蒼き竜人、その名は―――
黒い制服にチェストリグ、顔の半分を覆う大きなX字形のバイザーにヘッドギア、そして手に持つ黒い突撃銃―――AK-12。
息を呑みながら、MP17をいつでも発砲できるように引き金に指をかける。
隣にいるクラリスも、そして機甲鎧を操るモニカも、唐突に姿を現した謎の女に銃を向けていた。MP17、G3A4、MG3の銃口が彼女を睨む。
ひとたび引き金が引かれれば、並の人間などたちまち蜂の巣に……いや、原形を留めぬほどの無残な死体となるだろう。その凄惨な結末が確定してしまうほどの火力が、今目の前に居る1人の女だけに向けられている。
だというのに、その黒い装備を身に纏った女性兵士はまったく意に介していないようだった。銃口を向けられ、こっちは指先一つのアクションで蜂の巣にできるというのに、その黒服の女はやれるものならやってみろ、と言わんばかりに堂々としている。
すると、彼女は大の字になって床に倒れているウルギンに視線を向けた。キャプテン・ウルギン―――しかしその正体は機械人間にすり替えられ、”謎の組織”の傀儡にされていた哀れな存在。つまりは操り人形であり、本物のキャプテン・ウルギンは既に死亡している可能性が高い。
今更そんな抜け殻にも等しい存在に何の用が、と見守っていたその時だった。
真っ黒なグローブで手を保護した彼女が手をかざすと、その指先を起点に蒼い幾何学模様が表示され始めたのである。英語のようで、しかしキリル文字にも似た奇妙な文字の羅列が表示されたかと思うと、その幾何学模様の真下に何かのバーが表示された。
何かのデータをダウンロードしているのだろうか―――白い枠で覆われたバーに蒼いゲージが溜まっていき、やがてバーを満たすと同時にそれは幾何学模様と共に消失した。
「……何をした?」
MP17のドットサイトを覗き込みながら、レティクルを彼女の頭に合わせて問いかけた。
しかし聞こえていないのか、答える気がないのか、はたまた言葉が通じていないのか、彼女がこちらの問いに答える気配は微塵もない。ただただ目的を果たしたと言わんばかりに踵を返し、どこかへ歩み去ろうとしている。
このまま行かせていいものか―――ただ、ミカエル君の本能はこう告げている。「この女は絶対に強い」と。
もし仮にここで戦ったとしても、俺たち3人では勝てないのではないか……そう思ってしまうほどだ。ゲームの負けイベントのようなものである。しかし残念ながらこれはゲームでもアニメでもラノベでもなく現実で、セーブもロードも、都合の良いゲームシステムも存在しない。1つしかない命を使い潰してしまえばそれで終わりなのだ。
相手に戦う意志がないなら、見逃してもらった方が得策だ―――頭の中で、二頭身のミカエル君ズが必死に叫ぶ。
後ろ向きな意見が多数を占める一方で、この女に問い質したい事は山ほどあった。なぜ異世界でAKを持っているのか。ウルギンの死体―――機械人間の残骸に何をしたのか。そして何よりも、彼女はどこかの組織に属しているのか。
さっきの行動を見る限りでは、残骸から何かデータのようなものをダウンロードしていたように見えた。戦闘で得たデータなのか、それともあの機械人間がキャプテン・ウルギンとして振る舞っていた時の行動履歴なのかは分からない。が、彼女がそれの回収に現れたのは確定といっていいだろう。
ではそれはいったい、誰の命令によるものか?
彼女1人の意思……とは、思えない。俺が思うに彼女はどこかの組織の工作員的な存在で、上からの命令に従ってデータの回収に現れた……そんなところだろう。
ならば、その”上の存在”とは何か。
俺にはそれが―――例の”組織”のように思えてならないのだ。
だから可能であればここで身柄を拘束し尋問したいところだが……残念ながら、それは叶わないだろう。
頭の中に渦巻き、枷のように内側から身体を押さえつけていた躊躇を、唐突に響き渡った重々しい銃声が断ち切った。バヂッ、と黒服の女兵士の足元が弾け、キンッ、と落下した空の薬莢が金属音を奏でる。
発砲したのはクラリスだった。
「待ちなさい!」
「……」
「クラリス……!」
G3を構えるクラリスは、今まで見た事の無い表情をしていた。
―――怯えている。
まるで小動物が、絶対に勝ち目のない捕食者に遭遇してしまったかのような―――生物が持つ”畏れ”の表情。しかしそこに、意外な事に絶望は感じられなかった。圧倒的な力を持つ者との遭遇、しかしクラリスの浮かべる表情にはまるで、探し求めていたものを見つけたような、あるいは長い間会う事の出来なかった肉親に再会したような、どこか相手を求めるような表情も伺える。
絶対に勝てない相手への恐怖と、どこか縋りつくような心境が入り混じった、何とも言えない複雑な表情だった。
「あなたは……あなたは何者なのですか!?」
「……Дas au pleras mёlkers(何と愚かな)」
聴いた事の無い言語だった。少なくともノヴォシア語圏の言語ではない―――語感としては近いものがあったが、一番近いのはロシア訛りの英語だろうか。ロシア語を母語とする者が英語を学習し話そうとするが、どうしても母語のイントネーションが抜け切らない……そんな感じの独特な言語だった。
めんどくさそうに、彼女はこちらを振り向きつつヘッドギアのスイッチを入れる。
「力の差も分からないのか」
「!」
次に彼女の口から聴こえてきたのは、綺麗な発音のノヴォシア語だった。特徴的な巻き舌発音も忠実に再現されていて、まるでそれを母語として育ってきたかのよう。彼女の話すノヴォシア語はまさにネイティブのそれだった。
あのヘッドギアには翻訳装置でも搭載されているのだろうか?
ちなみに、この世界では未だに翻訳装置は実用化されていない。他国の人とコミュニケーションをとるためには、相手の言語を勉強するしかないのだ。
「分かっている筈だ。貴様らでは私には勝てぬと」
それは分かる、分かっている。
先ほどからこうやって銃を構えて警戒しつつ、どう攻めるべきか、どう守るべきか、どう立ち回るべきか……色んなケースを想定して考えているのだが、彼女に勝った自分たちの姿が全くイメージできない。
攻めても、守っても、どんなケースでもこっちの惨敗で終わるのだ。最適解は戦闘を回避する事……しかし彼女が”組織”の所属ならば、二度と遭遇する機会はないかもしれない。連中は常に舞台裏で暗躍し、表舞台にこうして姿を現す事は滅多にないからだ。
せめてパヴェルが居てくれたらと思うが、それでも勝てるかどうか。目の前に居るこの女の兵士からは、得体の知れない何かを感じる。
それに―――クラリスとどこか、似たような雰囲気も感じられる。
「―――お前、”組織”の構成員か?」
「だったら何だ、何だというのだ?」
「聞きたい事が山ほどある。質問に答えてもらおう」
「……ならば力尽くで答えさせてみろ。できれば、の話だが」
答えが知りたいなら力尽くで屈服させろ、か……クソッタレ、やっぱりハードルが高い。
このまま見逃すか、無理を承知で戦うか―――目の前に立ち塞がる二者択一。しかし漂う躊躇をぶち破り、火薬の荒々しい轟音が唐突に戦端を開いた。
クラリスの持つG3A4が火を噴いたのだ。
7.62×51mmNATO弾―――スナイパーライフルや汎用機関銃、重火器として名高いミニガンの弾薬としても使用されるそれの威力は非常に高く、故にバトルライフルは中距離や長距離において脅威となる火器の1つとされている。
被弾すればボディアーマーもあっさりと貫通するそれは、しかし目の前の女性兵士の命を奪うどころか、傷をつける事すら叶わなかった。俺がクラリスの発砲に驚いている間に甲高い跳弾の音が響き、ひしゃげたライフル弾が複雑な回転をしながら、余った運動エネルギーを発散するかの如くどこかへと飛んで行ってしまったのである。
命中はした。しかし死ななかった。
それは何故か?
その理由はあまりにも衝撃的で―――俺もモニカも、そして発砲した張本人たるクラリスも、”それ”に目を奪われ凍り付いてしまう。
被弾したのは彼女の首筋―――肌の露出していた筈のそこは、いつの間にか蒼いドラゴンの外殻や鱗で覆われ、堅牢な装甲と化していたのである。
『あれって……クラリスと同じ……?』
ゆらり、と彼女の後ろで何かが揺らめく。
尻尾だ。蒼く柔らかい鱗で覆われた、爬虫類を思わせる尻尾。クラリスの持つ尻尾と比較すると短く未成熟なようにも見えるが、どうであれそれはクラリスと同類、同種族だと断ずるに足るものだった。
「まさか……竜人だと……!?」
「残念だ、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ……貴様の従者はもう少し、賢い女だと思っていたのだが」
呆れたように息を吐きながら、左手を腰の鞘へと伸ばす彼女。そこから引き抜いたナイフを回転させ、AK-12の銃口下に装着して銃剣とする。
そして次の瞬間、目にも留まらぬ速さでそれを構え、引き金を引いた。
「!?」
まるでガンマンだ。西部劇のカウボーイが、悪党との戦いで見せる早撃ち。それをアサルトライフルでやったかのような早業に、俺もクラリスも反応が遅れる。
時間停止を発動し周囲の空間が静止した頃には、既にミカエル君の眉間のすぐ前、距離にして僅か5mmのところに、1発の弾丸が飛来した状態で静止していた。
5.45×39mm弾―――アメリカの5.56mm弾に対抗する形でソ連が設計した小口径弾薬だ。
もし時間停止がちょっとでも遅れていたら、それは間違いなくミカエル君の頭をぶち抜いていただろう。今回もまた、イリヤーの時計に命を救われた。あの時屋敷からこれを盗み出さなかったら、今頃俺は死んでいたに違いない。
ゾッとしながらも射線上から退避したところで、時間停止は解除された。ヒュン、と風を切る音を響かせて5.45mm弾がミカエル君の頭があった”筈”の空間を通過、補強用の金属フレームを殴打して甲高い音を響かせる。
竜人の女性兵士がほんの少し驚いたように見えた。今の一撃は当たった筈だ、仕留めた筈だ―――これで勝負がつく、これは当たる、という確信をもって放った一撃なのだろう。熟練者が確信を抱いて放った一撃というのは、大抵外れないものだ。
それを躱されたのが意外でならないのだろう。
相手が驚愕している間にこっちも撃った。MP17のスライドが後退し、9×19mmパラベラム弾が空気を引き裂く。
狙いは足のつもりだが、多分これは殺さないように配慮して勝てる相手ではない。むしろ、殺すつもりでいかなければ勝ち目は無いのではないか―――狙いを胴体に変更して撃つが、彼女の動きはとにかく速かった。こちらの反撃が来ると悟ったかと思いきや、大きく跳躍して壁を蹴り、そのまま壁面を猛ダッシュしてこちらの攻撃を全て回避して見せたのである。
なんという身体能力。
骨格が獣に近く、身体能力の高さに定評のある第一世代型獣人でもあんな動きはできまい。これも竜人のなせる技なのか―――しかし、相手が速いならば当たるまで弾をばら撒けばいい、という脳筋丸出しの答えをモニカが突きつける。
機甲鎧の両手が保持し、腰だめに構えた状態のMG3が立て続けに火を噴いたのだ。”ヒトラーの電動鋸”の異名を欲しいがままとし、東西両戦線で敵兵を蜂の巣にしてきたドイツの傑作機関銃、MG42。その遺伝子を色濃く受け継ぐ汎用機関銃の弾幕は噂に違わず猛烈で、集中豪雨の如き7.62mm弾が壁面から補強フレームに飛び移った竜人の兵士に殺到した。
「……」
しかし彼女は躊躇せず、敢えてその弾幕の中に飛び込んだ。左手を顔の前に突き出して目を防護しつつ、全身をドラゴンの外殻で覆って完全防護。あの外殻には7.62mm弾程度ならば完全に防げる防御力があるようで、被弾した箇所からは戦車が弾丸を弾くような金属音が立て続けに聞こえてきた。
回避できる弾丸は回避し、無理ならば外殻で防ぐ―――そうやってモニカとの距離を詰めていく竜人の兵士だったが、しかしその電光石火の如き突撃は、唐突に襲い来る殺意によって止められてしまう。
踏み込んだ足に力を込めてバックジャンプ。その直後、次の瞬間には彼女の首があったであろう場所を、右から突き出された金属の顎が噛み砕いていた。
クラリスの背負った、あのクソデカボルトカッターの一撃だった。
「チッ」
殺すつもりで、尚且つ必中を確信して放ったクラリスの一撃。しかし首を落とす筈だったそれは空振りし、何もない空間を裂くのみ。
しかしクラリスの攻撃はそれだけでは終わらない。閉じた状態のボルトカッターを鈍器のように振り回し、踏み込みつつかち上げ、そこから一気に振り下ろす。そのいずれも竜人の兵士を捉えるまでには至らなかったけれど、この連撃のおかげで完全に攻守が交代する。
その隙に武器をMP17からAK-308に持ち替え、時間停止を発動。クラリスの連撃を回避しながら後退し、反撃の機会を虎視眈々と待ち受ける彼女の動きも、そして獲物を追い詰める猟犬のような勢いで連撃を繰り出すクラリスも、静止した世界の中でフリーズする。
全てが静止した世界の中、俺はAK-308の照準を竜人の兵士の頭に向け、撃った。撃針が雷管を穿ち、薬室の中で眠っていた7.62mm弾が目を覚ます。装薬が炸裂し、発射ガスが薬莢から弾丸を押し出すと、弾丸はたちまちライフリングの導きによって回転を得る。
マズルフラッシュを置き去りにして銃口から飛び出したそれは、しかし静止した世界の法則にあっさりと囚われ、僅か0.3秒の間ではあるが世界と共に静止する。
時間停止が解除され、世界の全てが解凍されると、7.62mm弾もまた本来の運動エネルギーを取り戻した。
停止した時間の中で発砲されれば、イリヤーの時計を持たず、静止した世界も認知できない他者にそれを察知し回避する術はない。それはあの竜人の兵士も例外ではなかったようで、彼女がこちらの攻撃に気付いた頃には、7.62×51mmNATO弾は頭に命中し―――X字形の大型バイザーとヘッドギアを、衝撃で吹き飛ばしていた。
黒いヘッドギアとバイザーが外れ―――海原のように蒼い髪と、ルビーのように紅い瞳、そしてクラリスと同じブレード状の角が露になる。
やはり竜人―――クラリスと同じ種族である、という事は確定だった。
しかし、俺たちが驚愕しているのはそこではなかった。
「クラリス……!?」
バイザーの下から露になったのは、クラリスと全く同じ顔だったのである。
姉妹とか双子とか、そういう次元ではない。ドッペルゲンガーなのではないかと思ってしまうほどに、顔が”同じ”なのである。
被弾の衝撃か、それとも微細な金属片で切ったのか、眉間からは微かに出血していた彼女。強引にそれを拭い去った彼女は、後方へジャンプしながら何かを取り出し、安全ピンを引き抜いて俺たちの方へとそれを投擲する。
閃光手榴弾―――目くらましか、と断じた頃には、ドパンッ、と炸裂音が耳を劈き、マグネシウムの生み出す猛烈な閃光が視界を完全に殺していた。
視覚と聴覚が回復した頃には、もう彼女の姿も、そして衝撃で吹き飛んだヘッドギアも残っていなかった。
地面には彼女の血痕だけが残されていた。
【お前らしくないな、同志”シェリル”】
ドビュッシー作曲のクラシック―――月の光と共に、男性にしてはやや高い、しかし男性のものであると分かる音程の声がシェリルの頭の中に直接響く。
先ほどの戦いは全て、”彼”も”見ていた”のだろう。シェリルがこうして目にした映像や耳にした音、嗅いだ臭いに味わった味、五感の全てが”彼”と共有される。もちろんプライバシーには配慮してもらっているが、作戦行動中ともなれば話は別だ。
唯一、頭の中の思考だけを読み取られないのが救いだろうか。
銃撃を受けて大破したヘッドギアを見つめながら、シェリルは念じた。
【申し訳ありません、同志指揮官】
【まあ良い、作戦目標は達成している。しかし……ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ、血盟旅団か。所詮は弱小ギルドと侮っていたが、評価を改める必要がありそうだ】
【ええ……それにあのメイド、間違いありません。彼女は―――】
【”初期ロット”の個体とこんなところで出くわすとは……これも運命か】
シェリルにとっては許せない事であった。
最高の装備と訓練を受け、より戦闘向きの個体として生み出された自分が―――よりにもよって遥か旧式の、初期ロットの個体と互角だったという事がとにかく許せない。
相手が同胞だったから、という躊躇いがあったなどというのはただの言い訳だ。そんなものは免罪符になり得ない。
【まあ良い、今回の一件は同志団長に報告しておく。とにかく戻ってゆっくり休め。お前にはまだまだ働いてもらう】
【了解しました】
座っていた防波堤から立ち上がり、背後のアキヤール要塞を振り向いた。
夜の闇は薄れ、東の空には朝日が昇りつつある。
これからアルミヤ半島は、海賊の脅威に脅かされる事の無い平和な場所となるであろう。あの朝日はまるで、平和になったアルミヤの大地を祝福しているかのように見える。
自分はもう、朝日の中に立つに相応しくない―――そう思い、シェリルは唇を噛み締めた。
彼女たちの組織は闇の中で暗躍する存在。しかしいずれ、また血盟旅団と邂逅する事もあるだろう。
その時こそ―――今度こそ。
屈辱を胸に、シェリルは夜の闇を追うように姿を消すのだった。




