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死者たちの領域


 窓の外から光が消えた。


 ゴウッ、と空気を切る音。列車がトンネルの中に突入し、窓の外が暗闇に呑まれる。


 真っ暗な窓の外を見つめながら、ふと思う。死者たちの世界とはどういう場所なのだろう、と。


 死後の世界と聞くと、天国か地獄―――花畑とか血の池とか、たぶんみんなそういう世界を想像するのかもしれない。俺もそうだ。一面に花畑が広がっていて、そこに亡くなった人たちがいる。そういう世界を想像してしまうが、あくまでもそれは今を生きる我々の想像でしかない。


 本当はどんな場所なのか。それは死者たちに聞いてみなければ分からない。


 本当に花畑が広がっているのか、それともただただ真っ暗なのか。はたまたあの世という概念は存在せず、死者たちの魂は永遠にこの世界を彷徨う事になるのか。死とは常に一方通行で、逆戻りは出来ない。故に誰も死後の世界の本質を知らず、想像で語る他ない。


 1号車にある俺とクラリスの自室。元々は大人2人の宿泊を想定したものだから、2人で住む分には丁度いい広さがある。しかしそんな空間に6人も集まっていれば、兎にも角にも窮屈だった。


 バラバラで過ごすよりみんなで集まっていた方が安全だからと、シスター・イルゼの提案でこうなったのだが……それならブリーフィングルームでも良くないか、と思いながら二段ベッドの上で横になりつつ、読みかけていたマンガを開く。


 二段ベッドの上ではノンナとルカがマンガの回し読みをしているようで、さっきから『2巻どこいった?』とか『3巻のネタバレ禁止ね!』といったやり取りが聞こえてくる。


 天井にある照明は微妙に弱々しく、部屋全体を照らすには足りないかなー……といった程度。


 さっきから床越しにレールの軋むような音が聞こえてくる。そりゃあ40年間もメンテナンスされていない古い線路を、こんなヘビー級の列車が全速力で通過しているのだから軋みもする。むしろ幽霊よりも、途中で脱線する方が遥かに怖いかもしれない。


「ミカ、コレの5巻そっちにない?」


「ほい」


「どーも」


 ”労働戦士ソビエト”といかにも赤いですよと言わんばかりのタイトルが描かれたマンガをモニカに手渡す。確かこれ、労働者や農民の平等を求める主人公が鎌と金槌を操るヒーローになって帝国主義者や貴族と戦うという、共産党の検閲担当者が大喜びしそうな内容のマンガだった気がする。最近イライナ地方でも売れているらしいのだが……大丈夫かこれ、共産主義者ボリシェヴィキのプロパガンダとかじゃないよね?


 幽霊の出るトンネルを通過している最中とは思えないほど、部屋の中にいる仲間たちは落ち着いていた。この通りモニカとルカとノンナはマンガを読んでいるし、シスター・イルゼは自分の部屋から持ち込んだ蓄音機でレコードを聴いている。何という曲なんだろうか……クラシックっぽいが、俺の知っている曲ではない。もしかしたらグライセンの音楽なのかもしれない。バイオリンの綺麗な旋律が、レコード特有のプツプツ……という微かなノイズと共に、部屋の中を流れている。


 それでまあ、クラリスはというと……。


「ふふっ。ご主人様、怖がる必要はありませんよ。クラリスがお守りいたします」


「お、おう」


 そう言いながら、寝そべってマンガを読んでいる俺にしがみついている。口調はいつもと変わらず心強い限りなのだが、獣人も竜人も本音が尻尾の動きとかに現れやすいというのは共通のようで、鱗に覆われた彼女の尻尾は俺の身体に巻き付いていて離れる気配がない。


 ああ、やっぱりガチで幽霊苦手なんだなクラリス……物理なら最強なんだけどねこの人。右ストレートで金庫の扉ぶち破ったりするし。


 アレなんだろうか、物理法則が通用しない相手がダメだったりするんだろうか。それとも単純にホラーがダメなのか?


 とはいえ、俺もホラー系は苦手だ。怖い話とか聞いたらしばらくは夜中にトイレに行けなくなる。


「……ん」


 瞼が重くなり始める。あれ、今って何時だっけ……昼間だったような気がするが、横になっていたせいで眠くなってきたのだろうか。


 読みかけのマンガを枕元に置き、「ごめんちょっと眠い」と告げると、クラリスはそっと頭を撫でてくれた。


「おやすみなさいませ、ご主人様」


 ぎゅっ、と抱きしめてくれるクラリス。ちょっと高めの体温(平熱なんと38℃)と彼女の心音が何とも心地良い。


 母親に甘える子供のように、俺はすぐに眠りについた。


 きっと目を覚ます頃には、トンネルを抜けているだろう……そうしたらアレーサはすぐそこだ。












 しんと静まり返った闇の中。


 そこには明かりもなく、温もりも無い。ひんやりとした空気と底の無い不安が充満している―――そんな暗闇の中で、目が覚める。


「……?」


 あれ、俺は何をしていたっけ?


 まだ重い頭を抱えながら、ベッドから起き上がる。確か俺は皆と一緒に自室に籠もって、トンネルを抜けるのを待っていた筈だけど……眠る前の記憶を何とか思い出しながら部屋の中を見渡すが、仲間たちの姿はどこにもない。


 蓄音機で音楽を聴いていたシスター・イルゼも、二段ベッドの上でマンガを読んでいたルカとノンナも、テーブルを占領してマンガを一気読みしていたモニカも、そして眠る俺を抱きしめてくれていたクラリスの姿も。


 暗闇の中、ここに居るのは俺1人。


 窓の外を見た。タタンタタン、と床下から車輪の音が聞こえてくる。窓の向こうは未だに真っ暗で、照明すらない窓の向こうにはボロボロの壁が、凄まじい勢いで流れていくのが見える。


 という事はまだトンネルの中か……随分長いな、50㎞もあるから当然か。


「クラリス、モニカ?」


 みんなどこに行ったのだろうか……自分の部屋に戻ったのか、それともトイレにでも行ったのか? いや、でもクラリスまで俺の傍を離れるとは考えにくいが……。


 ふう、と息を吐き、ベッドから立ち上がろうとする。


 視線を感じた。


 背筋にドライアイスでも流し込まれたような冷たさを感じ、ハッとしながら窓の方を振り向く。


「……」


 いや、まさか。


 たった今、視線を感じた方向はこっちだ。


 だが―――いや、有り得ない。160㎞/hで走行する列車だぞ?


 メニュー画面を召喚し、サイドアームのMP17を装備。コンペンセイター、ライト、ドットサイトを装備したそれを片手に、部屋の証明のスイッチに触れる。


 こんな時に灯りを消していったのは誰だ、と思いながらもスイッチを切り替えるが、天井の照明は全く反応しなかった。故障なのか、何度スイッチを切り替えても灯りがつく気配はない。


 苛立ってきたその時、一瞬だけ灯りがついた。


 しかしその光がもたらしたのは、決して安堵などではない。


 光がついた瞬間に、暗闇が支配する窓の外に部屋の中の様子が反射する。当然そこには俺の姿も映っているのだが―――MP17を持つ俺の隣にもう1人、見慣れない人影が確かに見えたのだ。




 ボロボロの民族衣装に身を包んだ、髪の伸び切った女の姿が。




「!?」


 ―――何だ、今のは。


 MP17のライトを点灯させ、再び暗黒に包まれた部屋の中を照らし出す。しかしどこにもさっきの不気味な人影は見当たらない。


 クソ、なんだ……何だってんだ。


 身の危険を感じ、ポケットからスマホのような形状の端末を取り出した。仲間との連絡に使っている通信端末だが、画面には”圏外”と表示されている。


 ぺた、ぺた、ぺた。


 湿ったような音がする。


 柔らかい何かでガラスの表面を軽く叩くような、そんな音。


 ―――自室の窓の外に、紅い手形があった。


 小さくて、まだまだ未成熟で、柔らかそうな手形。


 明らかにそれは、子供の手形だった。


 べたん、べたん。


 増えていく。


 窓の外の手形が、だんだん増えていく。





 べた、べた。





 べたべたべた。





 べたべたべたべた。




 べたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべたべた。




 



 

 身の危険を感じ、部屋を出た。


 そこで気付いた。


 シスター・イルゼと一緒に配置して回った聖水の瓶が、全部消えているのだ。


 これは一体どういうことか。


「クラリス、モニカ……みんな、どこだ?」


 その声には誰も答えない。


 息を呑みながら、とにかく部屋から離れる。隣のモニカとシスター・イルゼの部屋をちらりと覗いてみるが、そこには誰もいない。その隣のルカとノンナの部屋も同じだった。照明が完全に消え、ただただ暗く狭い部屋がそこにあるだけだ。


 天井の照明が一瞬だけ点灯すると同時に、背後に人の気配を感じた。


 振り向きながら銃口を向け、暗闇をライトで照らし出す。


「……!」


 しかしそこには誰もいない……気配だけだ。


 いや、違う。


 


 ぺた、ぺた。




 磨き抜かれた通路の床に、紅い足跡が浮かんでいるのが見える。


 そこに”ナニカ”がいるのだ。この世のものではないナニカが。


 じりじりと後ずさりしているうちに、背中が1号車と2号車を繋ぐ扉にぶつかった。息を呑みながら左手を扉のハンドルへと伸ばし、捻って2号車へと逃げ込む。2階へと繋がる階段を駆け上がって、そのまま食堂車へと逃げ込んだ。


 2号車の1階は前半分がシャワールーム、後ろ半分が倉庫になっており、ここの通り抜けは出来なくなっている。だからテンパってシャワールームに逃れようものならば袋のネズミだ。


 食堂車には誰も居なかった。いつもパヴェルが料理を作ってくれたり、ノンナが皿を一生懸命に洗っている厨房の中にも、そしてみんなで食事をする時に使っているテーブルにも、誰もいない。照明がすっかり消えた暗い食堂車の中は、まるで別世界のようだった。


 ライトを消し、息を殺す。近くにあった椅子をドアの近くに積み上げて開かないようにし、床に座り込みながら、バクバクと高鳴る心臓を落ち着かせた。


 何なんだコレは。いったい何が起こった?


 俺が眠っている間に、何が……?


 そもそもこれは現実なのか? 夢の中なのではないか? そう思い手の甲に爪を立ててみるが、当たり前のように痛かった。間違いなくこれは現実で、俺は今……幽霊に狙われている。


 やはりこんなトンネルを通過せず、大人しく回り道をすればよかったのではないか。自分の決断を後悔し始めるが、今更そんな事を言ったところで時間が巻き戻るわけではない。


 こうなったら、やられる前にやるしか……いやいや、落ち着け。幽霊にそもそも物理攻撃が通用するものか?


 打つ手がない。トンネルを抜けるまで逃げ回るしか、今の俺に打つ手は無




















 扉にある、小さな丸い窓。







 そこから覗き込む人影と、目が合った。




















「―――っ!」


 全力で立ち上がり、ドアから離れた。


 べた、べたべた。


 ドアの向こうから何度も何度もその表面を叩くような音がする。扉をぶち破ろうとしているようにも、そしてどういうわけか、助けを求めているようにも思えた。


 助けを求めるだって? いやいや、助けを求めたいのはこっちの方だ。食堂車を突っ切り3号車へ。2階の射撃訓練場は通り抜けできないので、1階のパヴェルの工房へ。


 連結部を飛び越える時に、気付いた。


 トンネルの中に響く音。


 それは風を切る音などではない。


 数十人、数百人の人々の声が織りなす、叫びの旋律だった。


 苦悶の声、絶望の声。


 50年前、このトンネルの中で命を落とした人々の絶叫。それが幾重にも折り重なって、まるで生者を死者の世界へ引き摺り込もうとしているかのように響き渡る。


 冗談じゃない、俺にはまだやる事があるんだ。


 パヴェルの工房と、その後ろにある研究区画を通過。この後ろには格納庫がある筈だ。そう思いながら扉のハンドルに手を伸ばすが、扉にある丸い窓に映る自分の顔のすぐ後ろに髪の長い少女が映っていて―――俺は凍り付いてしまう。


 イライナの古い民族衣装―――すっかりボロボロになったそれに身を包んだ、黒髪の少女だった。


 手も足も頬も痩せ細り、髪もすっかりボサボサになった少女の幽霊。先ほどまで食堂車に居た筈の幽霊が、もう、俺のすぐ後ろに居る。




 手を伸ばせば届くほどの距離に。




 ささやき声がはっきりと聞こえるほどの距離に。





















       置







       イ







       テ







       イ







       カ







       ナ







       イ







       デ


















 意識が遠くなった。









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