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無法者を討て


 イライナはいい所だ、とつくづく思う。


 冬はちょっと厳しいけれど、世界一肥沃な大地で採れる農作物は豊富だし、それを餌とする動物たちも数が多く酪農にも適しており、南方に行けばこれまた豊富な海産物にありつける。夏は暑すぎず、といった感じで、冬がガチで人を殺しに来るレベルという点を除けば本当に楽園のような場所である。


 自分の出生については、というか主に父親に関しては思うところがこれ以上ないほど、それこそ残りの生涯を父への誹謗中傷に充ててもお釣りが来るレベルで愚痴りたくなるが、それを除けばまあ安定した環境だなあ、という感じはある。


 ミカのおかげで出世できたし、最近はちゃんと自分の実力でコツコツと実績を積み重ね、今は憲兵隊で中尉の階級章を身に着ける事を許されている。次は大尉、そして少佐……兄上や姉上たちに比べると出世のペースは遅いが、着々と足場を固めて上へと上り詰めつつある。


 そんなマカール君だが、最近は母上からやたらとお見合いの話が舞い込んでくる。そう、もうそんな時期だ。マカール君は今年で19歳になるんだが、これでも貴族の基準では結婚は遅い方。気の早い家庭なんか14とか15で子供を別の貴族と婚約させているケースもある。


 綺麗な女の人だったらいいなぁ……できればお姉さんが良いです。包容力がある大人の女性、みたいな。そういう人に一回で良いから思い切り甘えてみたい。オギャりたいとまでは言わないけど甘えてみたい。


 結婚の催促があるとは言っても、一時期の父上からのミカエル逮捕の催促に比べればまだまだ良心的だ。とにかくあれはヤバかった、仕事に支障が出るレベルだし、ストレスがエグい事になったし、もうね……あれだけで縁を切りたくなるレベル。兄上や姉上にも哀れみを込めた目で見られたのを思い出す。


 俺も兄上みたいにぴしゃりと断っておけばよかったなぁ……大事なところで詰めが甘いんだよなあ俺は。


 などと昔の嫌な事を思い出していると、執務室の黒電話がジリリリン、と喧しい音を立てた。どーせまた母上からのお見合いの話か、それともミカがまたまたいい感じの”ネタ”を見つけてきたか。どっちかだろうな、と思いながら受話器を手に取り、「はい、リガロフ中尉」と名乗る。


『ああ、繋がりました。リガロフ様、お姉様よりお電話です』


「うにゅ? 姉上?」


 なんか変な声が出た。マカール君の声帯にはきっと二頭身マカール君が住んでいる、間違いはない。


 というか待て、姉上って……どっちの?


 いやいやいや、俺姉上2人いるんですが。優しい方とヤバい方の姉上がいるんですが。


 願わくばみんなに優しかったエカテリーナ姉さんでオナシャス……神にも縋る勢いで祈りながら息を呑むが、電話の交換手の優しい声の後に聴こえてきたのは、残念ながらヤバい方の姉上の声だった。


『―――私だ』


「ぴゃい、姉上……」


 幼少期のトラウマが蘇る。剣術の稽古ではフルボッコにされ、魔術の訓練では姉上の上級魔術でフルボッコにされ、格闘訓練ではフルボッコにされ、ダンスの練習でもフルボッコにされた。


 挙句の果てにはピアノやバレエ、バイオリン、マナーに学問……あらゆる分野で姉上にはフルボッコにされた。いや、比喩表現ではない。マジだ……物理的にフルボッコにされたのだ。想像できない? 馬鹿、感じろ。


 ちなみに兄上曰く『試合終了後のボクサーかお前は』。アナスタシア姉さんの辞書に”妥協”という言葉は存在しないらしい。


 だからミカの奴は知らないだろうが、幼少期の俺の仇名は『アナスタシア専属サンドバッグ』、『暴力吸引機』、『損害代理人』、『涙を見せない男』、『傷だらけの児童』。ミカもミカで大変だっただろうが、マカール君もマカール君で大変だったのだ。


 今でも当時の事を思い出すと呼吸が重くなり、脇の下から汗がブワーッと……。


「あ、あの……姉上、本日はどのようなご用件で?」


『ミカエルと会った』


「は、はあ……ミカエr……ミカエルとォ!?」


 何何何? え、姉上何してるん? 仕事は?


『今アレーサに居るのだがな、町がワリャーグの襲撃を受けたことは知っているだろう?』


「ええ、キリウでもその話題が」


『うむ……それだけなら貴様ら憲兵の管轄だが、奴らよりにもよってレギーナに牙を剥こうとした』


「レギーナって確か、ミカ……ミカエルの母親の?」


『そうだ。我々姉弟の生みの親でありリガロフ家最大の恥部、己の性欲も制御できんブレーキ未搭載暴走性欲機関車こと父上がやらかした相手だ』


 父上の事嫌いすぎでしょこの人。


 昔から父上嫌いがすごかった姉上。度重なる弟への過剰な攻撃はアレなのかもしれない、父上から与えられるストレスの発散だったのかもしれない。なるほどそれなら仕方ない……んなわけあるか。おかげでこちとら傷だらけの幼少期だったんだぞワレェ!?


 でもまあ、ぶっちゃけミカより父上の方がリガロフ家の恥部という点には同意する。ミカは父上がレギーナを押し倒して気持ちよくなった結果生まれちゃった子だから……彼女に罪はない。


 あれ、ミカって性別どっちだっけ……?


「というか、何で連中がレギーナを?」


『アレーサ襲撃のあった日、ミカたちのギルドが総出で迎え撃ったんだそうだ。で、それで連中のご自慢の装甲艦は中破して後退、上陸した戦闘員の大半は捕虜になるか戦死……調子に乗ってアレーサを攻めたワリャーグからすれば、見事にメンツを潰された格好だ。しかも相手は無名の新興ギルド、腸も煮えくり返るだろう』


「しかも相手があの”キャプテン・ウルギン”でしょう?」


『ああ、そうだ。400万ライブルの賞金首……』


 ワリャーグ―――ノヴォシア帝国唯一の海賊組織。その頭になったのが”キャプテン・ウルギン”。


 元々はノヴォシア帝国海上騎士団の一員だったそうだが、当時の収入や待遇に不満があったようで騎士団を離反。従軍経験を生かして無法者たちを統率し海賊組織ワリャーグをまとめ上げ、ついにはアルミヤ半島を占拠する快挙まで成し遂げた男。


 そんな脅威が間近にあるというのに、黒海艦隊の主戦力を北方艦隊と太平洋艦隊に引き抜く上層部の意図が分からない。いくら外洋で聖イーランド帝国という脅威に直面しているとはいえ、これではワリャーグに黒海を明け渡すようなものではないか。


「しかし、レギーナとミカエルの関係がどこから漏れたんです?」


『それは分からん。優秀な情報屋でも雇ったか、一部始終を見られていたか……可能性は絞り込んでみたが、どれも決め手に欠ける。まあいい、今日お前に電話したのはそんな話をするためではないのだ』


「何です」


『マカール、新しい勲章が欲しくは無いか?』


「……あ、姉上?」


『いや、私はこう見えて有給休暇を消化している最中でな。下手に表に出ると指揮官殿から叱りを受ける』


「待ってください姉上……あの、あの」


『それでよく考えてみたら身内に優秀な憲兵の指揮官がいるではないか、と思ってな。海賊の一斉摘発ともなれば勲章モノであろう? 父上と母上もお喜びになる』


「話聞いてください姉上」


『勲章をもらって昇進、おまけにお前は顔立ちが可愛い系寄りだから歳上の貴族の女性も寄って来るだろうよ』


「アッちょっと魅力的」


『しかもイライナは一夫多妻制OKだ。うまくいけばお前の大好きな歳上のお姉さんでハーレムが作れる』


「グヘヘ……じゃなくて姉上、聞いてください姉上」


『どうした、性癖には素直になれ』


「一生のお願いですから人の話聞いてくれませんか姉上」


『なに、不服か? おかしいな……貴様の部屋にあったベッドの下の成人向け雑誌で性癖は概ね把握していたつもりなのだが……』


「やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?」


 何 や っ て る ん で す か 姉 上 。


『ん……貴様、まさか私ではなくエカテリーナの方にやたらと懐いてた理由ってもしかしてオギャr』


「ちがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁう!!」


 自らの行いを顧みてください姉上。そうすれば答えは見えてくる筈です。


 ああ、くそ……なんで電話でこんなに声帯を酷使する羽目になったんだ……?


『まあいい。とりあえず用件を伝えておく』


 少しふざけた感じの口調から一転し、真面目な口調に……というか、姉上の口調はいつも変わらない。高圧的でちょっと冷たいような感じがするものだから、兄上を含めた弟妹ズは距離を置いてしまうのだ……この声音の変化は付き合いが長い弟妹ズだからこそ敏感に感じ取れるのである。


『ミカエルたちはアルミヤ半島へ進軍、ワリャーグの拠点を攻め落とすつもりだ。私はアレーサに残り、町の守りにつく。貴様は貴様の権限で動かせるだけの憲兵を動員しアルミヤ半島へ向かえ、一斉検挙のチャンスだ』


「今からですか」


『今からだ』


「分かりました……しかし列車のチャーターに部隊の手配もありますし時間が……」


『―――セクシーお姉さんハーレム』


「はい! やりまひゅ!! やらせてくらはい!!」


『ヨシ』


 噛んだ……噛んだよ俺……。


 クソッタレが、欲望には抗えないというのか……ガチャ、と受話器を置きながら落胆する。


「中尉、お疲れ様です。どうぞ」


 ことん、と机の上にそっと紅茶を置いてくれる副官のナターシャ。本当に俺は部下に恵まれたと思う。なかなか成果が出せず、所詮は親のコネで入隊した貴族のバカ息子かと白い目で見られていた頃から、見限らずについて来てくれた部下たち。彼らのためにも、たまにはいい所を見せなければ。


 それに、ワリャーグと戦いに行くミカや姉上からの要請も無下にはできない。憲兵として、やるべき事を全うしなければ。


「ナターシャ、列車のチャーターを頼む。それと動かせる部隊のリストを作成してくれ」


「かしこまりました……何をなさるのです?」


 問いかけてくる副官に、笑みを浮かべながら答えた。


「―――海賊狩り、だ」













「作戦を説明する」


 照明の落とされた1号車、その1階を改装する形で用意されたブリーフィングルーム。キュートなミカエル君の声と共にパヴェルが立体映像投影装置を起動、蒼い光が血盟旅団のエンブレム―――口に剣を咥え、翼を広げる竜のアニメーションが再生される。


 それからシステムが立ち上がり、空中にアレーサを中心としたイライナ地方南部の地図が投影された。下側が黒海、そして東方にあるL字形に突き出た半島がワリャーグの占拠する”アルミヤ半島”。その近くにポツンと浮かんでいるのが、今までは連中との境界線として機能していたズミール島である。


 やがて、アレーサからズミール島まで続くルートが黄色くハイライト表示される。アルミヤ半島が海賊の手に落ちるよりも前、アレーサから半島へ通じていた路線のルートだ。


「3日後、我々は動員可能な全戦力を投入しアルミヤ半島へ侵攻、ワリャーグの本拠地となっている軍港”アルムトポリ”を急襲する。ワリャーグは再度のアレーサ侵攻を計画していると思われるため迅速な侵攻が望ましいが、キリウ憲兵隊の出動準備と呼応し攻め込む計画であるため、3日後に遅延となった」


 そう、今回はキリウ憲兵隊も―――マカールの部隊も動く。


 中尉に昇進した兄上の権限で、動かせる部隊を全力投入。俺たちの奇襲で敵が攪乱している間に憲兵隊がアルムトポリへ突入、一挙に検挙するという計画だ。


「主力はこのキリウ憲兵隊となる。俺たちは警戒車に支援用の機甲鎧パワードメイル1機を搭載し4名でアルムトポリへ侵攻、ワリャーグの拠点を奇襲し攪乱する。最終的な目的はワリャーグの無力化、およびその首領”キャプテン・ウルギン”の拘束だ」


 映像が切り替わり、左の頬に大きな傷のある男の顔が露になる。


 キャプテン・ウルギン―――ベラシア地方出身の、元ノヴォシア帝国海上騎士団所属。現場での待遇が気に喰わなかったようで、海賊稼業に身を投じ、今ではアルミヤ半島を根城にした海賊組織を率いている。


 その首に懸けられた賞金は400万ライブル。俺たちが奴を拘束した暁には大儲けできるし、黒海の治安も良くなって一石二鳥というわけだ。


 俺の家族に手を掛けようとした海賊の頭―――あれは宣戦布告と受け取った。


 もちろんこいつを殺そうとは思わない。必要となればその時は、本当に最後の手段として手にかける事もあるだろう。しかしあくまでもこいつは俺が裁くのではなく、ノヴォシアの法で処罰するべき男だ。こいつの処分は司法に委ねるのが適切であろう。


「なお、チェルノボーグはアレーサ駅に待機。万一、アレーサへの侵攻があった場合には防衛拠点として支援を行ってほしい」


「任せろ」


 ちらりと視線をテーブルの向かい側にいる姉上へと向けた。


「……姉上、アレーサの守りはよろしくお願いします」


「任せろ。リガロフ家の名に懸けて、必ず守り抜くと約束しよう」


 心強い―――この人が敵じゃなくて本当に良かった。


 アレーサに残るのはパヴェル、ルカ、ノンナ、そして姉上。俺とクラリス、モニカ、シスター・イルゼの4人は警戒車に機甲鎧パワードメイル1機を搭載し、アルミヤ半島へ進軍する事となる。


 今までは、対人戦では”逃げれば勝ち”だった。しかし今回は違う。


 この手を血に染める覚悟を決めなければならないようだ―――そうならないのがベストではあるが。


機甲鎧パワードメイルの2号機にはモニカが搭乗。シスター・イルゼは警戒車で待機し支援砲撃を」


「わかったわ」


「分かりました」


「作戦説明は以上だ。血盟旅団結成以来、初の大規模な戦闘になる事が予想される。各員、無理をしないように」


 仲間たちの顔を見渡しながら告げると、みんなが頷いたのがはっきりと見えた。


 仲間は1人も死なせない―――理想論だ、と笑われるかもしれない。相手をできるだけ殺したくない、というこの思想も甘いと一蹴されてしまうかもしれない。


 何とでも言えばいい。俺はこの理想を、できるだけ貫き通す。


 でも、もし仲間の命に危機が迫るようなことがあったら、その時は―――。




 


 

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