戦利品と来客
「いやぁ、助かったよ。俺ボリスっていうんだ。君は?」
ぷはー、と差し出したタンプルソーダを飲み干し、ボリスと名乗った男性の冒険者(たぶん18歳くらい?)は笑みを浮かべた。
「俺はミカエル。ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ」
「ミカエル? 豪華な名前だな、天使の名前をそのままつけてもらったのか」
「ああ」
何度も言ったけど、ミカエル君の名前の由来は天使が由来(だと思われる)。英語圏だったらマイケルだったり、フランス語だったらミシェル、ドイツだったらミヒャエル、ロシアとか東欧だとミハイル、といった具合だ。”ミカエル”はヘブライ語なんだそうだ。
だからミカエルという名前はイライナだと珍しい。妹に至ってはサリエルだし、レギーナは天使に何かこだわりのようなものでも持っているのだろうか?
まさかマジで天使だったりして? んなわけないか、ラノベとかアニメじゃあるまいし……第一、本当に天使だったらハクビシンの獣人として転生するわけがない。
「さて、助けてもらったところ早速で悪いんだけど……この辺のスクラップと魔物の素材、山分けって事にしないかい? 俺も生活が懸かっててね」
「ああ、構わないよ。恩を着せるために助けたわけじゃないし」
さっそく分け前の話になったけど、これも冒険者、特にパーティーメンバーじゃない他人との間では重要な取り決めだ。一応、ダンジョン内で他の冒険者を攻撃してはならない、という規定があるのだが、いくら管理局とはいっても危険極まりなく構造も複雑怪奇なダンジョン内に、監視の人員を常駐させておく余裕はない。故に他の冒険者への攻撃は『禁止されているが確認する術がない』という状態である。
そりゃあ、発見されれば罰則があるけど管理局に知られる事はほぼ有り得ないという状態になれば、冒険者同士の戦闘も発生するわけで……。
今回のように、ダンジョン内でばったり遭遇した冒険者同士がお互いの持つスクラップやら魔物の素材やらをめぐって血で血を洗う死闘を繰り広げる、というのも日常茶飯事。管理局の目の届くところではお互いに手を取り合ってニコニコしている冒険者諸氏も、ひとたび監視の目を逃れれば生々しい奪い合いを繰り広げる。それが冒険者の世界だ。
だからこういう取り決めをしておくのは重要なのだ……互いに話の分かる相手である事が前提条件であるが。
その点、俺はボリスに”話の分かる相手”と判断してもらえたらしい。
その辺にあるガラスの柱、その付け根には制御パネルのようなものが残っている。パソコンのキーボードを思わせるパネルにコントロールスティック。多分これは培養液の中でフレキシブル・アームを動かすためのものなのだろう。ここは元々、何かの実験室だったと思われる。
とはいっても施設の動力は既に喪失していて、どの機械も動いてはいない。コントロールパネルを外したところで、変なプログラムが発動したり謎の古代兵器が起動したりといった、ラノベやアニメによくありがちなトラブルは発生しない筈だ……しないよね?
「シスター、シスター・イルゼ」
《ミカエルさん、無事だったんですね!》
「ああ。こっちは無事だよ……新種のヴォジャノーイに襲われたけどね」
《新種のヴォジャノーイ!?》
「とりあえず仕留めた。スクラップとそいつの素材を持ち帰るから、受け入れ準備よろしく」
《わ、分かりました。最後まで油断せず、慎重に》
「了解」
さてさて、早速取り掛かりますかね。
ズボンの太腿の辺りに巻いている革製のベルトに装着した工具ホルダーの中からプラスドライバーを引っ張り出した。なんで工具を常備してるかって? そりゃあダンジョンとかでスクラップを見つけたら回収するためだ。他にも屋敷とか銀行に突入して物を盗む時にも有効だし、機械の応急修理にも役立つので持ってて損はない。
他の世界はどうか知らないが、ノヴォシアの冒険者は割と近代的なのだ。
プラスドライバーを差し込んで、コントロールパネルを基部に固定しているネジを外していった。もちろん外したネジだって立派なスクラップ、錆び付いてすっかりオレンジ色に染まっているとはいえ買い手はいる。一体何に使うのかは定かじゃないが、金になるのは確かだ。
コントロールパネルを取り外すと、パネルの裏側に繋がっている配線の束が出てきた。前世の世界で見た電気配線と何も変わらない。ゴム製の被覆に銅線が覆われた、ごくありふれたものだ。
被覆は劣化してすっかり固くなり、柔軟性は損なわれている。中には亀裂が生じ、そこから内部の銅線が覗いている場所もあった。こんな状態で金になるのかと言われれば、まあ金にはなると答える他ない。こんなのでも買う奴はいる。さすがにこのまま……は使えないだろうが、補修とかして再利用したり、あるいは分解して工業用の資材として売り捌いたり。まあ、とにかく使えるものは何でも使う。俺たち獣人は、そうやって前文明から技術を継承してきた。
”継承”つっても、所詮は文明を借りているだけの”間借り人”でしかないのだが。
この手の前文明、つまりは既に滅亡した人間たちの話になると常々考える。いったい、120年前に何があったのか。旧人類にいったい何が起きたのか、と。
旧人類の滅亡の原因は諸説ある。疫病の蔓延や内乱……この辺が主流だけど、中には他の世界からやってきた侵略者が滅ぼしただの、宇宙人がやってきて連れ去っただの、そんなポップコーン片手に笑いながら聞くのが丁度いい話もある。この前なんか『我々獣人が人間を打倒し今の世界を手にした』とかいう頭の痛くなる仮説も出てきて、まあ、今日も皆さん楽しそうで何よりですねって感じだ。
配線をギリギリまで引っ張り、これ以上引っ張れなくなったところでニッパーを使ってカット。電気は通っていないので(というか動力が死んでいるので)感電の心配はない。が、電気が通っていないという事が分かっていてもなかなか心臓に悪いな……パチンってやった瞬間にバヂンッてこないよね?
ダッフルバッグに取り外したコントロールパネルを放り込み、ついでに配線も一緒に押し込んでいく。これはいい、こういう電気関係の部品はそれなりの値で売れるはずだ。まあ、今回は販売目的ではなくパヴェルからの依頼で資材の回収に来ただけなのだが、多少多めに持って帰っても良いだろう。余ったら売って金に換えればいい。
配線やら奥にあった基盤やら、ガラスの柱の基部を物色してから壁面へ。さっきのコントロールパネルに電力を送っていたと思われる配電盤がそこには埋め込まれていた。ドアノブに似たハンドルがあるのでそれを握ってみるが、当然の如く開かない。鍵がかかっているのか、それとも単に錆びているだけか。
PPK-20のストックでハンドルを殴り壊し、ひしゃげたそれをダッフルバッグの中へ。数回殴るだけで、配電盤の扉は抵抗を止めて大人しくなった。なるほど、時には暴力も必要って事か。これは人間相手にも言える事だ……俺はやらないけど。
ミカエル君は平和主義者なのです。ラブ&ピース。
どっかの”追手を薙ぎ倒しながら女騎士と駆け落ちした某傭兵”とか”妹の復讐のために四肢を機械化してまで戦い続けた復讐者”とは違うのだ、フハハハハハ。
扉を開け、中の電源がOFFになっている事を確認。まあ、動力が死んでるからそこまで心配しなくても良いけど……念のためだ。
中の配線やら何やらを外し、次から次へとダッフルバッグの中へ。とりあえず取り外せるものは何でも取り外して、随分と寂しくなった配電盤のドアを閉めた。
さてと。
一通り機械部品を回収したところで、今度は例の新種のヴォジャノーイの素材を頂くとしよう。
ボリスも機械部品の回収を終えたようで、横たわっているヴォジャノーイの死体を見下ろしながら、困惑したような顔を浮かべている。機械部品がぎっしり入ってすっかり重くなったダッフルバッグを抱えて彼の傍らへと向かうと、ボリスは動かなくなったヴォジャノーイの死体を指差しながら呟いた。
「……こいつ、さっき毒吐いてなかった?」
「……そういえば」
吐いてましたね、毒液。
という事は体内に毒を分泌する器官が備わっているという事で、通常のヴォジャノーイ成体のノリで解剖したら手元に毒液がぶっかかる可能性があるというわけで。
「「……」」
こんなんアレじゃん、フグを捌くようなものじゃん。資格なきゃダメじゃん。
通常のヴォジャノーイ成体は足の筋肉が美味いという事で、アレーサを中心に珍味として重宝されているというが……これは食えんだろ、さすがに。
「素材どうしよ」
「皮膚だけ取れない? ペリってこう……」
「いや、皮膚にも毒あったらどうするのさ」
「……」
そういや俺、コイツ倒した時銃使ってたわ……ノーリスクで倒せたのは良いけど、コイツの事何もわからん。
うーん、迂闊に手を出さない方が良いのかなぁ……。
「ちなみにミカエル、解毒剤はある?」
「あるけど神経毒に効くタイプしかない。酸みたいな感じの毒だったら無理だ」
毒、といっても様々な種類がある。売店とかで売られてたりする一般的な物が神経毒を治療するための解毒剤で、中には皮膚を溶かすような危ない毒もまた存在する。毒によって対応している解毒剤が異なるので、解毒ガチ勢の冒険者は複数種類を持ち込むのだとか。
―――君子危うきに近寄らず。
こんなところで変にリスクを冒す必要も無いだろう。とりあえず新種発見の報告だけ管理局にしておこう。証拠はないが、調査員くらいは派遣されるはずだ。
「……帰ろうか」
「ああ。剣も折れちゃったし、俺も引き上げるよ」
丸腰でダンジョンの探索は危険だからな、そうした方が良い。
戦利品のたっぷりはいったダッフルバッグを抱えたまま、俺はボリスと一緒にダンジョンを後にした。
「はぁー、疲れた……」
「お疲れ様です。はい、どうぞ」
「ああ、ありがと」
シスター・イルゼが淹れてくれたコーヒーを受け取り、格納庫の中の椅子に腰を下ろしながら一息ついた。靴の中が謎の培養液でぬるぬるだ。おかげで一歩歩く度に不快な感触がするし、なによりミカエル君のキュートな足からケミカル臭がするというのもちょっとアレである。早いとこ帰ってシャワー浴びたい。
ちなみにさっきシスター・イルゼが軽く成分分析してくれたけど、培養液自体に毒性はないようだ。まあ、あくまでも内部の物体の保存を目的としたものだから毒性があっちゃダメだけど、化学物質の中には空気に触れると化学反応を起こしちゃったりするものも存在するので油断はできない。
シスター・イルゼから受け取ったコーヒー(砂糖多めミルクマシマシ糖尿病待ったなしのミカエルスペシャル)を啜りながら、後ろにある工具箱に背中を預けて端末を開く。時刻は17時、あれ以上あそこに留まっていたら危なかった。今が丁度夜行性の魔物たちが活動を本格化させる時間帯。街が近い場所ならそうでもないが、人里離れた場所は本当に危険である。
獣人は食物連鎖の頂点だ、なーんて主張する連中もいるが、文明の影響力が及ぶ場所からちょっと離れただけでそれだ。文明の中で暮らしていると、自然の驚異を忘れがちである。
ガタンガタン、と車輪がレールを踏み締める音。現在俺たちの乗った警戒車は、自動運転でアレーサ駅へと向かって進行中。速度は60㎞/h、この調子だと15分もすれば到着するだろう。
「お腹空いたなぁ」
「ふふっ。パヴェルさんがきっとおいしいご飯を作って待ってくれてますよ」
アイツの飯美味いから好き。みんなアイツに餌付けされてる。
本人曰く『妻たちのために腕を磨いた』との事。パヴェルの奴、実は2人の女性(姉妹)と結婚していて、家事が壊滅的にダメな人だったのだそうだ……しかも姉妹揃ってダブルで、である。
家事全般がアレとなると夫が頑張る他なく、掃除に選択、料理に育児、そして仕事までバリバリこなす人生を送っていたらしい。いや、最近は男女平等が当たり前になってきてるけど、旦那さん大丈夫……?
まあ、パヴェルのやつは頼られるとやる気を出すタイプらしいからある意味で合致していたのだろう。夫婦の相性はぴったりである。
《―――チェルノボーグより警戒車、チェルノボーグより警戒車、そちらの接近を確認した。応答せよ、どうぞ》
無線機からパヴェルの声が聞こえてくる。もう無線が届くくらいの距離になったか、と思いながら席から立ち上がり、運転席の右脇にある通信士の席へ。そこにででんと置かれている無線機のマイクを取り、こちら警戒車、と応答する。
《おお、ミカか。収穫は?》
「機械部品がダッフルバッグ一杯、それとスクラップが少々」
《上出来だ、よくやった。ああ、それとミカ。お前にお客さんが来てる》
「お客さん?」
誰だろ、母さんかな? それともお祖母ちゃん? アレーサで俺を指名してくる”お客さん”と言われると、それが誰なのかかなーり制限される。多分その辺だろう、それ以外にアレーサに知り合いなんていない。
窓の外を見てみると、もうアレーサ駅のホームが迫っていた。ホームを照らすガス灯の美しい灯りに照らされ、重装備の列車がレンタルホームで眠りについている。
機関車の正面に後進でゆっくりと接近したところで、ガギン、と重々しい金属音が聞こえた。連結器が作動し、警戒車と機関車の連結が完了したのだ。
「運転ありがとう」
「いえいえ」
所定の作業を終えてエンジンを切ったシスター・イルゼを労い、彼女を先に下ろしてから俺もホームへと降り立った。客人つってもたぶん母さんだろう。パヴェルの飯でも食べに来たのだろうか?
ホームから客車に向かうと、食堂のある2号車のドアから顔を出していたモニカが手招きした。
「お客さん来てるわよ」
「ああ、聞いたよ」
「食堂にいるから、先に挨拶だけしておきなさいな」
母さんに? いやでも、親しき中にも礼儀ありというし、ここは言われた通りにしておくか……相変わらず足が培養液でぬるぬるだけど。
客車に入り、階段を上がって2階へ。夕飯の調理でもしているらしく、厨房の方からは美味しそうな香りが漂っていた。今夜は肉じゃがだろうか。
胃袋を刺激されながらも食堂車に入ると、確かにカウンターの反対側にある4人掛けの席、その窓際に見慣れない客人が座っていた。
イライナの麦畑を思わせる金髪。それは外側へと跳ねていて、猫とは明らかに違う形状のケモミミも相まって、まるで百獣の王であるライオンのよう。蒼い瞳はイライナの空の如く澄んでいて、しかしその奥で何かが燃えているような、そんな強い意志を感じさせる。
ただ椅子に座って窓の外を眺めている姿でさえ、どこかの大貴族の令嬢にも見えるかもしれないが、おそらくこの人に限って『儚い』という言葉は似合わないだろう。この人はそんな華奢な人ではない。才能に溢れていながらも決して慢心せずに努力を続け、どんな逆境も真正面から撃ち破ってきた人だ。
―――女傑。彼女という人間を言い表すのに、こんなにもしっくりくる言葉は古今東西どこにも無いだろう、断言していい。
しかし、なぜ。
あの法務官ジノヴィですら赤子扱いするリガロフ家の切り札が、なぜ。
「―――こうして言葉を交わすのは初めてだな、”ミカエル”」
「あ、姉上……!」
そこに居たのは、リガロフ家長女にして最強の女―――『アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァ』だった。




