秘宝、貰っていきますね
「何だ、この警報は!?」
宝物庫への侵入者を意味する警報は、書斎で歴史書を読みながら一息ついていたステファンの下にも届いていた。
長女と長男はそれぞれ帝国騎士団と法務省へ、次女のエカテリーナも帝国イヴァン教会へと行くことが決まり、次男のマカールも憲兵隊へと入隊した。これだけでも権力拡大のための種蒔きとしては盤石ではあるが、欲を言えばミカエルも他の貴族に婿にやるなどして権力強化に利用したい……そんな事を考えつつ、リガロフ家をかつてのイリヤーの時代のように再び蘇らせることを考えていたステファンの目論見は、この時から崩壊を始める事になるとは誰が想像しただろうか。
彼はまだ知らぬ事だが、これはまだ序章にしか過ぎないのである。
大慌てで手元の電話のダイヤルを回し、警備隊の詰所を呼び出す。
『はい、警備隊詰所』
「この警報はなんだ? 何が起きている!?」
『宝物庫に何者かが侵入したようです』
「宝物庫……だと……!?」
まるで背中に冷水を流し込まれたかのように背筋がぞくりとするのを、ステファンは明確に感じ取っていた。無論、宝物庫にあるものが全てというわけではないが、それでもあそこにはリガロフ家の歴史が、救国の英雄イリヤーから受け継いだ秘宝が眠っている。金塊や芸術品などはいくらでも金をかければ良い、いくらでも代えは利く。しかし一つしかないイリヤーの秘宝―――英霊として祀られているイリヤーと共に在り、その力で彼を支えた秘宝が盗まれるような事があってはならない。
額にぶわりと脂汗が滲み出るのを感じながら、ステファンは受話器に向かって怒鳴りつけていた。
「何が何でも侵入者を止めろ! 生け捕りが無理なら始末しても構わん! 銃の使用も許可するッ!」
『よろしいのですね?』
「構わん、当主である私の権限で許可する。貴様ら、万一盗人を取り逃がしでもしたら次は無いぞ!」
『……承知しております』
「憲兵隊にも緊急連絡、マカールを呼び出せ!」
『はっ!』
受話器を叩きつけるようにして置き、ステファンは呼吸を整える。
イリヤーの秘宝……あれだけは、絶対に盗まれるような事があってはならない。
あれは現代に遺る太古の奇跡。それらが秘めている力は、決してリガロフ家の外に持ち出されるような事があってはならないのだ。
屋敷が一気に騒がしくなったのは、車の運転席の中でも感じられた。
長手袋越しにハンドルをぎゅっと握り、ご主人様の無事を祈りながら、サイドミラーの向こうに映るリガロフ家の屋敷を凝視する。窓の向こうでは武装した警備兵が慌ただしく走り回っているようで、計画通りに進んだのであればご主人様は今頃宝物庫へと侵入、目的であるイリヤーの秘宝を入手し脱出に移った頃だと思われる。
あとは彼が、ご主人様が無事にここまで辿り着くのを祈るばかり。
私は知っている。
ご主人様―――ミカエル様が今まで積み上げてきた努力を。一族に疎まれ、忌み子として扱われてもなお折れる事の無かった強い心。それがあったからこそ、今日まで努力を積み重ね、今の力を手にする事が出来たのだと。
確かに他のご姉弟と比較すると、その力は劣るのかもしれない。
けれども、自分の弱さから決して目を逸らさないあの人だからこそ、あそこまで貪欲に力を求める事が出来た。
今はそれを、今までの努力の成果を発揮する時。
ご主人様、どうか。
どうか、ご無事で―――。
心臓がバグったのではないかと思ってしまうほどに、鼓動の音がやけに大きく聞こえる。それだけ緊張しているという事だ。下手をすれば顔馴染みの警備兵に撃ち殺されかねない。あるいは捕らえられ、マカールやジノヴィの下に引き渡されるかもしれない。
そんなオチは笑えない。とっとと盗品を金に換えてしまうに限る。
そろそろ窓から外に出ようと思ったところで、重々しい銃声と共に、ヒュンッ、と鉛弾が頬を掠めた。あと数センチ頭が左にずれていたら、その金属の礫は黒色火薬によって付与された運動エネルギーを用いて、俺の顔の左半分を大きく削いでいた事だろう。即死というわけではないだろうが、地獄の苦しみを味わう羽目になっていたであろう事は想像に難くない。
ゾッとしながら後ろを振り向いた。やはり後方には3人の警備兵が居て、その内の2名がこっちにピストルを向けている。片方のピストルからは濛々と白煙が溢れ出ていて、今しがた発砲したのはそいつだという事が分かる。
煙の量がすごいからな、黒色火薬は。
「動くな。動いたら命の保証はせん」
AK-12を撃ち返そうと思ったが、やめた。こちとら銃の扱いをそれなりに学んだ素人。それに対し向こうは武器の扱いだけでなく、戦い方―――ヒトの殺し方に精通した警備のプロである。照準を合わせている間にヘッドショットを貰うのは簡単に想像がつき、大人しく手を上げながら攻撃の意志がない事を示した。
「イリヤーの時計を返してもらおうか」
「……」
これの事か、と言わんばかりにポケットから黒曜石の懐中時計を取り出す。黄金で縁取られた黒曜石の懐中時計―――救国の英雄イリヤーが使っていたという代物だ。漆黒と金色のコントラストが美しい。
じりじりと近寄ってくる警備兵たち。このままではせっかくの盗品が奪い返され、俺も罪人として憲兵隊に突き出されるだろう。
庶子として生み落とされ、挙句その結末が盗人として処刑されるとは笑えない。第一、そんな結末は認めない。
足に力を込め、床を蹴った。
それを抵抗する意思と見たのか、警備兵が躊躇なくピストルの引き金を引いた。撃鉄に取り付けられた火打石が打ち下ろされ、カチンッ、と火花を発する。その火花が火皿に落ち、充填された黒色火薬に点火されて―――。
不発かと思いきや、次の瞬間にはピストルが火を噴いた。
フリントロック式―――火打石を点火に使う方式のマスケットは、現代の銃と比較すると命中精度が低いとされている。銃身内部にライフリングが存在しない事から弾道は安定せず、たった今見たように引き金を引いてから発砲までにタイムラグがある。更に再装填にも非常に手間がかかる代物であり、扱いには慣れが必要だ。
だが、何歩か踏み込めば手が届くような至近距離であれば、命中精度の低さなど関係なかった。命中すれば確実に相手の命を刈り取る重い一撃が、マズルフラッシュを突き抜いて確実に迫ってくる。
ああ、これは避けられない。
当たるとしたらせめて命に別状のない部位にしてくれ―――そう祈り、半ば諦めながらも抗おうとしたその時、その”異変”に気付いた。
「……?」
―――弾丸が、目の前で静止している。
いや、弾丸だけではない。
今しがたこれを放った警備兵たちもだ。まるで警備兵を精巧に再現した彫刻の如く、床を踏み締めたままぴたりと停止しているのである。
何気なく、視界を窓の外へと向けた。
夜の庭―――エカテリーナ姉さんが好きだったカモミール。夜風の中で揺れていたそれらも、暗闇の中に佇む野良猫も、何もかもが止まっている。
その中を動いているのは、俺だけだった。
全てが静止した世界の中、俺だけがそれに縛られない。
「時間が―――」
―――時間が、止まっている。
だが、それも一瞬のみ。
次の瞬間にはピストルの弾丸が再び動き出し、射線上からずれていた俺の頭のすぐ右を掠めて飛んでいった。弾丸が頭を掠めていくのは本日二度目。二度あることは三度ある、という言葉があるが、こんな事が三度もあってたまるか。二度目で打ち止めにして欲しいものである。
「!?」
仕留めたという確信があったうえで放ったのだろう、その一撃が外れたことに、銃撃した警備兵が目を見開いて動揺する。
それだけ隙があれば十分だった。
魔術用の触媒として携行していた鉄パイプを右手でぎゅっと握り、動揺する警備兵の頭を打ち据える。パコンッ、と軽い音を響かせ、警備兵がうめき声を上げながら倒れた。
「このっ!」
「!!」
サーベルを抜き払い、それを振り下ろしてくる警備兵たち。しかしその白銀の刃も、やはり先ほどの弾丸と同じように―――空中でぴたりと静止し、動かなくなる。
―――何だ、これは。
何もかもが止まってしまった時間の中、いずれ振り下ろされてくるであろう剣戟の軌道を躱しながら、ちらりと視線を左手の懐中時計へ―――イリヤーの時計へと向けた。
まさか……この時計の仕業か?
警備兵たちの剣戟を躱し、窓からジャンプしたところで再び世界が動き出す。必中であった筈の斬撃を空振りする警備兵たちの動揺する声を聴きながら外へと飛び出し、窓枠に鉄パイプを引っかけて隣の窓へ。
懐中時計と鉄パイプを仕舞い、屋根の上へと昇った。そのまま反対側まで突っ走って雨樋を掴み、するすると地面まで降りていく。
イリヤーの秘宝―――まさか、そんな力が?
イライナ公国を救った英霊、イリヤー・アンドレーエヴィッチ・リガロフ。リガロフ家の始祖と共に在った秘宝はただただ見栄えが良いだけの代物と思っていたが、こんなとんでもない力を秘めていたとでもいうのか?
見間違い……では、ない。
確かに何もかもが停止していた。弾丸も、斬撃も、風も、花も、世界の全てが。
クラリスとの合流地点へ向けて突っ走りながら、ポケットから懐中時計を取り出した。闇が具現化したかのような色合いのそれは、何事もなかったかのように手の中に佇んでいる。
時間を止める能力―――しかし勝手にそれが解除されていた事から、止めていられる時間には限度があるようだ。
それでもこれは、かなり強力な力となってくれるだろう。
見た目が美しいだけの時計であったならば、盗品と一緒に買い手を探して金に換えてしまう腹積もりだったが……こんな素晴らしい力があったとなれば、手放すわけにはいかない。祖国を救い、英霊にまで上り詰めた祖先には申し訳ないが、こいつは有効活用させていただこう。
とはいっても能力が未知数である以上、余裕がある時に詳しい検証が必要だな……などと考えながら屋敷の裏手に辿り着き、暗闇の中停車しているセダンを見つけた。箱型の車体に丸いライトとタイヤを取り付けただけのようにも見える、まるで1900年代初頭にアメリカの街中を走っていたような古めかしいデザインの車。それの後部座席に躊躇なく乗り込んでドアを閉めると、運転席でハンドルを握っていたクラリスがキーを回し、エンジンをかけた。
「よしいいぞ、出してくれ!」
「かしこまりました」
エンジンを唸らせ、車のライトに光が燈る。
セダンの後部座席から、遠ざかっていくリガロフ家の屋敷を見つめる。ああ、あの辺に俺の部屋があったな……嫌な思い出ばかりだったが、それでも良い思い出はあった。
レギーナは故郷へと去った。もう、残していって困るものもない。この計画を実行に移す前に証拠は全て処分したから、俺の部屋を大慌てで調べても何も出てこないだろう。
痕跡は何も残していない。薬莢も、指紋も、汗も、何もかも。
「さあ行こう、クラリス」
「はい。ご主人様とならばどこまでも」
今日が俺たちの旅立ちの日だ。
腸が煮えくり返りそうだった。
できる事ならば、この無能な警備兵共の胸倉を掴み上げ、気が済むまで殴りつけてやりたい。そうせずに済んでいるのはまだ、貴様らに使い道があるからだ―――そう思いながら、行き場のないこの怒りを誤魔化すしか、今の私にはできなかった。
宝物庫の中は無残だった。金塊や宝石が盗み出され、イリヤーの秘宝―――よりにもよって一番厄介な”時間操作能力”を持つ『イリヤーの時計』が持ち出されるとは。
始祖の時代から120年が経過しているが、これほどまでの失態はこのリガロフ家には無かった。没落こそすれども、その歴史は栄光と共に在った。
それが、この無能な警備兵共と到着が遅い憲兵の連中のせいで……!
「旦那様!」
「何だ!!」
若い警備兵に怒鳴りつけると、彼はびくりと身体を震わせながらも報告を続けた。
「ミカエル様が見当たりません」
「なに……?」
ミカエルが……いない……?
大慌てで私は屋敷の中を走った。階段を駆け上がり、息を切らしながら廊下の中を突っ走って、今まで訪れたことも無いミカエルの部屋を半ば殴るようにしてノックする。
「ミカエル、ミカエル!」
返事はない。
歯を食い縛りながらドアを開けた。
部屋の中には誰もいない。ミカエルの姿も、そして奴の監視を言いつけていたメイドのクラリスの姿も―――綺麗に整理された無人の部屋の中には、少なくとも人の気配はない。シャワールームにもトイレにも、ミカエルの姿はなかった。
予想できなかった事ではない。
ミカエルを手なずけるのは無理ではないか―――半ば諦めていた事であったが、奴を手放したくないのも事実。だから飴と鞭を使い分けて丸め込もうとしていたのだが、それでも奴が逃げ出すのを止められないとは。
「……まさか、ミカエルが?」
「え?」
「宝物庫を襲ったのはミカエルではないのか!? 誰か、犯人の姿を見た者は!?」
「ニコライとアルチョムが見たと言っていますが、顔をマスクで隠していたと……」
「……!」
犯人はミカエルだろう。
あの害獣め。私の下から逃げ出すだけでは飽き足らず、宝物庫から秘宝まで盗み出すとは。生みの親に恩を仇で返しおったか。
レギーナが……奴の実の母親が、契約期間切れを口実にメイドを辞め、故郷へと帰っていった理由もこれならば辻褄が合う。屋敷に残っていれば彼女を人質に使う事も予想していたからに他ならない。
「私への復讐のつもりか、ミカエルぅ……!!」
「どうなさいますか」
「どうなさいますかではない! 奴はまだそう遠くへ行っていない筈だ、探し出せ! 憲兵隊にも要請しろ! マカールの間抜けをさっさと呼び出せ!!」
「かしこまりました」
おのれ、ミカエルめ……!
この父の顔に泥を塗った事、後悔させてやる……!!




