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泥濘の捕食者、ヴォジャノーイ


 ヴォジャノーイ。


 主にイライナ地方の水辺に生息する、カエルのような姿の魔物である。


 秋に産卵し冬を越して、卵は春先に孵化。幼体は雪解けで泥濘と化した大地で過ごし、地面が固まり始める初夏のころまでに急激に成長。オタマジャクシのような姿の幼体からカエルのような生体へと姿を変え、それ以降は地上で生活するようになる。


 幼体時はえら呼吸、生体へと成長すると肺呼吸へと変化する両生類。この辺はみんなよく知ってるカエルの生態とほぼ同じなんだが、人間に牙を剥くという点で大きく異なる。


 生体に成長してしまえば雑食となり、野菜から果実、小動物から人間まで幅広く捕食する危ない存在になるんだが、幼体に限っては肉食なのだ。水辺に不用意に近付いた動物を泥の中へと引き摺り込み、そのまま骨も遺さず喰らい尽くしてしまう。しかも大量の卵(あのゼラチン質のやつに包まれたアレだ)を大漁に産卵する、つまりは幼体が大量に生まれてくるので、春先になるとこいつらのディナーにされてしまう犠牲者が後を絶たない。


 図鑑を開いた。ザリンツィクで購入した最新版の魔物図鑑には、別の冒険者が討伐したヴォジャノーイ幼体の死体の写真とイラストが掲載されている。全体的な形状はカエルに成長しつつあるオタマジャクシのそれに近く、楕円形の胴体に長い尻尾と前足がついたような形状をしている。前足の指は3本、指と指の間に水掻きがあり、泳ぐ際の方向転換や急加速を可能にしているのだとか。


 口は胴体前部にあり、胴体の半ばほどまで裂けている。その中には小さくも鋭いノコギリのような牙が不規則にびっしりと生えていて、一度喰らい付いたら絶対に離さない。


 そのくせに、目はくりくりとしていてなかなか愛らしいのだ。泥や砂塵から眼球を保護するために瞼が二層になっているが、視覚そのものはあまり良くは無く、基本的に音を頼りにしたり、地面を伝う振動で獲物を探るのだとか。


 幼体の一般的なサイズは1.6m程度。そこから成長して2.2m前後までの大きさになるという。


 今回ヴォジャノーイ幼体の姿が確認されたのは、アレーサ東部の”ゾノマンスク”という村の近郊にある沼地。どうやら人里に近いそこで産卵した馬鹿が居たらしく、沼地を通りかかった羊飼いたちの羊が何頭か幼体の餌食になったのだそうだ。


 家畜は彼らにとっての貴重な収入源。1頭でも居なくなれば大損だ。幸いまだ人が犠牲になったという報告は上がってきていないが、被害のリストの中に人の名前が載るのも時間の問題であろう。


 依頼主はゾノマンスク村の村長、依頼内容はヴォジャノーイ幼体10体の討伐。報酬は12000ライブル。


 ゾノマンスク村までは距離がある事と、俺たちがレギーナの家に行っている間に完成まで漕ぎ着けた機甲鎧パワードメイル2号機の稼働テストも行いたいという事から、今回はブハンカではなく列車での移動となる。まあ、今の季節といえばどこもかしこも泥濘だらけだ。ブハンカがスタックしたら面倒な事になるので正しい判断であろう。


 自室で図鑑での情報を頭に焼き付け、席を立った。食堂車とパヴェルの工房を通過して格納庫まで行くと、ちょうどモニカが最終調整を終えたばかりの2号機を身に纏っていて、ルカから色々と説明を受けているところだった。


「いい? 機甲鎧パワードメイルは基本的に操縦者の動きをトレースする形で動くけど、細かい動きは電気信号で補正する仕組みになってるんだ。だから自分の身体を動かすつもりで動かしてね」


「オッケー、任せて」


 そう言いながら、機甲鎧パワードメイルの手の動きを確かめるモニカ。両手を握って、開いて、もう一度に握る。グーチョキパー、と指の動きも確認し、コクピット内の計器類をマニュアル片手にチェックし始めた。


 ちなみにあのマニュアルを作ったのはパヴェル。全部手書きという手間の入りようである。


 これは俺の初号機にも言える事だけど、機甲鎧パワードメイルは操縦者の動きをトレースする形で動く。初号機の場合、俺の体格に合わせた操縦機構を組み込んだせいで3mにサイズアップしてるけど、操縦者の動きをトレースする事と、細かい動きは電気信号を拾って補正する、という点は同じだ。これにより機械っぽくはあるが人間のような動きもある程度可能となっている。


「それと、装甲の一番厚い部位は胸の部分ね。12.7mm弾にはある程度耐えられるくらいの防御力はあるけど、他の部位に被弾したら貫通する恐れがあるから気を付けて」


「なるほど??」


 あくまでも機甲鎧パワードメイルは”歩兵では運用しづらい重火器を運用可能なデカい歩兵”という位置づけだ。歩兵には無い防御力と火力があるが、戦車は依然として脅威となる。


 火力は”APC以上IFV未満”……そんなところか。


「まあ、魔物相手だったらやられる心配もないでしょ」


「油断すんなよ、足元は泥だらけだからな」


 初号機のコクピットに入り込み、計器類のチェックをしながらモニカに言った。


「重量はちょっと重い車程度だけど、底なし沼に嵌ったらズブズブ沈んでくぞ」


「ヒエッ」


《各員へ通達、間もなく作戦展開地域に突入する。機甲鎧パワードメイルは戦闘配置のまま待機せよ》


 スピーカーから響くパヴェルの声。


 ルカにハンドサインを出し、装甲を閉鎖するモニカ。彼女の姿が機甲鎧パワードメイルの武骨な装甲に完全に覆われ、見えなくなる。


「ミカ姉も気を付けてね。ミカ姉の初号機、2号機と比べると重いから……」


「はいよ」


「それじゃ、幸運を」


 ルカに親指を立て、俺もコクピットを閉鎖。迫っ苦しいコクピットの中で鍵穴にキーを差し込んで捻ると、背面のガソリンエンジンが唸りを上げた。マフラーが振動し、排気ガスが格納庫内へと溢れ出る。


 エンジン回転1000rpm、速度計はゼロ。エンジン温度も安全域を維持。H字形のハンドルの近くにあるタコメータをチェックして機体が正常に起動したことを確認、シートに背中をゆったりと預ける。


【認証完了。メインシステム、起動します】


 コクピット前面のメインモニターが立ち上がり、格納庫内部の様子が映し出される。頭部のメインカメラが拾った映像だ。


 格納庫の隅にある制御室に入ったルカが、コンソールを操作して天井のクレーンを制御。一足先に機体を起動させ、ハッチ付近へと移動したモニカ機に武装を搭載していく。


 彼女の武装はブローニングM2重機関銃。20発入りマガジンを装備した、機甲鎧パワードメイル仕様だ。それと左肩にあるハードポイントにサブアームを搭載し、それにクレーンに吊るされて降りて来た武装が搭載される。


 追加で装備されたのは、自衛隊で採用されている”96式自動擲弾銃”。いわゆるオートマチックグレネードランチャー、40mmグレネード弾をフルオートで発射できるという攻撃的な兵器である。


 それを追加で装備した頃には、列車が減速し始めたのがコクピットの中に居ても分かった。やがてブレーキをかけた列車が停車し、格納庫側面のハッチがスライドして解放されていく。


 眩しい光の向こう、露になったのは泥で埋め尽くされた沼地だった。散発的に樹々が生え、大地から突き出た岩塊は苔に覆われている。倒木の表面には紫色のキノコが生えていて、なんともまあ、コクピットの中に居ても湿気が伝わってくるような、そんな環境だった。


『ミカ、先に出るわよ』


「お先に。レディ・ファーストだ」


『あら、紳士的なのね』


「一応貴族だからね」


『―――モニカ、出るわよ!』


 モニカの乗った機甲鎧パワードメイルが出撃していったのを見て、俺も自分の機体をウェポン・ラックの位置まで前進させる。クラッチを踏み込みつつ、ゆっくりとアクセルを踏み込んでいくと、機甲鎧パワードメイルの足が前進を始めた。


 白線が引いてある位置で立ち止まり、ウェポン・ラックへと右手を伸ばす。そこに用意されていたのはブローニングM2重機関銃……ではなく、もっとデカい銃身にデカいドラムマガジン、そしてかなり急な角度のグリップがついた大型の銃だった。


 旧日本軍で採用されていた『九九式20mm機銃』―――ゼロ戦に搭載されていた20mm機関砲、それの旋回機銃仕様である。


 原型となったのはスイスの『エリコンFF 20mm機関砲』、機関砲としての性能や信頼性は折り紙付きだ。


 ハンドガードを追加し左斜め下へと伸びる角度で搭載されたフォアグリップを追加装備したそれを掴み、薬室へ初弾装填。天井から降りて来たクレーンが、肩のハードポイントに予備のドラムマガジンを搭載した予備弾倉ラックを装着していく。


『準備完了。ミカ姉、いつでもいいよ』


「よっしゃ、行ってくる」


 機甲鎧パワードメイルでルカに親指を立て、格納庫から飛び降りた。


 べしゃあ、と派手に泥が飛び跳ねる。一見すると何ともない地面に見えても、その下は底なし沼だったり泥水だったりする事もある。足元には注意して進もう……さもないと機体が水没する羽目になる。


 もしそうなったら「メインブースターがイカれただと!?」って言いながら沈んでやる。嘘だけど。


 一足先に降りたモニカと、随伴歩兵として同行するクラリス、シスター・イルゼと合流し、沼のすぐ近くまで移動した。沼の周囲には既にヴォジャノーイ幼体の活動の痕跡があり、目の前にある倒木の脇に、腹回りを大きく喰い破られた状態で動かなくなっている牛の死体がある。


 既に死体にはハエが集り始めており、絶命してからそれなりに時間は経過しているようだが……。


 さすがにここからもう移動した、というわけではないだろう。まだいる筈だ。連中はこの付近を羊飼いや農民たちが通過することを知っている。ここには美味しい餌があるという事を本能で理解しているのだ。


 ヴォジャノーイたちが嫌う乾燥から身を守ってくれる湿気に豊富な泥、そしてすぐ近くには人の住む村。どんな間抜けでも、こんな優良物件を手放すまい。


『……静かね』


「ああ」


 聞こえてくるのは小鳥のさえずりくらい。どろりとした沼の水面には波紋一つない。


 さて、どう出るか……奴らが動くまで待つか、それともこちらから仕掛けるか。


『ご主人様、餌を使いましょう』


 そう提案しながらクラリスがポーチから引っ張り出したのは、この前売店で購入した豚の生肉だった。勿体ないわねぇ、とモニカが呟く声が聞こえたが、まあ依頼達成のための”投資”だと思えば安いものだろう。豚肉数枚で12000ライブルが手に入るならば安いもんである……たぶん。


 やってくれ、とクラリスに言うと、彼女は豚肉をアンダースローで沼の畔へぶん投げた。ばちゃ、と泥を盛大に跳ね上げ、豚肉が泥濘の上に着弾する。


 さてと……。


 コクピットに持ち込んだラジオのスイッチを入れる。ノイズ交じりに聴こえてきたのは、イライナ出身の女性歌手が歌うラブソングだった。徴兵され戦地に向かう恋人を案じる歌詞で、なんとも涙を誘う曲調である。


 両腕操作用のグローブに手を通しながら、九九式20mm機銃を腰だめで構えて待機。来るならいつでも来い、と心の中で思ったその時、沼の水面に波紋が生じる。


 泥水の中から巨大なオタマジャクシが姿を現したのはその直後だった。全長1.6m、胴体の半ばほどまで大きく裂けた口に水掻きのある前足。ウナギのような長い尻尾に、獰猛さには似合わぬくりくりした大きな目。


 間違いない、ヴォジャノーイの幼体だ。


 俺よりも先にモニカが反応した。12.7mm弾を放ち、ヴォジャノーイ幼体の粘液で覆われた胴体を、運動エネルギーの暴力で粉微塵にする。ドパンッ、とヴォジャノーイ幼体の身体が弾けたかと思いきや、ピンク色の内臓と赤ワインみたいな体液、そして透明な粘液が周囲にぶちまけられた。


 さっそく1体討伐……お見事。


『どう?』


「ナイス」


 こりゃあ俺も負けてられないな、と水面を凝視する。


 思った通り、さっきの振動と音で獲物―――いや、外敵がやってきたと敏感に感じ取ったらしい。ヴォジャノーイの幼体たちが一斉に水面から飛び出し、俺たちに襲い掛かってきた。


「撃て、撃て!」


 ヘッドセットのマイクに向かって叫びつつ、俺も九九式20mm機銃で応戦する。ボムッ、と50口径とも異なる重々しい砲声を響かせながら放たれた20mm弾は、せいぜい1.6m程度の生物を砕くには完全なオーバーキルだった。直撃したヴォジャノーイ幼体の姿が消えたかと思いきや、真っ赤な霧のようなものに姿を変える。


 それはそうだろう。かつての太平洋戦争時、零戦の必殺の20mm機関砲に耐える事が出来た相手は数えるほどしかいない。ほとんどの戦闘機はその強烈な一撃に耐えられず、火を噴いて海へと落ちていったのだという。


 アメリカという強大な大国に挑んだ零戦の牙は、異世界の戦地でも今なお健在だった。


 ボムボムッ、と九九式20mm機銃が吼え、射線上の向こうにいるヴォジャノーイ幼体を片っ端から肉片へと変えていく。もっと堅い敵は居ないのか、と思いながら掃射していると、突然ヴォジャノーイ幼体の群れの一角が爆発で大きく吹き飛んだ。


 モニカの96式自動擲弾銃による砲撃だった。グレネード弾による連続砲撃により相手を制圧することを想定されたそれが、ヴォジャノーイ幼体の群れを効率よく減らしていく。最初はあれだけ血に飢えたピラニアの如く襲い掛かってきたオタマジャクシ共(明らかにもう10体以上倒している)は、もう数えるくらいしか残っていない。


 シスター・イルゼのG3A4によるセミオート射撃と、クラリスのQBZ-97による精密な射撃によって、ヴォジャノーイ幼体の群れは更にその数を減らしていった。


 結局、俺たちが無傷で群れを撃滅し、そのまま掃討戦へ移行したのは5分後の事だった。




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