ベレノフ化学工場
ワリャーグによるアレーサ襲撃から一週間、その間にも列車の改良は進んでいた。
もし再度、またワリャーグからの襲撃があった場合や今後の旅の道中、敵対勢力からの襲撃があった時に備え、列車の重装化がパヴェルとルカの手によって急激に進められていたのである。
機甲鎧を起動させて格納庫から外に出て、一旦ホームに降りてから列車の先頭へと向かう。
炭水車の後方に連結された3両の客車の後方に、新たに連結された貨物車両が見える。既にその表面には装甲が取り付けられており、天井には布が被せてあった。中からはうっすらと溶接の際に生じる金属の溶けるような臭いがして、車両の武装化の作業が続いている事を伺わせる。
アレーサ襲撃の後、すぐにパヴェルがアレーサの鉄道関係者から買い取った2両の車両の内の片方だ。退役間近だった旧式の車両とはいえ、合計で60万ライブルの出費。しかもそれをレストアするのにそれなりの手間がかかっているので、最終的な出費は120万ライブル前後だろうか。
スクラップの在庫も少ないらしいので、今回はたっぷり持って帰りたいものである。
さて、この前購入した貨物車両のうちの片割れはどこに行ったかのかというと、そいつは機関車の前に連結されている。
機関車の前に回り込むと、既にそこには装甲キャビンに銃座、そしてクレーンアームが1基搭載された車両が鎮座していた。いわゆる”警戒車”と呼ばれるタイプの車両で、装甲列車の先頭とか最後尾に連結されていたといわれている。
ちなみにこの血盟旅団仕様の警戒車だが、元々はトラクターなどの重機を遠隔地へ運ぶための貨車だったのだそうだ。壁も天井もない、ただ車両を上に乗せてワイヤーで固定するだけの簡素な貨車だったのだが、それに装甲キャビンを備え付けるばかりか、ガソリンエンジンを搭載して自走できるように改造されている。
必要とあらば列車から分離して先行、前方の線路の様子を確認したり偵察任務に投入することができる。武装は今のところは12.7mm連装機銃1基のみと軽装だが、機甲鎧を1機まで搭載可能な小型格納庫があるので、戦闘力に関しては問題はない。
「はーいオーライ、オーライ」
誘導灯を手に、”安全第一”と何故か日本語で記載されたオレンジのヘルメットをかぶったモニカが誘導してくれる。彼女の指示に従い、微速で警戒車の格納庫へと機体を進ませる。
警戒車の左側面にあるハッチから車内へ。機関車からの視界を阻害しないために屋根はかなり低く、機甲鎧でつま先立ちしようものならば頭が天井に激突するほど。油断するとバックパックのマフラーが天井にぶち当たりそうで、機体の収納作業の際にはかなりの集中力が要求される。
規定の位置まで前進してから機甲鎧を横に寝かせ、メインモニターの向こうに装甲キャビンの天井が映ったところでクラッチペダルを踏み込む。右足でブレーキを踏み込みつつシフトレバーをニュートラルに切り替え、キーを捻ってエンジンを停止。頭上のハッチ開放レバーを倒してコクピットを解放、シートベルトを外して機体の外へ。
通常の格納庫では、機甲鎧は直立した状態で壁面に固定されるんだけど、スペースが限られる警戒車の中ではそうはいかない。このように横に寝かせた状態で固定具を使い、機体を床に固定しておく必要がある。
固定具を使って胴体と両足を床に固定。手順通りにチェックを行い問題がない事を確認してから、外で待機しているモニカに向かって親指を立てた。
「気を付けていってくるのよ!」
「おう!」
ハッチを閉じ、運転席へと向かう。運転席は装甲キャビンの左前方に用意されていて、ガラス張り(もちろん防弾だ)になっているから視界も良好。非常時には左側面のハッチを解放し緊急脱出することもできるし、非常時に備えアサルトライフル1丁と拳銃1丁、手榴弾3つが運転席右側面のボックスに収納されている。
ちなみに中身はみんな大好き自衛隊の89式小銃(折り畳み銃床型)と9mm拳銃。コンパクトさと命中精度の優秀さに定評がある逸品である。
運転席には既にシスター・イルゼが座っていて、マニュアルを片手に出発前の最終チェックを行っているところだった。もちろんマニュアルはパヴェルの手書き、えらく手間がかかっている。
「警戒車より発令所、全システムオールグリーン。出撃準備ヨシ、そちらの指示を待ちます」
《こちら発令所、了解。警戒車の出撃を許可する》
「了解、出撃します」
淡々とした事務的なやり取りだけど、俺には何となくわかる。シスターイルゼはだいぶ緊張しているのだ、と。
それもそうだろう、今までは後方でのサポートに徹することが多かった彼女が今度は二人一組での廃品回収である。銃の使い方は学んでいるし、警戒車の運転方法も頭に叩き込んでいるものの、これが彼女にとっての実質的な初陣。緊張するのも仕方がない。
「大丈夫だよシスター、肩の力を抜いて」
「は、はい」
まあ、何かあったら戦うのは俺だ。こっちのほうが責任は重大だな……ヘマをしたり決断を誤れば、彼女の命を危険に晒す事になる。
大丈夫、大丈夫……そう強く思っていると、ヘッドセットからお留守番を言い渡されたクラリスの声が聞こえてきた。
《ご主人様、どうかお気をつけて》
「ああ、ありがとう。まあ何とかなるさ」
《心配ですわ。ご主人様に悪い人が寄ってこないか……》
「大丈夫だろ。たぶん」
《いいですかご主人様、知らない人についていってはいけませんよ。飴とかチョコレートあげるからって言われてもホイホイついていってはいけませんからね》
「お前はお母さんか!」
どんだけ心配してんだ……え、何? ミカ君アレなの? そんな飴とかチョコレートをちらつかせられただけで知らない人にホイホイついていくような純粋な子だと思われてんの?
まったく、そんなわけないだろ。こう見えてもリガロフ家の子の1人、常識は弁えているし知らない人についていっちゃいけません、って小さい頃から母さんに何度も言われて育ってきた男だ。確かに飴とかチョコレートを見ると胸がときめいてしまうし口の中からよだれがナイアガラの滝になるが、ホイホイついていくことはない……たぶん!
「警戒車より発令所、出発します」
《了解、神のご加護があらんことを》
意外だな、とちょっと思った。
パヴェルはあまり神頼みするようなタイプには思えなかったからだ。いや、これは完全な偏見なんだが、彼は神頼みするよりは自分で結果を掴み取りに行くような、そういう強気な人間に思っていた。けれども実は意外と信仰心の強い男なのかもしれない。毎週日曜日は必ず教会に足を運ぶほどの。
ぐんっ、と足元がスライドするような感触と共に、警戒車のガソリンエンジンが唸りを上げた。装甲キャビンの後方、左右から突き出たマフラーから排気が噴き上がり、連結を解除された警戒車がゆっくりと前進を始める。
運転席の後方にあるタラップを上がり、キャビンの上に設けられた銃座のハッチを開けた。目の前にはででんと12.7mm連装機銃(ブローニングM2重機関銃×2)が鎮座しており、長大な銃身がイライナ地方のまだ冷たい春の風に晒されている。
後ろを振り向くと、機関車の周囲に沿うように配置された作業用のキャットウォークにクラリスが居て、こっちに向かって大きく手を振っているのが視界に入った。俺もかぶっていたウシャンカを手に取って大きく手を振り、忠実なウチのメイドに束の間の別れを告げる。
やがてカーブに差し掛かり、手を振るクラリスの姿がアレーサの周囲に広がる丘に阻まれて見えなくなった。そっとウシャンカをかぶり、身体を引っ込めてハッチを閉鎖。キャビンに戻ってから運転席の方へと向かい、助手席に座ってラジオをつけた。
流れてくるのはイライナ地方の民謡だったりとか、ノヴォシアで有名な歌手の歌うラブソングだったりとか。ノイズ交じりの音楽を聴きながらチャンネルを回していると、珍しくジャズが流れ始めた。
ボリュームを調整してからラジオを座席の左手にある小さな机に置き、壁に貼り付けている地図をチェック。ここから例のベレノフ化学工場までは片道1時間の道のりになる。
しばらく丘の上に敷かれたレールを走っていると、左側にある線路を走ってきた貨物列車とすれ違った。向こうの運転手が汽笛を鳴らしてくれたので、こっちも汽笛……の代わりに搭載されているクラクションで挨拶を返す。
『デェェェェェェェェェェェン!!!』
なんでこれにしたのか。
今すれ違っていった列車には大量のレンガや角材が積み込まれていて、アレーサ復興のためのものなのだろうな、とぼんやりと思った。憲兵隊が手配した復興用の資材を乗せた貨物列車なのだろう。
復興作業は手間と金がかかる。それでいて、破壊された財産や命が戻ってくることはない。
破壊とは取り返しがつかない行為なのだ。今あるものを破壊し、永遠に消し去る行為に他ならない。だから戦争というのはどこまでいってもクソなのだ。
相手の国や宗教を憎むな、みんなで手を取り合って笑顔で踊ろう、なんて、そこまでは言わない。学校のクラス、せいぜい40人とかその程度の共同体の時点で1人や2人クッソ嫌いな奴が出てくるのだ。世界規模になればどうなるか、考えなくても分かる。憎みたいなら心の奥底にヘイトでもなんでも沈殿させておけばいい。ただ一線を越えるな、という事だけは全人類肝に銘じておいてほしい。
SNS上で互いに暴言を吐き合っているうちはまだ平和なのだ。
しかし、世界には戦乱を望む人間が一定数居るのもまた事実。どうしたものかね……考えれば考えるほど、視線は無意識のうちに件のアルミヤ半島へと向けられていて、俺は軽く首を振って溜息をついた。
今は仕事に集中しよう。とにかく、ありったけのスクラップを持ち帰らなければならない。
”それ”は針葉樹の森の奥に、ひっそりと佇んでいた。
化学工場という名称だからコンクリートの壁にトタンの屋根、そして乱雑に積み上げられた得体の知れない化学薬品入りのドラム缶というイメージを抱いていたのだが、針葉樹の森の奥で俺たちを待っていたその建造物は、傍から見れば植物園のような、あるいは少々他とは建築様式の違う屋敷のような、そういう類の建物にも見えた。
確かに壁はコンクリート製。ところどころが崩落し、コンクリートの中に埋め込まれた鉄筋が、錆び付いた状態で外気に晒されているのが見て取れる。しかし別の一角は壁も天井もガラス張りで、微かに曇ったガラスの向こうにはツタが大量に張り付いた壁面が見える。
間違いじゃないよな、と地図を見てみるが場所はここで合ってるっぽい。
「ここ……ですね」
「よし、行ってくる」
「ミカエルさん、お気をつけて」
「はいよ」
キャビンのハッチを開け、装甲キャビン後方にある格納庫へ。機甲鎧を床に固定している固定具を外し、解放されている胸部のハッチからコクピットへと滑り込んだ。
身長150㎝というミニマムサイズのミカエル君ですら、これちょっと狭くね? と思うほどのスペースなので、常人はまず乗れないだろう。俺専用機というわけだ。
ハッチを閉鎖しキーを差し込んでエンジンを始動。システム音声を聴きながらシステムが無事に立ち上がっていくのを確認し、シフトレバーを操作してから左足でクラッチペダルを踏み込んだ。半クラの要領でアクセルペダルも踏み込んでいくと、機甲鎧が俺の起き上がろうとする電気信号を受信し、機体をゆっくりと起き上がらせていく。
立ち上がったのを確認してから規定位置まで前進、ウェポン・ラックへと手を伸ばす。
今回の武装はブローニングM2……ではなく、レトロな雰囲気を放つ機関銃だった。機関部上部に搭載されたマガジンが特徴的で、今ではなかなか見ないスタイルである(セトメ・アメリにSTANAGマガジンを装備すると似たスタイルになるらしいが)。
メインアームとして選択されたのは、かつて旧日本軍が使用していた『九七式車載重機関銃』。その名の通り車両への搭載を前提として設計された重機関銃で、使用弾薬は日本独自規格の7.7mm弾。マガジンには20発の弾丸が装填可能となっている。
ブローニングM2より軽いが、それでも重量は約13㎏にも達する。兵士が手に持って普通の機関銃のように運用するには、少々ハードルが高すぎる重さだが、機甲鎧ならば気にならない。
予備のマガジンが収まった弾薬箱を腰の右側に装備し、両肩のハードポイントにはスクラップ回収用のスカベンジング・ケースとレールアームを搭載。左側頭部には暗所探索用に、シュアファイアM600を1基マウントしている。
ハッチを解放し、機甲鎧を警戒車の外へ。運転席でこっちを見守るシスター・イルゼに親指を立てて行ってくると告げ、崩落した壁面から化学工場の中へと入った。
当たり前だが、内部は暗い。周囲が針葉樹の森で覆われていて日光がそれなりに遮られている、というのも要因だけど、当たり前だが電源設備が死んでいるのが一番の要因と言えた。早くもライトの出番か、と呟きながらシュアファイアM600を点灯、工場の通路を進んでいく。
人類文明が崩壊し、人がこの世界から消え去ったとしたらこんな感じの世界になるのかな、と思いながら廃墟の中を進んだ。さすがにフリーダンジョンに指定されているだけあって、工場の中は荒れ放題だ。スクラップ目当てでやってきたのであろう同業者たちが色々と持ち去っていったようで、工場の中の機械は殆どがそこにあった形跡を残して持ち去られていた。比較的新しい、人為的に開けられた壁や床の大穴は、きっとそこに据え付けてあったコントロールパネルとかクレーンを持っていった跡なのだろう。
こりゃあ持ち帰れるスクラップが残っているとは思えない。パヴェルには残念な報告をする事になりそうだ……まあ、手ぶらでは帰れない。せめて錆び付いてても良いから鉄板でも鉄屑でも、空のドラム缶でも何でもいい。とにかく持ち帰れそうなものを持って帰ろう。
施設内には必ずと言っていいほど備え付けられている案内板や、ここがどこなのかというプレートすらも持ち去られている事から、冒険者たちがどれだけ必死に金目のものを探していったかが伺える。こりゃあ隠し部屋とかでもない限りスクラップは無いんじゃないだろうか。
床に落ちている錆びた釘を拾い上げて溜息をついた。機甲鎧のでっかい指でそれを摘まみ上げ、とりあえずスカベンジング・ケースへと放り込む。カランッ、という随分と軽い金属音が悲しげに響き、またしても溜息をついた。
おいおい、収穫が錆びた釘一本なんてやめてくれよ……。
他にも何か、せめて何か残っている事を祈りながら、機内に持ち込んだラジオから流れてくるジャズで気を落ち着かせつつ機甲鎧を奥へ奥へと進ませた。




