迫る決戦
「ミカ、お前に預けたいものがある」
ワリャーグとの決戦が迫る中、列車の重装化の作業で忙しいであろうパヴェルが、食堂車で休憩中の俺の元を訪れるなりそう告げた。
アルミヤ半島進撃まであと2日。列車にもついに火砲車(戦車砲を搭載した武装車両)が追加され、警戒車の武装もより強力な戦車砲へ換装されつつある。試射や試運転、細部の改良や問題点の洗い出しなどやる事がたくさんあるというのに、多忙な彼は一体俺に何を預けるつもりだというのか。
飲みかけのコーヒーをテーブルに残し、席を立った。傍らで控えていたクラリスも反応し、一緒に後をついてくる。
案内されたのは3号車、その1階にあるパヴェルの工房だった。ノヴォシアの列車はどれも大型で、車内は比較的スペースが広くゆったりとしている。しかしそれでも限られたスペースを有効活用して用意された工房は、さながら鍛冶職人の仕事場のよう。赤々と燃え盛る窯に万力、工具一式にハンマー、そういった鍛冶に必須の工具たちが壁面にずらりと並び、役目を果たすその時を今か今かと待ち受けている。
俺たちを自分の”仕事場”に案内したパヴェルは、工房の奥にある大きな工具箱に手をかけた。貴重品でも入っているのか、南京錠でしっかりと施錠してあるそれを外し、蓋を開けて中身を引っ張り出す。
一体どんな代物が出てくるのか、と固唾を呑んで見守る俺たちの前に姿を現したのは、予想の遥か上を行く物体だった。
それは―――機械で造られた、人間の右腕だった。
義手なのだろう。一見すると騎士の鎧、その腕当てに見えなくもない。指先から肩に至るまでが金属に覆われていて、断面には人工骨格や人工筋肉、そして断面と接続するためのコネクタのようなものが見えている。
高度な技術で精巧に造られた、高価なものであることが分かる。
「それは?」
「俺の義手の予備だ。他にもまだまだある」
聞いたことも無い衝撃の事実をさらりと言うものだから、俺もクラリスも固まってしまった。
義手の予備―――パヴェルは五体満足じゃあなかったのか、と。しかし今思ってみれば、彼と初めて握手を交わしたあの時感じた違和感にも説明は付く。人間の肌とは違う感触と、まるで死人のような……いや、違う。無機質な、機械のような冷たさが彼の手のひらにはあった。
「……ああ、すまん。言ってなかったか」
「初耳だ」
「腕だけじゃねえ。両腕、両足、心臓の7割、肺の片方、脳の8割……そしてお前らをこうして見ている両目に至るまで、俺の身体は機械で出来ている」
まるでサイボーグだ。
SF映画に出てくるサイボーグを思い浮かべる。戦争で欠損した身体を機械で補い、より高い戦闘力を身に着けた未来の兵士。しかし目の前にいる彼からは、そんな前向きなイメージは微塵も感じない。
”前の職場”とやらで特殊部隊の指揮官だったというパヴェル。これは推測だが、きっと作戦行動中に負傷したのだろう。本来なら除隊確実な重傷を、身体の機械化という手段で回避し、なおも戦場に残り続けた―――いったい何が彼をそこまで駆り立てるのだろう?
銃弾が飛び交い、敵味方の血肉が入り混じり、銃声と悲鳴の絶えない戦場。そんな地獄で死の恐怖に震えながら軍用食を口にするよりも、暖かい家庭で家族と一緒に過ごす方が遥かに良いではないか。
少なくとも、俺には理解できなかった。
メンタリティの違い、と言われてしまえばそれまでだが。
精巧に造られたその義手を、パヴェルは唐突に分解し始めた。表面の装甲を外し、露出した配線の端子を的確に外していく。きっと何度も繰り返してきた作業なのだろう、工具を操る彼の手に迷いはない。
やがて半分ほど分解された義手の中から、1本の”杭”が姿を現した。
いや、それは単なる”杭”と呼んでいい物だろうか。
杭の長さは成人男性の肘から手首ほどまでの長さ。直径はおよそ13mm程度だろうか。傍から見れば長大な弾丸のようにも見えるが、半ばほどからそれは螺旋状に捻れていて、ドリルのようにも見える。
そして何よりも異質なのは、その色彩だった。
後端部は冷え固まった溶岩のように黒い。しかし半ばほどから先端部にいくにつれて、まだ熱を帯びた溶岩の如く赤く染まっているのである。
黒と赤、溶岩を思わせる禍々しいグラデーション。それが単なる鉄杭と呼んでいいのか、と躊躇ってしまう所以だ。
「それは?」
「―――”煉獄の鉄杭”、俺の切り札だ。コイツはいわゆる使い捨てのパイルバンカーのようなものでな。撃ち込んだ対象を【あらゆる性質・防御力を無視し一撃で死に至らしめる】、文字通りの一撃必殺だ」
なんだそりゃ、と呟いてしまう。
あらゆる性質、そして防御力を無視した一撃必殺―――それはつまり、相手が城壁の如き防御力を持っていようと、不老不死の力を持っていようと関係なしに、命中すれば標的を殺す事が出来る、という事。
とんでもない不死殺し、ジョーカーのカードだ。
「……そんなものを俺に預けてどうするつもりだよ?」
「いや、正確にはこれを素材にお前用の武器を造ろうと思ってな」
「それを素材に?」
「そうだ。コイツに一撃必殺の特性を付与しているのは、この杭に使われている素材が関係している。”メモリークォーツ”……いや、お前らには【賢者の石】と言った方が早いか」
「「―――!」」
―――賢者の石。
稀少な物質であり、魔力損失がゼロという屈指の魔力抵抗の低さを誇る代物。これを触媒に使用し魔術を放てば、それは素材による魔力抵抗によって魔力の減損を受けることなく放出される―――すなわち、100%の威力の魔術を放てるという事。
魔術を極めんとする者たちが喉から手を出すほど欲する稀少物質。隕石が落下した地域にしか鉱脈が存在せず、その鉱脈も小規模なものであることから、一説には宇宙より隕石に乗って飛来した地球外の物質とも言われている。
別命『哲学者の石』、『星の石』、『メモリークォーツ』、『魔王の血涙』、『満月の石』。
「賢者の石ってお前……」
「ミカ、俺はお前が好きだ。真っ直ぐな信念を持っていて、決して折れない強い心を持っている。まあ、ちょっと甘すぎるって思う事も多々あるが……許容範囲内だよ」
いつもはお調子者のパヴェルの素の部分が垣間見えたような気がした。普段の陽気でジョークを好む彼は偽りの姿で、本当はこっちなのかもしれない。どこか冷めていて、戦闘に対してはシビアで……どこか抜け殻のような、虚ろな存在。
「いいのかよ、そんな貴重なものを」
「ああ、もう必要ない。……俺の復讐は、もう終わったからな」
復讐……?
彼の纏う虚ろさの理由が分かったような気がする。復讐―――つまりは生き甲斐が無くなったのだろう。一度復讐を誓った人間は、その復讐を果たすために全てを投げ打つ。復讐のためだけに生き、そして死にゆくのだ。
生きる理由のない人生ほど虚ろなものはない。
「それより、何にでも加工してやるぞ。リクエストとかあるか?」
「うーん……アレかな、無難に剣で頼む」
一応、ミカエル君も剣術を学んだことはある。学んだと言っても剣術の師範から直接習ったわけではなく、母さんから貰ったおもちゃの剣を使って、窓の外で剣術の稽古をする兄姉たちの動きを見よう見まねで模倣しただけだが。
にわか仕込みと言われても否定できないのだが、あくまでもそれを魔術の触媒として運用するつもりだから、極端な話”持ってるだけでいい”のだ。触媒とは魔術の増幅装置、すなわち形状がどうであれ身に着けてさえいればいい。
だから形状はあまり関係ないのだ……触媒を武器として振るう魔術師も居れば、懐中時計とかペンダントを触媒化してひたすら魔術を連発するタイプの魔術師も存在する。そこは個人のスタイル次第といったところだろうか。
「形状とかデザインにリクエストは?」
「うーん……柄はちょっと長めに。それ以外はパヴェルにお任せで」
「了解、俺のセンスに期待しててくれ」
「あいよ」
パヴェルのセンスねえ……。
まあ、彼の作るものにハズレはないし、信用しても問題ないだろう。きっと最適解を上回る解答を叩きつけてくる筈だ。
優しいピアノの旋律が、どこからか流れてくる。
キャプテン・ウルギンというホッキョクグマの獣人の人生において、音楽など無縁なものであった。彼が追い求めるのは己の欲求を満たす存在―――すなわち戦闘、勝利、そして金である。それに結びつくものであれば興味を示すが、それに無関係なものに対しては異常なほどに興味を示さない。
だから音楽など聴くことも無いし、仮に目の前に蓄音機とレコードがあったとしても、音楽を再生してみよう、という気も起らない。
しかしそこまで音楽に興味がない彼でも、この音楽―――先ほどから”頭の中に”流れているピアノの旋律が、この世界で作曲されたものではない、という事だけは何となく分かる。
ショパン作曲のノクターン9番。異世界で生まれ、今なお親しまれている名曲である。
聴いていると心が安らぐような旋律の中、頭の中に映像が浮かんでくる。
映っているのは黒髪で、しかし前髪や眉毛、睫毛のみが真っ白なハクビシンの獣人とその仲間たち。何者だ、とは思ったが、すぐに頭の中に情報が流れてきて、彼らの正体が理解できた。
血盟旅団―――アレーサ襲撃を阻止し、装甲艦パーミャチ・メルクーリヤに損傷を与えた忌々しい弱小ギルド。彼らの正体を把握するや、ウルギンの心の中に怒りの炎が顔を出した。それは瞬く間に他の感情を薪代わりに燃え広がり、獰猛な戦意へと形を変えていく。
こうして情報が頭の中へ流れてくる感触は、今始まった話ではない。今までに何度もあった事だ。まるで唐突に他者の記憶を脳味噌の中にぶち込まれるかのように、自分の知り得ない情報が頭の中に芽吹いてくるこの感覚。
それはこうして、頭の中に流れる音楽と共にやって来る。
(そう……そうか)
彼らの会話を聞き、ウルギンは笑みを浮かべた。
血盟旅団の計画―――アルミヤ半島への進撃計画は2日後。列車を残し、別動隊を編成してこのアルミヤ半島へと攻め込んでくる計画なのだという。
そうなればアレーサの守りは手薄になるし、こちらも相手は僅か4人の冒険者。後から憲兵隊も攻め込んでくるそうだが、防御をきっちりと固めておけば怖い相手ではない。
それに―――。
「マカロフよ」
「はい、キャプテン」
傍らに控え、軍刀を腰に下げながら共に黒海を眺めていた黒豹の獣人であるマカロフに声をかけると、彼はまるで軍人のように背筋を伸ばしながらそれに応じた。
「”例の発掘兵器”、準備は出来ているだろうな」
「はい……しかし修復用の資材を装甲艦に回した結果、修復計画に遅延が生じています」
「明後日までにどの程度修復できる?」
「既に動力は確保できていますが、全体の30%が限度かと」
「武装が動けばよい、修復を急がせろ」
「了解です」
例の発掘兵器―――先週、アルムトポリ領内のダンジョン地下から発掘された巨大兵器。
解析によると少なくとも100年以上前に建造された代物であると結論付けられたそれが、今のワリャーグたちの新たな切り札。今は資材不足で完全修復には至っていないが、これが完全復活した暁にはアレーサなど……いや、ノヴォシア帝国など一捻りであろう。
血盟旅団の連中が自らこの半島へやってくるというのであれば、そうすればよい。彼らが最初の生贄になるのだ。そう思えば彼らに飲ませられた煮え湯も、勝利の美酒に思えてくるというものである。
海を眺めながら、ウルギンは笑みを浮かべた。
頭の中を流れていた音楽は、いつしか消えていた。
憲兵がこれほどずらりと整列する姿は壮観である。
なるほど、古より権力者たちがその力を欲し、手に入れ、狂うわけだ―――ヒトが得るにはあまりにも身の丈から逸脱した力。その片鱗を目の当たりにしながら、笑みを浮かべようとする衝動を必死に堪える。
紺色を基調としたキリウ憲兵隊、その制服に身を包んだ憲兵たちの人数は合計150名。それに俺と、ナターシャを含めた直属の部下たちも加わる。
これが俺の権限で動かす事が出来た憲兵たち。キリウや周辺の駐屯地からかき集めた精鋭である。
腰に銃剣と予備の弾薬の入ったポーチを下げ、長大なイライナ・マスケットを抱えた銃兵隊80名。剣とペッパーボックス・ピストル、手榴弾で武装した突撃兵40名。治療魔術師30名―――十分すぎる戦力だった。
もっとも、姉上も裏で手を回してくれた結果であろう。俺1人ではこれだけの戦力を、これだけの短期間でかき集める事など叶わなかった筈だ。
改めて姉の強大さを思い知らされつつ、背後に停車している装甲列車を振り向く。機関車を含めた全車両を装甲化、更には野砲にガトリング砲まで満載した、8両編成の装甲列車。ワリャーグの摘発に向かうには過ぎた戦力かもしれないが、ライオンは狩りにおいて手を抜くことはない。たとえ相手がウサギでも、だ。
常に全力で挑む事。それが武人としての、相手に対しての最大限の礼節であろう。
ちらりと懐中時計に視線を落とす。出撃時刻まであと10分―――全部隊、既に点呼は済んでいる。
出撃準備は整った。後は戦いの場に赴くのみ。
「―――海賊討伐に行くぞ! 乗れ!!」




