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計画実行の日


 朝早くから、コンコン、と自室のドアを叩く音が聞こえた。


 誰がやってきたのかはもう分かる。何度も聞いたノックの音、それに違いを見いだせるほどに、ドアをノックされる音は何度も聞いた。ちょっと控えめで、けれども部屋の中にはっきりと響くこれは間違いなく、レギーナのものだ。クラリスだとまだちょっとぎこちなさがある。


 どうぞ―――今まで何度も繰り返したやり取りも、今日で終わりだ。そう思うとなかなかに寂しいものがある。


「失礼いたします、ミカエル様」


 落ち着いた、大人の女性の声。こんな没落した貴族のメイドにしておくにはあまりにも勿体ない、控えめでありながらも気品に溢れた声音の主は、やはりレギーナだった。


 身に纏うのはいつものメイド服……ではない。私服だ。そう言えば、レギーナの私服姿なんて今まで一度も見たことがない。イライナ公国の民族衣装なのだろうか、白い上着に蒼いロングスカートを身に纏っている。上着には紅い幾何学模様が描かれているが、あれは何か宗教的な意味があるのだろうか? よく見るとその幾何学模様は、触媒を作る時に行った祈祷の魔法陣に描いた模様と同じであることが分かる。


「寂しくなるね」


 まとめた荷物が入っているであろうダッフルバッグをちらりと見下ろしてから、自分の気持ちを正直に吐き出した。今まで彼女に何度救われてきた事か―――レギーナが本当の母として、しかしその真実を隠しながらも接してくれたおかげで、俺はここまで育つことができた。彼女が居なければこの現状にただただ絶望し、世界を呪うだけの人間になっていたに違いない。


 そう思うと、母親の愛情というのが子供にどれだけ大きな影響を与えるのかというのが窺い知れるというものだ。


「ええ。ですがきっと、いつかまた会えますわ」


「アレーサだっけ、レギーナの故郷は」


「ええ」


 イライナ地方の南方、アレーサ。交易で栄えた沿岸部の街だと聞いている。キリウからはかなり距離が離れているが……もし無事に冒険者ノマドの資格を得る事が出来たなら、いつか尋ねてみようと思う。


 近くまでやってきたレギーナは、そっと俺の頭の上に手を置いた。


「ミカエル様、本当にご立派になられましたわ。レギーナは嬉しいです」


「レギーナのおかげだよ。君が支えてくれなかったら、今の俺は無い。本当に感謝してる」


「ふふっ、ありがとうございます。長年ミカエル様のメイドとして頑張った甲斐がありましたわ」


「……これからも、身体に気を付けて」


「ええ、ミカエル様こそ」


 最後に、本当の母―――レギーナは、俺をぎゅっと抱きしめてくれた。


 結局、この屋敷で彼女を『お母さん』と呼ぶ機会は一度もなかったが……これからはもう、隠す必要もなくなるだろう。レギーナはこれから、自分の生まれ育った街でゆっくりと羽を伸ばすのだ。もう彼女を縛るものは何もない。


 この屋敷は巨大な鳥籠だ。屋敷の主ステファンが、己の権力強化に利用できる小鳥を育てる鳥籠。それは自らの子だけでなく、使用人やメイドたちも例外ではない。


 彼女にとっても、そして俺にとっても、この鳥籠は狭すぎる。


 抱擁を終えた彼女は、ダッフルバッグを手に取り、部屋の外へと歩いていった。できる事ならば玄関まで見送っていきたいが……17歳にもなり、父上にもある程度は存在する価値を見出されたとはいえ、俺は庶子。他のメイドにも家族にも疎まれた忌み子である。


 だから、彼女とはここでお別れだ。


 笑顔で手を振り、彼女の―――本当の母の顔を、この目に焼き付けた。


 バタン、と静かに扉が閉まり、母の姿が見えなくなる。


 鉄道を使っても2日、馬車なら一週間はかかる長い長い道のり。キリウ駅の方へと歩いていく彼女の後ろ姿を見えなくなるまで見送ってから、窓を閉じる。


 ―――これでいい。


 これでもう、この屋敷に留まる意味は無くなった。


 聖暦1887年、9月21日。


 今日がこの屋敷との、そして父親との決別の時だ。


「クラリス」


「お傍に」


 今までどこに居たのか―――唐突に傍らに彼女の気配が生じたのを感じ取り、後ろを振り向く。


「やるぞ、今日」


「よろしいのですね」


「ああ」


 この日のために、準備を進めてきた。


 俺は父上に飼い慣らされるだけの猫じゃあない。鎖を食いちぎり、自らの牙で運命を切り開く獅子だ。





「全てを終わらせ―――始めよう、全てを」













 心残りがあるとすれば、レギーナが毎年作ってくれた誕生日ケーキを食べ損ねた事か。


 いつも思うが、レギーナの料理はどれも絶品だった。特にスイーツは力の入れようが違う。生クリームとかは甘さ控えめで、どちらかと言うとフルーツの甘さやバターの風味を生かすような味付けが……おっといかん、腹が鳴る。腹の音で警備兵に見つかった、なんてなったら洒落にならない。


 思考を切り替えつつ、窓枠から別の窓枠へと飛び移る。既にクラリスとは別行動、彼女は今頃逃走用の車を確保し、打ち合わせ通りに裏口の近くで待機している筈だ。後は俺が首尾よく宝物庫から目標のブツを盗み出せば強盗計画は成功、巨額の金と同時に俺たちは自由を手に入れ、父上の顔に泥を塗ることができるというわけだ。


 窓枠を伝って移動し、ダクトの入口へ。目の前で室内に空気を送り込むためのファンが回転しているが、ちょっと細工すればこんなものは簡単に止められる。


 右手を突き出し、微かに魔力を放射。パリッ、とスパークが迸ったかと思いきや、先ほどまで勢いよく回転していたファンが唐突に回転速度を落とし―――やがて、完全に停止してしまう。


 魔術の適性を調べた時はそのランクの低さにちょっとショックを受けたものだが、今は自分の適性に感謝しようと思う。


 雷属性という属性は、思いのほか応用が利くのだ。回避し難い電撃だけが全てではない。その特性には電撃、磁力、熱も含まれる。


 だからこうして電流を放ち、ファンの電子回路に過負荷をかけて停止させるという芸当も可能というわけだ。


 ファンが完全に停止するのを待ち、ダクト内へと侵入。ダクトの構造は頭の中に叩き込んである。この屋敷の通気ダクトは俺にとってもう一つの故郷と呼べるレベルだ……いや、何か嫌だなそれ。忘れてくれ。


 音を立てないようにダクト内を這い、宝物庫の真上まで向かう。途中、廊下の上を通過したが、宝物庫の前には今日もやっぱり警備兵が立っているのが見えた。白銀のサーベルと、装飾付きのピストルを腰に下げている。


 ところで、この世界にも銃は存在する。


 異世界と言ったら中世みたいなイメージあるかもしれないけど、この世界は割と文明が進んでいる。とはいっても、そのほとんどは獣人を生み出した人間が遺した遺産であり、獣人たちが自ら生み出した発明品というのはそれほど多くないのだが。


 銃といっても、それらは全て古めかしいフリントロック式。火縄銃の火縄が火打石フリントになり、各所に改良が施された代物だ。だからこの世界の戦場では戦列歩兵が主役で、戦場では勇ましい行進曲と銃声が響いているという。


 警備兵が腰に下げているのも、そのフリントロック式ピストルだった。マスケットを切り詰めたそれの口径は、目測だがおそらく75から80口径。非力な黒色火薬ゆえの威力不足を、弾丸のサイズで補うタイプの銃だ。命中精度は悲惨だが、当たればひとたまりもない。


 だが―――銃ならこっちにもある。


 連発可能で、優秀な命中精度と十分なストッピングパワーを持つAK-12という突撃銃アサルトライフルが。


 こっちのメインアームはAK-12、サイドアームは同じくロシア製ハンドガンのPL-15。どちらもサプレッサーを装着しており、隠密行動を第一とした構成となっている。が、願わくばこいつらが火を噴くような事態にならない事を祈るのみだ。できるだけ相手の命は奪いたくない。


 懐中時計を取り出し、時刻を確認。今は14時、警備兵たちの交代時間だ。


 詰所が一時的に無人になる隙を突き、宝物庫の真上まで移動。金網を静かに外し、宝物庫の中を見渡す。


 中に警備兵も、監視カメラの類も無い。無人の空間には大量の金塊や宝石、どこかの芸術家が作り上げたであろう騎士の彫刻や絵画が飾られていて、これを盗みに来たこちらとしてはもう涎が出そうな光景だった。


 これを全部金に換えたら、札束のプールで泳げそうだ。一回でいいから浴槽に札束を敷き詰めてみたいのよね。


 とはいっても、欲張るのは厳禁だ。持ってきたのはそれなりに大きめのダッフルバッグ1つ。この中に入るだけの盗品と、お目当てのイリヤーの秘宝を盗んで脱出しなければならない。


 が、獲物に飛びつく前にまずはやる事がある。


 コートのポケットから、スプレー缶に安全ピンを取り付けたような形状の代物―――スモークグレネードを取り出す。それを宝物庫の入り口の壁にダクトテープで括りつけ、ワイヤーを伸ばして反対側に固定。反対側の壁にも同じようにトラップを設置し、そっと離れる。


 あれの中に入っているのは普通のスモークではない。この前、クラリスが調達してくれた即効性の睡眠薬―――それをミカエル君が独自に改造して作った睡眠ガスだ。口や鼻から吸い込めばたちまち眠気に襲われ、次に目を覚ますのは全てが終わった後になる。


 無論、自滅を防ぐためにガスマスクも持ってきた。両目のレンズの間に白いラインを描いた、黒いガスマスク。丸いレンズもあって何だかハクビシンっぽいよねコレ、洒落てるでしょ?


 ガスマスクを装着。視界が一気に悪くなり、鼻に蓋でもされたかのように呼吸がやり辛くなる。


 指紋が残らないようしっかり手袋をしているのを確認し、手始めに金塊から手に付ける事にした。


 腰に下げていたナイフを引き抜き、魔術『振動の刃』を発動。刃物の刀身に高周波を流して振動を生じさせ、高周波ブレードとする魔術だ。使用できる得物は限定されるが、接近戦において大きな効果を発揮する。


 それを使って金塊の入ったガラスケースを切断。手を突っ込めるだけの穴を開け、そこから金塊を掴み取る。ずっしりとした重さのそれを鷲掴みにし、次々にダッフルバッグの中へと放り込んだ。


 ヤバい、ガスマスクの中でニヤニヤが止まらない。


 これを金に換えたらいったいいくらになるのか、とついつい想像してしまう。やはり世の中は金、これが真理である。少なくとも文明社会が機能している間は、金を持つ者が最終的に勝利するのだ。


 金塊を全部ダッフルバッグに詰め込み、今度は宝石に手をかけた。ルビーにサファイア、エメラルドにダイヤモンド。ああ、どれもこれも良い値段になりそうだ。


 後は絵画……と言いたいところだが、そろそろダッフルバッグの中身がいっぱいになる。それに俺は残念ながら、芸術作品の善し悪しがいまいちわからん。相場が分からない以上、下手に手を出して損をする事だけは避けたいので、絵画などの芸術作品には手を出さないでおく。


 さて、後は……。


「ついに主役のご登場か」


 5つ並んだガラスケースのうち、中身が残っている3つに視線を向けた。


 残っている秘宝は3つ。『イリヤーの魔導書』、『イリヤーの斧』、『イリヤーの時計』の3つだ。魔導書は”本”というよりは黄金のプレートを束ねたようなものになっており、中身は見えない。魔術に関する何かが記載されているのか、それとも触媒として機能する魔導武器なのか。


 斧は一見すると何の変哲もない黄金の斧でしかない。まあ、秘宝っていうからには何か特別な力でもあるのかもしれないが。


 その中で特に目についたのは、イリヤーの時計だった。


 黒曜石を研磨し、それを黄金の装飾で縁取った懐中時計。一番小さいが黒と黄金のコントラストが美しく、芸術的価値も高そうに見える。


 秘宝というからには何かの力が備わっているのだろうが……まあ、何もないなら売っても良いだろう、金にはなりそうだ。


 時計に目をつけ、ガラスケースを切断。中に納まるイリヤーの時計を掴み取り―――そっと持ち合上げる。


 それと同時に、予想していた通りに警報が鳴り響いた。ジリリリリリ、と喧しくベルが鳴り響き、静寂に包まれていた宝物庫の中があっという間に騒がしくなる。


 イリヤーの時計をポケットに放り込み、開きっ放しだったダッフルバッグのジッパーを閉じた。スリングで背負っていたAK-12を手に取り、レシーバー右側面のセレクターレバーを弾いて下段―――セミオート射撃へ。


『何だ、警報!?』


『おい、宝物庫の扉を開けろ! 中を確認する!』


 さあ、来るぞ。


 ストックをしっかりと肩に当てて構え、ピカティニー・レールに装着したPK-120のレティクルを覗き込む。バクバクと心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じている間に、宝物庫への唯一の出入り口である扉が開いた。


 その向こうから駆け込んできたのは、やはり赤い制服に身を包んだ警備兵たち。その手には既に鞘から引き抜いたサーベルとピストルが収まっており、臨戦態勢に入っているのは明白だった。


「誰だ貴様―――」


 問い詰める声が、唐突に響いた破裂音でかき消される。


 慌てて宝物庫の中へと駆け込んできた彼らの足は―――見事に張りつめていたワイヤーに引っかかり、先ほど仕掛けた睡眠ガスのトラップを発動させていたのだ。パパンッ、と小さく破裂する音を響かせたスモークグレネードから睡眠ガスが溢れ出し、白煙の中で警備兵たちが次々に崩れ落ちていった。


 やはり意識が前にだけ向くと、足元には気付かないものだ。


 駆けつけた警備兵が全員眠ってしまったのを確認し、俺は銃口を下げながら宝物庫を出る。


「良い夢を」


 捨て台詞を残し、屋敷から脱出するべく走り出した。





 目的は果たした。





 あとはクラリスと合流するのみ……。





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