原初の属性
今年最後の更新です。よろしくお願いします!
「ふむ、良い料理人を雇ったものだ」
口元をハンカチで拭き取りながら、澄ました顔で言う姉上。キッチンの方ではパヴェルとノンナが一緒に食器を洗っており、先ほどからカチャカチャと食器の当たる音が聞こえてくる。
姉上は彼の事をただの料理人だと思っているようだが、それは半分くらい不正解。列車の運転も出来て銃もぶっ放せて諜報活動も出来て、おまけにオペレーターや資金洗浄、銃器の改造や密造、修理まで何でもござれの万能選手である。
現状、血盟旅団の最強候補はクラリスとパヴェルの2人だ。力のクラリスと技のパヴェル、一回戦ってるのを見てみたいがやめておこう。列車が壊れそうだ。
誇らしげにウインクしてくるパヴェルを見て苦笑いしつつ、食後のクソ甘コーヒーを啜る。
「仲間に恵まれているようだ。クラリスの奴はどうだ、有能か?」
「それはもう、最高の従者です」
「フンス!」
傍らで待機するクラリスが誇らしげに胸を張る。姉上よりも随分と大きな胸がぶるんっ、と揺れた。本当、あんなサイズの胸をぶら下げてあんな動きができるって本当に何なのだろうか。
「それはよかった。クラリス、今後もミカエルをどうか支えてやってくれ」
「かしこまりました、アナスタシア様」
澄ました顔だがすっげえ嬉しそうだ。ロングスカートから覗くドラゴンの尻尾が、まるで飼い主に遊んでもらえて大喜びする仔犬の如くぶんぶんと左右に揺れている。獣人はケモミミや尻尾で感情表現する……というか、感情を押し殺してもそっちの方で本音が見えてしまうものだが、どうやら竜人であるクラリスも例外ではないらしい。おかげで傍から見てクールビューティーな彼女も感情豊かに見える(実際、気を許した相手の目の前ではかなーり感情豊かである)。
まあ、彼女には長い間お世話になっている。支えられるだけじゃなく、俺も何か主人らしい事をしないと……。
そうじゃなきゃただの虎の威を借る狐、竜の威を借るハクビシンである。
マグカップの中身を飲み干そうとしていたその時、窓の外に人影が映ったのを俺は見逃さなかった。なんだろう、見覚えのある顔だった気が……母さんか?
不審に思いながら席から立ち上がると、どんどん、と列車のドアを叩く音が聞こえてくる。クラリスを連れて扉の方へと向かった俺の目に飛び込んできたのは、予想通り―――しかし予想外の来訪者だった。
必死にドアを叩いているのは母さんだった。しかしその様子はおかしい。身に纏っているのはイライナ地方の民族衣装だけど、白を基調とした美しいそれは真っ赤な飛沫でべっとりと汚れている。なんだあれ……まさか血か?
これはただ事ではない、と大慌てで扉のロックを外す。
「ミカ、ミカエル! ミカエル、助けて!!」
「母さん、どうしたんだよそれ!? ケガしてるのか!?」
「サリーが、サリーが!!」
「サリーがどうしたんだ!? 落ち着いて、状況を説明してくれ!!」
かなり錯乱しているようだ。一体何が……サリーの身に何が?
「ワリャーグの奴らが家に来たの……それでサリーが、サリーが!」
「まさか……!」
ワリャーグの連中、まさか……サリーを……あんな小さな命を、まさか。
いや、と最悪な予想を全力で否定する。アイツらだって人間だ、少しは人の心くらいはある筈だ……そうじゃなきゃ、赤子を手にかけるなんてそんな事が……!
「クラリス、車を用意しろ!」
「はい、ご主人様!」
「待てミカエル、私も行く」
「姉上……!」
拒む理由はないが……しかし……。
ええい、迷っている暇はない。今は一刻も早く家族の安否を確認しなければ。
クラリスににブハンカを用意するよう命じ、武器庫へと走った。キーボックスから武器庫の鍵を取って解錠、中に収まっているAK-19と実弾が装填されたマガジンを3つ掴み取り、格納庫へと向かう。
既に格納庫ではクラリスがブハンカの運転席へと腰を下ろし、エンジンをかけているところだった。
母さんと姉上を連れて後部座席に飛び乗る。格納庫で車両の整備をしていたルカにハンドサインを送ってハッチを解放するように要求すると、彼は首を縦に振ってから制御パネル脇にあるレバーを下げた。
警報灯が赤く点灯し、ハッチがゆっくりと開いていく。完全に開放されるのを待たず、クラリスはサイドブレーキを倒して半クラから急加速、オリーブドラブのブハンカをアレーサの夜の闇へと躍らせる。
もし、もし本当に神がこの世界に存在するというのなら。
助けてほしい。救ってほしい。
俺はどんな苦難を与えられても良い。何ならばこの命を引き換えにしても良い。
だからサリーだけは。生まれ落ちたばかりの、あんなに小さな命ばかりは。
もしサリーに万が一の事があったら。
神様、俺は―――俺は貴方を呪ってやる。
「これは……!?」
最悪の予想は、遥か斜め上の結果として現実となった。
丘の上の母の家―――暖かくて落ち着きのある家の中は、血の海だった。
割られた窓の破片が散らばる床に、倒れている3人の男たち。薄汚れた私服の上に革のベルトや防具を身に着けた彼らは、間違いなくワリャーグの戦闘員であろう。一体何の目的で、しかもこんな少人数でここにやってきたのかは分からない。略奪だとは思うが……3人で何になるというのか?
いや、そんなことよりも……。
「何だよ、これ」
血の海の中で動かなくなっている3人の海賊たち。
彼らの胸には、ちょうど心臓をくり抜いたかのような大きな風穴が開いていた。そこから溢れる大量の鮮血が、じわじわと床の上へ広がって、血の海の面積を広げていく。
そんな惨状の中、お祖母ちゃんは何があったか分からない、と言わんばかりに凍り付き……傍らのソファの上では、返り血の付着したぬいぐるみを手にしたサリーが、俺の顔を見つめながらこれ以上ないほど無邪気な笑みを浮かべている。
「にーにっ、にーに」
「……」
いったい、何が……?
「母さん、これは一体……?」
「……分からないわ」
「分からないってなんだよ?」
「分からないのよ……こいつらが家にやってきて、サリーを撃とうとして……そうしたら、サリーに銃を向けていた海賊たちに”影”が襲い掛かったの……」
「……”影”?」
影が襲い掛かった、とはどういう事か。
家の屋根の照明に照らされ、確かにテーブルや椅子、ソファの影には漆黒の闇が息を潜めていた。影―――アレが海賊たちに牙を剥いたとでもいうのか?
いや、そんな馬鹿な……。
こんな惨状を目の当たりにしても、サリーだけは笑みを浮かべていた。大の大人たちが揃いも揃って息を呑み、血の海を前に凍り付いているにもかかわらず、だ。
「……レギーナ」
名前を呼ばれて、母さんはびくりと身体を震わせた。パニックになっていたからなのか、さっきまで一緒の車に乗っていたというのに、アナスタシア姉さんがここに居る事に今気付いた、とでも言いたげな表情だ。
「お前、魔力の属性は何だった?」
「雷……です」
「ふむ……ではそちらのご老人、属性は?」
「雷よ……私も」
「……そうか」
考え込みつつ、姉上は血で汚れるのを承知の上で、指先を死体に穿たれた傷口へと突っ込んだ。ぐちゅ、と湿った肉が抉れるような音が微かに聞こえ、夕食の肉じゃがを床にぶちまけそうになる。
おいおい、なんでそんなに躊躇が無いんだ……というか何をしてるんだ、姉上は。やめてくれ、トラウマになる。PTSDを発症したらどうするんだ。
「見たところ、これは闇属性の魔術によるものだ」
「……”残留魔力”、ですか」
嘔吐を堪えつつ言うと、姉上は無言で首を縦に振った。
魔術は神の力の一部を借りて発動する、という仕組みになっているが、厳密に言うと借りるのは魔術の”設計図”の部分である。実際に魔術を発動するための材料は、自らの生命エネルギーたる魔力で賄わなければならない。
そしてその魔力は、使用したら使用したですぐ消滅するというわけでもない。少なくとも使用から数時間、あるいは数日は現場に残留する。これを『残留魔力』という。
生命エネルギーの一部であることから、この残留魔力を精密機器で詳しく精査すれば個人を特定する事もできる。分かりやすく言うとこれは魔力の指紋のようなものだ。
魔術を学んだことがある人物ならば、個人の特定までは行かなくとも、使用された魔術の属性までは判断できるのだそうだ。指先に自分の属性の魔力を放出しつつ残留魔力に触れると、それぞれ異なる反応を示すので、それを参考に判断するのだとか。
ちなみにミカエル君はまだそこまでできるレベルに至っていない。
「闇属性の特性は多岐に渡る。”侵食”、”吸収”、”圧縮”、”切断”……しかしこの傷口と”影が襲ってきた”という供述、そしてこの反応から使用された魔術が闇属性であることは……いや、待て」
「どうしたのです?」
「……」
血に濡れた指先を見てから、姉上はサリーの方を見た。
血の海が広がっているにもかかわらず笑みを浮かべる赤子―――その異質さに驚愕しているというよりは、まるで幼子の皮を被った怪物でも見ているかのような、得体の知れない未知の存在を見据える目。
まさか、こいつらをサリーがやったと……?
「レギーナ、その子は?」
「……私の子です」
「夫は」
「……」
言うべきか否か―――迷ったようだったが、隠し通す事も出来まい、と判断したのだろう。レギーナは唇を震わせながら、夫の名を言った。
「……す、ステファン様です」
「あのクソ親父……一度ならず二度までも、か」
吐き捨てるように呟く姉上。長女アナスタシアと父ステファン、親子の溝の深さが垣間見えたような気がした。
「なるほど、事情は察した。これ以上は聞くまい」
「お願いですアナスタシア様! この事はどうか、ステファン様だけには……!」
「安心しろ、私は口の堅い女だ。それにあの男……父上は大嫌いだ。内密にしておくよ、神に誓って」
「ああ、ああ……ありがとうございます……!」
「うむ……さて、と。とにかくこの血の海と死体をどうにかしよう。ミカエル、クラリス、手伝え」
それはそうだよな……こんな惨劇の痕跡が生々しく刻まれた空間で、明日に備えて寝ましょうなんて事が出来る筈もない。
とりあえず死体を片付け、この大量の血を何とかしないと……。
「ミカエルよ」
「何です」
死体と血の海の片付けが終わり、襲撃の一件を憲兵に通報した帰り道。憲兵がパヴリチェンコ家の近辺を重点的にパトロールする、と確約してくれて一安心したタイミングで、姉上は唐突に話を切り出した。
「貴様、”死属性”という属性に聞き覚えは?」
「いえ、全く」
聞いたことがない。
魔術において、属性は『炎』『水』『氷』『土』『雷』『風』『光』『闇』『血』の9種類に分類されている。そこから”特性”と呼ばれる別の系統で更に細かく分類されるのだが、今は属性の話なので割愛しておく。
「第10の属性ですか?」
「違う、”原初の二属性”だ」
「原初の……二属性?」
なんだそれは。
「すなわち【生属性】と【死属性】。その2つの属性が混ざり合い、光と闇が生まれ、そこから他の属性が生まれていった……私が信仰している『リンネ教』ではそう信じられている」
「あの……いきなりなぜそんな事を? まさかサリーが?」
そんな馬鹿な。だってサリーはまだ生後5ヵ月……人間基準では発育が異様に早いが、それでもまだこの世に生を受けて1年も経っていない。
「あの反応、闇属性ではない。もっと原始的な属性だった……おそらくは死属性だろう」
「サリーが……妹がそんな力を……?」
「―――ミカエル、貴様が妹の事を想うというのならばそれだけは決して口外するな。今時、原初の属性を宿す子など稀少極まりない存在だ。もしこれが他の魔術師に知られでもしたら厄介な事になる。異端として処刑されるか、研究資料として標本にされるか……いずれにせよ、ろくな事にならん。妹を想うなら黙っていろ、いいな?」
「は、はい」
―――呪われている。
俺は庶子として生まれ、17年間も忌み子扱い。
そして理不尽な運命の元に生まれた妹は、原初の死属性を宿した稀有な赤子。
サリーの命だけは何とか助かった。だが……。
神様―――どうしてこんな理不尽を、彼女に押し付けるのです……?
ワリャーグの襲撃、原初の二属性、そしてそれを宿したと思われるサリー。
姉上の来訪から色々と大事件が起こり過ぎて、頭の中はパンク寸前だ。おかげで列車に戻る頃にはふらふら……とまではいかないが、全身にダンベルを括りつけられたように身体が重い。
車両格納庫から機甲鎧格納庫へと入ると、ルカとパヴェルの2人がせっせと作業をしているところだった。未完成だった予備機の3号機は既に完成していて、あとはバックパックを搭載するのみ。では何をしているのかというと、新たにもう1機、何かを造ろうとしているところのようだった。
既にフレームが半分ほど出来上がっているようだが、その形状は特異だ。脚、と思われるパーツが3つあり、後ろ脚にあたる部分は異様に太くなっているのが分かる。
まさか4号機じゃああるまいな、と思いながら眺めていると、隣で姉上が興味深そうにその作業風景を見つめていた。
「大した技術力だ」
「それはどうも」
「おう、ミカ」
汗をぬぐいながら、クレーンを動かしてパーツを運んでいたパヴェルがこっちにやってきた。彼にはもう、家で何が起こったのかという一連の情報をメールで伝えてある。シスター・イルゼにもモニカにも、その情報は共有済みだった。
「おかえり……で、本当にやるのか?」
「ああ、やる」
アレーサを襲撃するばかりか、最愛の家族まで手にかけようとしたワリャーグの連中―――百害あって一利なし、だ。ここで連中に引導を渡す必要がある。
「ちょうど姉上も居るんだ。ここでワリャーグの連中を壊滅させる」
それではみなさん、よいお年を!




