アキヤール要塞
「キャプテン・ウルギン、敵が」
言われなくとも彼には判る。アルミヤ半島を目指し進軍中の冒険者ギルド、血盟旅団のメンバーたちがチャイヌイに潜伏していたワリャーグの迎撃部隊を退け、なおも半島へ接近中である、という事くらいは。
こうして椅子に腰を下ろし、頬杖をつきながら目を瞑るだけでそれが分かる。頭の中に流れてくるクラシックと、自分には身に覚えのない他者の記憶。それが彼に、ウルギンという1人の男に全てを教えてくれていた。
報告はいい、と無言で部下を制した彼は、静かに目を開けながら椅子から立ち上がる。
部屋の正面に飾られている絵画を見ながら、ウルギンは内から湧き上がる闘争心を静かに鎮めた。闘争を前に昂るのは良い。戦いとはヒトの本能であり本質である、と彼は考えている。そうでないのなら、地球上にいる全員が心の底から平和を渇望しているというのなら、なぜ人類の歴史書は戦乱で溢れているというのか?
しかし、本能に忠実になり過ぎるというのも考えものだ。いくらヒトに慣れた獣とて、放し飼いにすれば問題が生じる。それと同じだ。ヒトの本能とは獣と同じで、理性とはそれを戒める檻なのだ。
目の前にある絵画は、以前に襲ったイライナの商船から略奪した際に手に入れたものだ。高名な画家が描いたもの、というわけでもなく、特に金銭的な価値もない一枚の絵画。かつての平穏だったころのアルミヤ半島、アルムトポリにあるこの”アキヤール要塞”から三日月の浮かぶ黒海を望むその絵画は、金銭的価値の低さとは別にウルギンのお気に入りだった。
「で、死者数は」
「ゼロです。ですがあの連中、見たことも無い砲弾で攻撃してきたと……電撃を用いた代物のようです」
「そうか……やはりそうか」
予想通りだった。
クラシックと共に流れてくる”記憶”、それが全てを物語っている。
血盟旅団団長、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。あのリガロフ家の当主とメイドの間に生まれた庶子であり、父親からの束縛を嫌い実家を出た放蕩息子。庶子とはいえリガロフの名を名乗る事が許されているのならば、彼にも家督の継承権が無いにしろ何かしらの権利くらいはあったのだろう。それすらかなぐり捨てて旅に出たのは、よほど父親を嫌っていたのか、それともろくなことにならぬと一族に見切りをつけたからなのか……。
そのミカエルは、優しい男であるという。
対人戦では相手を殺さず、無力化してここまで切り抜けてきている。彼は人殺しではなく冒険者であり、あくまでも武器は身を守るための道具、という認識で居るらしい。
ウルギンは目を細めながら思う。武器を手に、その武力を振りかざす分際で、いつまで日の当たる場所を堂々と歩いているつもりなのか、と。
そういう者を偽善者と呼ぶのだ。上辺だけの善を求め、自らの良心を納得させるためだけに行動する偽善者。
だからこそ、彼らには”覚悟”がない。
「やはり、とはどういう事でしょうか?」
「……奴らは撃てない」
「……は?」
「撃てるのに撃たんのだ」
他者の命を奪い、生き血を啜る覚悟が出来ていない。
それが出来ぬ限りは、戦に勝つ事はおろか、戦を生き延びる事すら叶わぬだろう。
待ち伏せさせていた部下たちを、通常の砲弾ではなく電撃を用いた砲弾で無力化したのがその証拠。悪逆の限りを尽くしたワリャーグ相手にも、情けをかけようというその甘さが命取りだ。
ワリャーグは情けをかけて勝てる相手ではない―――それを、彼らはこれから骨の髄まで知る事になるだろう。
「攻撃目標はここだ。アルムトポリ、”アキヤール要塞”」
端末のアプリを起動し、立体映像を空中に投影させた。列車のブリーフィングルームにある、あの立体映像投影装置の縮小版とでも言うべきだろうか。コイツのおかげでパヴェル抜きでの作戦説明もかなりやりやすい。
速度計をちらりと確認しながら列車を運転するクラリス(モニカと交代した)も手の空いた時間にこっちを見て、攻撃目標の映像と構造を頭に焼き付けている。
「アキヤール要塞は元々、海上騎士団の拠点だった。黒海艦隊の旧本部だ」
アルミヤ半島は、イライナ地方から見て黒海へとL字形に大きく突き出ている。その屈折した半島の外側にちょうど位置しているのがアルムトポリであり、旧艦隊司令部であるアキヤール要塞だ。
軍港として栄えた事から『軍隊』半島と呼ばれ始めた、という説すらある。とにかくあそこは黒海へ素早く艦隊を展開させるには絶好の場所であり、海賊たちはよりにもよってそこを根城にしている。
だが、パヴェルの言う通り今が最大のチャンスと言えた。連中の切り札である装甲艦『パーミャチ・メルクーリヤ』は不在、アレーサを攻撃中。しかもそこに待ち受けているのは我が血盟旅団最高戦力の片割れであるパヴェルと、リガロフ家の誇る”至宝”、アナスタシア。どちらも実力はよく知っている―――少なくとも、あの2人なら戦艦相手にも互角に戦ってしまいそうだ。
アレーサの陥落は有り得ないと言っていい。断言する。
「現在、敵要塞の守りは確実に薄くなっている。この機に乗じ要塞を急襲、敵を攪乱する。そしてキリウから向かっている憲兵隊と共同で掃討戦に移行、ワリャーグの首領であるキャプテン・ウルギンの身柄を拘束、憲兵隊に引き渡す。以上が作戦の大まかな流れとなる」
最初はこちらの戦力は僅か4人―――圧倒的に不利な状況で敵を攪乱、後続の憲兵隊が戦いやすい状況を作り出さなければならない。
兄上が率いる憲兵隊の人数は150名。更に装甲列車まで投入してくるという話を既に姉上から聞いている。絶対に姉上が裏で手を回していたのだろうと想像がつくが、それだけではないのも事実だ。兄上―――マカールは憲兵隊内部での、部下からの人望が特に篤いと聞く。それに姉上の権力でバフがかかった感じなのだろう。
こちらは後続の憲兵隊も含めれば圧倒的戦力、それに対し相手は切り札たる装甲艦も無く、警備も必要最低限。
なのになぜなのだろうか……ざわざわと、胸の奥底から嫌な予感が湧き上がってくるのは。
今のところ、連中の襲撃は最初の一度だけ―――あの旧式の大砲を用いた待ち伏せ攻撃だけだった。もっと苛烈な抵抗を想像していただけに、肩透かしを喰らったような気分になってしまう。
それに、こっちは列車だ。車と違ってハンドルを切れば好きな方向に進めるというわけではなく、敷かれたレールの上をただただ進む事しかできない。つまりこれは何を意味するかというと、線路に細工をしておくだけで簡単に無力化することができる、という事だ。
ダイナマイトを設置したり、線路の上に置き石をしたり、そうやって列車の破壊、あるいは脱線に追い込む手段もある。だというのにワリャーグの連中はそれをしてこない。
それが何を意味するのか、警戒車に乗っている全員が理解していた。
―――誘い込まれている。
連中のリーダーは、どうやら俺たちとの真っ向からの対決をお望みらしい。
「敵は私たちを待ち受けているようですわね」
レールが意図的に外されていないか、爆発物が無いかを慎重にチェックしながら警戒車を運転していたクラリスが、ペリスコープで周囲をチェックしながら淡々と言う。
激しい戦闘になりそうだ、と腹を括る一方で、違和感も感じていた。
―――このアルミヤ半島侵攻作戦が、なぜ敵に漏れているのか?
アルミヤ半島を襲撃し、ワリャーグの脅威を完全に取り除く、という作戦計画は以前より立案していた。そのために姉上にも協力してもらい、兄上率いる憲兵隊まで動かしてもらって、入念に準備を進めてきた。
いずれの準備も水面下でひっそりと、だ。パヴェルに至っては作戦に使う資材や資金を調達する際、わざわざ自分で用意したペーパーカンパニーを複数経由させてから調達するという徹底ぶり。完全にそっちの界隈で生きてきた人のやり口だが、それでもこの計画は漏れた。
一体どこから?
しかも予定外のワリャーグの急襲を受け、出撃の日程を1日繰り上げているのだ。いくらどこかに内通者が居たとしても、出撃日程の繰り上げは想定外だった筈である。
なのに、当たり前のようにチャイヌイ集落群の郊外で待ち伏せを受けた。
これが何を意味するのか―――いや、出来れば信じたくはない。単なる偶然だと思いたい。
イリヤーの時計を取り出し、蓋を開いた。120年前、イライナを救った救国の英雄”イリヤー・アンドレーエヴィッチ・リガロフ”と常に共にあったという、時を止める力を持つ魔法の懐中時計。それはただの一度も壊れることも無く、作り手によって生み出されたその時から今日に至るまで、正確に時を刻み続けている。
「作戦開始、30秒前」
懐中時計の秒針を見ながら告げると、クラリスが警戒車の運転をシスター・イルゼとバトンタッチした。座席を彼女に明け渡し、すぐに傍らに置いてあるQBZ-97へと手を伸ばす。
いつものメイド服の腰には、予備のマガジンや回復アイテムなどが収まった必要最低限のポーチがある。チェストリグもプレートキャリアもない、本当に必要最低限の装備。防御も機能性もかなぐり捨て、攻撃に全振りしたようなクラリスらしい装備である。
例のクソデカボルトカッターを背負う彼女の傍らで、カウントダウンを行う。
「5、4、3、2、1……作戦開始」
カチッ、と懐中時計の蓋を閉じ、内ポケットへ収めつつ格納庫へと向かった。既にモニカは自分に割り当てられた機甲鎧のコクピットに収まっていて、俺たちが格納庫へやって来るなり親指を立ててから、コクピットのハッチを閉鎖する。
彼女の機体を固定していた金具を外すと、モニカの機甲鎧がすぐに起き上がり始める。卵を横倒しにしたような丸みを帯びた胴体が、四肢に支えられながらゆっくりと起き上がり、そのままウェポン・ラックの方へと歩みを進める。
俺も武器を準備する。今回の作戦に使う武器は4種類―――メインアーム2種類、サイドアーム1種類、ランチャー1種類という重装備になる。これが長距離の行軍とかだったら死ねってなるけど、今回は警戒車から敵地への直接の出撃だ。重量による負担はあまり考えなくていい。
まずメインアームはいつものAK-19。マガジンには実弾を装填しており、予備マガジンは5つ携行する。武器の持ち替えを頻繁に行うであろう事が予想されるため、スリングとかに引っかかる恐れのあるハイドラマウントは取り外し、いつものPK-120とブースターを装備した。ハンドガードとハンドストップは特に弄っていない。
そして特徴的なのが、もう1つのメインアームだ。
伝統的なスタイルのボルトアクションライフルに、ぶっといサプレッサーを組み合わせたような形状をしている。
『デ・リーズル・カービン』と呼ばれる、イギリス製の特殊なボルトアクションライフルだ。特殊部隊向けに用意された消音特化型ライフルであり、.45ACP弾を使用する。ベースになったのはイギリスの誇るご長寿ライフルことリー・エンフィールド。それを改造し、拳銃弾とハンドガン用マガジンを使用できるようにして、クソデカサプレッサーを装備したのがこれである。
生産数はごく少数に留まる貴重品。それをベースにパヴェルが更に改造を施したのが、俺の手の中にあるコイツだ。
本来はコルトM1911のマガジンをそのまま使用するのだが、使用弾薬を変更した関係で固定式弾倉へと回帰。使用弾薬はパヴェル独自設計の7.7mm対人麻酔弾。クリップを使用し、5発を上部から装填する保守的なスタイルとなった。
そう、コイツは非殺傷用のライフルとして用意してもらったものだ。麻酔弾はイライナ人ならみんな大好きイライナハーブと薬草を調合したもので、低ストレス下にある状態(つまりはこちらを発見しておらず無軽快な状態)の対象であれば即座に眠らせることができる優れものである。
同じものをクラリスにも用意してもらっている。訓練もやったが、僅か2日間のみ。弾道のクセや操作方法は頭に叩き込んだが、分解結合はちょっと怪しい。ちなみにクラリスは分解結合後、ネジを1つ増やすという手品(という名の結合ミス)をやらかしている。
さて、サイドアームは毎度のことながらMP17。やっぱりストックがあるだけで射撃時の安定感が違うし、サイズもコンパクトで嵩張らないところがミカエル君的に高評価である。
最後の1つなんだか―――正直、こいつの扱いにはちょっと苦労した。
砲身と単脚、そしてその先端部の緩やかに湾曲した底盤で構成された奇妙な兵器を、バックパックの中から引っ張り出す。
『八九式重擲弾筒』―――日本軍が運用した迫撃砲の一種である。太平洋戦争において大活躍した逸品で、この緩やかに湾曲した底盤が太腿とか膝の辺りにジャストフィットするらしいのだが、そんな事をしながら砲撃など決してやってはいけない。それをやっていいのは骨折する覚悟のあるアメリカ兵か中国の抗日ドラマだけである。
使用する砲弾は通常のものではなく、こちらもパヴェルが用意してくれた電撃榴弾。しかもこの電撃榴弾、ただの砲弾じゃあない。
「……これ、なかなかユニークですわね」
「うん」
バチバチとスパークを発する蒼い液体が充填されているのは、血盟旅団の団員ならばお馴染みタンプルソーダの瓶。そう、『再利用するから』という名目で空瓶をパヴェルが回収していたのだが、どうやら再利用とはこういう用途での事らしい。
空瓶に謎のスパーク液を充填、底に装薬入りのカートリッジを装着した、手作り感溢れるお手製の電撃榴弾。着弾すると電気爆発を引き起こし、加害範囲内にいる敵兵を電撃で気絶させてくれるらしい。
口径が50mmであれば他の火器でも運用可能との事だ。
日本軍の迫撃砲をバックパックに押し込み、ご丁寧に『誤飲注意』と記載された空瓶流用の電撃榴弾をポーチへ詰め込んで、警戒車側面のハッチを解放した。真っ赤に染まった茜色の夕日の中、樹々が高速で左から右へと流れていく。
やがてその向こうに、黒海と巨大な城壁が見えた。
アキヤール要塞―――かつての黒海艦隊の司令部。
『景気付けに音楽でもつけましょ?』
機甲鎧のコクピットに居るモニカがラジオのスイッチを入れたらしい。ヘッドセットのマイクの左側から、イライナ国内で流行っているロックが流れ始めた。
作戦展開地域へ接近しているようで、警戒車の速度がどんどん落ちていく。やがて安全に飛び降りる事が出来るレベルまで速度が落ちたのを確認したモニカは、機甲鎧に九七式車載重機関銃を握らせながら左手で親指を立て、機体を空中へ躍らせた。
『モニカ、出るわよ!』
『了解、神のご加護を!』
一足先に警戒車から出撃するモニカ。赤黒く染まりつつある夕日の世界に、グレーで塗装された異形の鉄塊が置き去りにされていく。
「よっしゃ、俺たちも行ってくる」
『どうかお気をつけて!』
そろそろだ、とクラリスの方を見上げて頷き、俺たちも飛び降りる。
さあ勝負だ、海賊共。




