ルカ&ノンナのお買い物
港町、アレーサ。黒海に面するイライナ地方最南端の都市であり、黒海を中心とする海運の出発点。交易の玄関口として栄え、黒海の豊富な恵みにも支えられた場所だ。
イライナは本当にいい場所だ、恵まれている。土地は世界一肥沃で農作物に富み、南方の黒海では豊富な海産物も獲れる。魚に貝類、そして美しい海水から生成される塩。どれも生活に欠かせないもので、イライナがまだ帝国の版図に収まる以前の歴史を見ても、イライナ地方で飢饉が発生したという事例は数えるほどしか存在しない。その事からも、ここが特に食に関して、どれだけ恵まれた場所か分かるだろう。
それだけじゃない。美しい音楽に文化、そして国中に存在する絶景の数々。アレーサ郊外の丘から見下ろす港町と黒海は、かつて多くの画家たちがこの風景を元に絵を描いたほどだ。
だからこそ、この変貌ぶりには溜息をつかずにはいられない。
大きく抉れた石畳に、その辺に散乱する瓦礫の山。アレーサ名物の魚売り場は閉場していて、猟師やその妻たちの元気のいい声は聞こえてこない。以前に訪れた時ならば、新鮮な魚だよ、とか、食欲や購買意欲を刺激するような声が飛び交う場所だったのだが……。
錨を模した大きなモニュメントも破壊されていて、残骸が駅前の広場に散らかっていた。
「……これはひどい」
ワリャーグの襲撃があった、という知らせは聞いていたが……奴ら、本当にここを襲ったというのか。
列車を降りて改札口を出るまでは、どうせ誤報だろうと半信半疑だった。よくある事なのだ、複数のプロセスを経て流れ着いた情報の中身が改変されていたり、大事なところが欠落していたり。そうやって最終的に届く情報が全く別のものに変質している、というのは珍しい事ではない。
大人数での伝言ゲームをやっているようなものだ。
しかし今回ばかりは、情報は正確だったらしい。なぜほしいと期待する情報は誤りで、いらないと思う悪い情報に限って正確なのか理解に苦しむ。
まったく、最悪だ。せっかくアレーサに来たのだから、アレーサ名物のウハーでも味わっていこうと思っていたのだが、この惨状―――ワリャーグ襲撃の爪痕が深く残る現在では、観光なんぞできそうにもない。
困ったな……せっかくの有休だったのだが……。
「はい、まいど。1020ライブルね」
野菜売り場のおばさんにお金を渡し、受け取った野菜を買い物袋の中へ。ジャガイモやニンジン、タマネギでゴロゴロする買い物袋を両手で抱えつつ、尻尾を伸ばしてポケットからメモ用紙を取り出す。
パヴェルから「買い出しじゃー。頼んだぞルカ」とゆるーい感じで渡されたメモ用紙。それには購入する食材と量が書いてある……今だからこうやって読み書きは普通にできるけど、ザリンツィクに居た頃だったら多分無理だっただろう。こうやってメモ用紙を渡されても、この文字の羅列は何を意味するのか、と頭を悩ませていた筈だ。
それじゃあ今では普通にノヴォシア語が書けるし読める。あと簡単な計算もミカ姉から教わった(タシザンとヒキザンとカケザンはマスターした。ワリザンは氏ね)。
あの頃から考えると、今の暮らしは本当に裕福になったと思う。ザリンツィクのスラムに居た頃は日雇いの仕事を探して、安い賃金で何とか食い繋いできた。賞味期限切れの缶詰とかカビの生えたパンを安値で買い、汚れた水を汲んで生活用水にして、足りないものは盗んで補っていた毎日。
けれども今は違う。ちゃんと仕事をすれば安定した給料を貰えるし、住む場所まで与えて貰えた。自分の力で掴み取ったわけじゃあなく、完全にミカ姉の善意だったわけだけど……本当、良い人に拾ってもらえたなって。
「ねえねえお兄ちゃん、今夜のごはん何かなぁ?」
「”ニクジャガ”って言ってたよ、パヴェル」
「ニクジャガってなあに?」
「さあ……異国の料理じゃない? パヴェルもミカ姉も物知りだよなあ」
「そーだよねー……なんであんなに物知りなんだろ」
「貴族だからじゃない? きっとミカ姉の屋敷にはいろんな本があるんだぜ、きっと」
「ミカ姉頭良いもんね。パヴェルは貴族?」
「なんか貴族っぽくないよねパヴェル」
なんかアイツ、元は兵隊だったって聞いたけどあまり詳しく教えてくれないんだよなぁ……トクシュブタイがどうとか、グンジキミツがどうだとか。俺の知らない言葉ばっかり使うんだからさぁ。
まあいいや、買い物を済ませよう。早く仕事を終わらせて、ミカ姉から借りてるマンガ読まないと。
次は缶詰と回復アイテム各種。これは備蓄に回すんだろうな、と思う。多少の回復アイテムなら調合で何とかするらしいけれど、それでも追い付かない場合が殆どだから買いだめしておくのは冒険者の基本なんだってさ。
すごいよな、冒険者って。俺も17歳になったら冒険者になって、ミカ姉と一緒にパーティー組みたいな。あと3年待たないといけないけど。
「はー、冒険者かぁ」
「お兄ちゃんも冒険者になるつもり?」
「そうだよ?」
即答すると、ノンナはニヤリと笑いながら肩を肘で軽くついてきた。
「冒険者って頭も使うお仕事なんだよ? 薬草を調合してアイテムを自作しないといけないし、個人で活動するんだったらお金も管理しなきゃいけないし。ケンカが強いだけじゃダメなんだよ、知ってた?」
「し、知ってるよっ」
なんだよ、バカにしやがって。確かにそりゃあ、俺はミカ姉みたいに物知りじゃないしパヴェルみたいに器用じゃないし、クラリスさんみたいな怪力もない(というかあの人は別枠だと思うの)。
でもさ、もしかしたらこの3年間の訓練で化けるかもしれないじゃん? IQが300くらいになったりとか、すっげー魔術をズバババーンって使えるようになったりとか、身長が伸びてイケメンになったりとか。
これからだよ、これから。
買い物袋を抱えて雑貨店を目指していると、傍らのレストランで食事をしている男たちの会話が耳に入った。見たところ漁師か冒険者のようで、筋骨隆々のがっちりとした体格の男と、すらりとした細身の、アスリートみたいな引き締まった体格の男が何やら冒険者がどうのこうのという話をしている。
それが段々と話題が変わり、やがてはこの前のアレーサ襲撃事件の話になった。
「そういや、あのワリャーグ共を撃退したのは誰なんだ? 憲兵か?」
「いや、血盟旅団とかいう冒険者ギルドらしい」
「血盟旅団?」
あ、俺らの事だ。
誇らしくなって胸を張りたくなるが、俺はあの戦いには参加してない。身体を張って頑張ったのはミカ姉やクラリスさん、モニカにシスター・イルゼの4人で、パヴェルが最終的にあの海賊船にデカい一撃を喰らわせて撃退に追い込んだのだ。
俺は何をしてたかって? AKを抱えて列車の守りについてたよ? そこ、引きこもりって言うな。
「聞いたことねえギルドだな」
「去年の秋ごろから活動している新興ギルドなんだそうだ」
「へえ。その血盟旅団とやら、”異名付き”の冒険者は居るのか?」
「いや、居ないよ」
「それじゃあ知らねえな」
”異名付き”ってなんだっけ……ああ、そうだ。ミカ姉が言ってた。異名付きっていうのはその名の通り、異名を持つ強力な冒険者の事だって。
なんでも、上位の冒険者ギルドにはパーティーメンバー全員が異名付きのギルドもあるんだとか。
まだミカ姉には異名はないけど、ミカ姉も強いからすぐになれると思うよ、異名付きに。
「どうせすぐ消えるだろ、そんな新興ギルド」
「だよな、ビギナーズラックってやつさ」
「そんな事ねえよ!」
思わず、そいつらに向かって叫んでいた。レストランのテラス席で食事をしていた他の冒険者や労働者たちが一斉にこっちを見て、ついやってしまった、とちょっとだけ後悔する。
でももうやってしまった事だ、馬鹿な俺でも分かる。時間は進むが、決して巻き戻る事はない。やり直しが利かないなら、行けるところまで行くだけだ。
「いいか、血盟旅団は最強だ! 今は無名でも、そのうちすぐに有名になるさ! ミカエルって名前をよく覚えておけ、”ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ”!! それが団長の名前だ!!」
「な、なんだよこのガキ」
「血盟旅団の関係者か?」
「お兄ちゃん……!」
何やってるのよ、と言いたげに、咎めるような口調で言うノンナ。彼女に手を引っ張られ、半ば逃げるようにその場を立ち去った。
ああ、やっちまった……何やってんだ俺。
「何やってるのよ、もう! あんな人前で!」
「ごめん……でもさ、なんだかみんなの事を馬鹿にされたような気がして……」
そればかりは許せなかった。
みんなあんなに優しくて強いのに、”すぐ消える”だの”ビギナーズラック”だの、言いたい放題言われる現状が許せなかった。
でも、よく頭を冷やして考えてみれば分かる事だ。どれだけ強いギルドでも、有名になるには時間がかかる。血盟旅団は去年の秋ごろから活動を開始した、まだ結成から間もない新興ギルド……まだまだ知名度は低い方で、名前を知られていないのは当たり前だ。
だよなあ、今のはちょっと感情的になり過ぎたな……と後悔しながら肩を落として歩いていると、ぽん、とその肩に手を置かれた。
ノンナが励ましてくれているのかと思ったけど、なんか違う。ノンナは俺より背が小さいから肩に手を置くなんて背伸びでもしない限り無理だし、第一ノンナの手ってこんなに大きかったっけ?
あれれ、おかしいな……そう思いながら後ろを振り向くと、そこには知らないお姉さんが立っていた。
「……え?」
私服の上に必要最低限の革製のホルダーやポーチだけを身に着けた、かなりの軽装の女性。腰には護身用なのか短剣(キンジャールっていうイライナ伝統の短剣だ)を下げていて、傍から見れば冒険者のお姉さんに見えなくもない。
お姉さんというより、大人の女の人って感じだ。
イライナの大地を埋め尽くす麦畑のような色合いの綺麗な金髪に、青空を思わせる宝石のような瞳。そして雪のように白く透き通った、儚さすら感じさせる肌。頭髪の中からはライオンのケモミミが生えていて、外側へと跳ねた金髪も相まって、さながらライオンの鬣のようにも見える。
百獣の王―――その言葉がしっくりくるような、凛とした女性だった。
綺麗、というわけではない。よーく見ると腕や脚には筋肉がついていて、貴族のお嬢様というよりは最前線で剣を振るう女騎士のような引き締まった体格であることが分かる。
あ、この人強い―――俺ですら、一目で分かった。
「少年」
「ひゃ、ひゃい」
何故か声が裏返る。
「さっき、君は”ミカエル”という名を言ったな? ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフと」
「ひゃ、ひゃい」
「お兄ちゃん、しっかり答えて!」
「だって……」
何だろ、この感じ。
この人が綺麗だから、とか、強そう、とかそういうのではない。
既視感があるというか、なんというか……この人の顔というか雰囲気というか、誰かに似てるような気がする。
「君はミカエルを知っているのか?」
「う、うん」
「ミカ姉なら私たちのギルドの団長さんですけど……」
「ミカ姉? ふふっ、そうか」
女の人の顔に、ちょっとだけ笑顔が浮かんだ。まるで懐かしい昔の写真でも見ているような、昔の事を思い出して過去の記憶に浸る笑み。
ミカ姉の知り合いなのかな、この人。
「ミカ姉を探してるの?」
「ん? ああ、探しているというか、外出先で偶然懐かしい名前を聞いたものでな」
「???」
なんだろ、悪い人ではないっぽい。
ミカ姉みたいな感じがする。確かにミカ姉は強盗をやる事があるし、憲兵に追いかけ回される事もある。泥棒だけど、けれども決して弱い人は傷付けない義賊。それと似たような感じがこの女の人からは感じられた。
ちょっと冷たい人みたいな感じもするけれど、本当は優しい人なんだろうか。
「あの、もしご用があるなら列車まで来ます?」
「む?」
「ミカ姉、お仕事で外出してるんです。今夜には戻ってくると思うので」
「ああ、そうか。それならお言葉に甘えて」
にっこりと笑みを浮かべ、俺たちはその女の人を列車まで案内する事に。
それはいいとは思う。ミカ姉を探してる、というか知ってる人なら悪い人じゃないだろうし、ミカ姉の命を狙ってる人だったらもっと荒っぽい事をするだろうから。
けれども、何だろう。
この人からミカ姉に似た雰囲気を感じるのは、何なのだろう?




