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妹がいるなんて聞いてない


「この子を身籠ったのは、屋敷を出る前だったわ」


 あうー、あうー、と無邪気に手を伸ばすサリエルの頭を撫でながら、レギーナはぽつりと呟くように言った。愛おしい我が子を撫でるその手には、確かに母親特有の暖かな優しさが宿っている。


 しかしその指に、既婚者であることを意味する指輪は―――伴侶と共に誓った永遠の愛の証は、ない。


 アレーサに帰ってきてからはどうかは分からないが、これだけは言える。


 ”レギーナは未婚である”。


 では、現在彼女の腕の中で甘える赤子は誰との間に生まれた子なのか。サリーを身籠った時期と俺の出生を考えてみれば、何となく想像はつくのだが……。


「……サリーの父は、俺の父親(ステファン)


 頭の中に浮かんだ疑念を口にすると、レギーナは小さく、ゆっくりと首を縦に振った。


 ―――生まれて初めて、人を殺したいと思った瞬間だった。


 あの男は何を学んだのか。我が子を身籠るオリガの代わりにと、出稼ぎの身分故に歯向かう事も出来ないメイドに性欲をぶつけ、その結果として不貞の結晶を生み落とした。それだけでも十分なのに、生まれた俺を存在しない子として17年にも渡って屋敷の中で軟禁、利用できると判断したかと思いきや今度はどこか適当な貴族の家に放り込もうとする始末だ。本当に救いようがない。


 それだけ不名誉を重ねれば少しは学習するものだと思ったのだが、どうやらあのクソ親父は違ったようだった。


「教会に行った日、あったでしょう?」


「うん……まさか」


「そう、あれが原因だったのよ。あなたはリガロフ家にとっては不貞の証、忌み子同然なの。だからあの日の夜、『我が一族の恥部を教会に連れていくとは何事か!』って怒られちゃってね。危うく解雇されるところだったの」


「恥部って……いくらなんでもあんまりですわ!」


 隣で黙って話を聞いていたクラリスが憤る。自然と声も大きくなったが、さすがにサリーがびくりと身を震わせたのを見て、彼女は思い留まってくれた。


「それから何度か不定期的に、旦那様の部屋に呼び出されてね。『自分の子と離れ離れになるのは嫌だろう? 屋敷を追い出されたくなかったら、どうすればいいか分かるな?』って。奥様が居ない時にちょっと、ね……」


 人は、何も変わらない。


 口先だけで「自分は変わった」だの、「これから変わってみせる」とどれだけ並べても、結局それは上辺だけ。根本的な部分は何も変わらないし、人は過去から学ばない。


 親父もそうだったのだろう。レギーナに手を出した結果、公にはできぬ庶子を生み落とす結果となり、一族の名誉に泥を塗る羽目になった。それだけで学んでくれればいいものを、今度は新たな弱みの出来たレギーナに付け込むとは。


 反吐が出る、と言い切ってやりたいが、元はと言えば俺が魔術を使いたいから教会に行きたい、と言い出したのが原因だ。父(一応半分は血が繋がっているけど父とは認めたくない)のやり口は非難するが、原因が俺である以上は向こうを完全な悪とは断じる事が出来ないのだ。


 今思ってみれば、レギーナが俺の部屋を訪れる回数はあの日を境に減ったような気がする。それ以前であればかなーりこまめに、それこそ他の仕事がちゃんと進んでいるか心配になるくらいの頻度で部屋を訪れていたのだが……。


 てっきり俺も十分大きくなったし、それほど手がかからなくなったから他の仕事に集中し始めたのだと思って納得していたが、どうやら真相は違ったらしい。


 自分が解雇されれば、父であるステファンに意見する者が居なくなる。そうなれば、俺を待っていたであろう未来は父上の操り人形。それを防ぐために、彼女はただただ理不尽に耐え続けた。いつか屋敷を巣立ち、自分の力で生きていけるようになるその日まで。


 そう思うと哀しくなったし、同時に父への憎悪は天を突かんばかりにぶち上っていった。いっそのこと、ここからキリウまで戻って殺してやろうかと真面目に考えてしまったほどだ。


「じゃあ、屋敷を出た頃にはもうお腹にサリーが?」


「ええ。出産したのは去年の大晦日よ」


 ということは生後5ヵ月か。


 17歳も歳下の妹……もはや親子みたいな年齢差である。


 それにしても、”ミカエル”に”サリエル”か。レギーナが我が子に天使の名をつけるのは、何かこだわりでもあるのだろうか。


 いつの間にか、レギーナの腕の中からサリエルが消えていた。いったいどこに行きやがったと周囲をきょろきょろと見渡し始めた頃には、既にテーブルの下から這い寄ったサリエルが、まだ小さな手であるにもかかわらず、器用に俺の足を上ってきやがった。


「うお!?」


「あいー、あいー」


 木登りが得意という習性を持つハクビシンの獣人だからなのだろう、普通の人間の赤子と比較すると、身体能力の発達が早いようだ。俺も赤子の頃はこんな感じだったのだろうか。


 そんな事を考えている間に、サリエルは足から腰へ、腰から兄の胸の中へ。この人は母と同類だ、と赤子なりの直感で感じ取ったのだろう。初対面の筈なのに、やたらとぐいぐい来る。


「あっ、サリー……もうっ」


「はははっ、登るの上手だなぁ」


「むふー」


 頭を優しく撫でながら妹を褒めると、サリーは言葉を理解したのか誇らしげに胸を張った。まだ丸くて小さなケモミミが嬉しそうに動いていて、実に可愛らしい。


「ほーら、サリエルちゃん。メイドさんですよー」


 せっかくなのでクラリスにも、とサリエルを抱き上げて彼女の方に近付けると、どういうわけかサリエルは全力で抵抗し始めた。小さな手足をばたばたと動かし、そっちはやだと言わんばかりに尻尾を俺の手に巻き付けて全力で暴れるサリー。転生前に実家で飼ってた猫を風呂に入れようとした時の事を思い出す。


 下手したら大泣きしそうだったので、ちらりとクラリスの方を見てから、サリーをそっとレギーナの腕の中へと戻した。


「ご主人様……」


「赦せ、クラリス」


「ご主人様ぁ……」


 なんでクラリスは嫌なんだろうか。あれか、身内じゃないと嫌とかそういうあれか。人見知りか? さてはコイツ、陰キャの素質を生まれながらにして持ち合わせている……?


 分かる、分かるぞサリー。俺も元陰キャ、その気持ちはよく分かる。クラスに居る体育とかで活躍してるような男子が苦手だったり、教室の隅で数人のオタ友と色々雑談しているのが日課だったり、生息地が基本的に自宅だったり。


 今思えば学校と家と道場くらいしか往復する事の無い前世だったなぁ、と思う。あれ、なんか涙が。


 ともあれ、レギーナも元気そうで何よりだ。キリウでは色々と迷惑をかけてしまったし、嫌な思いもたくさんしただろうから、生まれ育った故郷でゆっくり傷を癒してほしいものである。


「あら、レギーナ。お客さん?」


 母親の腕の中でキャッキャウフフするサリーを見て和んでいると、玄関のドアを開け、大きな荷物を持った老婆が家の中へと入ってきた。まだ腰は曲がっておらず、皺こそあれどかつての美貌を伺わせるお婆さん。何者かと思ったが、身に纏う民族衣装と身体的特徴―――真っ白な前髪に眉毛、睫毛。それに頭から伸びるハクビシンのケモミミで、何となく彼女が何者か悟ってしまう。


「ああ、母さん」


 やっぱり、レギーナのお母さん。つまり俺から見たらお祖母ちゃん。


 尋ねられるより先に椅子から立ち上がった。庶子という立場ではあるが、一応は貴族としてのマナーは教え込まれたつもりだ。主に教師はレギーナだったけれども。


「初めまして、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフと申します」


「リガロフって、キリウの貴族の? あららら、どうしてそんな高貴な身分のお方がこんな家に?」


「ええと、その……」


「私の息子よ、母さん」


「へー、息子……息子ォ!?」


 どさっ、と手に持っていた買い物袋を盛大に落としながらびっくりするお祖母ちゃん。腰抜かすんじゃないかと思ったけど、なんとか踏み止まってくれたようで何よりである。


「ええと、前話したわよね? リガロフ家の庶子の話。実は彼がその子なの」


「え、えぇ……?」


 かなーり困惑するお祖母ちゃん。けれども前にレギーナが俺の事を話していてくれたらしくて、なんとか頭の中で整理がついたらしい。こほん、と小さく咳払いしてから、お祖母ちゃんは笑みを浮かべた。


「初めまして。あなたのお祖母ちゃん、という事になるわね。”カタリナ・パヴリチェンコ”よ」


「よろしくお願いします」


「ふふっ、家族なんだから敬語はよしなさいな」


 それもそうか。


 それにしてもなんだか、変な気分だ。成長してから初めて出会う本当の家族―――実際、どう接していいのかいまいち距離感が掴めない。元陰キャだからコミュ力の低さがそれに拍車をかける。


 けれどもまあ、母も祖母も接しやすそうな人で良かったと心から思った。













「ほら、たくさんあるからね」


「ありがとう。いただきます」


 前世の世界の癖は未だに抜けないな、と思いながら手を合わせ、食卓に並んだチェブレキに手を伸ばす。今夜の食卓にはやはりアレーサ名物のウハーも並んでいて、うっすらと黄色く透き通った美しいスープには、ニンジンにジャガイモ、それから大きな魚の切り身が沈んでいる。


 夕飯は母の家で食べるから、とは既にパヴェルに伝えてある。『まあそんな事だろうと思った、了解。明日は寿司な』と返事が来たので、既に明日の夕飯が楽しみになりつつある。


 やっぱり港町アレーサに来たのだ、海産物は堪能しないと。


 パリパリに揚げられたチェブレキの食感と羊肉の肉汁を楽しみながら、アレーサ名物であるウハーに口をつけようとスプーンに手を伸ばす。


「ん」


 そこで、暖炉の上にある写真に気が付いた。


 レンガ造りの暖炉の上に、白黒の写真がいくつか飾ってある。テーブルからの距離もそう遠くないので、ここからでもどんな写真なのかははっきりと見えた。


 レギーナの幼い頃の写真だろうか。若い頃のカタリナと一緒に、幼いハクビシンの獣人の子供が写っている。カラフルな帯のついた、白を基調としたイライナの民族衣装。頭には花冠まで乗せていて、無垢な笑みを浮かべている。


 その隣には若き日のカタリナと……やけに背の小さな、ハクビシンの獣人が写っている。気のせいだろうか、顔つきは俺にそっくりだ。身に着けているのは黒い水兵服で、帽子には『Ноиёоссий уаясвк зжфвлйуло(ノヴォシア帝国海上騎士団)』とこれ見よがしに刻まれている。


 軍人かな、と思いながらその写真に視線を向けていると、カタリナが微笑みながら、しかしどこか悲しそうな声で教えてくれた。


「あの写真に写ってるのはね、私の夫なのよ」


「じゃあ、俺のお祖父ちゃん?」


「ええ。昔、お祖母ちゃんは港の売店で働いてたんだけど、その時に戦艦の乗組員だったあの人と恋に落ちちゃってね……立派な人だったわ。優しくて、身体は小さいけど背中は大きい、そんな人だった」


 多分、もう故人なのだろう。喉元まで「お祖父ちゃんは今どこに?」という問いが浮かんできたけれど、それは口には出さずに呑み込んだ。


 祖父は海の男だったのか……。


「だから、ミカエルを初めて見た時はびっくりしたわ。主人にそっくりだったんですもの」


「は、はあ……」


 なるほど、このミニマムサイズのボディが一体誰の遺伝だったのか、やっと今分かった。全てのピースが完全に繋がって、一つの答えが浮かび上がる。


 ―――コレ祖父からの遺伝だわ、間違いない。


 だってあの写真。若き日のお祖母ちゃんとお祖父ちゃんのツーショットを見る限りでも、お祖父ちゃんアレだもん、ミニマムサイズだもん。


 目測だけど、若い頃のお祖母ちゃんの身長はたぶん160㎝半ばくらい。目測だから誤差ガバガバかもしれないけど、だいだいそんなもんだと仮定してくれ。納得できないんだったらアレだ、定規で測れ。以上。


 で、話を本題に戻すけど、そんな若き日のお祖母ちゃんと比較するとね、お祖父ちゃんの身長はだいたい150㎝前後……あれ、俺と同じじゃない? 何、コピペ? 祖父から遺伝子コピペされたの俺?


「そっくりですわねご主人様」


「うん、コピペを疑うレベル」


「コピペ」


「ふふっ。主人アンドレイったら、レギーナが生まれた知らせを聞いて甲板で大はしゃぎしたらしくてね? 戦艦のタラップを転がり落ちてアレーサに送り返されたって聞いた時は笑ったけど心配したわ」


 何やってんのお祖父ちゃん。


 いや、娘が生まれた喜びは格別なんだろうけどさ……アレ、確か戦艦とかの艦艇のタラップって角度がめっちゃ急なのよね。写真とか画像でしか見た事無いけど、限られたスペースを有効に使うためなのか、かなーりエグい角度になっているのが一般的なんだとか。


 そりゃあはしゃいで落ちたら痛いよな……ドンマイお祖父ちゃん。


「そういえば、ミカエルは冒険者になったのよね?」


「ああ、そうだよ」


 ウハ―をスプーンで掬い、丁寧に骨の取り除かれた魚の切り身と一緒に口へと運んでいると、サリーに哺乳瓶でミルクをあげていたレギーナが話題を変えた。単純に息子の冒険の話が気になった、というのもあるだろうが、このまま放置していたらお祖母ちゃんの惚気話がヒートアップしそうな気配を敏感に感じ取ったに違いない。俺も何となくそう思ってた。


 まあいいや、土産話もたくさんあるし、法に触れる部分とか”組織”に関する部分を抜きにして話しても良いだろう。


 

「まず最初は何から話そうかな―――」






 

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― 新着の感想 ―
[一言] や り や が っ た あ の 親 父 脅してまでヤルとかサイテーなんですけど! とまあひとしきり暴言は吐き終わったところで。やはり身分の上下がはっきりしていると抵抗も出来ないのでしょうかね…
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