地の底へ
5.56mm弾が戦闘員の左足、ちょうど脛の辺りを撃ち抜いた。
命中した角度から骨を掠めて脹脛の肉を削ぐコースだったようで、左足に被弾したワリャーグの戦闘員が痛々しい悲鳴を上げながら地面に転がる。分かっている、あの程度で人は死なない。胴体とか頭とか、そういう急所に当たったわけではないのだから適切な処置さえ行えば死にはしないだろう。
とはいえ、つい十数年前までは平和な日本で暮らしていて、転生後も人生の大半を安全な貴族の屋敷の中で過ごしてきたミカエル君としては、やはり戦闘―――特にヒト同士の戦いというものに強烈な抵抗を覚える。
ハンドストップに沿えている左手が揺れ、PK-120のレティクルがブレる。理性では「これは正しい行為なのだ」と分かっていても、身体がそれを受け入れていない。人を撃つなんて、人を傷付けるなんて。平和な日本で生きていた頃の感覚が、まだ身体から抜けきっていない。
朝起きて、何気なくテレビをつけて、朝飯を食って歯を磨いて、身体中に眠気を纏わりつかせたまま職場へ。そこで上司に文句を言われながら働いてくたくたになって帰宅して、飯食ってアニメ見て寝る……ストレスはあったけれど、なんだかんだで平和だった日常。そんな毎日にどっぷり浸かった身体が、戦闘行為に拒否反応を示している。
けれどもまあ、以前みたく胃の中身を地面にぶちまけそうにならなくなったのだから、少しは成長しているという事なんだろう。世界というのは生命に対してとにかく残酷で、環境に適応できない生物は種族諸共死に絶えるしかない。生き残りたいのなら過酷な環境に順応するしかないのだ。それが灼熱の砂漠だろうと、極寒の雪山だろうと、そして血肉が大地を埋め尽くし砲弾が飛び交う戦場だろうと変わらない。
世界は常に順応を強いる。生命が世界の上に立つなど夢物語であり、決して逆転する事の無い法則なのだ。
順応しろ、適応しろ。さもなくば死ぬぞ。
遮蔽物の陰に隠れて呼吸を整えた。震える手を動かしてコッキングレバーを引き、薬室の中を確認。いつもならばそこに見える黄金の薬莢に覆われた5.56mm弾はなく、薬室の中は空っぽだった。
なんてこった、弾切れにも気付かないとは。
落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせ、マガジンを交換した。コッキングしやすいよう大型化したコッキングレバーを引き、乱れる呼吸を整えようと努力する。
4つ数える、息を吸う。4つ数える、息を吐く。
「ご主人様!」
「!!」
油断していた。
遮蔽物として利用していたコンクリート壁の上に、小型斧を手にしたワリャーグの戦闘員が立っていたのだ。一体いつの間に忍び寄ったのか、それともこの乱戦の中で隙を見せた俺をたまたま見つけたのかは分からない。
QBZ-97の再装填に入っていたクラリスが、空のマガジンを投げ捨て、咄嗟にサイドアームのPL-15に手を伸ばすが―――ああ、間に合わない。既に戦闘員は残虐な笑みを浮かべ、ハチェットを手に飛びかかっていたからだ。
さあどうする、このまま大人しく死を受け入れるか?
冗談じゃない。
せっかく自由の身になったのだ。二度目の人生をこんなところで終わらせてたまるものか。
イリヤーの時計に命じ時間停止を発動。僅か1秒という短い時間だが、その間だけ世界の全ては静止する。
慌てて拳銃を抜こうとするクラリスも、そしてこっちに向かって飛びかかろうとしている戦闘員も、飛び交う弾丸たちでさえも―――世界の全てがぴたりと止まっていた。
その間にアサルトライフルから手を放してスリングに保持を預け、右手を腰の鞘―――パヴェルが用意してくれた魔術用の触媒であり剣、”慈悲の剣”へと伸ばす。
全体の3分の1を占める長い柄を握り、鞘から引き抜いた。1mくらいの片刃の剣でありながら、その重量は体感で1kg足らず。剣として殺傷力に影響するであろう重量が全く足りていないそれを手に、時間停止の解除と共に襲来するであろう戦闘員を迎え撃つ。
パヴェルは『コイツで斬っても絶対人は殺せない』と言っていたが……今は彼の言葉を信じよう。
時間停止が終わった。
凍結した時間の全てが”解凍”され、世界は再び動き出す。
この剣でヒトは殺せない―――仲間の言葉を信じ、慈悲の剣を思い切り振り上げた。
小型斧よりも遥かに長く、実戦向きに造られた慈悲の剣。戦闘員の持つハチェットがこっちを切り刻むよりも先に、鋭利なそれが戦闘員の胸板を右脇腹から左肩へとかけて一閃していた。
「カッ……!」
肉を切ったという感触も、人を斬ったという手応えもない。空振りしたのか、それとも手応えすら感じさせない程の切れ味なのか。
否、どちらでもなかった。
奇襲に失敗し反撃を受けた戦闘員が白目を剥き、俺の隣をすり抜けて地面に崩れ落ちる。大きく開かれた口からは泡を含んだ涎が溢れ出て、地面に気色悪い染み模様を描き出していた。
信じがたい事に、血は一滴も出ていない。慈悲の剣の刀身にも返り血を浴びた痕跡は一切なく、艶も飾り気も一切ない武骨な刀身を月明かりの下に晒している。
ハッとしながら、今しがた斬った(筈だよな?)戦闘員の脈を調べた。首筋に手を当てると、しっかりと脈があるのが分かる。よかった、コイツは生きている。ワリャーグの連中はどいつもこいつも極悪人だが、裁いていいのは俺じゃない。こいつらの断罪は司法機関に任せよう。もし裁判所が死刑を言い渡し、こいつらが断頭台送りになったとしても、それは法の裁きによるものだ。
それにしても驚いた。確かに斬ったのに死んでいない―――いったいどういうメカニズムなのだろうか。素材に賢者の石を使っている事が関係しているのか?
「ご主人様、お怪我は!?」
「ああ、大丈夫だ……それよりキャプテン・ウルギンは?」
「申し訳ありません、見失いました……しかし奴の”臭い”はまだ追えます」
クラリスの能力にはいつも驚かされる。
射撃の際に効果を発揮する動体視力や空間把握能力にはいつも驚かされるが、こういう時に役に立つのが彼女の”嗅覚”である。
クラリスの嗅覚は軍用犬レベル―――しかもそれを自分の意思でオンオフできるのだという。風向きによって索敵に影響を受けやすいという制約はあるが、微かにでも相手の臭いが残っていれば、それを辿って追跡する事も容易いのだ。
『ミカ!!』
微かにガソリンの臭いが漂ってきたな、とハクビシンの嗅覚でも感じ始めたのと、ヘッドセットからモニカの声が聞こえてきたのは同時だった。ドムンッ、と派手にコンクリート壁を蹴り飛ばして豪快に登場したのは、グレーを基調に白いアクセントで彩られた機械の鎧―――機甲鎧、その2号機だった。
手には九七式車載重機関銃が、腰の右側面にはフレキシブルアームで接続された予備のマガジンが収まる弾薬箱がある。
「モニカ、ナイス支援だったぞ!」
『当たってないでしょうね!?』
「とーぜん!」
しかし……。
カチューシャの斉射と、今なお降り注ぐ警戒車からの支援砲撃。これを以てしても敵の無力化には至らない、か。
砲撃や空爆のみで敵を完全に殲滅するのは難しいと聞く。やはり戦闘において歩兵による戦闘は必要不可欠な存在なのかもしれない。人間の兵士が戦場から姿を消すのは、まだまだ当分先の話になりそうだ。
《警戒車よりミカエルさん、ご無事ですか!?》
「こっちはなんとか。そっちは?」
《電撃榴弾が品切れです。今後は榴弾による砲撃に切り替えますが……》
「……いや、別命あるまで待機。安全な場所まで後退して、戦況を逐次報告してくれ」
《了解しました、ご武運を》
さて……。
ちらり、とクラリスの方を見た。こちらの眼を見ながら頷く彼女の様子から、ウルギンの痕跡を探し出すのに成功したようだ。
既にアキヤール要塞は憲兵隊の突入で乱戦になりつつある。マカールの奴、要塞の制圧に十分な……というより過剰な戦力を投入したようで、事前にイメージしていたのとはだいぶ違う。もっとこう小競り合いっぽさが残る感じなのではないかと思っていたが、これはもうガチの制圧戦だ。戦場って大体こんな感じなのだろうか。
まあいい、戦闘員たちの制圧は兄上に任せよう。
「俺たちはウルギンを追う。クラリス、先導を」
「かしこまりました、ご主人様」
クラリスを先頭に、俺、モニカの順番で続く。後ろからガションガションと機甲鎧の重々しい足音が聞こえてきて、これちょっとでも遅れたら踏み潰されるのではないかと怖くなってしまう。
しかもその機甲鎧が携えているのは重機関銃……え、ナニコレ督戦隊? 督戦隊なのコレ? やめてよその機関銃で敵を撃ってよ、と心の奥底でソ連兵たちの心境を代弁していると、九七式車載重機関銃がガチで火を噴いた。
ドパパパパッ、と力強い銃声を響かせ、日本製の重機関銃が7.7mm弾をコンテナの周囲に向かってぶちまける。ガガガッ、とコンテナに命中し跳弾する金属音と共に、微かにだが被弾した戦闘員の悲鳴が聞こえてきた。
見てみると、肩や足を押さえながら倒れている戦闘員たちが見え、うわあ痛そう、と哀れになる。
曲がり角から飛び出し、その向こうで待ち伏せしていた敵兵の足を瞬く間に撃ち抜いて無力化するクラリス。死角から襲い掛かってきた別の戦闘員がクラリスに掴みかかるが、次の瞬間にはその戦闘員が宙を舞っていた。
相手を投げ飛ばした瞬間すら見えない程の速度で繰り出された背負い投げ。きっと相手は、なぜ自分が宙を舞っているのかすら理解できないに違いない。
びたーん、とコンクリートで舗装された地面に叩きつけられた戦闘員の眉間に、容赦なく叩き込まれるQBZ-97のマズルアタック。顎を砕かんばかりの一撃で昏倒した敵の戦闘員を尻目に、クラリスはそのままウルギンの痕跡を追う。
『すっご……』
「俺、絶対クラリスと喧嘩しない」
というかクラリスとの敵対って死亡フラグではないだろうか。多分あれだ、敵に回した瞬間に死亡フラグが確定するヤツだ、クラリスは。きっとそうだ。
要塞内部は思いのほか人気が無かった。戦闘員たちの殆どが憲兵の迎撃で出払っているのか、ここまでノーガードでいいのか、と心配になってしまうほど警備が薄い……というより、誰も居ない。
一周回ってこれは罠ではないか、という思いもある。要塞に侵入する際、クラリスが察知した謎の気配……さっきからそれが頭の片隅に引っかかり、事あるごとに警鐘を鳴らしているのだ。
進むべきか、引き返すべきか。なかなか判断がつかずに要塞を進んでいると、やがて金属製の扉が姿を現した。どうやらそれはエレベーターのようで、階の表示を見る限りでは地下へと続いているらしい。
地下、か。ウルギンは地下で待ち受けているという事か。
「ご主人様」
「……行こう」
ここまで来て引き返すわけにはいかない。
頷いたクラリスがボタンを押し、エレベーターを呼んだ。ポーン、と電子音が鳴ったかと思いきや、地下で停止していたエレベーターが段々と地上へ上がってくる。
やがてチャイムが鳴り、扉が開いた。
要塞の内部は貴族の屋敷みたいな装飾が目立っていたものだから、てっきりこのエレベーターも中までぎっしりと装飾されているのだろう、と決めつけていたのだが、中は思ったよりもシンプルだった。黄金の装飾も何もなく、あるのはただの鉄製の床に壁、天井だけ。扉の左右にはボタンの連なるパネルがあり、扉の上部には現在の階層が表示されるという、オーソドックスなレイアウトになっている。
装飾を剥がして売ったか、ワリャーグがこの要塞を掌握した後に新造された設備なのか……いずれにせよ、この下で待ち構えているウルギンには何かがある。切り札的な何かが。
そんなミカエル君の慎重な思考を、ビーッ、という無粋なブザー音が遮った。
【警告、重量オーバーです。制限重量を超過しています】
「「「……」」」
クラリスと顔を見合わせ、2人で一緒にモニカの方を見た。
「……クラリス、失礼だけど体重どのくらい?」
「85㎏ですわ」
一応擁護しておくが、クラリスの場合は筋肉がぎっしり詰まったアスリートみたいな体格だからそれほどの体重があるのだ。決してデブではない。だって腹筋割れてるもん……バッキバキだもん。
さて、そんなクラリスの体重だけで重量オーバーになるわけがない。ミニマムサイズのミカエル君も同様だ。
ではでは一体誰が重量オーバーの原因なのか?
「最近クラリスは食べ過ぎで……」
「いやいや俺だって太った可能性が……」
『あのさ、アンタたちはっきり言いなさいよ』
「モニカ、重量オーバーだ」
「降りてくださいまし」
『直球やめれ!?』
そりゃあ機甲鎧に乗ったまま人間用のエレベーターに乗れば制限重量を余裕でオーバーするよなあ……。
『あーもう、分かったわよ! 降りればいいんでしょ降りれば!!』
「あ、隣に階段あったからそっちで頼む」
「運動は大事ですわよモニカさん」
『何なのよもうっ!!』
なんかさ、気まずいよね。エレベーターに自分が乗った途端に重量オーバーになるのって。俺も修学旅行の時あったわ。
ぷんぷんと怒りながらエレベーターを降りていくモニカ。言っておくがモニカもデブじゃない。装備が重いだけだ。何せ重量7tの機甲鎧に重機関銃と予備弾薬まで装備しているわけだから……。
エレベーターの扉が閉まり、下へ下へと降りていく。
奈落の果てへ―――地の底へ。
クラリスの感じていた感覚というのが、俺にも何となくわかるような気がしてきた。鳩尾から骨盤の辺りにかけて、重い何かが沈殿していくような感覚。まるで腹の中を水銀で満たしているかのように、ずっしりとした実体のない重みがそこに宿っている。
手のひらにじんわりと汗が浮かび始めた。ドクン、ドクン、と鼓動が声高に何かを叫ぶ。
この下に、一体何が―――?
チンッ、とチャイムが鳴り、扉が開いた。
「ここは……?」
「こんな場所が……」
そこは一言で例えると、地底の大聖堂のようだった。
巨大な洞窟の中なのだろうか。壁面はコンクリートなどで覆われてはおらず、岩盤が剥き出しになっている。それらの崩落を防ぐためなのか、金属製のフレームが洞窟の壁面や天井に沿って設置されており、そのフレームの内側に電力供給用と見られるケーブルが伸びている。
その先に広がっているのが、大聖堂のような空間だった。何かを掘り進めた痕跡が残る場所―――そこも同じように金属製のフレームで補強されていて、地面には一面に太いケーブルが放射状に広がっている。まるで木の根だ。大地から養分を吸い上げているようにも見えるが、しかしその終着点にある物体は”木”と呼ぶにはあまりにも異質であり過ぎた。
それはさながら、”巨人の上半身”とも言うべき物体だった。
鋼鉄の装甲で覆われた、巨人の上半身。戦車とも航空機とも、ましてや戦艦とも異なる形状の装甲に覆われていて、胸から下と右腕が欠損している。残っている部位も鉄板を溶接して無理矢理傷口を塞いだような応急処置の痕跡が、いたるところに残っている。
装甲は純白に塗装されているが、ところどころ塗装は剥げ落ちており、経年劣化による損傷も見受けられる。特に驚愕したのがそのサイズで、胸から上の部位しか残っておらず、その断面からはケーブルやコネクタ、破損部品が覗いている状態だというのに、胸から上だけでも目測で20mくらいはある。
もしあれに喪失した他の部位があったら、40……いや、50mにはなるのではないだろうか。
『来たか、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ』
「ウルギンか!」
銃を構えると、その巨人の頭の上にキャプテン・ウルギンが立っていた。
『見ろ、この兵器を。これこそ”神の軍隊”が遺していった遺物、オーバーテクノロジーの塊よ』
「神の軍隊だと?」
まさかアレが……あの機械の巨人が、アキヤール要塞の地下に埋まっていたとでもいうのか?
ウルギンはそれを掘り起こし、再起動を試みていた……?
『神は俺を選んだ。この兵器こそその証』
「寝ぼけた事を言ってんじゃねえ。そんな未完成の兵器で何ができる?」
確かにあのサイズには圧倒されるが、戦闘能力がさほど残っておらず、不完全な状態であるのは明白だった。損傷個所を鉄板で塞いだだけの雑な応急処置に加え、喪失した右腕と下半身の断面も塞がっていない。動力に至っては外部から引っ張ってきているようで、どこからか伸びている大量のケーブルが、下半身があるべき場所へと大型のアダプターを介して接続されている。
そんな状態で稼働させたところで何になるというのか。
「降伏しろ、ウルギン。地上もやがて憲兵が制圧する。お前はもう―――」
『クックックックッ……愚かな事だ、何も知らぬとは』
ウルギンの足元で、巨人の眼―――複眼状のセンサーに蒼い光が宿った。やがて残った左腕が、装甲の軋む耳障りな音を響かせながら動き出し、頭部のパーツが花弁のように展開し始める。
おそらくあそこがコクピットなのだろう。
「ウルギン、よせ!」
銃を構え、クラリスと共に撃った。せめて足を撃ち抜ければと期待したが、返ってきたのは5.56mm弾が装甲に阻まれる跳弾の音。本来狙うはずだったウルギンは、花弁のように展開したコクピットへ腰を下ろし、コクピットを閉鎖し始めているところだった。
元通りになった巨人の頭部、そこに備え付けられていた複眼状のセンサーの光が、蒼から紅へと変わっていった。それが何を意味するのか、何となく察しは付く。
戦闘モードに切り替わった―――ウルギンはやる気だ。
「ご主人様、お覚悟を!」
「くそっ、来るぞ!!」
『文明の間借り人共よ―――この”ベロボーグ”の餌食となるがいい!!』
地底に穿たれた大聖堂の中―――発掘された巨大兵器が、目を覚ました。




