目にするなり近くに寄ってきて、餌をくれと言わんばかりにねだり始める有様だ。


 そんな彼らに千切ったパンの欠片を無造作に投げ、パヴェルは残ったパンを口へと運んだ。木の実とイライナハーブの粉末を練り込んだパンは柔らかく、喉から鼻腔を吹き抜けていく春の風のような、さわやかな風味がある。


 これは後で真似しよう、と頭の中で思う彼の隣に、コートとウシャンカに身を包んだ獣人がやってきた。足音も、気配も発することなくやってきたのは黒豹の獣人だった。ヒトにケモミミと尻尾を付けたような第二世代型ではなく、より獣に近い姿と骨格を持つ第一世代型の獣人。


 まるで暗殺者のように唐突に現れた彼に驚く様子もなく、パヴェルはパンを半分に千切ってその片方を黒豹の獣人に差し出した。


「―――ずいぶん稼いでるようだな、お前も」


「ああ、今のボスが優秀なんでね」


 パンを受け取った黒豹の獣人はそれを口へと運んで咀嚼し、すぐに飲み込んだ。それから懐から取り出した煙草に火をつけ、高台の柵に寄り掛かりながら空を見上げる。


「それはいいが、いい加減”教団”の方にも顔を出したらどうだ、大佐カーネル


「ネロ、前にも言ったが俺は俺の好きなようにやらせてもらう。教団にだって”教祖様”に頼まれて籍だけ置いてるようなもんだ」


「よく言う。お前の好き勝手な振る舞いのせいで、いつも№2の席だけ空席なんだぞ」


「いーじゃねーか。放浪の旅に出てて顔を出さない強キャラ感あって」


「そんなに気に行ったのか、あのミカエルとかいう害獣の()が」


「ああ、そんなところだ」


 葉巻を取り出し、火をつけながらパヴェルは答えた。


「あいつにゃあ信念がある。決してブレない、残酷な現実に真っ向から立ち向かおうという信念が。善人悪人問わず、絶対に曲がる事の無い信念を持つ人間ってのは美しいもんだ。だろ?」


「ふん」


 語っても、黒豹の獣人(ネロ)は関心を見せなかった。


 パヴェルとネロはそれなりに長い付き合いだ。教団を離れ、ミカエルたちと旅をするようになった後の資金洗浄マネーロンダリングを行っていたのも彼である。


 ”教団”という組織が背景に居るからこそ、あれだけの規模の金から痕跡を消し去ることができる、というわけだ。もちろん手間賃として差し引かれる一部の金は教団へと全額収められており、彼らの活動資金にもなっている。


 不定期的な収入であるが、パヴェルと教団は一種の共生関係にあった。


 煙草が短くなっていくのと反比例して、ニコチンで紛らわされていたネロの胸中にある感情が浮かび始めたのをパヴェルは見逃さなかった。ネコ科の肉食獣が狩りをする直前のような、静かに息を潜めつつ牙を研ぎ澄ますような気配。しかしそれの矛先にあるのはパヴェルではない。


「―――じゃあ、ミカエルを殺せば教団に戻って来るか?」











 カモメたちが一斉に飛び立った。











 逆鱗に触れる、とはまさにこの事なのだろう。


 一見すると、葉巻を吸いながら黒海を眺めてリラックスしているようにしか見えないパヴェル。しかし他人の気配に人一倍鋭敏なネロは、それが見せかけのものでしかないという事を見抜いていた。


 まるでヒトの姿をした入れ物に、ありったけの殺気を詰め込んだような―――今のパヴェルの”中身”は、そんな状態だった。


「―――勝てんの? お前。俺に」


 先ほどと変わらぬ声音で問うパヴェルに、しかしネロも臆することなく返答する。


「どうだろう。真っ向勝負以外だったらワンチャンあると思うけど」


 真っ向勝負以外であれば……仮にそうだとしても、その確率は万に一つ、と言ったところか。今まで数多の標的を仕留めてきた暗殺者アサシンであるネロだが、パヴェルと”教祖様”に関しては未だに隙が見つけられない。


 ”そもそも敵に回さない”というのが最善策であろう。特にこの男、パヴェルに限っては。


「まあ冗談さ。笑えないよ、大佐カーネルを敵に回すなんて」


 煙草の吸殻を海へと投げ捨て、踵を返すネロ。先ほどまではあんなに群がっていたカモメたちであったが、彼らの周囲からはすっかりいなくなっていた。


 やがてネロの気配が消失したのを感じ、パヴェルは短くなってしまった葉巻を携帯灰皿の中へと押し込んだ。


 ”教団”とのしがらみは、そう簡単に断ち切れるものではない―――ミカエルの苦労を痛感しながら、彼もまたその場を後にするのだった。

 


 












 アレーサにある母の実家は、まだ数えるくらいしか訪れたことが無いというのに懐かしい感じがした。


 きっと自分の内に流れる母の血がそう思わせるのだろう。少し傷んだ床の絨毯に、柱に刻まれた傷跡。きっと幼き日の母、その成長を刻んだものなのだ。今年はこれだけ背が伸びた、来年はどれくらい大きくなるのか……そんな親子のやり取りが目に浮かぶ。


 そして季節は流れていく。出会いがあれば別れもあるのだ。


「そう……もう行ってしまうのね」


 ベラシア地方を目指し旅立つ胸を告げると、母さんは少し寂しそうに―――しかし親の手を離れて1人で生きていけるほど強くなった我が子の成長を喜ぶかのような、寂しさと喜びが入り混じった複雑な表情を浮かべた。


 冒険者ノマドになる、と決めた時から決めていた事だ。ノマドは特定の拠点を持たず、各地を旅する放浪の冒険者。行く先々で様々な出会いがあるが、それだけ多くの別れもある。


 そしてそれは、血の繋がった肉親も例外ではない。


「身体に気を付けるのよ」


「うん。母さんこそ、どうかお元気で」


「あうー、にーにっ」


 兄との別れが近い事を悟ったのか、母さんの腕の中でじっとこっちを見ていたサリーが手を伸ばしてくる。くりくりと丸い目と頭から見えるハクビシンのケモミミ、そしてまだまだ丸みを帯びた小さな手が何とも愛らしい。


 もし次にアレーサを訪れるのはいつになるだろうか? 来年? 5年後? 10年後? 次にこの家を訪れた時、サリーはどれだけ大きくなっているだろうか? 自分の足で立って歩けるようになってるだろうか? お母さんにそっくりな綺麗な女の子になっているだろうか―――そんな未来への期待が滲み出てきて、別れが惜しくなる。


「サリーも元気でな。ごはんいっぱい食べて大きくなるんだぞ」


「あうっ」


 言葉分かるのかな?


「サリーちゃん、どうかお元気で」


 散々嫌われていたクラリスもめげずに挨拶するが、彼女の声を聴いた途端にサリーのケモミミがぴんと立った。目を大きく見開き、生後6ヵ月の赤子とは思えない程の警戒心と共に唸り声まで発し始める。


「うぅー………がうっ!」


「……」


 威嚇されてる……。


 サリー、お前どんだけクラリスの事嫌いなの……?


 このまま無理に頭を撫でにいくと噛み付かれるのではないだろうか。ハクビシンの獣人って獣人の中では発育が早い方で、サリーはもう既に歯が生えている。もちろん犬歯も。


 だから噛まれたらただでは済まない。リアルのハクビシンもかなーり狂暴なので、可愛い見た目に騙されて近付かないようにしましょう。


 ちなみにミカエル君にもハクビシン特有の鋭い犬歯がある。ニヤって笑うと微かに見えるこの犬歯がチャームポイントなのでみんな覚えておくように。


 サリーの頭を撫でて落ち着かせてから、持ってきたダッフルバッグを家の玄関にそっと置いた。


「母さん、これ。ちょっとだけど生活費の足しにして」


「え、何それ」


 恐る恐るダッフルバッグのジッパーを開ける母さん。ダッフルバッグの中から顔を出したのは無数の札束だった。ライブル紙幣を束ねたそれを見た母さんの顔が丸くなり、腕に抱かれているサリーはというとまるで新しい積み木(マルク紙幣)でも見つけたと言わんばかりに手を伸ばしているがやめなさい。ライブル紙幣はそこまで価値が暴落してないから。


 サリー、札束っていうのは人を殴るためにあるんだよ。いいね?


 俺も一回で良いから「これを使いな!」って言いながら人を札束でビンタしてみたい。1回でいいからマジで。


「こんなにいっぱい……いったいこれをどこで?」


「頑張って稼いだんだ。ノマドって頑張り次第では高給取りにもなれるからさ」


 半分正解だけど、もう半分は不正解だ。


 ダッフルバッグの中にぎっしりと詰まっていた札束の山。それは正規の手段で手に入れたものも含まれているが、だいたい4割くらいは強盗で稼いだ金。バザロフ家から奪ってきた金品を換金して手に入れたものだ。


 パヴェル曰く「念入りに資金洗浄マネーロンダリングしたから出所は絶対に探られない」との事だ。執念深い相手だったらどの金がどの口座へと移され誰が受け取ったのかという金の流れを徹底的に調べ上げ、やがて相手の居場所を特定する事もある。というか憲兵隊とか裏社会で生きる連中はそういう手段で犯人を見つけ出そうとするので、盗んだ金はそのままでは使えない。


 ちゃんと洗浄する必要があるのだ。”綺麗な”金になるまで。


 というわけで、母さんに渡したのはダッフルバッグ一杯の札束の山。もちろん全部洗浄済みで、復讐に燃えるバザロフ家の関係者が金の流れを探ってレギーナに行きついた、なんて事は無い。


 まあ、元はと言えば悪人の持っていた金だ。別に良心は痛まない。


「え、でもこんなに……受け取れないわよ」


「いいから取っといてよ。それに子育てにもお金がかかるし……大変だろうから」


「ミカ……ありがとう」


 俺にできる事なんて、こんな事くらいだろう。


 金で買えないものがある、とか、愛は金で買えないなんて綺麗事はよく耳にするが、そんなのは詐欺師の言葉だ。現実は金を持たない相手に容赦がない。現実相手に札束をちらつかせてやっと、残酷な現実というのはハードモードからノーマルモードになるのである。


 イージーモードになるのはチート能力を持って異世界転生した連中だけだ。


「ご主人様、そろそろ」


「ん、もうそんな時間か」


 懐中時計を開くと、時計の針は午前10時を差していた。


 そろそろ行かなければ―――ベラシアの大地へ、そして姉上の居るであろうエルゴロドへ。


「じゃあなサリー、良い子にしてるんだぞ」


「あうっ♪」


「それじゃあ母さん、どうか元気で」


「あなたもね。クラリス、ミカエルの事をお願い」


「 ま か せ て く だ さ い ! 」


「がうっ!」


「ひえっ」


 返事に力が入るクラリスと、そんなクラリスを全力で威嚇するサリー。別れがこれでいいのかと思うと笑えてきて、自然と笑みが浮かんだ。


 見送ってくれた母さんとサリーに手を振り、駅へと歩いていく。


 脅威が去り―――復興へと向かっていくアレーサの空は、これ以上ないほど蒼く晴れ渡っていた。













 警笛の重々しい音と共に、チェルノボーグが走り出す。


 ソ連の生んだ大型機関車、AA-20が目を覚まし、車両を牽引しながらゆっくりと加速を始めた。見送ってくれた駅員に作業着姿のパヴェルが敬礼をし、俺たちも窓から手を振って別れを告げる。


 あっという間だったな、と思う。


 キリウの屋敷を出てボリストポリから列車に乗り、ザリンツィクで冬を越し母の故郷アレーサへ。そして次は姉上―――エカテリーナ姉さんに会うためにエルゴロドに向かい、そのままベラシア地方へ仕事に行く。


 これから先の旅路では、一体どんな出会いが待っているのだろうか?


 本の中でしか知る事の出来なかった場所をこの目で見て、この足で踏み締める―――それが楽しみで仕方がない。


 きっとそれ相応の苦難も待ち受けているだろうけれど、今の俺は1人じゃない。


 仲間と一緒なら乗り切れるさ、きっと。


「楽しみですわね、ご主人様」


「ああ」


 クラリスの手をぎゅっと握り、笑みを浮かべた。





 次の目的地はイライナ最西端の街―――『エルゴロド』。








 第八章『海賊半島』 完


 第九章『異世界転生も楽じゃない』へ続く



ここまで読んでくださりありがとうございます!




作者の励みになりますので、ぜひブックマークと、下の方にある【☆☆☆☆☆】を押して評価していただけると非常に嬉しいです。




広告の下より、何卒よろしくお願いいたします……!

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