ヒトの弱み
前部甲板から黒煙を吹き上げながら、傷ついた装甲艦がゆっくりと港を出て行く。
ワリャーグの母艦、”パーミャチ・メルクーリヤ”。アレーサはもう制圧したも同然と言わんばかりに港に居座り、砲撃を続けていた敵艦だったが、第一砲塔への予想外の一撃と『次は艦橋を狙う、とっとと帰れ(※意訳)』というパヴェルからの恫喝を受け、すんなりと帰ってくれたのはありがたい事ではある。
轟沈するほどの損傷ではないが、第一砲塔周りは火の海だった。遠くからしか見えないが、前部甲板では多くの船員たちが消火用のホースを抱えて走り回っており、とにかく必死に火災を鎮火しようと努力しているように見えるけれど、残念ながらそれが実っているようには見えない。
しかも主砲の砲塔が俺たちのイメージする戦艦の砲塔とは異なり、前弩級戦艦、つまりは戦艦ドレットノート以前の旧式戦艦で主流だった露砲塔という、主砲が装甲で覆われておらず外部に露出した方式を採用していたことも見事に仇になった模様だ。良好な視界を得られるが、被弾から砲手や装填装置を守ってくれる装甲がないから、万一そこに攻撃が飛び込んで来たらとんでもない事になる。
ドンッ、と爆音が響き、ワリャーグの母艦の前部甲板で第二の爆発が生じる。装薬に誘爆したか、第一砲塔の後ろにある第二砲塔まで延焼してそっちが爆発したか。いずれにせよ、ダメコンがあまりにも下手くそすぎる、という印象を受けた。
相手を殴りつける事には慣れているが、自らが殴りつけられる事にはどうやら慣れていないらしい。
「パヴェル!」
防波堤の上で、ランチャーを担いだまま機甲鎧の装甲を解放して、勝利後の一服をキメているパヴェルに声をかけた。敵艦が沖に出てアレーサを砲撃できなくなるまで戦闘モードを解くつもりはないようで、葉巻を吹かしているにもかかわらずその眼光は鋭い。
「おう、ミカか」
「やったのか」
「ああ、吹っ飛ばしてやった」
よく見ると、担いでいるランチャー(TOWを4基も束ね、それにピストルグリップと照準器を後付けしたような簡素なものだ)のうちの1基が空になっている。
「そっちはどうだ、負傷者は?」
「俺たちは何とか。憲兵隊に数名の犠牲者が出たけど、住民は守り抜いたっぽい……」
「そうか……」
市街地での戦闘も、既に終息に向かっている。
憲兵隊と住民に十数名の犠牲者が出たのは痛ましい事だが、多くの住民を海賊の魔の手から守る事が出来た。
それにしても、ワリャーグの連中は人命軽視というのは本当だったらしい。
奴らと戦っていた時の事を思い出しながらそう思う。ワリャーグの連中、すぐ近くにいる仲間が被弾して苦しんでいるというのに、救いの手を差し伸べようという気すら持ち合わせていないようで、もだえ苦しむ仲間をスルーして憲兵や俺たちに襲い掛かってきやがった。
それに加え、あの母艦の砲撃だ。上陸前に抵抗勢力を叩くために砲撃する、というならば分かる。むしろそれが上陸作戦のセオリーであり、事前の砲撃が有るか否かで敵の抵抗が大きく変わる。相手の士気への影響も変わって来るだろう。
しかしワリャーグの連中は、味方が上陸した後も砲撃を継続していた。砲弾が仲間の兵士に命中するかもしれないというのに、お構いなしにだ(実際に母艦からの砲撃で吹っ飛ばされ、絶命した戦闘員を見た)。
しまいには仲間を回収する様子も無く、母艦だけはそそくさと逃げ帰る始末。もっと仲間意識の強さが垣間見えるのではないかと思っていたのだが、どうやらそんな事はないらしい。
犯罪者の集まりとはこういうものなのだろうか。いや、俺たちも人の事あまり言えないけど、それでも仲間は見捨てないというルールがある。奴らと一緒ではないと願いたいが……。
ワリャーグの母艦の姿が小さくなり、パヴェルがゆっくりとランチャーを下げた。
「……さて、俺はコイツを列車に戻すよ」
「ああ」
「詳しい報告は後で聞く。復興支援とかで忙しくなるぞ、ミカ」
「そうだな……」
それに、しばらくアレーサからは動けないだろう。
黒海艦隊が多方面へと引き抜かれてからすぐにこの有様だ。この現状が何とかならない限り、しばらくはアレーサ防衛の戦力としてここに留まるべきだろう。
なにより、母さんやサリーたちが心配だ。
幸運な事に、母の実家はアレーサ市街地から離れた場所にある。アレーサから少し離れた丘の上だ。
こっちのほうまでワリャーグの連中が侵攻してきた形跡はないから、たぶん無事だとは思うのだが……万が一、という事もある。もしあの時、買い物のために市街地を訪れていたならばと思うとゾッとする。
そんな事がありませんように、家族全員無事でありますようにと祈りながら、コンコン、とドアをノックする。
が、警戒しているのだろうか。ドアに鍵がかかっていて、ノックしても誰かが表にやってくる気配すらない。まさか襲撃の時町にいて、その時に砲撃に巻き込まれて……嫌な予想が頭の中を駆け巡る。そんな事あってたまるか、と信じたいが、有り得ないとも言い切れないが故に不安は積もるばかりだ。
「母さん、母さん。俺だよ」
大きな声でそう呼びかけてみると、やっと家の中から足音が聞こえてきた。ガチャ、とドアの鍵が解錠される音が聞こえたかと思いきや、ゆっくりとドアが開き、向こうに民族衣装姿のレギーナが姿を現す。
訪れたのが自分の息子と、その息子に長年仕えているメイドの2人だという事を認識したようで、レギーナが纏っていた緊張がすっかり吹き飛んだのが表情から分かった。
「ミカ、無事だったのね」
「母さんこそ、みんな無事かい?」
「ええ。私も母さんも、サリーもみんな無事よ」
そう言いながら家の中に招き入れてくれる母さん。家のリビングではおばあちゃんがサリーと人形で遊び相手になっていて、サリーはというと無邪気な笑みを浮かべながらウサギの人形で遊んでいる。
無邪気なもんだ、まったく。
「とにかくみんなが無事でよかったよ、本当に良かった」
「ミカも戦ったの? あいつら……ワリャーグと」
「ああ……依頼が終わって帰ってきたら、町が襲われてたからさ……」
「そう……なんだかごめんなさいね、我が子を矢面に立たせることになってしまって」
「気にしないでよ母さん。俺だって冒険者になるために訓練してきたんだ。このくらい朝飯前さ」
そう強気に言うが、内心かなりビビッていたことは伏せておく。魔物と対峙する時もそうだけど、命のやり取りをする時というのはいつだって心臓に悪い。ミカエル君の場合、緊張すると足の裏にじんわりと汗が浮かんでくる。
はっきり言おう、ミカエル君は常にビビりながら戦っている。じゃあ何で銃とかぶっ放したり平然とできるんだよ、と突っ込まれるかもしれないが、あれはもう半ばヤケクソでやってるのだ。
なんでこんなヘタレなのか……前世から、と言われたらまあそれまでだけど、多分ハクビシンの獣人として生まれたことも影響していると思われる。ハクビシンって臆病な性格だからね……。
テーブルに座っていると、こっちにやってきたサリーがズボンの裾をぐいぐいと引っ張り始めた。
「あうー、にーに」
「おーよしよし、お兄ちゃんだぞー」
「えっお兄……ああ、あなた男だったわね」
お母さん、今なんて?
アレ? もしかして俺実の母親にもワンチャン女と認識されていた可能性が……?
サリーを抱き上げながらちょっと絶望していると、サリーは無邪気な笑みを浮かべたまま、小さな手で俺の肩をバシバシ叩いてくる。小さな手にはハクビシン特有の肉球がちゃんと備わっていて、当たる度に変わった感触がした。
にしても生後5ヵ月でこれか。発育がずいぶんと早いようで……。
17歳歳下の妹ってもう娘みたいなもんだよな、と思いながらサリーの頭を撫でた。まだ会って日が浅いにもかかわらず、俺の事を家族だと認識しているらしいサリー。撫でていると段々と目を細め始め、やがてすやすやと眠ってしまう。ケモミミもぺたんと倒れていて、なんだかかいぬしにすっかり懐いた仔猫っぽさがあった。
隣では、そんな愛らしいサリエルをもふもふしたり撫でたりできない事を歯痒そうに見つめるクラリスの姿が。
お、おう……。
「……抱いてみる?」
「良いのですか?」
「ああ……今寝てるし」
すやすやと寝息を立てるサリーをそっとクラリスに渡す。少し申し訳なさそうに彼女を抱き上げたクラリスは、まるで母親のような笑みを浮かべ―――ぱっちりと開いたサリーの目とクラリスの目が合い、お互いに凍り付く。
やっぱりアレか、分かるんだろうか。なんか抱いてもらってる手が違う、的な。赤ん坊って色々と敏感だからなあ、と謎の関心をしているうちに、サリーの表情が段々と恐怖に染まっていく。
「ぴ、ぴ、ぴえ……」
「え、ええと、大丈夫よ、泣かないd」
「ぴえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
声量、破格の200dB。
よくさ、あるじゃん。爆発物がすぐ近くで炸裂したりして耳がキーンってなるやつ。
俺も今、そうなってる。
いつの時代も、家族というものはヒトの支えとなる。
そして同時に、”弱点”でもある。
どこからか流れてくる音楽―――ショパンのノクターン9番、ピアノの優しい旋律に包まれながら、私は同じように家族を抱え、苦しみながらも戦い死んでいった男の事を思い出していた。
奴は虚ろな存在だった。家族を奪った相手に復讐するために死の淵から蘇り、自らの生還を期さず幾度も戦場へ足を運び、しかし2人の女を愛して伴侶とし、家庭を持ち、子をもうけた。
一体何が彼をそこまで変えたというのか? 復讐を掲げ、いずれは自らも戦火に焼かれこの世を去る覚悟を、奴とて決めていた筈だ。にもかかわらず女を愛し、子をもうけ、そしてその子の死に怒り狂いまた戦う―――非合理極まりないが、その歪さこそが奴もまた人間であった事の証なのだろう。
人は何故、家族を持とうとするのか。単なる子孫繁栄のため―――生物的な本能以外に要因があるとしたら、それはきっと”愛”なのだろう。
目を瞑りながら、私はそう思う。
脳裏に浮かんでくるのは腕の中、大きな声で泣き喚く赤子の姿。自分の気の許した相手以外ではやはり不安なのか、泣き喚くその赤子を、兄と母親が大慌てで抱き上げてあやしている姿には微笑ましさすら覚える。
そして時に、その家族が最大の枷となる。
私はそれを、よく知っている。
―――黒海。
ノヴォシア帝国南方、イライナ地方に面する広大な海。その黒海へとL字形に突き出た大きな半島―――アルミヤ半島には、かつては栄華を極めた黒海艦隊の本部があった。当時は”海軍半島”とも呼ばれたアルミヤ半島だが、黒海艦隊の規模が縮小、予算も減らされて艦隊が痩せ細っていくにつれ、新たな勢力が半島を支配下に収めるべく行動を始めた。
その結果、今のアルミヤ半島は海軍半島ならぬ”海賊半島”とも言うべき有様となっている。
アルミヤ半島西部、ちょうどL字形の半島がノヴォシア本土側へと大きく曲がり始めた付け根のところに位置する軍港の街”アルムトポリ”に、1隻の装甲艦が戻ってくる。前部甲板を大きく損傷し、第一砲塔を完膚なきまでに吹き飛ばされたその装甲艦は、かつてはここを母港としていた黒海艦隊所属の装甲艦『パーミャチ・メルクーリヤ』であった。
それが今では海賊艦隊の旗艦である。
艦橋から前部甲板を見下ろしながら、ウルギンは怒りに震えていた。黒海全海域の掌握とアレーサの制圧―――彼の抱いたその夢が、たった1つの冒険者ギルドの妨害と、たった一発のミサイル攻撃で出鼻を挫かれた挙句、仲間を見捨てて逃げ帰ったワリャーグの長、という汚名を後世に遺す羽目になったのである。恥を歴史に刻まれれば、憤慨せずにはいられない。
これではアレーサへ再度攻撃に向かうにしても、修理している間に防御態勢を整えられてしまうだろう。それだけではない、あの攻撃は一度目であったからこそ意味があった。海上騎士団の防御の隙を突き、電撃的に襲撃したからこそ意味があったのだ。しかし攻撃に失敗して逃げ帰ってしまっては、その間にアレーサの防御はより厳重になるばかりか、痩せ細ったとはいえ黒海艦隊の残存艦艇も防御態勢を敷き始めるに違いない。
二度目のアレーサ襲撃の難易度は、より跳ね上がるであろう。
しかし、だからといって野望を諦めるわけにはいかない。
より強力な兵器を得て、再度アレーサへと侵攻する―――そんな計画を思い描く彼の脳内に、唐突にゆったりとした音楽が流れ始める。
それに驚きはしなかった。以前にも、似たようなことがあったからだ。
そしてその音楽を合図に、頭の中に”声”が流れ始める。
【血盟旅団の団長、ミカエルにはアレーサに家族がいる】
血盟旅団―――先進的な技術で製造された兵器を持ち、ワリャーグを圧倒した忌むべきギルド。打倒した暁にはその技術を全て手に入れ、全員を処刑してやると誓った連中である。
その団長の家族がアレーサに住んでいる―――”声”と共にその家の場所や中の様子、家族の顔に至るまでが、ウルギンの脳裏に鮮明に浮かび上がった。
相手の家族、利用しない手はない。
悪魔のような笑みを浮かべた頃には、既に音楽も”声”も消えていた。




