アキヤールの戦い
パッ、と夜空に赤い花が咲いた。
暗黒の空に芽吹いたその光は、やがて彼岸花のように赤い閃光の断片を空に撒き散らしながら、徐々にその高度を落としていく。落下傘で吊るされた信号弾、それに内蔵されていたマグネシウムの着色された光。
それはミカエルからの合図に違いなかった。『赤い信号弾を合図に攻撃開始』、その作戦計画に今のところ変更はない。
ならば、事前に決められた自分の役割を果たすのみ。
機体からワイヤーで繋がれたアンカーを射出し、機甲鎧を地面にしっかりと固定。それを察知したかのように、背面のパワーパックを跨ぐように配置されていた鉄骨の束が、重々しいモーターの駆動音を響かせながら射角の調整を始める。
機甲鎧2号機には、今回の作戦のために急遽用意された兵器が搭載されている。それが、パワーパックと干渉しないように背負っているこの鉄骨の束だミカエルがダンジョンでかき集めてきたスクラップと列車に残っていたスクラップ、そしてパヴェルがどこかから仕入れてきたスクラップを使って組み立てられた鉄骨状の発射機である。
8列のレールが3層、合計24本のレールの後端部にはそれぞれロケット弾が設置されていて、発射される瞬間を今か今かと待ち受けている。
それは『カチューシャ』と呼ばれる、ソ連軍の多連装ロケット砲だった。
第二次世界大戦終盤に大量に投入され、敵対していたナチス・ドイツの兵士たちをその威力で吹き飛ばし、彼らの士気と心を見事にへし折った恐るべき兵器である。
構造自体は単純だ。先ほども述べた通り、レール状の発射機にロケット弾を搭載し、複数のそれを束ねたものである。基本的にトラックの荷台などに搭載し、大量の同兵器による一斉射を叩き込むというのが主な運用方法であった。
破壊力も、そしてその加害範囲も、ソ連軍の物量と相俟って非常に恐ろしいものであったが欠点もあった。それが”劣悪な命中精度”である。
これはあくまでもロケット弾であり、誘導能力を持つミサイルではない。つまりは”狙って当てる”という芸当が出来ないのだ。故にカチューシャは敵陣に向かってとにかく大量に発射してばら撒く、という運用にならざるを得なかったのである。
ソ連軍のように大量のカチューシャを用意できるならばまだしも、ミカエルやモニカたちにはそれだけの物量も、そしてそれを用意できるだけの資金も無い。今回の作戦のために用意できたカチューシャも8×3発、合計24発が精一杯であり、これではとても独ソ戦で猛威を振るったあの威力を再現する事はできない、というのが実情であった。
無論、それを補うための対策も用意されているのだが。
(当たらないでよ、ミカ……!)
仲間に攻撃が当たりませんように―――夜空の向こう、冷たい空の中でイライナの大地を見下ろしているであろう神に祈り、モニカはついにロケット弾たちを解き放った。
バシュ、とロケットモーターに点火したロケット弾たちが、派手な炎と白煙を濛々と吹き上げながら、三日月の浮かぶ夜空へ舞い上がっていく。やがて燃料を使い果たした彼らは重力に導かれるがままにその切っ先を下げ、大地へと向かって落ちていく。
発射されたロケット弾は通常のロケット弾ではなく、パヴェル特製の電撃榴弾。着弾地点に電気爆発を生じ、加害範囲内の敵兵を気絶させることで無力化させる非殺傷兵器である。
電気を発する蒼い薬液を炸薬の代わりに充填されたそれらは、風を切る音を高らかに響かせながら、黒海を望むアルムトポリのアキヤール要塞、その三重の防壁の内側へと綺麗に降り注いだ。
命中精度の低さが欠点として挙げられるカチューシャであるが、標的がその散布界に収まる範囲であることが確実であれば、周辺への被害―――アルムトポリ市街地への流れ弾による被害は、考慮する必要はない。
この2日間、モニカはカチューシャの運用のための猛特訓を受けていた。取り扱いはもちろんの事、散布界の把握や攻撃位置の選定をみっちりと身体に叩き込んでここへやってきたのである。
彼女が潜伏しているこの高台からであれば、アキヤール要塞の中央部はその散布界にすっぽりと収まる。事前に選定していた場所からの砲撃は、モニカの予想通りの結果をもたらした。
アキヤール要塞へ落下したロケット弾たちが、次々に蒼い閃光を放って爆ぜていく。それはまるで流れ星がこの地上へと落ち、絶命の間際に輝いているかのよう。遠くから見ている分には美しい光景だが、しかしそれは致命的な電撃の乱舞である。今頃着弾地点は電撃が荒れ狂い、死者は出ないであろうがなかなかの地獄絵図と化しているだろう。
ロケット弾を全弾撃ち尽くしたのを確認したモニカは、役目を終えた発射機を即座に切り離した。背面に背負うパワーパックと干渉しないよう、左右から跨ぐ形で発射機を支えていたパイロンを爆裂ボルトで吹き飛ばし、機体から発射機を切り離す。レールをいくつも束ねたような発射機の呪縛から解放され、機体が一気に軽くなった。
どん、と地面に落ちた発射機は、急速にその表面を錆びさせていった。表面に塗布された細菌が活性化し、金属で構成されている発射機を喰らい錆を排出する事で、急激に錆びつつ崩壊しているのだ。
以前に”謎の組織”と交戦した際、パヴェルが敵の無人兵器の残骸から回収した細菌―――『メタルイーター』の作用である。
証拠隠滅のために用意されたそれが正常に働き、発射機は瞬く間に朱色の金属粉と化した。
軽くなった機体の手に九七式車載重機関銃を握らせ、アキヤール要塞へと向かうモニカ。
その頭上を、後方から飛来した電撃榴弾が飛び越え、アキヤール要塞へと着弾して蒼い閃光を煌めかせた。
照準用のスコープの向こうで、蒼い閃光が噴き上がった。
それはまるで、幼少の頃に母に読んでもらった絵本の世界のよう。大地に落ちた流れ星は、絶命の際にああやって蒼い光を放って、自らの存在を世界に焼き付けてから息絶える―――儚く幻想的で、少し悲し気なお伽噺をこんな時に思い出したシスター・イルゼは、幼少の頃の記憶を今だけ遠ざけた。
訓練通りに砲弾を再装填。弾種は無論、非殺傷用の電撃榴弾だ。出撃までの時間が繰り上げられてしまった事と、パヴェルが他の作業も並行しながら行っていたため用意できた電撃榴弾は僅か17発―――それも残り10発となり、シスター・イルゼは手が重くなるのを感じていた。
これを撃ち尽くせば、後は通常の榴弾しかない。そしてそれを放つという事は、相手を殺さないように手加減することができなくなるという事―――つまりはその手を血で汚す事になる、という残酷な現実を意味している。
覚悟はしていた。罪のない人々を守り抜くため、この手を血で染め上げる覚悟は出来ていた。しかしいざその瞬間が一歩、また一歩と近付いて来るにつれて、しっかりと固めた筈の覚悟が酷く脆く感じられて、腕もどんどん重くなっていく。
それでも、彼女には信念がある。
迷える人々を救い、導く存在となる―――そう心に誓ったからこそ、修道服に身を包みシスターとなる道を選んだのだ。
警戒車に搭載された57mm戦車砲が火を噴き、吶喊するモニカの頭上を通過した電撃榴弾が、アキヤール要塞の防壁の内側へと次々に着弾していく。
かつては対戦車戦闘をそれほど考慮していないが故に大戦終盤は威力不足となった九七式中戦車であるが、標的が堅牢な装甲に守られた戦車ではなく脆弱な兵士であれば、その限りではない。
異世界で放たれた57mm戦車砲の砲弾は要塞に着弾して蒼い閃光を散らし、不運にもその付近でガトリング砲の操作を行っていた2名の戦闘員を電撃で包み込んだ。人間の意識を一瞬で奪うほどの電撃を受けた2人の戦闘員は、白目を剥いて口から煙を吐きながら、ゆっくりと崩れ落ちていく。
遠方からの砲撃であるが故に、旧式の武装しか持たず、虎の子の装甲艦も喪失したワリャーグに反撃する手段は無い。ただただシスター・イルゼの思うがままに、射程距離外から一方的にタコ殴りにされるしかないのだ。
それはまるで、遥か天から罪人に裁きを下しているようにすら見えた。
陰キャのミカエル君が言うのもおかしな話だが、パーティーは派手な方が盛り上がるというものである。これにはきっと地球上の全人類が賛同してくれる事だろう。賛同しないやつがいたら血盟旅団までタレコミお願いします、ジャコウネコパンチかますから。
というわけで、アキヤール要塞の内部は大盛り上がりだった。白銀の三日月が浮かぶ夜空、そこから降り注ぐ無数の砲弾&ロケット弾の飽和攻撃。着弾の度に蒼い閃光が煌めき、電撃がワリャーグの連中に天誅を下す。
ヒュン、と風を切る音を響かせて落下してきた57mm砲の砲弾が、こっちに向かってマスケットを放とうとしていたライフルマンたちの頭上で炸裂した。バヂッ、と弾けるような音を響かせ、蒼い電撃を迸らせたかと思いきや、まるで獲物を見つけたクラーケンの如く伸びてきた電撃に絡め取られ、ライフルマンの一団がまとめて感電してしまう。
さすがパヴェル特性の電撃榴弾。殺さずに相手を的確に無力化している―――コレ、パヴェルが相手を殺さないという制約なしで全力で兵器作ったらどうなるんだろう? 国際社会からの批判が出るレベルの残虐な兵器が出てきそうでちょっと怖い。
こっちを狙ってきたガトリング砲の掃射から時間停止を発動して逃れ、金属製のコンテナの影に転がり込んでやり過ごした。ガガガガガンッ、とまるでフライパンを金槌で殴打しているような金属音がして、耳の奥が重くなるような感覚を覚える。
こんなのずっと聞いてたらあっという間に難聴だよ、と思いながらポーチに手を伸ばし、八九式重擲弾筒を引っ張り出す。
コイツ、いかにも『俺、膝に当てて砲撃できるんスよw』と言いたげな形状をしているが、この膝とか太腿にジャストフィットしそうな形状の底盤は絶対に膝に当てて砲撃してはならない。前も言ったけど、やっていいのは足を折って本国に送還される覚悟のあるアメリカ兵か、抗日ドラマの中の中国兵だけである。
コンテナの影でそれを立て、ポーチから引っ張り出した特注の電撃榴弾を装填。強化ガラス製(割れないよねコレ?)の空瓶に謎の液体を充填し、底面に装薬を取り付けた手作り感溢れる逸品。発射スイッチを押し込んだ途端、ポンッ、と奇妙な音を響かせながら砲弾が発射され、あっという間にコンテナの頭上を飛び越えていった。
毎回思うけどさ、グレネード弾の砲撃音ってアレに似てるよね。卒業式で卒業証書納めておく筒の蓋を開ける音。懐かしいわー、学生時代のミカエル君、あれでよくグレネードランチャーごっこしたわー……と昔の事を思い出して懐かしくなっている間に、バヂンッ、と爽快な音が聞こえてきた。
ガトリング砲の掃射もぴたりと止まっている。コンテナから顔を出して確認すると、三脚に据え付けられた手回し式のガトリング砲の周辺で、射手と助手と思われる獣人コンビがうっすらと焦げた状態で気を失っていた。
よしよし、八九式重擲弾筒つよい。
などと呑気に言ってる場合ではない。八九式重擲弾筒をバックパックに放り込み、武器をデ・リーズル・カービンに持ち替え―――ようとして、AK-19に持ち替えた。
デ・リーズル・カービンに装填されている麻酔弾は非戦闘状態、つまりはリラックスしている低ストレス下の標的に対してのみ即効性を持つが、戦闘状態、すなわち高ストレス下にある標的に対しては遅効性となってしまう。
敵に攻撃を命中させても平然と撃ち返してくる、ということだ。デ・リーズル・カービンはあくまでも潜入専用、と割り切って然るべきだろう。
ならば足を撃って無力化する、これに尽きる。
「死ねやクソ女共が!!」
「手足切り落としてオモチャにしてやるよ!!」
罵声を浴びせながらラッパ銃を放ってくるワリャーグの構成員たち。ひえー、やだやだ。あんなのに捕まったら何をされる事やら……。
「やめて! ミカエル君に乱暴するつもりでしょ!? エロ同人みたいに! ……エロ同人みたいに!!」
物陰から飛び出し、威嚇で何発か撃ち返しながら叫んだ。しかし相手はすっかり興奮状態というか、なんというか……戦闘行為に快楽を見出してしまうのか、アドレナリンのせいなのか、はたまた違法なクスリでもキメてるのか。周囲に何発弾丸が着弾しようと、お構いなしに距離を詰めて散弾をぶっ放してくる。
イリヤーの時計に命じ時間停止を発動、停止した世界で散弾の加害範囲から脱出する。1秒という空白の後、後方で木箱やタルが盛大に弾け飛んだ。ラッパ銃に装填された小石や釘、鉄屑といった散弾代わりの弾丸をもろに受けたのだ。
あんなの喰らったらひとたまりもないや、とぞっとした直後だった。
ラッパ銃を再装填している戦闘員たちに、メイドさんが飛びかかったのである。単発型のフリントロック式であるが故に、再装填中はこれでもかというほど大きな隙が生じる。それは優秀な兵士であっても逃れられない宿命なのだから、練度の低い海賊ではどうしようもない。
そんな隙を晒す哀れな獲物に、猛禽の如くクラリスが急降下。
「ご主人様にエロ同人みたいな事をするなど―――万死に値しますわッ!!」
「何だこのメイド―――ぶっ!?」
落下の勢いを乗せた踵落としが、スキンヘッドの戦闘員の脳天を的確に捉えた。アレ頭蓋骨割れるのでは、と心配になるほどの一撃を叩き込んだクラリスは、着地と同時にQBZ-97を発砲。戦闘員の群れの中で絶え間ないマズルフラッシュが乱舞する。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「痛ってぇ……あぁぁぁぁクソッ!!」
太腿や脛を5.56mm弾で、それも至近距離から射抜かれた戦闘員たちが地面に転がった。
「……ご主人様をエロ同人みたいに滅茶苦茶にしていいのはクラリスだけですっ」
「今なんて?」
「なんでもありませんわ。うふふふふ……」
なんだろう、今ちょっとクラリスの欲望が垣間見えたような気がした。
あれ、これもしかしていつかミカエル君メイドさんに食われるのでは? そんなちょっとえっちな妄想が頭を過るが、それも長くは続かない。
先ほど俺たちを見下ろしていた高台に、ホッキョクグマの獣人―――キャプテン・ウルギンの姿が無いのだ。さっきの混乱に乗じて逃げたのか?
「ご主人様!」
マガジンを交換し、戦闘員たちに対して5.56mm弾を撃ち返すクラリスが要塞の防壁の向こうを指差した。
モニカでも来たのか、と思ったが―――彼女の指が指し示す方角に見えたのは、濛々と立ち昇る黒煙に純白のライト、そして重々しい怪物が鉄道のレールを踏み締める金属音だった。
ああ、来たのだ。
こういう時に頼れるウチの兄貴が。
既に戦闘は始まっているらしい。
火薬特有の炸裂音が、まだ肌寒い春の夜風に乗ってここまで響いてきた。まるで建国記念日の花火のような轟音だが、この戦いが終わった暁には、アルミヤ半島の帝国臣民たちにとっては”解放記念日”となるだろう。
忌々しい海賊たちの支配を逃れ、再び法の保証する安寧の元で過ごす事が出来るのだから。そこには理不尽な暴力などなく、豊富な恵みをもたらすイライナの大地だけがある。
だから俺たちは、こうして臣民の盾となり血を流すのだ。
そのための憲兵、そのための武器である。
「マカール中尉、間もなくアキヤール要塞です!」
「運転手、進路このままだ。このまま突っ込め!!」
アキヤール要塞にも物資搬入用のホームがある―――姉上がどこからか取り寄せてくれた要塞の構造図で、その事は把握している。
要塞内部でミカたちが派手に暴れてくれているおかげで、敵の注意は内側に向いていた。おかげで俺たちに対し、未だに一発も砲火は飛んできていない。無論、このまま接近していればいずれは反撃を受けるだろうが……こっちに気付いた頃にはもう遅い。
「総員着剣!」
「総員着剣!」
マスケットで武装したライフルマンたちに着剣を命じ、白兵戦に備えさせる。
「いいか! 今日、我々がアルミヤ半島に自由と平等を取り戻す! 海賊共を許すな! 明日を解放記念日にするぞ!!」
短い演説に雄叫びで返答する憲兵たち。彼らの士気はこれ以上ないほどに高まっているのが、はっきりと感じられた。
さて―――俺も行くぞ、ミカ。




