白き巨人、ベロボーグ
重々しく、まるで装甲が軋むような音が大聖堂を揺るがした。逃げ場のない音が地下空間で反響を繰り返し、実体のない拳となってあらゆる方位から全ての物体を殴打してくる。
咆哮したのだ、あの機械の兵器が。
相手を威嚇するためなのか、それともこのような閉鎖空間で相手の聴覚を殺すための非殺傷兵器として搭載されたのか、それは開発者に聞いてみなければ分からない事だが、一つだけ言えることは相手がいくら何でもヤバすぎるという事だ。
AK-19を構え、セミオートで何発か撃った。胸から上しかない不完全な状態の巨大兵器ではあるが、それでもサイズは20mクラス。歩兵用の小銃で何とかなる次元の相手ではなく、対戦車ミサイルがこの場にあっても威力不足と思えてしまうほどの防御力を有しているのは明白だった。
案の定、5.56mm弾は白い装甲の表面に弾かれ、火花を散らしながらどこかへと飛んで行ってしまう。クラリスも果敢にQBZ-97で狙うが、結果は同じだった。5.56mm弾では通用しない―――脆弱な部分を探し出してそこにぶち込むか、それとも一旦退却して態勢を整えるか。
幸い、あの巨大兵器は下半身を喪失している。四肢のうち健在なのは左腕だけで、いくら何でもそれだけで這って移動するのは困難を極めるだろう。
退却か、徹底抗戦か。2つに1つの選択肢を選ぼうとするミカエル君の目の前で、巨大兵器『ベロボーグ』がその残された左腕をゆっくりと持ち上げた。
やはりかなり無茶をしているのだろう。左腕を持ち上げる、という単純な動作だけで、まるで長い間油を差していない機械を強引に動かしたかのような、明らかに機械に優しくないような音が響く。
下手したら自壊するのでは、と思った俺たちに向けられたのは、その剛腕の”指”だった。
ここで俺とクラリスはぎょっとする。
人間でいう指に当たる部分。それは単なるマニピュレータなどではなく―――要塞の中で散々目にしてきた、あのガトリング砲で構成されているのだ。
「おいおい……」
「あー、あれはちょっと……」
クラリスと一緒に顔を青くしながら、お互いに左右へと散開し走り出す。その直後、ベロボーグの指の代わりに搭載されたガトリング砲が銃身を回転させ始めた。
よく見るとあれは、手回し式のガトリング砲をベースに小改造した自動型のガトリング砲らしい。手回し用のクランク部分に蒸気機関車の動輪を繋ぐ連結棒のようなものが接続されていて、その後方で小型の蒸気機関のような何かが動作を始めている。
動輪と一緒に回転する連結棒のようなものに回転を促され、ガトリング砲が目を覚ます。8門の銃身を束ねたそれを緩やかに回転させ始めたかと思いきや、次の瞬間には凄まじい勢いで80口径の弾丸をこっちにむかってばら撒き始めた。
1秒間に5から8発くらいのペースだろうか。ミニガンやらアヴェンジャーと比較するとまあ随分と緩やかな連射だが、あの弾幕に捉えられたら一瞬で終わり。ミカエル君バラバラにされてハクビシン料理にされちゃう……。
ちらりと後ろを見た。ウルギンの狙いはあくまでも俺なのか、弾幕は俺ばかりを追ってきてクラリスを狙う気配はない。
しかもあのサイズだから腕の動き自体はかなーり緩慢だった。対空機関砲みたく相手を執拗に追尾しながら弾幕を叩き込むような兵器ではなく、ある程度照準を合わせてから大量の弾幕を射線上にバラまき、前方に居る敵の一団を制圧するための兵器なのかもしれない。
よし、これなら何とかなりそうだ。俺がこうやって相手の狙いを引き付けていれば、それだけクラリスはノーマークになる。彼女にばかり頼ってしまうのは申し訳ない限りだが、ここは巧く隙を突いてクラリスにあのクソデカ兵器をぶっ壊してもらうべきだろう。
とにかく走った、死ぬ気で走った。ちょっとでもペースを落とせばたちまち弾丸の集中豪雨に呑まれてハクビシンの挽肉にされてしまう。そんなのジビエ料理店だけで勘弁してくださいよと思いつつも、あまり思い切った回避はしないように意識する。
要するに心理戦だ。相手もヒトならば無意味ではあるまい。
凄まじい動きで攻撃をことごとく回避するメイドさんと、もうちょいじっくり狙えばワンチャン仕留められそうなご主人様だったらどちらを狙うべきか、そんなのは明白である。そうやって”もうちょいで仕留められる”状態を演出してやる事で、敵の攻撃がクラリスに向かないようにしているのだ。
ヘイヘイこっちだよ、というノリでAK-19を発砲。身動きすらできず固定砲台状態の巨大兵器ベロボーグに回避という選択肢はない。相手からの攻撃はその重厚な装甲で受け止めるか、そうでなきゃ死ぬかという極端な二択で何とかしなきゃいけない兵器である。
走りながらだから命中精度もクソもないが、回避しながら反撃する一方で冷静にどこならば5.56mm弾でもダメージを与えられるか、と分析する。狙うべきは装甲の繋ぎ目や関節―――動きを確保するために防御力をある程度捨てなければならない部位が真っ先に候補に上がるが、他にも応急処置を施した部位、という選択肢もある。
装甲が経年劣化で使い物にならなくなった部位なのだろう、その辺の鉄板をとにかく溶接して雑に塞いだような部位が何ヵ所も見える。あそこならばワンチャン、5.56mm弾でも貫通が見込めるかもしれない。
だが最大の狙い目は―――。
突っ走りながらセレクターレバーを弾き、中段のフルオートに。そして銃口をベロボーグ―――ではなく足元のケーブルに向け、走りながら引き金を引いた。
ドガガガガ、とAK-19が吼え、足元を這うまるでクラーケンの触手みたいな太さのケーブルに、5.56mm弾がその切っ先を突き立てた。太いケーブルとはいえ銅線を絶縁用の被覆で覆ったいつもの配線をスケールアップしたものに過ぎない。何発か弾丸を撃ち込んでやればそのうち切れるか、送電に支障が生じる筈だ。
『むぅ……!』
動力源を外部に設置したのが敗因だ、キャプテン・ウルギン。
あのベロボーグは確かに驚異的な技術力で建造された兵器だ。奴が言う”神の軍隊”が何なのかは分からないが、それでもアレの創造主たちの技術水準は、今のこの世界に1世紀近く差をつけていると言っても過言ではないだろう。
そんな未知の技術で建造された兵器なのだ。この世界の技術で完全修復できないのも当たり前である。最も高度な技術力が求められる動力源の修復が出来ず、やむを得ず動力を要塞のものと直結した、といったところか。
今俺を狙っているガトリング砲だって、よく見るとあれはこの世界で普及しつつあるガトリング砲に動力を搭載し自動化したものだ。本来あそこにあった武装ではあるまい。
たんっ、とクラリスが飛んだ。地下に穿たれた大聖堂、それの崩落防止のために壁に沿って配置された梁に飛び移り、それもさらに蹴って高く飛ぶクラリス。標的に狙いを定めた猛禽類の如く急降下しながら、彼女はQBZ-97で脆弱な関節部を狙う。
関節部は防塵対策なのか、耐熱シートのようなものでシーリング処置が施されているようだった。しかしそれでは装甲としては機能しない。弾丸は易々とそこを貫通し、巨大な機体の関節部に蒼い電撃を迸らせる。
ダメージは小さいが、それでも狙い所によってはダメージを与えられる。それが実証された瞬間を目の当たりにし希望が見えたが、それもあっという間に陰り始める。
『小癪な』
「!!」
ガゴン、と両肩の装甲が展開した。
装甲の断面だけでもその戦車の如き分厚さが分かるのだが、驚くべきはそこではない。展開した両肩の装甲の内側、そこから姿を現したのはペッパーボックス・ピストルを保持した大量のサブアームだったのだ。
さすがに残った左腕のように巨大なものではなく、装甲にも覆われていない。しかしそのサイズは人間の肉体を鷲掴みにでき、そのまま握り潰せるほど―――その数、合計16本。それら全てに6連発のペッパーボックス・ピストルが握られ、銃口をクラリスに向けている。
脅威にいち早く反応したクラリスが身体中をドラゴンの外殻で覆い、攻撃に備える。彼女の真っ白な肌があっという間にドラゴンの蒼い外殻や鱗で覆われていき、ヒトの姿をした竜とも言うべき姿に変わった直後、ペッパーボックス・ピストルの群れが彼女1人に向かって一斉に火を噴いた。
トパパパパッ、とまるで戦列歩兵の一斉射撃を思わせる濃密な弾幕が、クラリスの外殻の表面を執拗に殴打する。サブアームのスケールに合わせて大型化した特注品なのか、発砲音が通常のものと比較するとやけに重々しい。
丸い鉛の弾丸がクラリスの外殻を打ち据える。貫通を許さず全て跳弾させている辺り、クラリスの防御力の高さが伺えるが、しかしそれを跳ね返すクラリスの顔も苦しそうだった。いくら弾丸を強靭な外殻で弾き飛ばし跳弾させても、被弾した衝撃はまた別だ。それは不可視の拳となって彼女の筋肉を、臓物を、骨格を殴打してくる。
それでもなお降下しつつ射撃する彼女へ、ペッパーボックス・ピストルを投げ捨てた大量のサブアームが襲い掛かった。簡略化された3本のマニピュレータを持つそれが、獲物を一呑みにせんとする大蛇の如くクラリスへ向かっていく。
身動きの取れない空中だというのに、ここでもクラリスの身体能力のすさまじさを見せつけられる事となった。身を捻って最初のサブアームを紙一重で躱し、そのフレームを蹴って軌道変更。殺到するサブアームの死角に躍り出るや、攻撃を空振りしたサブアームたちに近距離射撃を叩き込んでいく。
構造が簡略化されるあまり装甲すら搭載していないそれに対し、5.56mm弾の牙はあまりにも鋭すぎた。金属が弾丸に撃ち抜かれる音―――質量と運動エネルギーの暴力に屈する音を立て続けに響かせながら、サブアームたちが次々に破壊されていく。5.56mm弾にへし折られ、貫通され、関節を破壊されて無力化される機械の大蛇たち。全てのサブアームがクラリスの手によって返り討ちにされると同時に、彼女のQBZ-97もまたマガジンの中身を使い果たす。
再装填―――は、しない。
これだけのサイズの敵を討つならば、アサルトライフルよりも手っ取り早い手段が彼女にはある。
ライフルの保持をスリングに任せ、背負っていた例のクソデカボルトカッターを手に取るクラリス。ギィッ、と艶の無い漆黒の顎が開かれ、ベロボーグの肩に着地したクラリスが巨人の頭を目指し前進していく。
コクピットを直接潰そうというのだ。
いくら何でも大胆過ぎやしないか、と思いつつ、俺を追っていたガトリング砲がやっと沈黙したのを確認。指の付け根にセットされたタンク状のマガジンをやっと使い果たしたらしい。
ならば、と立ち止まり、左手を前方に突き出した。手の甲に刻まれたエミリア教の紋章が青い光を発し、猛出された魔力が雷の散弾となってベロボーグに牙を剥く。
拡散雷球―――ちょっと応用が必要な下級魔術の一つだ。要するに電撃のショットガンである。魔力の加減次第で相手を気絶させる散弾銃としても、相手を焼き尽くす魔術としても使い分けられる。
俺が放った一撃は、とにかく現時点での全力を込めた―――人を殺せるレベルのものだった。
狙ったのは巨人の頭、すなわちキャプテン・ウルギンの乗るコクピット。複眼状のセンサーを持つそれが、俺の攻撃にではなく接近中のクラリスを振り向いたところに、拡散雷球が見事に直撃した。
撃破までは至らんだろう。内部のパイロットがどうなってるかも分からないが、少なくとも電気系統へのダメージにはなる筈だ。そう期待したのだが、直撃した筈の電撃が装甲に触れるや、まるで忌避するようにその輪郭を舐め、弾かれていくのを目の当たりにして息を呑む。
『対魔術コーティングだ』
コクピットに収まっているウルギンが勝ち誇ったように言った。
『―――そんな石ころのような魔術が、このベロボーグに通用すると思っているのか?』
石ころとは、言ってくれる……それなりに本気を出したつもりだったのだが。
それにしても、対魔術コーティング―――聞いたことがない技術だ。名称とさっきの攻撃が弾かれたところから察するに、装甲の表面に魔術を防ぐ、あるいは弾くような何かを塗布しているのだろう。
だがそんな技術が発明されたなんて聞いたことが無いし、ダンジョンで発掘されたというニュースも聞いたことがない。
あの兵器といい、あの技術といい、もしかしてこの世界の技術ではないのではないか……圧倒的な力の差を見せつけられて唖然としているところに、隔壁が蹴り飛ばされるような音が響いた。
『ふっふーん、モニカ様参上―――って、でッッッッッッッッッッッか!!』
ヘッドセットから聴こえてくるモニカの魂の叫び、100dB。鼓膜が逝きそうになるのを何とか堪え、遅れてやってきたモニカの方を振り向いた。
この防御力に対魔術コーティング―――こちらの武装はアサルトライフルに手榴弾、あとは白兵戦用の格闘武器だけ。
―――勝ち目はない。
「クラリス、一旦退くぞ! モニカ、援護を!!」
『撤退!? 逃げるのですかご主人様!?』
「このままでは犬死するだけだ、撤退する!」
九七式車載重機関銃の掃射が始まり、ベロボーグの装甲表面に大量の火花が散る。俺も制圧射撃に加わり、こっちに向かって戻ってくるクラリスを支援。スライディングで滑り込んできた彼女が俺の肩をぽんっ、と叩いたのを確認し、後ろへと下がった。
マガジンを交換し制圧射撃を継続するモニカの機甲鎧の肩をガンガン、と叩き、そろそろ撤退するぞと合図すると、彼女も踵を返し階段の方へと駆けこんでいった。
ポーチから取り出したスモークグレネードのピンを引き抜き、ベロボーグへ向けて投擲。白煙が溢れ出したのを確認してから、最後に俺も階段の方へと駆け出した。
今の装備では勝てない。
だが―――次は倒す、必ず。




