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ヒトの心、機械のカラダ


 生まれ育った家庭環境は、お世辞にも良いとは言えなかった。


 労働者の父と農家の母の間に生まれてからというもの、子供らしいことは何もできなかった。狭くて薄汚い家の中、朝から晩まで父の仕事の手伝いをさせられ、夜になれば酒に酔って暴力を振るう父に怯える毎日。


 いつも身体中に痣を作り、精神的苦痛から薬物に手を出した母の姿を見ながら強く思った。「こんな家など出て行ってやる」、と。


 それと同時に悟った。世の中は力を持つ者が回しているのだ、と。力こそ全てなのだ、と。


 だから俺は騎士団に入った。騎士団で力をつけ、のし上がって、権力を手に入れ世界を回すのだ、と。しかし騎士団に入団したら入団したで腐敗した現状を見せつけられ、想い描いた理想にも陰りが見え始める。


 騎士たちは皆、貴族に媚び諂うばかりだった。そして貴族はその強大な権力で気に入った奴を取り立て、気に入らない奴は左遷させる事が出来る。今まで以上に理不尽な力がまかり通る別世界のようだった。


 こんな生まれた家の権力によって左右されるような世界ではなく、単純な力のみが上下を決める弱肉強食の世界を作ってやりたい―――法も何もない、絶対的な力だけが唯一の秩序となる世界。それを求め、俺はアルミヤ半島へと渡った。志を同じくする仲間と共に群雄割拠状態のワリャーグをまとめ上げ、”奴ら”の援助も受けて今の力を手にしたのだ。


 それを、こんなどこの馬の骨かも分らん連中に―――こんな奴らに、俺の夢を潰されてたまるか。


 嫌だ。それだけは嫌だ。


 胸元に突き立てられている剣の刀身を、素手でそのままがっちりと掴んだ。これで勝負は終わり―――そう思っていたのであろうミカエルの顔が、驚きと恐怖に染まっていくのがはっきりと分かった。


 終わったと思っているのはお前らだけだ。まだ戦いは終わっていない、勝負はこれからなのだ。


 刀身を握った手の皮膚が切り裂かれ、紅い血が溢れて―――しかし傷口から漏れ出たそれは、明らかに人間の血の質感とは異なるものだった。


 ヒトの血であればもっとこう、赤ワインのような質感のように見える筈だ。今まで何度も流し、目の前で流されているさまを何度も見てきたのだから間違えようがない。


 しかし、俺のこの手から溢れ出る血の質感はどうだ?


 まるで安っぽい塗料のような、紅く透き通った半透明の血だ。とても人間の血とは思えない―――傷口から覗く己の内側を見て、俺は更なる衝撃に襲われた。


 皮膚の下から覗くのは赤い肉などではなく―――黄土色の、銅線を思わせる細かい繊維の束だったのだ。


 はて、人体とはこんなにも機械の内面のようだったか―――そこまで思い至ったところで、身に覚えのない記憶がフラッシュバックする。


 アルミヤへと向かう最中、俺に銃を突きつける”蒼い髪の女”。周囲に倒れているのは共に海賊ワリャーグとして一旗揚げようと意気込んでいた仲間たち。


 そして俺は彼女に撃たれ、傀儡くぐつに……?


 いや……待て、何だ。何なのだ、この記憶は。


 混乱し始めたところで、頭の中に音楽が流れ始めた。敵に剣で串刺しに(しかしなぜか痛みはない)されているという惨状にはどうも似合わない、ピアノの優しく優雅な旋律。暗い森の中、樹々の隙間に浮かぶ白銀の月を彷彿とさせるような美しい音色と共に、頭の中に女の声が響く。


【傀儡にしてはよくやった、ウルギンよ】


 傀儡くぐつだと……この俺が?


 ワリャーグをまとめ上げ、装甲艦まで手に入れて、黒海を版図に収める一歩手前まで行ったこの俺が―――傀儡?


【しかし弱者に用はない、死ぬがよい】


 その声が合図だった。


 意識がシャットダウンされていく。さきほどまで胸の内にあった怒りの感情も消え失せ、虚ろな脱力感だけがこの身体にあった。


 ああ、そうだ。


 俺はもう―――とっくに死んでいたのだ。


 最期にその事を理解し、キャプテン・ウルギンのふりをしていた傀儡の自我は消去デリートされた。














【個体番号LQA-887、自我消失】


 ピアノの旋律―――ドビュッシー作曲の”月の光”と共に、無機質な機械音声がそう告げた。


 所詮は海賊パイレーツ、海というヒトの生存に適さぬ環境を縄張りとし、略奪行為にばかりうつつを抜かす愚か者共の末路には、傀儡として利用され切り捨てられるという救いのない最期が相応しいのかもしれない。


 残酷にもそう考えながら、彼女はヘッドギアにマウントされたバイザーを下げた。4つの角張ったゴーグルを、角度をつけてX字形に結合したような形状のバイザーは、目元から上を完全に覆い尽くす。まるでその姿は機械の力を司る機械仕掛けの魔人のようで、ゴーグルの表面に穿たれたスリットから紅い光が漏れた。


 スリングで背負ったAK-12の安全装置セーフティを解除してセミオートに切り替えながら、彼女はアキヤール要塞の司令塔から敷地内を見下ろす。


 戦況はワリャーグの惨敗、と決まったようなものだった。アレーサ襲撃は失敗、本拠たるアキヤール要塞も憲兵隊に制圧されつつあり、要塞の区画は1つ、また1つと攻め落とされていく。


 練度でも物量でも、そして装備の性能でも大きく劣るワリャーグにもはや明日は無いだろう。いったい何を思って”あのお方”はこんな連中の頭に力を授けたのか、と理解に苦しむ。


【目的を忘れるな、同志】


「……はい」


 海賊たちを見下しつつ、彼女は夜の闇に身を躍らせた。


 勝敗の決しつつあるアキヤールの戦いに、突如として第三勢力が介入しようとしている事に―――今はまだ、誰も気付かない。














 慈悲の剣に貫かれてもなお、ウルギンには戦おうという意志があった。


 この剣は相手を殺す事はない。俺が”相手の死を望まずにこの手で振るう限り”、相手の肉体に物理的なダメージは一切与えられない。肉体ではなく意識にダメージを与え、最終的に相手を気絶させる―――これも賢者の石の成せる業なのだろうが、しかしウルギンは一筋縄ではいかない相手だった。


 胸板を剣で串刺しにされ、意識を手放す寸前である筈にも関わらず、この男は戦いを止めようとしない。それどころか刀身を素手でがっちりと掴むや、そのままぎりぎりと手に力を込め始めた。


 俺が振るった状態ではないからなのだろう、相手を傷付けず殺せないというルールが適用されないのか、刀身を握るウルギンの手の皮膚が裂け紅い血が溢れ出た。そのまま刀身をへし折らんばかりの勢いで力を込めるウルギンだったが―――その裂けつつある手から覗いた黄土色の繊維の束のようなものを見た途端、俺も、そして傍らでウルギンに止めを刺すべきか戸惑っていたクラリスも、更にはウルギン本人も目を見開いていた。


 傷口から覗いたそれは、明らかにヒトの内側にあるべきものではなかったからだ。


 皮膚の内側にある赤い肉ではない。まるでその、ゴム製の被覆に覆われた銅線のような質感を放つ繊維の束。それに似たものを、俺は見たことがある―――モニカや俺の乗る機甲鎧パワードメイルに搭載されている人工筋肉、そしてアルカンバヤ村の一件で目にした機械人間たちが持つ人工筋肉そのものだったのである。


 まさかコイツも、と驚きながら右足を持ち上げ、ウルギンの腹を思い切り蹴り飛ばした。その勢いを利用して慈悲の剣を引き抜き、後ろへ大きくバックジャンプ。剣を素早く鞘に戻し、ホルスターからMP17を引っ張り出す。


 ストックを伸ばして銃口をウルギンに向ける俺の傍らでは、同じく距離を取ったクラリスがG3A4を構えていた。モニカも異常事態を察知したようで、MG3を腰だめで構えながら銃口をウルギンに向けている。


 困惑の表情を浮かべていたウルギンに、変化が起こった。


 現実に起きている事を受け入れたのか、それとも現実逃避でもしているのか―――彼の表情から困惑が消え、機械的で無機質な無表情に変わったのである。


 彼の仕草を見る限り、機械人間たちは自分が機械であることに気付いていないのかもしれない。そう思うと哀れであるが、機械がヒトに擬態し社会に紛れ込んでいる、というのはなかなかに恐ろしいものである。しかもそれが人類に牙を剥く代物だというのであれば猶更だ。


 感情を無くし、無言でサーベルを引き抜くウルギン。彼の後方では擱座したベロボーグの装甲表面に朱色の斑点がポツリ、ポツリと浮かび始めたかと思いきや、急激にその面積を増やし始めた。


 メタルイーターだ。金属を食べ、錆へと変えて排出する微生物。例の”謎の組織”が運用する兵器全てに搭載されていて、これが残骸を即座に分解、錆び付いた金属粉に変えてしまうせいで、鹵獲して調査したり解析する事も出来ない、という厄介な性質を持つ。


 それが搭載されていて発動したという事は―――もしやあのベロボーグは、謎の組織の兵器だというのか?


 装甲の表面だけでなく、フレームや配線、人工筋肉に至るまで全てをメタルイーターに食い尽くされ、全高20mのベロボーグの上半身があっという間に錆色の粉末の山へと姿を変えていった。山のような鉄粉を背景に立つウルギンはというと、相変わらずの無表情のままサーベルを握り、一歩、また一歩とこっちに近付いてくる。


「やめろ、止まれ」


「ご主人様、あれは機械人間です!」


 制止は無意味です、と忠告するクラリスが、問答無用で撃った。ドズンッ、とバトルライフル特有の重々しい銃声が地下空間の空気を揺るがし、壁や天井に幾重にもその獰猛な轟音を反響させる。


 放たれた7.62×51mmNATO弾はサーベルをがっちりと握るウルギンの右手、その肘から先を一気に吹き飛ばした。小口径のライフル弾よりも重く、装薬量も多いが故にその一撃は重い。身体に『風穴を開け、その身の内をズタズタにする』5.56mm弾とは異なり、『質量と弾速の暴力で吹き飛ばす』のがフルサイズライフル弾の恐ろしい所だ。


 そしてそれは、人間相手だけではなく機械人間相手にも同様だった。人工筋肉の繊維はもちろん、金属製の人工骨格まで呆気なく吹き飛ばし、地面に赤い塗料を思わせる、明らかに人間の血とは異なる質感の人工血液を撒き散らす。


 片腕が吹き飛んだというのに、ウルギン―――いや、ウルギンに擬態していた”それ”は止まらない。まだ左腕が付いてるじゃあないか、と言わんばかりにもう1丁のピストルを引き抜き、こっちに銃口を向けてくる。


 どんな悪人にも、ヒトとしての尊厳くらいはあって然るべきだろう―――。


 甘いと言われたらそれまでだけど、俺はそう思っていた。生まれたその日から、母の腹から生まれ落ち産声を上げたその時から、心の奥底まで悪に染まっている人間など存在しないのだ。どんな悪人にも、そうなった原因が必ずある。


 ウルギンもきっとそうなのだろう。


 一瞬だけ目を瞑って祈り、引き金を引いた。


 9mmパラベラム弾の雷管が殴打され、薬室の中で装薬が目覚める。爆発に押された9mmパラベラム弾の弾丸は薬莢という金属のドレスを脱ぎ捨てると、それを薬室に残したまま銃口から飛び出した。


 ペンのように尖ったライフル弾とは異なり、先端部がやや丸みを帯びている拳銃弾。しかし運動エネルギーを纏ったそれが危険であることに変わりは無く、9mmパラベラム弾は狙い通りにウルギンの眉間に喰らい付いた。


 ドットサイトのレティクルの向こうで、半透明の紅い飛沫が舞う。


 がくんっ、とウルギンが頭を後方へ揺らした。眉間に穿たれた風穴から人工血液を撒き散らして、ウルギンに擬態していた機械人間が力尽きる。


 キャプテン・ウルギンという、アルミヤ半島を支配下に置いていた海賊への鎮魂歌レクイエムは、9×19mmパラベラム弾の銃声となった。


 キンッ、と地面に落下する薬莢の音が、銃声の余韻に美しいアクセントを加える。


『……ミカ、こいつ』


「……」


 崩れ落ち、二度と動くことも無くなったウルギン。見開かれた状態の彼の眼をそっと閉じさせ、亡骸の前で手を合わせる。本物の彼は既に亡くなっており、ここに居るのはただの傀儡でしかないが―――せめて罪深い行いを繰り返した彼にも、いつかは安らかに眠れる時が訪れますように、と。


「……これで終わりだ。帰ろう」


 踵を返し、仲間を連れて歩き始めた。


 少なくとも、これでアルミヤ半島を含め、イライナ南部が危険に晒される事は無くなるだろう。アレーサだって平和な海を取り戻し、人々は海賊の影におびえることなく漁を続けられるようになるのだ。


 多少の痛みは伴ったが、これで―――。


 終わった筈の戦い、その後に訪れていた静寂を唐突に破ったのはクラリスだった。歩いていた彼女はきっと何かを悟ったのだろう。いつもは冷静で取り乱すことも無い彼女が、今までに見たことがないような必死な表情を浮かべながら後方を振り向き、G3を構えたのである。


 後ろに一体何が―――彼女に問うよりも先に、困惑しつつも俺も振り向き、MP17を向けた。


 ―――地面に仰臥ぎょうがするウルギンの亡骸を、いつの間にやってきたのか、黒い制服に身を包んだ女の兵士が見下ろしていた。


 どこかの組織の制服なのだろうか。黒い軍服にも見える制服の上にチェストリグを装着し、やけにがっちりとしたブーツを履いている。ボディラインから辛うじてそれが女性である事が分かるが、その顔は近未来的なデザインのバイザーに覆われていて、鼻から口にかけてしか窺い知ることができない。


 けれども何だろう―――誰かに似ているような、奇妙な感じがする。


 しかしその手にある武器を見て、警戒心は敵対心へと変わっていった。


 AK-12―――ロシア製の最新型アサルトライフルだ。


 もちろん、この世界には存在しない。製造方法を知る者が製造するか、転生者が持ち込まない限りは。


 何者だ、この女は……?



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