アレーサを救え
パシュ、と火皿の中の火薬が弾けた。
打ち下ろされた撃鉄、その先端部に備え付けられた火打石が火花を生じ、それが火皿の中へと落ちる。ほんの小さな一粒の火種、それだけで火薬という怪物が目を覚ます。
あっという間に火皿の中の火薬が燃え上がり、それが薬室の中の黒色火薬へと点火される。本命の黒色火薬もつられるように目を覚ましたかと思いきや、引き金を引いてから1秒ほどのタイムラグを挟んで、ドパンッ、と重々しい咆哮を放った。
火薬の爆発に、球状の弾丸が薬室の中から押し出される。全長1.7mにも達するイライナ・マスケット、その中でもベーシックモデルに近代化改修を施したM1885/87と呼ばれるその銃身の中で、内壁に何度か接触しバウンドを繰り返して放たれた弾丸が、カトラスを手に肉薄を試みるワリャーグの戦闘員の肩を深々と抉った。
ドパッ、と赤い血に混じり、ピンク色の肉片が飛び散る。
イライナ・マスケットシリーズの中でも特に大口径であることで知られるM1885、その系列に連なるM1885/87は、85口径という大型の弾丸を使用することで名高い。反動は大きくなるものの破壊力に優れ、特に近距離でのストッピングパワーは他国の銃よりも優れていた。
猛獣の狩猟を専門とするハンター、あるいは大型の魔物の討伐を生業とする冒険者にも好まれる機種である。
この時点で、憲兵隊の軍曹は相手を仕留めた、と確信していた。急所は外してしまったものの、左肩を大きく吹き飛ばされた相手にもはや成す術はあるまい。あの大量の出血を防ぐ術もなく、やがては激痛に苛まれながら出血多量で死んでいく―――戦場での常識であれば、そうだ。
しかし、薄れ始めた白色の煙の向こうから姿を現したのは―――被弾したにもかかわらず、どうもうなえみを浮かべて突っ込んでくるワリャーグの戦闘員だった。
「!?」
「ヒャハハハハハハハハッ!!」
一瞬ばかり取り乱すが、新兵ばかりの憲兵隊の中でも軍曹はそれなりに場数を踏んでいた。彼の場合、上官との口論が原因で左遷先としてアレーサへと飛ばされただけの事。他の新兵と比較すれば十分にベテランである。
相手の異質さに息を呑みながらも、腰を低く落とし、そこから鋭く銃剣を突き上げる。銃口の右側へオフセットされる形で装着された白銀のスパイク型銃剣は、まるで獲物に止めを刺す肉食獣の牙の如く、無慈悲に相手の喉元を射抜く。
さすがに喉を貫かれては抵抗できるはずもない。ごぼっ、とまるで溺れているかのような音を小さく発しながら、ワリャーグの戦闘員は力尽きていく。
死体と化した相手の身体を半ば蹴飛ばし、強引に銃剣を引き抜く軍曹。荒くなった呼吸を整えながら、彼は久しぶりの”戦場の感覚”に怯えていた。
時折、今のような事がある。
前の戦場でもあった事だ―――撃たれた筈の相手が、何事もなかったかのように突っ込んでくるという事が。
まるで被弾している事に気付いていないかのように。
もちろん事実は異なる。大体はただ単に狙いが外れただけ、というオチだが、今のように本当に被弾したにもかかわらず、突撃を止めない相手もいる。
戦闘時の興奮で脳がアドレナリンを大量に分泌する事による痛覚の麻痺、あるいは―――戦闘前に麻薬を使用する事による、薬物による痛覚の麻痺あるいは喪失。
今のケースはどちらに当てはまるのか分からない。ワリャーグの事なのだから麻薬の備蓄もあるのだろう―――そう考えながら予備の弾薬を引っ張り出しつつ遮蔽物の影に身を隠す。
弾丸と火薬の入った袋を犬歯で噛み千切りながら、軍曹は冷静に戦況を分析した。
第一防衛ラインに設定した港の入り口は既に放棄、現在は続く第二防衛ライン、市場での応戦となっている。今のところ避難した住民は4割程度……冒険者たちにも避難誘導や時間稼ぎの協力を要請したものの、ワリャーグの攻撃が電撃的である事に加え、住民の大半が高齢者である事もあり、避難はなかなか進んでいないようだった。
住民の避難が終わるのが先か、それとも力尽きるが先か―――いずれにせよ、ワリャーグの前に果敢に立ちはだかった憲兵たちに生還はない。それは確かだった。
ドムンッ、と石畳の一角が砕け散る。港へ入港するかのように距離を詰めてきたワリャーグの母艦『パーミャチ・メルクーリヤ』からの艦砲射撃もひっきりなしに続いていた。下手をすれば上陸した自分たちの仲間すらも巻き込みかねない危険な艦砲射撃は、今もまだ続いている。
人命軽視の連中が、とラッパ銃にガラス片や鉄屑、釘を装填していた部下の1人が悪態をつく。ワリャーグに仲間を守ろうという意識がないのか、それとも彼らがただ単に無謀なだけなのかは定かではない。確実に言えるのは、常識の通用しない連中という事だけだった。
「軍曹、後退しましょう!」
「ダメだ、まだ住民の避難が―――」
パンッ、と部下のこめかみが砕け散る。
敵の銃撃だ。慌ててマスケットを構えた軍曹の視界に入ってきたのは、銃剣付きのマスケットやカトラス、斧で武装したワリャーグの戦闘員たち。
万事休すか―――自らの死が現実味を一気に帯びたその瞬間、軍曹の脳裏には故郷で待つ家族の顔が浮かんだ。妻と娘の顔。雑貨店を営む両親の顔。故郷に残った旧友たちの顔……死んでしまえばもう、二度と再会する事は叶わない。
それがどうした、と自らを奮い立たせ、軍曹は引き金を引いた。
ドパンッ、と重い銃声が雄叫びを上げ、敵戦闘員の上顎から上を豪快に吹き飛ばす。
今の自分は憲兵だ。この制服を身に纏い、腕章を腕に通したその時から、この身を、この命を皇帝に、帝国に捧げると誓った筈だ。今更故郷や家族への未練を理由に躊躇っていっては、先に天国へ旅立っていった部下や戦友に合わせる顔が無いというもの。
死を目前にした時、人間は2つに分けられる。
恐怖に屈しそのまま死んでいくか―――此処が死に場所と腹を括り、奮い立って死ぬか。
軍曹は後者の人間だったらしい。
弾を放ち、槍同然となったマスケットを片手に、腰の鞘からサーベルを引き抜く軍曹。来い、来いよ、と荒々しく吼え、せめて1人でも道連れにと一歩を踏み出そうとしたその時だった。
戦場に響く、ガソリンエンジンの爆音。それに続いて石畳の表面をタイヤが滑るような、今にもゴムの焼ける悪臭が漂ってきそうな音が聞こえたと思った直後―――オリーブドラブに塗装された1台のバンが、いくつかの露店を豪快に吹き飛ばしながら姿を現した。
青天の霹靂とはまさにこの事か―――唐突に姿を現したバン、ブハンカと呼ばれるそれが市場に突入したかと思いきや、タイヤの擦れる音を響かせながら豪快にドリフト。まるで巨人の剛腕の一薙ぎの如く、憲兵隊を餌食にしようと突撃してきたワリャーグの戦闘員たちに体当たりをぶちかましてしまう。
「グエッ!?」
「ギャッ―――」
「な、なんだ……?」
一体どこの馬鹿だ、こんなところに車で突っ込んでくるなんて―――正気の沙汰とは思えない。そう思いながらも助勢を素直に喜ぼうとした軍曹の目の前で、今度はバンに乗っていた4名の冒険者たちが、見慣れない武器を手に車外へ躍り出る。
「GO、GO、GO!!」
メイドとシスター、あとは私服姿の少女2名という、小規模なギルドにありがちな情報過多。とにかく少数精鋭、ギュギュっと詰め込みましたと言わんばかりの濃いパーティーのようだったが、その困惑も立て続けに響いた銃声に粉砕される。
1発、2発……リーダー格と思われる、他のメンバーに指示を出しながら戦う小柄な少女の持つ銃が、立て続けに火を噴いた。
(なんだ、あの銃……)
軍曹や周囲の憲兵たちにとって、銃と言われれば真っ先に思い浮かぶのがイライナ・マスケットである。
金属製の部品と機関部を、ハンドガードと一体化した木製ストックで包み込んだような伝統的なスタイルで、基本は前装式の単発銃。それが彼らにとっての”銃”である。
しかし、突如として現れたあの冒険者たちの持つ銃は、何もかもが違っていた。
1発、2発、3発。当たり前のように、再装填らしきアクションすら見せずに立て続けに弾丸を連発しているのである。連発銃と言えば、最近普及したペッパーボックス・ピストルがあるし、西のアメリア合衆国にあるダンジョンからは、”リボルバー”と呼ばれる新たな連発銃が発掘されたばかりだと聞いている。しかしいずれもせいぜい6発から9発程度が限界で、威力も十分とは言い難い。
そういう知識があるからこそ、憲兵たちにとって”それ”は異質なものにしか見えなかった。
当たり前のように10発以上も連発し、単独で弾幕を張る事すら可能な小銃―――いったいどんな仕組みであのような速射を可能としているのか、と驚愕する軍曹の目の前で、今度はメイドの持つ別の銃が火を噴く。
明らかに異質で―――この世界の技術水準を遥かに超越している武器と、それを扱う冒険者ギルド。
驚愕する一方で、憲兵たちは思った。
彼らが牙を剥いたのが自分たちじゃなくてよかった、と。
戦場は地獄だ、とよく表現される。
その片鱗を目の当たりにしたような、そんな感じがした。
焦げる木材の臭いに血の臭い、肉の焼ける臭い。
その辺に散らばる瓦礫に、残骸の山から覗く人の身体の一部。
これらが作り物―――そう、偽物だったらどれだけ良かっただろう? ちょっと心臓に悪い、くらいで済んだかもしれない。
しかしこれは、それどころじゃない。
精神を直接穿ってくるような、そんな衝撃がある。こうして歯を食いしばり、肩に反動を感じていなければ、たちまち胃の中の昼食を石畳の上にぶちまけていただろう。
相手はそういう連中だ―――そういう事を平気でやってしまう連中だ。
ヴェープル12モロトでワリャーグの戦闘員を狙いながら確信した。彼らにはルールというものがない。ヒトとして持ち得る筈のモラルも何も、あったものじゃない。当たり前のように超えてはならぬ一線を跨いでくるような連中―――彼らはそうなのだ。
バガンッ、とヴェープル12モロトが吼える。散弾の代わりに装填された低致死仕様弾薬『テーザーXREP』が飛翔し、弾頭部をワリャーグの戦闘員の肩口にめり込ませる。
こいつは狩猟用の散弾でも、突入用のスラグ弾でもない。運動エネルギーで相手の肉体を食い破るのではなく、弾丸を撃ち込んで相手に電撃を浴びせ、感電させることで無力化を狙う類の弾丸だ。
とはいえ火薬の力で撃ち出されている事に変わりはなく、命中させる部位によっては対象を死に至らしめる可能性も有り得る。
「カッ……!?」
被弾してもなお斧を振り上げ、突っ込んで来ようとしたワリャーグの戦闘員の身体がぶるぶると痙攣した。先ほど命中したテーザーXREPから、今まさに電撃を浴びせられているところなのだ。
電撃による筋肉の痙攣とあっては、アドレナリンによる痛覚の麻痺だろうと関係ない。否応なしに屈し、服従するしかないのだ。
口から涎を垂らしながら、なおも立ち上がろうともがくワリャーグの男。そいつの顔面を思い切り蹴り上げて気絶させてから後退、20発入りのドラムマガジンを予備のマガジンと交換する。
ヴェープル12モロトのベースになっているのはRPK機関銃。そのRPKも元を辿ればAKの系譜に属する銃だから、使い方も似通っている。マガジンをやや銃口側に傾けるようにして取り外し、新しいマガジンを装着してコッキングレバーを引けばいい―――この際、マガジンを前方に傾けながらの装着になるので、フォアグリップの搭載位置によっては再装填を阻害する結果となる。
再装填という最大の隙をすかさず埋めてくれたのがクラリスだった。QBZ-97のセミオート射撃でワリャーグの戦闘員の足を撃ち抜き、その動きを止めつつ無力化していく。
彼女のアサルトライフルに装填されているのは実弾だ―――だから、狙うところをきっちりと狙えば相手を殺せる。
今回の戦いはいつもとは違う。今までの戦闘、特に対人戦では警備員やら憲兵が相手だった。無力化はするが殺さない、これが俺たちの鉄則だ。血盟旅団はあくまでも義賊であって殺戮集団ではない。いくら大義を成すためとはいえ、血を流し過ぎればやがて自分たちが断頭台へ送られる。かつてのマクシミリアン・ロベスピエールのように。
だから強盗に入る時はなるべく相手を殺さない、これを徹底している。
だが―――この海賊連中は違う。
こいつらは血を欲している。殺戮と略奪を何より望んでいるような、そういう連中なのだ。
今回に限り、殺さないようにという情けはかけなくていい―――遠回しとはいえそう命じていたにもかかわらず、クラリスはまだ俺の命令に忠実に従っていた。「殺すな」という最初の命令に。
クラリス、違うんだ。
それはもう、命令なんかじゃない。むしろ呪いだ、枷の類だ。
自分が危ないと思ったら、その時は―――。
パパパンッ、とモニカのHK13が大量の弾丸を容赦なく吐き出す。ドラムマガジンにぎっしりと詰め込まれた5.56mm弾が豪雨の如く放たれ、市場から進もうとするワリャーグの一団を路地の一角に釘付けにする。
カトラスを両手に持ち、パルクールの要領で壁を蹴って肉薄を試みたワリャーグの男(狼の獣人だ)に至近距離で雷球を放って感電させつつ、周囲を確認した。
シスター・イルゼは攻撃よりも負傷者や逃げ遅れた民間人の救助を優先しているようで、たった今瓦礫の下敷きになっていた女性を助け出したところだった。
彼女に連中の注意を向けるわけにはいかない。むしろ自分が囮になるつもりで、俺は前に出る。ドムンッ、とヴェープル12モロトの銃撃でワリャーグのライフルマンを昏倒させ、ショットガンから手を離す。
指先が足元の石畳に触れるほど姿勢を低くしつつ、身体中の魔力の波形を調整。加圧しながら体外に放出すると、バチッ、と蒼い電流が奔った。
「おい、アイツやばいぞ!!」
ワリャーグの1人が叫んだのが聞こえた。間違いなく、その視線はこっちを向いている。
「クソッタレが、魔術師か!」
「やれ、アイツを殺れ!!」
よし、良い感じに注目が集まった―――それと同時に攻撃が激化、一気に俺の方へと大量の弾丸やらボウガンの矢やらが飛んでくる。
そりゃあ大通りのど真ん中で、こんなに派手に魔力を放出していれば当たり前だろう。
周囲に遮蔽物無し―――普通に考えて、このままでは俺を待つのは無残な死だろう。向かってくるのは大量の鉛弾にボウガンの矢、良くても致命傷である。
―――前の俺だったら、な。
マスケットやボウガンから放たれた、球状の弾丸に大量の矢。飽和攻撃という表現が適切と断言できるほどの集中攻撃だったが―――それらの攻撃が、俺の身体を傷付ける事は無かった。
着弾する寸前―――弾丸も矢も、急に進路を変更したかと思いきや、不可視の防壁に受け流されたかのように逸れていったのだから。
「―――は?」
「馬鹿な……!?」
上手くいった。
訓練の成果が実戦で発揮されたことに、ミカエル君は満足してにんまりと笑う。
―――磁力防壁。
魔力を磁界に変換、周囲に展開する事で主に金属に影響を与える事が可能な魔術。その気になれば金属の塊を浮遊させたり、相手に投げつける事も可能なそれを防御に利用したのだ。
今、俺を中心とした半径1mの範囲に形成されている磁界……これがある限り、少なくとも銃弾や金属製の矢が命中する事は絶対にない。
これが現時点での”最強の盾”だ。
そしてお次は、こっちが反撃する番である。
射線上にワリャーグ以外人影無し、怪我人無し。
なるべく殺さない程度に加減しながら、石畳に触れた指先を全力で振り上げた。まるでその軌跡をトレースするように蒼い雷属性の塊が奔ったかと思うと、5×2、合計10発の雷の斬撃が、ワリャーグの戦闘員たち目掛けて疾駆していく。
雷属性魔術、”雷爪”。
海賊たちは大慌てで逃げていくが、猟犬の如く大地を駆ける斬撃から逃れられる筈もない。
”雷獣”め、と誰かが憎たらしそうに悪態をついた直後、バヂンッ、とスパークのような乾いた音がアレーサに響いた。
※マクシミリアン・ロベスピエール
フランス革命時代の革命家。対立関係にある政治家や貴族を片っ端から粛清した結果、仲間や民衆からの支持を得られなくなっていき、最終的にギロチンで処刑された。




