次の目的地
錬金術師の始祖として知られるパラケルススは、ヒトを造った事がある。
ごく普通の、実験とか薬剤の調合に使うようなフラスコの中に自らの血と磨り潰した薬草、砕いて粉末状にした動物の骨と水銀を入れて混ぜ合わせ、それを100日もの間自室に保存していたとされている。
その結果、フラスコの中に小さな、それこそ握り拳の中に収まってしまいそうなほど小さく、手足や頭のバランスも大きく欠いた小人が生まれた。
パラケルススはそれを”ホムンクルス”と呼んだ。
フラスコの中でしか生きられず、骨格も歪んでいるが故に自力での歩行どころか発声にも難があるという、生命体としては欠陥品と判断せざるを得なかった一番最初のホムンクルス。自らの手で生命を生み出す事に成功したパラケルススは大喜びしたそうだが、多くの宗教がその行為を”異端”と断じ、ヒトの手で生命を生み出す行為を世界最大の禁忌とした。
今から5000年も前の話である。
しかしその禁忌は、少なくとも前文明では思ったよりも蔑ろにされていたのかもしれない。そうじゃなきゃ、キリウの地下に”遺伝子研究所”なんて存在しないだろうし、旧人類は生命を生み出すまではいかなくても、遺伝子を弄り回して新人類たる獣人を生み出すような、生命の在り方を捻じ曲げるような真似はしないだろうから。
実際に多くの錬金術師が秘密の実験室を家に持ち、そこでパラケルススに続けと言わんばかりにホムンクルスの”製造”に勤しんでいた。多くの錬金術師が教会の異端狩りによって摘発され火炙りにされたが、少なくない錬金術師が不完全ながらホムンクルスの製造に成功し、フラスコの中でしか生きられぬ哀れな小人の誕生から死までを見守ったとされている。
そしてそのいずれもが、パラケルススの生み出したホムンクルスの範疇を出ていない。
手足の細さはアンバランスで、頭の骨格は歪み、口の中に生える歯は不揃い。中には視力がない個体もあった、とされている。
この世界では、ヒトの手でヒトを造るという冒涜的な行為はそのレベルが限界だったのだ。
錬金術の教本を机の上に置き、息を吐いた。
錬金術の習得の難度は、はっきり言って魔術の比ではない。
魔術は生まれ持った素質でどのレベルまで至れるかが左右される。生まれつき適性が高く魔力も豊富で、将来的に国を背負うレベルの魔術師になれる逸材も居れば、適正は無く魔力量も雀の涙で神への信仰を持つことも出来ず、無神論者となる者も居る。
しかし錬金術は、習得を志す者に広く門を開いている。
魔力の運用方法などの理論を除けば魔術は信仰心が重要視される。とある魔術師はこう言った。『魔術とは3割の理論と7割の信仰心である』と。
それに対して錬金術はというと、みんなが考えているほどファンタジーなものではない。数学や理科を限界まで突き詰めたような、そんな感じの代物だ。
言うなれば『学問』である。
これはどの物質で構成されているだとか、これとこれを化合させるとこんな物質ができるとか。そういう理屈を限界まで突き詰め、それにほんの少し魔力を用いる事で物質を操る術、それが錬金術である。
必要最低限の魔力量さえあれば何とかなる―――これが事実だが、同時に極論だ。
物質の性質や化学変化、元素記号とかそういう学校の理科で習ったアレが全部頭に入っていてやっとスタートラインが遠くに見えてくる―――錬金術の門は広く、しかし習得難度が異様に高い所以である。
俺が今こうして読んでいる錬金術の教本だって、初心者向けの教本……の筈だ。しかしド初っ端から全然わからん。質量保存の法則とか元素記号とか、化学式がぞろぞろと出てくる。科学を専攻してた人とかだったら向いてるのではないだろうか。
習得してみようとキリウの屋敷で挑戦したことがあったのだが、元々ミカエル君は理数系ではなく文系だった事もあって挫折している。なんやねん元素記号って……あんなん覚えられるか。
しかし、過去に一度挫折した錬金術とこんなところで巡り合う事になるとは。当時のミカエル君に言い聞かせていたらもう少し真面目に勉強していたのだろうか。
教本に栞を挟み、ちらりとクラリスの方を見た。パジャマ姿で眠る彼女の仕草は本当の人間のようで、パヴェルの言う”造られた生命”とは思えない。
錬金術の長い歴史の中で、パラケルススの確立したホムンクルス製造法は洗練されていった。記録によると150年ほど前に、従来の術者の血と薬草、水銀と骨の粉を調合する方式から、対象者の細胞を採取しそれを培養するという方式へ昇華したのだという。
何が言いたいかというと、現代ではホムンクルスとはフラスコの中でしか生きられない不完全な小人ではなく―――他人の細胞を培養し生み出す人造人間、すなわち”クローン”を意味する。
しかしその洗練された方法でもホムンクルスの製造は困難を極め、結局成功例は1つもなかったのだという。
だが―――それなら、クラリスはどうなのか。
17歳、あるいは18歳にしてはあまりにも短くなり過ぎたテロメアがDNAに刻まれている彼女は、いったい何だというのか。
この世界のどこかでひっそりと製造されたホムンクルス、その稀有な成功例だとでもいうのか?
それでも、俺が彼女に抱く想いは変わらない。
正体がホムンクルスだろうと何だろうと、彼女が俺のメイドであることに変わりはないのだ。ならば主人として相応しい振る舞いをするだけ―――彼女を従える貴族として、彼女に見合う存在となれるよう努力し、また彼女に尽くすだけの事。
ベッドに腰を下ろしてそっとクラリスの頬に触れた。雪のように白く、繊細そうに見える彼女の頬。俺は果たして彼女に見合う主人でいられているのか―――そんな事を気にしていると、寝相なのかそれとも起きているのかは分からないが、するするとクラリスの手が伸びてきてあっという間に引き倒され、そのまま抱き枕にされてしまう。
脱出? んな事できるわけがない。こっちはパルクールくらいが取り柄のハクビシンの獣人、それに対してあっちは戦闘人形を素手でワンパンする竜人のメイドである。
こうなったらされるがままなのだ―――彼女の大きな胸に顔を押し付けられながら、ふと思う。
もし仮に―――もし仮にクラリスが、パヴェルの仮説通り本当にホムンクルスなのだとしたら。
この世界のどこかに”オリジナル”が居るのではないか、と。
「えーハイ、えー、今回集まってもらったのはね、次の目的地について議論したいなあ、というわけでね、ハイ」
緩い、ノリが緩い。
日曜日の午後2時。特にする事もなく暇だった血盟旅団のメンバーを食堂車に集めたパヴェルはそう言いながら、壁に貼り付けたノヴォシア帝国の地図を指差す。ノヴォシア全土とおまけ程度に隣国が乗ってるんだが、黒海に面しているアレーサの辺りに手書きで「たぶん今ここ」と書かれていて、なんというか脱力感がすごい。
よく見ると他の仲間たちも何だか脱力気味だ。モニカはテーブルに身を預けながら手を伸ばして、向かいの席に座ってるノンナのほっぺたをひたすらもちもちし続けている。それでノンナはというとほっぺたもちもちが気持ちいいのか、気を抜くとそのまま眠りに落ちてしまいそうな状態だった。
「はぁー……ノンナちゃんもちもちだわー」
「ふぇあぁ~」
あくびなのか、それとも「もうやめて~」的な声なのか。
そういうミカエル君はというと……。
「うふふ、もふもふですわ~♪」
「……」
メイドさんの膝の上に座らせられ、後ろに座ってるメイドさんにひたすらケモミミをモフモフされたり、Gカップのおっぱいを背中に乗せられたりともうやりたい放題されている。
シスター・イルゼは窓際で優雅に紅茶を飲みながらニコニコしている(しかし果たして本当にパヴェルの話を聞いているのだろうか?)し、ルカはというとクラリスに好き放題されている俺を隣で羨ましそうに眺めている。
お、どうしたルカ君? 君そろそろアレか? そういうのに興味を持つ年頃か?
ついには俺までほっぺたをクラリスの手でもちもちされ始め、とにかくまあもみくちゃにされる。信じられるだろうか、これが主人とメイドである。まるで愛玩動物を溺愛する飼い主みたいな感じになってるがこれでいいのか?
「えー、次の目的地なんですがー。俺個人としてはベラシア地方に行くのも手だと思うんですがー」
「べらしあー?」
アカン、ほっぺたをもちもちされてたらなんか力が……力が……。
葉巻を口に咥えながら、手元にあるウォッカの瓶をジョッキに注ぐパヴェル。それにタンプルソーダを注いでかき混ぜ、更にウォッカを足した彼は、まるで飲み会の冒頭にみんなで飲む生ビールのノリで一気飲みしてから話を続ける。
アイツ身体どうなってんだ。
「ベラシアは湿地が多くてな。イライナ同様、ノヴォシア地方と比較するとまだ温暖な場所だ」
”ノヴォシア地方と比較すると”まだ温暖。騙されてはいけない、極寒のノヴォシアを基準にすればどこだって南国リゾートのようなものである。
グライセン王国の諺には『寒さに関してはノヴォシア人を信用するな』というのがある、とシスター・イルゼが言ってたが、あれはマジだ。
「んで、未調査のダンジョンも比較的多い。今でも湿地帯から旧人類の施設とかが発見されるそうだ」
「なるほど、廃品回収も期待できるって事ふぁ~」
もちもち、もちもち。ほっぺたをむにむにと揉みまくるクラリスの手がとにかく止まらない。
ダンジョンがあるという事は、廃品回収での一攫千金も十分に狙えるという事だ。旧人類の遺した技術が眠る廃墟、ダンジョン―――危険だが、それだけのリスクを冒す価値はあると言えるだろう。
ノヴォシア地方ではなくベラシア地方を挙げたのも、現時点でノヴォシア地方よりも近いからなのだろう。今からノヴォシア地方に行くとなると再びイライナを横断するか、アルミヤ半島を越えて海を渡っていかなければならない。
拠点たる列車を置いていけない以上、陸路に限定されるわけだが、そうなるとノヴォシア地方まで間違いなく1ヵ月以上かかってしまうわけで……。
確実に仕事があり、尚且つ距離も近いベラシアならば手っ取り早いし確実な利益も見込める、というわけだ。
「それにな、これはミカにも関係がある事だ」
「ふぇ? 俺に?」
「ああ。お前の姉さん……アナスタシアから聞いた話なんだが、次女のエカテリーナは今、イライナ地方最西端にある”エルゴロド”に居るらしい。そこでハンガリア貴族のバートリー家の長男と結婚式を挙げるんだとか」
イライナ地方が面する国家は多い。
北東にノヴォシア地方、北西にベラシア地方があり、西部には『ポーンラント王国』、『エルガニア王国』、そしてバートリー家の出身国である『ハンガリア王国』がある。
最西端にある大都市”エルゴロド”はそのうちエルガニアとハンガリアに近く、両国が侵攻してきた際の最前線であり、両国との交易の玄関口としての役割も持つ場所だ。もちろん異文化が流入してくる場所だから観光客や仕事目当ての冒険者も多く、街はいつも賑わっているのだとか。
なるほど、エカテリーナ姉さんはそこに……。
「ハンガリアの貴族に嫁ぐって事は、結婚したら向こうに行っちまうのか」
「そうなるだろうな。どうだ、ちょうどベラシアに行く途中にあるし、立ち寄って挨拶でもしていくべきだと思うんだが」
「良い提案だな、そうしよう」
もしかしたら、二度と会えなくなるかもしれないだろうから。
いや、彼女もたまには里帰りする事もあるだろう。貴族としての仕事で再びイライナを訪れる事もあるかもしれない。彼女はそうかもしれないけれど、こっちは仕事で国中どころか世界中を飛び回る冒険者。この機を逃したら、たぶんエカテリーナ姉さんに再び会う事は難しくなる筈だ。
そうなる前に、せめて挨拶だけはしておこうと思う。
優しくしてくれてありがとう、と。
ハンガリアでどうか末永くお幸せに、と。
「我らが団長はこう言ってるが、他の皆はどうだ?」
葉巻を口から離し、煙を吐き出しながら仲間たちに尋ねるパヴェル。真っ先に返事をしたのはノンナのほっぺたを未だにもちもちしていたモニカで、「いーじゃん、面白そう」と少し楽しそうに返答する。
「ええ、クラリスも賛成ですわ」
「私もです。お姉さんの未来を祝福しに行きましょう」
「俺、ミカ姉のお姉さん見てみたい!」
「やっぱりそっくりなのかなぁ?」
「それは実際に見てみないとな。まあいい、それじゃあ決まりか?」
「ああ」
次の行き先は決まった。
目的地はベラシア地方。
そして最西端の街、エルゴロド。
そこに姉さんが―――エカテリーナ姉さんが居る筈だ。
次回でアレーサ編は終了予定です。




