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半島突入





 大昔の事です。





 とある国に、仲間と共に世界を救った英雄がいました。





 平和になった世界で平穏な時間を過ごしていた彼は、ある時自分と子孫たちを待ち受ける残酷な未来の片鱗を垣間見てしまいました。





 この平穏は一時的なものに過ぎず、未来に希望は無い。あまりにも理不尽な事実を突きつけられた英雄は、未来を変えるために力を求め始めました。




 それが、血塗られた裏の歴史の序章だったのです。














 格納庫の床に描かれていく幾何学模様を見下ろし、チョークをそっと上着の内ポケットに放り込んだ。


 円の中に描かれた六芒星、そしてその内側に描かれた幾何学模様―――今ではノヴォシア地方の文字を使っているが、この幾何学模様は古いイライナの文字なのだという。今となっては考古学者や魔術師ガチ勢を除いて読み方も意味も知らぬ者が殆どだ。意味を奪われ、形だけが残った文字ほど哀しいものは無いだろう。


 その中心に”慈悲の剣”を置き、下準備を終える。


 さて、次は触媒化の祈祷に使う素材の準備だ。


 祈祷のために持ち歩いている水銀と、焼いた動物の骨を磨り潰した粉末。昨日の夕飯だったシュクメルリに使った鶏肉の骨だ。あれ美味しいよねシュクメルリ。鶏肉の一番美味しい食べ方だと思う。


 瓶の中に骨の粉末を放り込み、マイナスドライバーでかき混ぜてから、魔法陣の中に置かれている慈悲の剣にぶっかける。後は魔力を放射しながら祈祷の詠唱をすれば、貴重な貴重な、それこそ貯金が全部ぶっ飛ぶほどの値打ちがある賢者の石を使ったこの剣は、魔力損失の殆どない夢のような触媒へと生まれ変わるのだ。


「Дёэй квэбмёй(神よ、我が信仰に応えよ)」


 左手の甲に刻まれた魔法陣が仄かに蒼く輝き始めた。それと連動し、床に描かれた魔法陣も蒼い光を放ち始める。


 バヂッ、と電撃が乱舞する。やがてそれは空気が弾けるような音の連なりとなり、空気が焦げるような臭いが格納庫の中へと充満していった。


 触媒化―――つまりは何の変哲もない物質を、魔力の増幅装置として”作り変える”のが触媒化の祈祷のメカニズムだ。この電撃の乱舞と焦げるような臭いは、その物質の魔術的構造の変化による反応なのだという。


 やがて光が消え、バーナーで思い切り炙られたような焦げ目の刻まれた床の上に、無傷の剣が何事もなかったかのように佇む。


 手を伸ばしてその柄を掴むと、ドクン、と鼓動が同調するような錯覚を覚えた。


 キリウの地下、スラムにあったミカエル君の隠れ家で、あの何の変哲もない鉄パイプを触媒にした時には感じなかった感覚だった。賢者の石なんて生まれてこの方一度も触れたことは無いのだが―――変な表現になるが、【やっと自分の身体の一部を見つけた】ような、奇妙な安心感が心の中を満たしている。


 ああ、こんなところに俺の片腕があったのか。そんなわけはないのだが、身体中の細胞がそう信じ込んでいるかのよう。魔力損失の小さい物質だとこのような現象が起こるのだろうか。


 鞘から刀身を引き抜き、艶の無い黒い刀身をまじまじと見つめる。片刃である事と柄が長い事、そして何かの機械のフレームのように武骨な鍔が片側にだけ付いているような、貴族が好きそうな優美なデザインには程遠い武骨な剣。立ち塞がる全てを払い除け、打ち破るという武器に期待される機能だけを突き詰めたかのような、機械的な冷たさがある。


 けれども何だろうか。果てが無く冷たく、深く、黒い剣。しかしその深奥に、燃え盛る熱のようなものを確かに感じる。


 くるりと回してから鞘に納め、その感触を確かめた。どちらかというとミカエル君は剣をブンブンするより、距離を取って銃をぶっ放しつつその隙を魔術で埋める、という戦闘スタイルだ。だから積極的に接近戦を仕掛けるクラリスとは違って、中距離・遠距離タイプなのである。


 もうちょいコンパクトにして、とお願いすれば良かったかな。そんな事を思いながら格納庫を出た。


 運転席にはモニカが座っていて、脇の助手席ではクラリスがQBZ-97のマガジンに5.56mm弾をクリップで装填している。クリップでの装填は現代の軍用銃では殆ど目にしないが、マガジンに弾丸を装填する時は依然としてああやってクリップを使う。そうじゃないと、30発も40発も弾丸を装填できるマガジンへの装填作業は重労働と化すだろう。


 マガジンだって、常に満タンにしておけばいいというものではない。長時間の行軍の際は何発か弾を抜いておき、スプリングへの負荷を軽くしておくことを強く推奨している。いざという時に装填不良で撃てません、なんて事になったら悲しくなる。


 運転席の上部にあるハッチから顔だけ出し、足でアクセルを踏み続けるモニカ。既に警戒車はアルミヤ半島の付け根、『チャイヌイ』へと差し掛かっている。このチャイヌイの集落群を越えればいよいよアルミヤ半島、ワリャーグの占領地域へ足を踏み入れる事となる。


 既に列車チェルノボーグとの通信は途絶している。襲撃を受けているアレーサに残った列車が撃破されたわけではない……と祈りたいが、ただ単に通信可能範囲の外に出たからであろう。


 いくら無線機という便利な道具があっても、それをより効率的に運用するには中継基地やら人工衛星といった設備が欠かせない。んで、俺たち血盟旅団にそんなものを用意できる資金が有るかと問われると、悔しい顔をしながら首を横に振らざるを得ないわけだ。


 こういう理由もあって、アナログな兵器に頼らざるを得ない状況にある。


 運転席の天井に吊るされている鳥籠の方を見た。中には2羽の鳩がいて、シスター・イルゼから貰った餌を美味しそうに食べている。


 通信可能範囲の外に出た以上、列車との連絡には伝書鳩を用いる他に無い。わざわざアレーサまで伝令を走らせるわけにはいかないし、この中にモールス信号を使える人員が居ない。だから第一次世界大戦の頃のような、古典的な方法に頼らなければならないというのが実情だ。


 運転席がまだガラス張りだった頃と比較すると、装甲化されたことで一気に窮屈になったような錯覚を覚える。もちろん、運転席内部のスペースは以前と変わっていないのだが、やはり装甲化されて視界も狭まってしまったことが最大の要因なのだろう。


 車輪でレールの上を走行する以外は、なんだか戦車の中にいるかのようだ。


 今、モニカは頭だけ外に出して運転しているけれど、戦闘中ともなればそんな事は出来ない。遠距離から正確に狙ってこれるライフルなんてこの世界にはまだ存在しない(”狙って当てる”のは50mがせいぜいである)が、万が一という事もあるし、狙撃じゃなくても爆発の破片や爆風、魔術による攻撃を受けて負傷する恐れがあるので、ああやって顔を出して操縦できるのは非戦闘中だけだ。戦闘になったら座席を倒して潜望鏡ペリスコープを展開、それを見て運転しなければならない。


 一旦運転席を出て、格納庫を経由し戦闘室へ。警戒車の右側にややズレる形で搭載されたチハの旧砲塔、57mm戦車砲と予備の砲弾の収納スペースがある。日本軍の57mm戦車砲が対戦車戦闘よりも歩兵部隊の制圧を重視していただけあって、徹甲弾の類は用意されていない。用意されている砲弾は榴弾33発、それからパヴェルお手製の”電撃榴弾”17発。


 弾薬庫の中で微妙にバチバチ言いながら収まっている、蒼いラインが描かれた砲弾がそれだ。


 砲塔のハッチを開け、そこから顔を出した。イライナの春の風―――まだ肌寒いそれが、静かに頬を撫でていく。遠くにはチャイヌイの集落があって、羊飼いたちが羊を移動させている姿がここからでも見えた。


 平和な場所だ―――ここから一歩踏み出せば、たちまちそこは海賊の巣窟なのだが。


 視界の狭い運転手に代わって索敵でもするか、と首に下げた双眼鏡に手を伸ばした次の瞬間だった。


 ミカエル、と誰かが俺の名前を呼んだ気がした。一体誰が―――そう思って頭を下げた次の瞬間、ヒュン、と頭上を何かが掠めていった。


 鳥……ではない。頭上で確かに聞こえた、鳥にしてはあまりにも重すぎる風を切る音。それに加えて後方から響いた爆音が、答えを教えてくれる。


 ドムンッ、と腹の奥底を揺るがす爆音が響いて、それが敵の奇襲であることを全員が理解した。


「敵襲、敵襲!」


『どこから!?』


「分からん! クラリス、何か見えるか!?」


『こちらからは何も……!』


 必死に索敵している間に、戦闘室へとシスター・イルゼが駆け込んできた。砲塔にやって来るなり、弾薬庫の中から蒼いラインの描かれた電撃榴弾を主砲に装填し始める。


 その時だった。ズームアップした双眼鏡のレティクルの向こうに、車輪付きのでっかい大砲とむさ苦しい男たちの姿が一瞬だけ見え―――それが黒色火薬の煙に、あっという間に飲み込まれた。


 バムンッ、と重々しい砲声が轟くと同時に、その砲声すら置き去りにした丸い砲弾が、もう少し経てば農作物の種を植えられていたであろう畑の地表を、その質量と暴力的な運動エネルギーで殴りつけた。


 さっきの一撃は仰角を付け過ぎたから、今度は角度を下げて射撃したのだろう。しかしそこでもまた加減をミスったようで、砲弾は警戒車を直撃するどころか遥か手前の畑に落下。畝をいくつも抉ってバウンドすると、泥まみれになりながら水溜りに沈み込み、そこで派手に水しぶきを吹き上げて爆発する。


 口径はどれくらいかは分からないが、おそらくあれは旧式の大砲なのだろう。昔の海賊船とかに搭載されていたそれを陸揚げし、対物攻撃用に転用したものだと思われる。


「見えた、11時方向! 距離400……いや、450!!」


 双眼鏡に搭載されたレンジファインダーで標的との距離を測りつつ、連中の様子を観察する。腐っても海賊、大砲の扱いには慣れているようで、砲身内部の清掃から火薬の充填、そして鉄球みたいに丸い砲弾の装填まで動作に無駄がない。


 しかし砲撃の腕の方はだいぶお粗末なようだった。三度目の砲撃も仰角が足りず、砲弾は手前の畑にバウンドしてから跳ね上がり、電柱を吹き飛ばしてから爆発。警戒車に被害は無い。


 双眼鏡から目を話して、チハの砲塔内部に滑り込んだ。ハッチを閉じるとシスター・イルゼはややぎこちない動きで手元のハンドルを回し、砲塔を左へと旋回させる。


「砲塔左10度、仰角上げちょい」


「左10度、仰角上げちょい」


「運転席、現在の速度を維持」


『了解!』


「―――撃て!」


 九七式中戦車チハの57mm戦車砲―――太平洋戦争では威力不足を指摘されていたそれが、押し寄せるアメリカの戦車に苦戦を強いられていたそれが、異世界の大地で吼えた。


 最新の120mm砲と比較すると、小さく威力も不十分と見劣りする旧式の戦車砲。しかしそれは現代の戦車の尺度で見れば、の話であって、装甲で防護されているわけでもない敵の大砲に対しては十分に脅威と言えた。


 ましてや向こうは旧式の、前装式の大砲だ。それに対しこちらは旧日本軍の57mm戦車砲、勝負にならない。


 発射された砲弾は、しかし期待した位置よりも右にずれた状態で、大砲の手前に落下した。カッ、と蒼い閃光が弾けたかと思いきや、さながら毒蛇の群れのように蒼い電撃が迸る。


 外れた。もう少し左に旋回させ、仰角をもっとつけていたら命中したのではないか―――判断ミスで貴重な砲弾を1発無駄にしたことを悔やんだが、時間が巻き戻る事は無い。過ぎたことを悔やんでも仕方がないのだ。


「照準修正、左5度、仰角2度」


「左5度、仰角2度……!」


 命令を復唱しながらハンドルを回し、肩当を使って仰角を付けるシスター・イルゼ。今度こそ当たってくれよ、と祈りながら俺は命じた。


「撃て!」


 ダムッ、と57mm戦車砲が火を噴いた。


 九七式中戦車は太平洋戦争中の戦車だ。現代の戦車のような火器管制装置といった、ハイテクな装備は一切搭載されていない。砲手の技量で命中精度が大きく左右される、そういうアナログな時代の産物なのだ。


 果たして勝利の女神は、むさ苦しい男共か、それとも俺たちのどちらがお好みか―――。


 潜望鏡ペリスコープの向こう、ちょうど大砲のあった位置で蒼い閃光が迸ったのを確認し、勝利の女神は我々に微笑みかけたのだ、という事を理解した。蒼い電撃が幾重にも生じ、弾け、空へ還らんと荒れ狂う。まるでそれは蒼いサンゴ礁のようで美しくもあったが、その根元で電撃に焼かれるワリャーグの連中を見ると、それが恐ろしいものだと実感できた。


 砲弾の爆発の代わりに電気爆発を起こし、周囲の人間を気絶させる非殺傷兵器―――なるべく敵は殺さない、という俺の方針に合わせてパヴェルが突貫工事で用意してくれた砲弾だが、その効果は期待以上だった。


 大砲を操作していた砲手たちが崩れ落ちる。6名の砲手や装填手たちが行動不能になったところで、俺は主砲の肩当からそっと肩を放したシスター・イルゼを労う。


「お疲れ様、シスター」


「は、はい……ありがとうございます」


 緊張がまだ抜けていないのか、彼女の口調は硬い。


 戦闘室を後にし、運転席へと向かった。助手席にあったメモ用紙を1枚手に取ると、それに鉛筆をすらすらと走らせてから鳥籠の方へ。シスター・イルゼが与えてくれた餌でお腹が膨れたであろう鳩の片割れを引っ張り出すと、その足にメモ用紙を括りつけて、天井のハッチから空に旅立たせた。


 きっとアレーサに居るみんなの元へ、知らせを届けてくれるだろう。


 『我、アルミヤ半島へ突入ス』―――そして『電撃榴弾効果絶大ナリ』、と。







 

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