培養液の海で
そーいやパヴェルって英語圏だと「ポール」にあたる名前らしいですね。
ちゅうー、とストローでタンプルソーダを飲みながら、エンジンを切って機甲鎧の機外に出た。警戒車の格納庫には”収穫”してきたスクラップが並んでいるけれど、どれもこれも『残りカス』としか例えようのないものばかりで、眺めていると頭を抱えたくなる。
錆びた鉄板に金属片、穴の開いた金属バケツに錆び付いたプラスドライバー。給油口のキャップにドラム缶の蓋。汚れだらけのビーカーに割れた試験管、こっちにあるのは変な液体が付着したフラスコだ。
一応、こんなのでも買い手は存在する。とはいっても子供のおやつ代くらいにしかならない程の安値で買われるのがオチだろう。もしこれが機械の基盤だとか、ケーブルだとか電子回路みたいなやつだったらもっと良い値段がつくし、状態が良ければ良いほど一攫千金のチャンスは近付いてくる。
「ええと、気を落とさないでくださいねミカエルさん。ここはフリーダンジョンですし、他の冒険者さんもやってきた後ですから……」
「お、おう」
フォローしてくれるシスター・イルゼ。彼女は本当に優しいな。心が荒んでいる時にそんな言葉をかけてもらえたら、きっと多くの男女が救われるだろう。いや、俺は別に落ち込んでいるわけじゃあないのだ。もっと奥の方に行くべきかな、と考え込んでいただけなのだ。別に人生初の廃品回収で拾ったスクラップが錆び付いた釘というショボすぎる獲物だった事に落ち込んでいるわけではないのだ……本当だぞ?
格納庫の片隅にある耐火性のボックスの蓋を開けた。中に収まっていたジェリカンを1つ引っ張り出し、給油用のホースを装着して、格納庫の中で待機中の機甲鎧の傍らへ。
エンジンが搭載されているバックパック、右側面にある給油口のキャップを外し、そこへとガソリンを流し込んでいった。こんないかにもSFアニメに出てきそうなパワードスーツだが、車と全く同じガソリンで動いてくれる。こういうメカって専用の動力源を持っていたりするのが当たり前だけど、もしそうだとしたらわざわざ鹵獲して運用したり、量産したりしていないだろう。
潤沢な資金に高い技術力を持つ組織が後ろ盾についているというならまあ、多少の無理は出来る。でも俺たちは構成員10名足らずの傭兵ギルドで、潤沢な資金があるわけでも強力な後ろ盾がいるわけでもない……え、強盗で得た資金? 何の事? ミカエル君知らない。
というわけでまあ、共通の燃料やパーツが使える兵器というのは俺たちのような弱小ギルドにとっては魅力的な存在なのだ。
給油口のキャップを閉め、ジェリカンを元の場所に戻してからコクピットに滑り込んだ。H字形のハンドルの周囲にあるタコメータ、その中にある燃料系の針を確認。燃料が満タンであることを確認してからキーを捻り、機甲鎧を起動させる。
「時間的に次の探索が最後になります。それ以上は暗くなりますから……」
「了解」
コクピット内を覗き込みながらそう言うシスター・イルゼに親指を立て、彼女が機体から離れたのを確認しハッチを閉鎖。一瞬ばかりコクピット内が暗くなるが、すぐにメインモニターが点灯し機外の映像が映し出される。
機体が起き上がってから、半分くらいになったタンプルソーダの瓶をコクピット内のドリンクホルダーに置き、フレキシブル・アームにマウントされた腕部操作用のグローブに手を通す。ウェポン・ラックにある九七式車載重機関銃を掴み、手をその状態で固定。グローブから手を放し、前方にあるH字形のハンドルを握ってアクセルとクラッチを踏み込んだ。
半クラから加速し、格納庫を飛び出す。化学工場へ再突入しながら空を見ると、空の色が若干だが変わりつつあるのが分かった。薄い青から深い青へ、日没が確かに近付いている、というのが分かる。
急がなきゃな、と思いながら機内に持ち込んだラジオのスイッチを入れた。流れてくるのはラブソングの優しいメロディと女性歌手の可愛らしい歌声。これでちょっとは緊張が和らぐと良いな、と思う。
さて、ここでなぜ俺が日没を嫌がっているかについて触れておく。別に幽霊が出るとかそういうわけじゃない。夜中1人でトイレに行けないとか、そんなわけじゃない。俺の名誉のためにそこだけは断言しておく。
理由は単純明快、魔物が狂暴化する時間帯だからだ。
時間帯によって魔物の活動は変化する。昼間は外で活動し、夜になると巣穴で眠りにつくという人間と同じサイクルで活動する魔物も居れば、昼間は巣穴に引きこもり、夜になると外に出て狩りを行う魔物もまた存在する。
そして大概、そういう夜行性の魔物の方が狂暴なのだ。
視界も悪く、周囲には血に飢えた魔物たち……そんな状況は避けたい。是が非でも避けたい。食物連鎖の中でも割と下の方に位置しているハクビシン、その遺伝子を持つミカエル君の本能がそう告げている。
追い詰められたら可愛い顔して媚びよう、必死に媚びよう。猫だって可愛がられてるんだからハクビシンだって……え、害獣?
再び施設内に突入、通路を突き進む。相変わらず他人の、というより魔物の気配すらない。やはり元々は化学物質を製造していた工場、有害物質でも眠っていて魔物たちはそれを感じ取っているから近付かないのか?
何だろう、この手の嫌な予感ってよく当たるんだよね……お願いだから外れろ、マジで外れろ。ビンゴはやたらと外れるのになんで嫌な予感は九分九厘的中するんだよクソッタレ。
機甲鎧の側頭部にマウントしたシュアファイアM600を点灯、薄暗い通路を鋭く照らし出しながら、索敵とスクラップの捜索を同時に行う。
広間に出ると、塗装の剥げた巨大なタンクのようなものが鎮座していた。薬品を調合するタンクなのか、持ち去られたと思われるボルト止めのハッチの向こうには、薬品の攪拌に使うと思われるスクリューみたいな部品が見える。
さすがにタンクそのものは持ち出せないらしく、点検用のハッチや圧力計、温度計の類を除いては手つかずの状態だった。
タンクをスルーしさらに奥へ。この次の広間にも貯蔵タンクみたいなのがあって、その先は延々と広間が続いているだけなのだが……さっき戻ってくる時、地下へと降りるための階段を見つけたのよね。
「ここだ」
貯蔵庫の部屋の出口の近くに、下へと続く階段がある。廃品回収に来た冒険者たちの執念はすさまじいもので、転落防止用の手摺から外れそうなドアに至るまで、金属製の物体は全部持ち去られている。おかげで元日本国民として見てみると、それはそれはもう労災待ったなしのとんでもねえ環境と化しており、なんというか……すごく魔境なの、ここ。
さて、ここから先は機甲鎧から降りて行かなければならない。いくら前文明の高度な技術で造られた施設とはいえ、普通の人間が扱う事を想定して設計されている。全高3mのパワードスーツはお断り、というわけだ。
溜息をつき、コクピット左側面からコントロールパネルを引っ張り出した。さながらタイプライターのようなレトロなデザインのキーボードを弾き、サブモニターに映るメニュー画面から機甲鎧の設定を変更していく。
操縦を手動から自動に変更。そこからさらに詳細設定変更をタッチ、機体を”自律防衛モード”へ。
自律防衛モード―――要するに、機体へ接近する魔物や部外者へ自動で攻撃を行い、パイロットが戻るまで機体を守るモードである。プログラミングを行ったパヴェルの手によりインストールされたものだが、俺の要望で攻撃前にシステム音声で警告を行うよう改良してもらっている。
音声はノヴォシア語……帝国全土で話されている”標準ノヴォシア語”だ。
ちなみにイライナ地方で話されているのは南部ノヴォシア語と呼ばれることが多いが、イライナ出身者は”イライナ語”と呼んでいる。ノヴォシア地方出身者からは方言扱いされているが、実際はノヴォシア語とは言語系統を同じくする別の言語、あるいは同一の言語から派生した兄弟のような言語とされている。
設定を済ませ、コクピット内にあるサバイバルキットを開けた。中にはAK……ではなく、ロシア製SMGの『PPK-20』と、同じくロシア製ハンドガンの『PL-15K』が収まっている。
どちらも使用弾薬は9×19mmパラベラム弾。このように、かつては独自規格の弾薬を使用していた東側でも9×19mmパラベラム弾は普及しつつある。歴史を辿れば第一次世界大戦ごろまで遡るんだが、それはまあ別の機会にでも。
ハンドストップにライト、PK-120を装着したPPK-20を背負い、鉄パイプ(魔術用の触媒だ)も持ってからコクピット上部にあるハッチ開放レバーを倒した。バシュウ、と蒸気が噴き出すような音を響かせ、12.7mm弾すら受け止める胸部装甲がゆっくりと解放されていく。
空調がしっかりしているコクピット内に居たから気付かなかったが、コクピットの外―――化学工場の中はなかなかケミカルな香りで満ちていた。前世の世界で小学校に通っていた頃、初めて理科室に足を踏み入れた時の事を思い出す。実験に使うような化学薬品とか、なんか普通とは違うあのケミカル臭。鼻の奥を突き抜いてくる刺激臭から何とも言えないもっさりした臭いまでを幅広く全部混ぜ込んだような、そんな臭いだ。
想像できない人は理科室行ってみろ。それの2000倍くらいヤバい臭いだ、多分。
これ毒ガスの類じゃねえだろうなと思いつつ、腰の後ろにあるケースから防毒マスクを取り出した。口元から鼻周りをカバーするハーフタイプのものだ。少なくとも、これで有害物質が肺の中へ入り込むのは防止できる。え、目の粘膜から入ってきたらって? その時はお医者さんを頼ろう。
コフー、と呼吸音を発しながら、地下へと続く階段をゆっくりと降りていく。その先には錆び付いた扉があって、ドアノブ……ではなく、潜水艦の隔壁にあるようなでっかいハンドルがある。あれを回転させて扉の開閉を行う仕組みなのだろうが、果たして開くだろうか。
錆び付いてて開きませんね、なーんて事になったら仕方ない。回れ右して帰ろう。
はあ、と溜息をつきながらハンドルに手をかけようとして―――手をぴたりと止め、ポーチの中へと突っ込んだ。
そういやSMGにサプレッサーつけてねえや。
サプレッサーの役目は銃声を軽減する事だが、それは隠密行動のためだけというわけじゃあない。発砲音を押さえる事で射撃位置を特定されにくくしたり、屋内や洞窟内部での銃声の反響で仲間からの指示を聞き漏らしたりするのを防止するためにも役立つ。まあ、装着したらその分全長が長くなってしまい取り回しの悪化に繋がるが、こういういかにも狭そうな場所では装着しておくと良い……かもしれない。
くるくると回してサプレッサーを装着、改めてハンドルに手をかけ反時計回りにぐるりと回してみる。
手応えの軽さに拍子抜けしてしまった。まるで誰かがご親切に、開けやすいように緩めてくれていたのではないかと思ってしまうほど、扉は簡単に開いたのである。
おかしいな、と思いながらハンドルの付け根にあるネジ山を見てみた。錆が剥がれ、橙色の鉄粉が付着しているのが分かる。しかもそれは長年ずっとこうだったというわけではなく、まるでつい最近こうなったような……。
『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!』
「!!」
人の叫び声。
他の冒険者だろう―――そう思うと同時に、足が勝手に動き出していた。
索敵もクソもない。待ち伏せ、トラップ上等と言わんばかりの勢いで、それこそ全世界のCQBの専門家が見たら『アイツ死んだんじゃね?』と太鼓判を押すレベルの勢いで、扉の奥に広がる通路を全速力で駆け抜ける。
床を踏み締める度に、バシャ、と水の跳ねるような音がした。どうせ地下水だろうと思いながら、満足に足元を確認もせずに通路を突っ走っていく。
天井の一部が崩落し、ケーブルが垂れ下がっているところを通過。そこでやっと俺は、ケミカル臭の充満する空気の中に、どこかで嗅いだ覚えのある生臭さが混じった事に気付いた。
あれ、これってどこかで……?
目の前にあったドアを蹴破った俺は、そこで息を呑んだ。
バンッ、と勢いよく開いたドア。その先に広がっているのは、ガラスの柱が何本も乱立する円形の広間だった。床を突き抜いて天井まで達するガラスの柱は何本か砕けていて、そこからは紫色の毒々しい培養液のようなものが溢れ出て、床を進水させている。
臭いの発生源はこれか、と思いながら銃を構えると、レティクルの向こうに随分とまあ気色悪い光景が見え、一瞬だけ顔をしかめた。
床から伸びるガラスの柱―――培養液の詰まったそれの周囲に、ゼラチンのようなものに覆われた卵がびっしりと巻き付いているのである。そう、傍から見ればカエルの卵だ。田舎の川とか沼とか田んぼとか、水辺に行けば目にする事も多かったアレ。それのLサイズのやつがびっしりとガラスの柱を覆っているのである。
そしてその周囲に立っているのは、カエルのような姿をした魔物。
泥濘の捕食者、ヴォジャノーイ―――その成体だった。
オタマジャクシのような姿の幼体が、泥も乾燥し気温が上がり始める夏頃にとり始める形態。鰓呼吸から肺呼吸へと変わり、発達した後ろ足で歪な二足歩行を行う、ヒトとカエルの混ざったような姿の怪物。
そのヴォジャノーイたちが、折れた剣を手に後ずさりする冒険者を包囲しようとしているのだ。
大丈夫か、と問うよりも先に引き金を引いていた。パシッ、と9mmパラベラム弾が空気の抜けるような、なんとも間抜けな銃声を響かせながらSMGの薬室を後にする。サプレッサー内部で発射ガスを拡散させられたそれは、しかしヴォジャノーイの柔肌を撃ち抜くには十分すぎる殺傷力を維持したまま、ぬるりとした粘液に覆われた魔物の眉間を正確に撃ち抜く。
湿っぽい音を響かせながら、眉間を撃ち抜かれたヴォジャノーイの成体が仰向けに崩れ落ちる。
「……え!?」
まさか助けが来るとは思わなかったようで、男性の冒険者はびっくりしたような顔でこっちを振り向いた。が、挨拶している余裕はない。仲間を殺されたことを知り、他のヴォジャノーイたちが一斉にこっちに襲い掛かってきた。
牙の折れた獲物など後でいくらでも料理すればよい。とりあえず今は新たな脅威を取り除くのが先だ―――魔物のくせに賢明な判断だ。
今気付いたが、このヴォジャノーイ共の肌の色はなんかおかしい。通常は緑色だったり褐色だったりするのだが、よく見るとこいつらの肌は紫色……この培養液の影響か、と思った次の瞬間、腹を膨らませたヴォジャノーイが口を大きく開き、そこからいかにもヤバそうな紫色の液体を吐き出しやがった。
イリヤーの時計で時間停止を発動、左へとジャンプして毒液を回避。バシャ、と足元の培養液に落下する音を聞きながら発砲、更にもう1体のヴォジャノーイをあの世へ送る。
オレンジ色の脳味噌を撒き散らしながら崩れ落ちるヴォジャノーイ。残る1体は畏れる様子も無く、牙が不規則に並んだ口を開きながら飛びかかってくる。
「―――カエル野郎がよ」
左手をハンドストップに引っ掛けつつハンドガードを左側面から握り込み、ストックを肩に引き寄せるようにして構える。その状態で引き金を2回引き、弾丸を2発プレゼントしてやった。
一発はヴォジャノーイの眉間に。そしてもう一発は、人間だったら心臓のある位置にそれぞれめり込む。オレンジジュースみたいな色合いの体液を迸らせながら、9×19mmパラベラム弾の運動エネルギーに屈したヴォジャノーイの成体が床へと落下。培養液で満たされた床の上で、そのまま動かなくなる。
これで全部だろうか―――ほかに敵が居ない事を確認してから銃に安全装置をかけ、さっきまで襲われていた冒険者に手を差し伸べる。
「よっ。大丈夫か?」




