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最悪な現実は、最悪なタイミングで訪れる


「はい、ヴォジャノーイ幼体の規定数以上の討伐を確認しました。管理局に通達しておきますね」


「よろしくお願いします」


 信号弾を目印に確認にやってきた職員へそう言いながら、信号弾射出用のフリントロックピストルを返却。受け取ったそれを革製のポーチに収めた職員は、ぺこりと一礼してから葦毛の馬に跨って、蹄の音を響かせながら立ち去っていった。


 さてさて、これで管理局の受付でギルド名と代表者の名前、受けた依頼を照合して報酬が支払われることになる。12000ライブルは俺たちのものだ……何に使おうかなー、なんて考えている俺の隣では、機甲鎧パワードメイルの収容作業を30分前に終えたパヴェルが、でっかい中華鍋を火にかけて何かを茹でているところだった。


 なんかさっきからやけにニンニクとか山椒の匂いがするなあ、と思ってたんだが、何を茹でてたんだろうか。


「何してんのさ」


「いや……アレよ、ヴォジャノーイ茹でてんのよ」


「いやいや何してんのさ」


 中華鍋の中には、それはそれはもう綺麗に表皮を剥がされた肉片が浮かんでいて、ぐつぐつと沸騰する熱湯の中で不規則に揺れているところだった。ヴォジャノーイ、特に幼体の表皮は保湿のために粘液で覆われていて、とてもじゃないが食べようという気は起こらない。おまけにこれ以上ないほど生臭いので、食べるのであれば臭みを消すためにスパイスをドバドバ使わなければならないだろう……そういう事もあって、ヴォジャノーイの幼体に手を出す人は稀である。


 ちなみにカエルのような姿に成長したヴォジャノーイの成体の方はというと、脚の肉が鶏肉っぽい味で大変美味なのだとか。イライナ地方のアレーサ付近では珍味とされ、美食家がそれなりの高値で購入していくという。他の部位はというと泥臭くて食えんそうだ。


 小さなまな板の上でニンニクと鷹の爪を包丁で刻み、灼熱の中華鍋の中へ。やがて熱湯の表面に夥しい量の灰汁が浮かび始め、パヴェルはそれを掬ってその辺にぶん投げ始める。


 いや、香りは良いのよ(山椒のおかげで)。でもね、肝心な食材がアカンのよ。なぜ不味いという結論が出ている食材に敢えて果敢に挑む……?


 灰汁が出なくなってから、火を消して冷ますこと数分。ぐつぐつと煮えくり返っていた中華鍋の中身も大人しくなったところで、パヴェルは菜箸みたいにでっかい箸を使って肉片の1つを掴み、冷ましてから口へと運んだ。


 ちゃんと火が通ってる筈なのに、俺の居る場所でもはっきり聴こえるほど、ぐちゃあ、とグロテスクな音が聞こえた。おかしい、確かに火は通っている筈だ。見た目は魚の煮つけみたいな感じになってるのに、なぜそんな湿った音がするのだろうか。


 ニチャニチャと食欲の失せる効果音を響かせながら咀嚼するパヴェル。ポーカーフェイスを気取る彼の顔に脂汗が浮かんだかと思いきや、やたらと長く咀嚼する彼の身体がプルプルと痙攣を始める。


「ご主人様、あれって……」


「これアレだ、不味くて飲み込めないやつだ……」


 そうなのかパヴェル? そうなんだろパヴェル?


「……で、味は?」


「……」


 無言で親指を立てるパヴェル。美味いから食ってみろという意味なのか、それともこれ見ても分かんねーのか察しろ、という意味なのか。九分九厘後者だよなあコレ、と思っていると、キンキンに冷えたタンプルソーダを片手にモニカが格納庫から降りて来た。


「ふー、やっぱり一仕事終えた後のタンプルソーダは格別ねぇ! ん、アンタら何してるのよ?」


 中華鍋の前でひたすら咀嚼を繰り返すパヴェルの方を見て、その中身に興味を示すモニカ。コレ止めた方が良いんだろうか? いやでもネタ的には美味しい展開になるからこのまま見てた方が良いんじゃないだろうか。


 良識と芸人魂が心の中で正面衝突を起こしている間に、パヴェルの方へすたすたと歩いていったモニカが、彼から箸を借りて茹で上がったヴォジャノーイの肉片を摘まんだ。


「へー、良い香りじゃない。コレ東洋のスパイス使ってる?」


「……」


 うん、うん、と首を縦に振るパヴェル。何だお前、止めないのか。お前も道連れが欲しいと言うのかパヴェル。


 いやコレ吐くぞ? モニカ絶対吐くぞ、今月の給料全部賭けても良い。


 これやっぱり止めた方が、と手を伸ばした頃にはもう全てが終わっていた。ぱくっ、と茹で上がったヴォジャノーイの肉を口へ放り込むモニカ。咀嚼した瞬間にまたあのぐちゃあ、という生々しい効果音がここまではっきり聴こえ、彼女の顔が青くなる。


「クラリス」


「はい、ご主人様」


「モザイクを」


「はい、ご主人様」


 ポケットから取り出したモザイクを広げ、パヴェルとモニカの前にドドンと置くクラリス。次の瞬間、ついに生臭さに耐えきれなくなったパヴェルとモニカの2人が、ベルリンの壁の如く立ち塞がるモザイクの向こうで盛大にやらかした。


「「おえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……」」


「……というかお前、何でモザイク常時携帯してるんだ」


「自主規制用ですご主人様」


「さすが」


「他にも謎の光も用意しております」


 何だその品揃え。


 まあいいや、謎の光があるならアレだな、敵の攻撃で服が破けても安心だな……たぶん。


「ちょ、ちょっとアンタ、何よコレ!?」


「ヴォジャノーイの幼体茹でてた……」


「はぁ!? バッカじゃないの!? あんなぬるぬるしたキモイやつ食べれるわけないでしょ!?」


「食ってみたら美味しいかもしれねえじゃねーか!!」


「生臭くてぬるぬるしてて食べれたもんじゃないって結論出てるでしょ!?」


「だから山椒やらニンニクやら鷹の爪で臭い消そうと努力したんだよ!」


「努力は無駄だったなパヴェル……」


 なんだろ、一方的に虐殺されたヴォジャノーイたちの最期の足掻きにも思えなくもない。


 よりにもよって冒険者の胃袋を破壊するとは……泥濘の捕食者ヴォジャノーイ、恐るべし。













「なんか冷えたらゼリーになったんだけど」


 依頼を終え、アレーサへと戻る帰り道。機関車の運転をルカに任せ、食堂車で夕食の仕込みをしていたパヴェルが、困惑気味に鍋をカウンターの上に置きながら告げた。


 中に収まっているのは、やっぱり例のアレだった。ヴォジャノーイの幼体を茹でたやつ。一応は鷹の爪やらニンニクやら山椒やら、他にも生姜っぽい匂いも漂ってくる。是が非でもあの生臭い匂いを何とか消そうとしたパヴェルの涙ぐましい努力が伝わってくるが、結局は徒労だったようだ。


「ナニコレェ」


「なんかコラーゲンっぽくない?」


 そう言いながらスプーンを取り出し、ゼリーと一緒に肉片を掬って口へと運ぶパヴェル。しかしあの気色悪い食感と生臭さはなお健在だったようで、一度咀嚼した瞬間に顔色が変わる。


 待て、お前なんで不味いって知ってて食った!?


「モザイク」


「はい、ご主人様」


「オロロロロロロロロロロロロロ」


 芸人魂? いや、あの……食材を無駄にしないようにするその精神は本当に評価されるべきだと思う。近年社会問題化してるからね、フードロス。ちゃんと命を頂いて生きてるんだという事を理解しているからこそ、食べ物を残さないよう頑張ってるんだと思うんだけどさ……どーするのさ、コレ。


「ミカ……食べる?」


「遠慮しときます」


 ごめんパヴェル、俺まだ死にたくない。


 やんわりと断りつつ、鍋の中を覗き込んだ。見た目はアレっぽい、なんだっけ……アレだ、イギリスのウナギゼリー。ウナギの切り身を茹でてから冷やし、ウナギの身から出るコラーゲンでゼリー状に固めたやつ。食べたことはないけれど、あれもなかなか生臭さがヤバいらしい。あと何より見た目がヤバい(ここ重要)。


 見た事の無い人のために述べておくが、まあ……食欲をそそる外見ではない、とだけは言っておく。


 何なんだろうね、ヴォジャノーイの幼体の肉にはコラーゲンが豊富なのだろうか。まさかゼリー状に固まるなんて……。


「そういやさ……オエッ、さっきちょっと情報が入ってきたんだが」


「どーしたのさ」


 すっ、とコップ一杯に水を注ぎ、彼に差し出した。


「ワリャーグの連中の動向を探ってたんだが、連中……ついにズミール島以西でも動きを見せたぞ」


 目を細めた。


 ズミール島―――黒海に浮かぶ、ノヴォシア帝国の領土だ。一応は無人島という事になっており、固い地盤に飲み水の確保の難しさなどから人が住むのに適した場所とは言えない(何より面積がそれほど広くない)。一応、昔はそこに砲台を設置し、黒海の対岸に位置する”アスマン・オルコ帝国”からの侵攻に備えた防衛拠点とした事もあるそうだが……。


 今では立派な無人島であり、岩塊だらけのズミール島には人っ子一人いない。


 そしてそのズミール島が、これまではワリャーグの活動範囲を制限する”境界線”としての役割を果たしていたのだそうだ。


 今までのワリャーグの活動範囲は、ズミール島以東の海域とされていた。それを西へと越えて進出して来ようものならば、虎の子の装甲艦を擁する黒海艦隊が出てきて殲滅されるのが目に見えていたからだ。


 しかしその均衡は、突如として崩れ去る事になる。


 原因は1年前に実施されたという、ノヴォシア帝国海上騎士団本部による海軍戦略の見直しだ。依然としてアスマン・オルコ帝国との睨み合いは続くものの、両国間の関係改善が進みつつある事と、聖イーランド帝国との北方海域での小競り合いが激化の一途を辿りつつある事もあり、黒海艦隊の主力は北方艦隊と太平洋艦隊へと引き抜かれ、黒海艦隊は必要最低限の兵力のみを残す事となったのである。


 残ったのは旧式の軍艦に貧弱な武装、そして経験の浅い若手の水兵たち。


 アルミヤ半島を根城に破壊の限りを尽くす海賊連中ワリャーグがこれを黙って見ているわけがない。いつかはこうなるだろう、と俺も見ていたが……。


「アスマン・オルコ帝国との”定期便”が襲われたらしい」


「定期便ってアレか、交易品を乗せた輸送船か」


「ああ。乗員は全員殺され、物資も奪われた。アレーサ沖には輸送船”ガヴリール”が大破、炎上した状態で漂流していたらしい」


 頭を掻いた。


 ズミール島以西でのワリャーグの活動。ついにアルミヤ半島近海で”獲物”が現れなくなり、こっちにも手を伸ばしてきたという事か。もしそうなら、真っ先に狙われるのは交易で栄える港町アレーサ……それしか考えられない。


 嫌な予感しかしないなぁ、と思いつつイリヤーの時計を開いた。黒曜石を黄金で縁取った美しい懐中時計の針は狂うことなく、常に正確な時刻を示し続けている。


 現在は17時15分―――アレーサに戻ったら報酬貰って夕食だなあ、なーんて呑気に考えながら席を立った。


「どこへ?」


「ちょっと射撃訓練してくる」


 最近は機甲鎧パワードメイルの操縦訓練ばかりで、自分で銃を撃つ時間が減ってしまった。いや、銃の出番が訪れないのは良い事なのだが、あまり機会が減ってしまっては技術が錆び付いてしまう。


 クラリスを連れ、食堂車から3号車へ。メニュー画面を出してライフルを召喚、クラリスの分も用意し、一緒に射撃訓練場のレーンの前に立つ。


 目の前の赤いボタンを押すと、ブザーと共にレーンの向こうの標的が起き上がった。


 人の形をした、木製の標的だ。


 ハイドラマウント付きのAK-19を構える。左手でM-LOKハンドガードを横から握り、指をハンドストップに引っ掛ける。そのまま手前側に銃を引っ張るように力をかけ、ストックを右肩に密着させた状態で引き金を引いた。


 このスタイルが一番やりやすいのよね、と思いながら的の足を撃ち抜く。


 実戦だったら致命傷とはならない部位―――相手を殺す恐れが比較的少ない部位。


 実は、訓練でも未だに標的の頭を狙った事がない。勇気を出して頭を狙ってみようと思ったことはあるが、躊躇ってしまいできなかった。


 兵士として見たら失格だろう。戦場で敵兵と遭遇した時に、情けをかけてしまい敵を殺せない、となってしまっては話にならない。けれども俺はあくまでも冒険者(時々強盗)であって兵士ではなく、銃も相手を殺す道具というよりは身を守る道具だと考えている。


 できれば相手を殺したくない―――そういう理想を掲げる一方で、いつかはそれが限界に達するであろう事も理解している。


 ―――世の中には、話の通じない相手もいるのだ。


 ダンッ、と標的の足を撃ち抜く。28、27、26、25……頭の中で残弾をカウントしながら、次から次へと的の足だけを撃ち抜いていく。


 例えばだ、学校のクラスに置き換えて考えてみてほしい。40人の生徒が居るクラスがあったとしよう。クラスの中にいる40人全員と仲良くする自信があるかどうか? 絶対に1人か2人、あるいはそれ以上、コイツとは一生かかっても仲良くなれない、話が合わないと思う相手が居る筈だ。


 何故かというと、価値観も何もかも異なるからだ。クラスの全員が全員アニメが好きというわけではないし、アイドルに興味があるわけでもない。十人十色とはよく言ったものである。


 そう、学校のクラスの時点でコレだ。ではこれが町、県、地方、国といった感じでグレードアップしていくのを想像してみると良い。最終的に国際社会レベルにまで膨れ上がったコミュニティの中に、いったいどれだけ『話が合わない』相手が居るだろうか?


 そういう事だ。


 そして過激な思想の下に動いている連中に限って、問題が発生した時に対話での解決は100%不可能と言っていい。


 そういう”話の通じない過激な連中”と遭遇してしまった時、俺はどうするべきか?


 相手の良心を信じて語り掛けるか、和解は不可能と断じ相手を殺すか。


 できれば前者がベストなのだが……その結果、俺が殺されてしまったり、仲間が命を落とすような結果になってしまう恐れがある。相手を殺さないという俺の甘さが、かえって仲間たちの枷になる可能性があるのだ。


 既にその兆候はあった。以前、暗殺ギルド『クルーエル・ハウンド』の連中に襲われた時だ。あの時、狼犬の剣士と戦っていたクラリスは明らかに手加減をしていた。本気を出していたら、もっと早い段階で叩き潰す事も出来ていただろうに。


「……」


 結局、甘いのは俺か。


 そろそろ覚悟を決めるべきなのかもしれない。


 ―――この手を、血で汚す覚悟を。


 マガジンの中身をそろそろ使い果たすところで、スピーカーから聞きたくない音が響いた。


 ―――警報だ。


 甲高い電子音が特徴的なこの警報は、『総員戦闘配置』を意味する警報。何だ、敵襲か、と半ば慌てながらも射撃訓練場を後にし、2号車のタラップを駆け上がった。天井のハッチのロックを解除してから押し上げ、第二銃座から身を乗り出す。


「……!」


 そういえば、そろそろアレーサが近かった。


 それを思い出したのと―――線路の続く先にある町、アレーサから火の手が上がっているのが視界に入ったのは、同時だった。






《総員戦闘配置、繰り返す、総員戦闘配置! ワリャーグがアレーサへ侵攻した模様! 当列車はこれより、アレーサへこのまま突入する! 総員、戦闘配置のまま待機せよ! 繰り返す、総員戦闘配置―――》






 最悪だ。






 最悪な現実は、最悪なタイミングで訪れる。




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― 新着の感想 ―
[一言] パヴェル、お前何とか食おうとして意地になってるだろ 人間って何でも食うあたりおかしいよな(アボカド、玉ねぎ、フグとか) 狙ったって頭は意外と当たらんよ、狙撃手連中がポンポン当てるのがおかし…
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