異名、日常、そして真実
※すっげーどうでもいい話ですが作者はイクラが苦手です。
冒険者ギルドには、序列と呼ばれる概念が存在する。
所属する冒険者のランクの平均や実力を総合的に判断して、最終的にギルドの序列は決められる。この概念が生まれた当時は多くの冒険者たちが他のギルドに後れを取るまいと鎬を削り合うエネルギッシュな時代であったが、その流れも停滞した今となっては、かつてのような熱狂は無い。
生まれては消えてを繰り返す下位ギルド群と、昔から序列の変わる事の無い上位陣、二極化した状態で冒険者ギルドのパワーバランスは保たれて……否、緩やかに壊死を始めていたのである。
そんな現実が嘆かれて久しいが、彼らにとっては関係のない事だった。
なぜならば―――仕組みが腐敗し形骸化していったとしても、”彼ら”の強さは保障されているのだから。
絶対的な力で冒険者の頂点に君臨している―――既に力がそこにあるというのに、そのような仕組みが何だというのか。
自らが欲するものは既にそこにあるのだ、と、冒険者ギルド【グラウンド・ゼロ】の団長”アレクセイ・イリーチ・マイヨーロフ”は常々思う。
結局、秩序を作るのは力だ。絶対的な力さえあれば、平民だろうと貴族だろうと皇帝だろうと関係ない。実際に彼の率いるグラウンド・ゼロの座を揺るがすものは同業者にも貴族にも存在せず、ギルド名を名乗るだけで相手が手を引くほどだ。
しかし、それほどの力を手に入れて満足する一方で彼は退屈していた。
昔のように真の強者たちが鎬を削り合う、あの熱い時代はもうやって来ないと思うと寂しくてたまらない。今となってはもう、身体が鈍らぬ程度に鍛錬をし、こうして会議室の椅子に座りながら過ぎ去った日々を想うのが日課だった。
「団長」
「マルクか」
執務室を訪れた仲間のマルクは、グラウンド・ゼロの中でも古株だ。帝国騎士団に所属し飛竜討伐で名を上げたマルクは、任務中の負傷で除隊してからアレクセイにスカウトされ、こうして何年も彼に付き従っている。
ギルドに勧誘した時に買い与えた片眼鏡は今も、彼の右目―――騎士団時代に負傷し視力の低下した右目にあった。
その片眼鏡とスーツ姿のせいなのだろう、傍から見れば主人に付き従う執事のようである。
「どうした」
「ワリャーグの件です。アルミヤの」
海賊連中の話か、と少しうんざりしたアレクセイは、暇潰しに読もうとしていた推理小説へと伸ばしかけた手を止めながら溜息をつく。
ワリャーグ―――イライナ地方南東、アルミヤ半島を根城に活動する黒海の海賊たち。最近ではどこからか装甲艦まで手に入れ、その活動範囲と勢力を急激に拡大している面倒な連中であり、前々から懸念されていたアレーサへの侵攻という最悪の予想が現実となってしまったのも記憶に新しい。
いったい黒海艦隊は何をしているというのか。もしこれがエスカレートするようならば自分が動く事も考えたアレクセイだったが、マルクが続けた言葉は意外なニュースとして彼の耳へ飛び込んできたのだった。
「先ほどのニュースです。アルミヤ半島のワリャーグは壊滅、キャプテン・ウルギンは冒険者によって討ち取られた、と」
「……なに?」
キャプテン・ウルギンは群雄割拠状態だったワリャーグをまとめ上げた男だ。更には装甲艦の入手(鹵獲か横流しかは不明である)に兵器の密造などを推し進め、まとまりのない海賊組織を恐るべき反体制武装集団へと育て上げたことにより、その首には300万ライブルの賞金が掛けられていた。
それほどの大物だ、賞金が掛けられたといっても討ち取るのは容易ではない―――いったいそれを成し遂げたのはどこのどいつだ、とアレクセイの興味が珍しくそこへと向いた。
それを悟ったのだろう、マルクは問いを投げかけられる前に答えを口にする。
「討ち取ったのは冒険者ギルド”血盟旅団”のミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ……未だ無名のギルドです」
「新興のか」
「ええ。確認されている古い活動記録でも昨年10月頃……結成されてからまだ1年も経っていません」
自然と口元に笑みが浮かんだタイミングで、ギルドで雇っているメイドが紅茶を持ってきてくれた。ジャムの入った少し熱めのそれを受け取り、口へと運んだアレクセイ。停滞ばかりが続く代わり映えの無い毎日に現れたほんの少しの変化が嬉しくて、しかし同時に危惧もしていた。
ここまでは今まで何度もあった事だ。今後の活躍を期待させる新人が彗星の如く現れては、これまた彗星の如く去っていく。下位ギルド群では毎日のように起こっている事だ。活動を始めてまだ日の浅い新人がドラゴンを討伐し、注目を集めたかと思えば次の日には魔物の餌食となっていたりとか、天才魔術師ばかりのパーティーが活躍しているという噂を聞けばそのうち仲間割れで解散した、という話は本当によくある。
だからアレクセイだけではなく、他の上位陣の冒険者たちも新人に期待するのは半ば諦めていた。
今回もそうなるのだろうか。それとも―――この停滞し、二極化したパワーバランスを一変させる超新星となるか。
「そのミカエルというのはアレか、異名付きか?」
「いえ……ああ、今回のワリャーグの一件で異名が」
「教えてくれ」
紅茶を口に運ぶアレクセイに、マルクは新たに生まれた冒険者の異名を告げる。
「雷獣―――”雷獣のミカエル”」
「ご主人様、あーん♪」
「あーん」
「ご主人様、お口にごはんつぶが」
「ん」
「ご主人様、肩に埃が」
「うん」
「ご主人様、今日の新聞ですわ」
「ありがと」
前世の世界じゃ新聞なんてまともに読まなかったけれど、スマホもテレビもインターネットもないこの世界では貴重な情報源だ。だから毎朝、朝食を終えたらクソ甘コーヒーを飲みながら新聞記事に目を走らせるのが日課になっている。
【お手柄! 憲兵隊指揮官リガロフ中尉、大尉に昇進】
【海が割れた? 海賊船を消し飛ばした女傑アナスタシアとは?】
【ワリャーグ壊滅、黒海に安寧戻る】
新聞記事はどれもこれもワリャーグの一件に関するものばかり。マカールが昇進して中尉から大尉になったりとか(兄貴おめでとう)、姉上が魔術で黒海を割ったとか、主にリガロフ姉弟の活躍に関する記事がメインだったが、しかしちゃんとミカエル君に関する記事もその中に紛れ込んでいた。
【雷獣のミカエル、ワリャーグ首領を討伐!】
”雷獣”。
記事によると、アレーサ防衛戦に参加した俺の戦いを誰かが見ていたらしい。銃と雷属性の魔術を駆使してワリャーグの戦闘員を次々に倒していくのを見て、そんな異名を付けたのだという。
新聞記事でこうして取り上げられた事によって、これで俺も異名付きの冒険者を名乗っても良いだろう。ちょっと恥ずかしいが、大きな一歩を踏み出したような気がする。
「これでご主人様も異名付きの仲間入りですわね」
「そうだな……でもちょっと恥ずかしい」
後ろでミカエル君のケモミミをもふもふしながら一緒に記事を読んでいたクラリスが言う。一応言っておくが、ミカエル君の一番敏感な部位は頭から生えているハクビシンのケモミミだ。ここに息を吹きかけられたり耳かきされたり舐められたりするとロリボイスがうっかり出てしまうので、良い子の皆は絶対にやらないようにしよう。……絶対やるなよ?
「はぁ~……もふもふ……」
「……」
ウチのメイドさん、前よりもべったりになったような気がする。
どこに行くのも一緒だ。寝るのも食事をするのもシャワーを浴びるのも全部一緒、全然離れようとしない。いや、確かに一昨日『離してなんかなんかやるもんか。お前は俺のものだ(要約)』って発言したけど。耳元で囁いちゃったけど。
それにしたってこれは……ねえ?
新聞記事を読み進める間、クラリスはずっと俺のケモミミをもふもふしていた。ふはは、ケモミミの毛並みは毎日ちゃんと手入れしているからふわっふわなのだ。でも敏感だからちょっとその辺にしてくれませんかね?
「さて、そろそろ買い物に行こう」
「ではお支度を」
支度、って言っても財布と護身用の武器を持つだけだ。慈悲の剣とMP17、それと予備のマガジンを2つほど。おっと、財布も持たなきゃ意味がない。
今日の買い物当番はミカエル君なのよね……基本はクラリスとセットなので彼女もいっしょにお買い物である。
PL-15と予備のマガジン、それからボウイナイフを腰に下げたクラリスと一緒に寝室を後にした。
アレーサの復興も着実に進み、ワリャーグの脅威も去った。そろそろこの港町や、実の母との別れの日も近付いている。
俺たちは普通の冒険者ではなく、特定の拠点を持たぬ”ノマド”。仕事のある所へいち早く駆け付け金を稼ぐ、そういうスタイルの冒険者である。だから方針を転換したのならばともかく、今のスタイルを貫くならばそろそろ別の地域へ移動しなければならない。
アレーサは平和になった―――もう二度と、海賊の脅威に脅かされる事は無いだろう。
駅前にあった錨のモニュメントも修復され、初めてここを訪問した時と全く同じ状態に戻されていた。港町ということもあって、町には錨や銛、魚といったアレーサを連想させるモニュメントや看板が多い。
まだあちこちから板に釘を打ち付けるような音が聞こえてくるし、大通りを見ると砲撃で抉られた石畳が残っていて、ワリャーグ襲来の痕跡は町のいたるところに刻まれている。そしてそれは人々の記憶からも消える事は無いだろう。どれだけ時が経っても、それだけは決して。
「おっ、来たな英雄! 今日は何の用で?」
「ニシンの缶詰と黒パンを箱で3つ、出来れば駅のレンタルホームまで届けてほしいんだけど」
ニシンの缶詰に黒パン―――どちらも保存が利く品だ。それをそれだけどっさりと買い込んで行く事が何を意味するのか、食品店の店主は感じ取ったらしい。少しだけ寂しそうな顔をした彼は、口元に笑みを浮かべてから「まいどあり! ホームまで届けておくよ」と言った。
ごつごつした彼の手に3万ライブルをぽんと渡し、礼を言ってから店を離れる。
お察しの通り、旅立ちの日が近い。
アレーサにはもうワリャーグの脅威は無く、冒険者としての仕事もほとんど残っていない。この前訪れたフリーダンジョンなんかはもうスクラップも何もかも取り尽くされ、ただの廃墟と化している状態。
仕事をするにしても廃品回収をするにしても、言い方が悪いがここには旨味がないのだ。
所詮は金、と言いたくなるかもしれないが、冒険者だって慈善事業じゃない。ギルドの運営にも金がかかる……だから収入源になる仕事がある地域へと、移動を繰り返さなければならないのだ。
次に訪れたのは魚売り場。さっき買い込んだ保存食ではなく、ここからは今夜の夕飯の食材の買い出しになる。
復興が進み本来の姿を取り戻しつつある魚売り場には、まだ疎らではあるけれど露店が並び始めていた。漁師たちが獲ってきた魚以外にも、珍味であるヴォジャノーイ成体の足の肉が切り取られた状態で並んでいる。
アレ、鶏肉っぽい食感でなかなか美味らしい。アレーサ周辺の郷土料理にも食材として用いられ、イライナハーブと一緒に焼いて香草焼きにしたり、細切れにしてつみれを作りスープの具材にするのが主な食べ方なのだそうだ。
あと生では絶対に食うな。分かったか日本人諸君。
さてさて、今夜はというとそのヴォジャノーイ成体の肉を使ったスープを作るらしいので、これを買っていくとしよう。既に皮も剥ぎ取られた状態で売られているそれを指差し、露店の店主と思われるおばちゃんに声をかける。
「おばちゃん、ヴォジャノーイの肉を5つ貰っていい? あとイクラの缶を2つ」
「ハイまいどあり。6400ライブルね」
お金を渡し、購入した肉と缶の入った買い物袋を受け取る。
イクラというと、元日本人としては海鮮丼とか軍艦巻きを思い浮かべてしまうけど、ノヴォシアではスライスしたパンの上にチーズと一緒に乗せて食べたり、そのままスプーンで食べるのが主流なのだ。
金属バケツみたいなでっかい缶に、塩漬けにされた状態のイクラがぎっしり詰め込まれて売られていて、よほどの内陸部でもない限り、色んな食品店で目にする事が出来る。キリウに居た頃もよく食べたのでミカエル君にとってはある意味思い出の味といったところか。
ちょっとしょっぱいけどね、塩加減が。
ちなみにお値段、このバケツサイズの缶1つで300ライブル。価格がリーズナブルで食べ応えもあり、貧困層にも手の出しやすい食材である。
「ヴォジャノーイ成体……美味しいのでしょうか」
クラリスとしては幼体のゼリーを食べたモニカ&パヴェルが口から胃袋直結のナイアガラの滝を生み出したり、ミカエル君もぶっ倒れたので、ヴォジャノーイという魔物を食材とする事にかなり抵抗を感じているのだろう。
いや、あれは幼体だから不味いのだ……成体は普通に珍味なのだ。
「成体は珍味だから大丈夫だよ……足だけなら」
「ちなみに胴体は?」
「泥臭くて食べれたもんじゃないらしい。でも足の筋肉のところは鶏肉みたいな味がするんだって」
「じゅる」
よだれよだれ。
ポーカーフェイスのつもりなのだろう、いかにも清楚なメイドさんですよと言わんばかりに澄ました顔をするクラリスだけど、その口の端からはよだれが……。
ポケットからハンカチを取り出し、小さくジャンプしてクラリスのよだれを拭い去る。150㎝のミカエル君に対し、クラリスは破格の183㎝。女性どころか男性から見ても身長が高い彼女なので、こうやってよだれを拭い去ってあげるのも一苦労である。
さてさて次の買い物リストは、とメモをチェックしていると、左手をクラリスの手が優しく包み込んだ。
戦いが終わり、訪れた束の間の平穏―――こういうのもいいかもしれない。
ずっと一緒に居るよ、という決意を込めて、俺も彼女の手をぎゅっと握り返した。
「検査結果が出た」
明かりの落とされたパヴェルの研究室。工房の奥に設けられたスペースに用意されたその研究室には、例の組織が証拠隠滅のために使っていたメタルイーターの培養タンクがででんと置かれている。
兵器の製造やレストアだけでなく、こういう微生物の解析までできるパヴェルの万能選手ぶりには驚くばかりだ。
空中に投影された立体映像を背に、パヴェルは俺とクラリスの顔を交互に見る。まるで「覚悟はいいか?」と問われているような気がして、俺もクラリスも首を縦に振った。
元より真実を知るためにここへ来たのだ。
ちらりとパヴェルの背後にある試験管に目を向ける。その中には赤ワインのような液体がほんの少しだけ入っているのがここからでも分かった。
ヒトの血―――アキヤール要塞地下に残された、謎の組織の女性兵士が現場に残していった血、それを採取したものだ。
血液は遺伝子情報の宝庫である。それを解析すれば、あの女の正体が―――そしてクラリスの出生に、少しは近付けるかもしれない。クラリス本人の意向もあって、パヴェルに検査を依頼していたのだ。
果たしてその結果は―――。
「―――クラリスとその女兵士、両者の遺伝子は99.98%一致していた」
遺伝子の一致―――つまりは両者が双子か、あるいは同じ人間である事を意味する。
顔がクラリスに瓜二つ、というかほぼ同じだったことからも、その可能性は高いだろうと見ていた。双子なのか、それとも姉妹なのか。少なくともそっくりさんというわけではないだろう。その可能性は、両者のDNAの一致率で潰えている。
「双子、という可能性は?」
1つの卵子から生まれる双子、いわゆる”一卵性双生児”である可能性も有る、という事だ。あの女性兵士とクラリス、両者は竜人の双子である可能性がある。
しかし、その割に向こうがクラリスを見ても特に驚いた様子が無かったのが気がかりだが……血のつながりがあるならば、少しくらい肉親との再会に表情を見せても良いだろうに。
するとパヴェルは首を横に振った。
「俺もそう思ったんだが、もう1つ共通点がある」
「共通点?」
「ああ……クラリスも、そしてその女兵士も……テロメアの短縮が認められた。どちらも人間基準で17から20歳と仮定して考えても、平均的な人間よりはるかに短いんだ」
「?」
首を傾げるクラリスの隣で、俺は背筋に冷たいものを感じていた。
テロメア―――DNAに含まれる、細胞分裂が可能な上限。
クラリスの年齢は(本人の記憶が無いので推定でしかないが)17から18歳。ヒトでありながら、平均的な人間が持つ本来のテロメアの長さより短縮した状態。
肝心なクラリスの方が理解できていない事を悟ったのだろう。パヴェルは難しい顔で、分かりやすく噛み砕いてから告げた。
それはやはり―――思った通り、衝撃的な事実の断片だった。
「―――クラリスもその女兵士も、”造られた生命”である可能性がある、ということだ」




