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亡霊の巣窟へ


「事故が起こったのは1836年11月13日、午前9時35分。キリウ発、アレーサ行きの列車がトンネルに差し掛かった時の事だそうだ」


 ブリーフィングルームのテーブルから生じた光―――立体映像投影装置により、当時の白黒写真が何もない空中に投影される。黎明期の白黒写真のようで画質は荒く、目を凝らして見てあれが列車、あれがトンネルであれが岩肌、と言った具合になんとか分かるというレベルだった。


 写真に写っているのは、これからトンネルの中へと入って行くと思われるキリウ発、アレーサ行きの旅客列車。トンネルに突入する直前だからなのだろう、どの車両も窓をすっかり閉め切っていて、客車に乗る乗客たちの顔を窺い知ることはできない。


 これが最期の姿になるとは、この時点では誰も予想すらしていないだろう。死とは平等な存在だが、同時に曖昧だ。戦場だろうと平和な国だろうと、誰彼構わず唐突に訪れる。


「脱線か正面衝突か、はたまた崩落に巻き込まれたかは定かじゃないが、アレーサ側の出口に差し掛かったタイミングで列車は消息を絶った。事故の衝撃でアレーサ側の出口は崩落、キリウ側の入り口は列車の客車の残骸が完全に塞き止めていて、救助作業は難航したらしい。それに加えて冬が迫っていたこともあり、気温は既に氷点下。当時の鉄道管理局員が冒険者や騎士団、憲兵隊の応援も受けて残骸を撤去しトンネル内に突入した頃には、運転手を含めた乗客は全員凍死していたのだそうだ」


 資料で知り得た情報を淡々と述べていくパヴェル。いつものジョークを交えた彼の言葉とは違う―――まるで既に魂を抜かれたかのような、ゾッとするほど冷たい声だった。


 この手のホラー系の話に耐性がないのか、さっきから左右に座るクラリスとモニカが俺の手をぎゅっと握ってきたり、尻尾に尻尾を絡みつかせてくる。クラリスに至っては身体が震えてるみたいなんだけど、その震えは気温が低いから……というわけではないだろう。


「事故発生から2ヵ月後、残骸の撤去と崩落した出口の修復を行い、教会の神父に鎮魂の祈祷を施してもらってからトンネルは再度開通した……だが、この事故以降にここを通過する列車は必ず怪奇現象に見舞われるようになったらしい」


「ぐ、具体的にはどんな……?」


「それがな……【窓の外に真っ赤な手形が無数についていた】とか、【トンネル内でずっと無数の人々の叫び声が響いていた】とか、【数人の乗客が行方不明になった】とか」


「「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」」


 びくり、と震えながら抱き合うモニカとクラリス。もちろんその間に居るのは俺だから、頬に2人のおっぱいがぶち当たるわけで……。


 いや、でも何だそれ……ついに死者が生者に牙を剥いたってか?


「それで結局、列車の運転手も乗客も気味悪がってしまってな……事故から6年後、最終的にトンネルは閉鎖。今じゃあ地図からも消されてるって事らしい」


「つまり40年はメンテナンスされてない古いトンネルって事か?」


「ああ、そういう事だ。正直言って幽霊よりもそっちの方が怖い」


 それはそうだろうな、と思う。普通の機関車ならばまだしも、この列車『チェルノボーグ』の機関車はソ連の線路を破壊しまくり失敗作の烙印を押されたことで悪名高いAA-20。粗悪な燃料でも持ち前の馬力を発揮してくれる代物だが、今回ばかりはどうも……。


「ヴァルネンスク・トンネルの長さはおよそ50㎞。だがここを突っ切ればアレーサまではすぐだ。危険なトンネルだが……みんなの意見を聞きたい、というのが団長ミカの意思だそうだ」


 そう言いながら、パヴェルは立体映像を切り替えた。蒼い光の結晶が空中で収束したかと思いきや、上空から見たヴァルネンスク・トンネル内部の構造が表示される。多少のカーブはあれど、減速が必要になるほどの急カーブはない。


 ヴァルネンスク・トンネルの全長は約50㎞。青森から北海道まで伸びる青函トンネルよりちょっと短いくらいか。


「クラリスは賛成です……え、ええ」


「あ、あたしも。べ、別に幽霊なんてここここここ怖くないし? ほら、モニカ様は大人の女だから???」


 嘘つけお前ら震えが止まってねーぞ。身体中の全ての細胞が振動してるんじゃねーかってレベルでガタガタ震えてるんだけど大丈夫かお前ら。床抜くなよお前ら。


 すると、話を聞いていたシスター・イルゼがすっ、と手を挙げた。


「シスター・イルゼ?」


「……その、線路は何ともなりませんが、幽霊であれば何とかなるかもしれません」


「どういう事だ?」


「皆さんには言ってなかったのですが、私……エレナ教のシスターになる前はエクソシストだったんです」


「エク……何の事? ミカ姉知ってる?」


 首を傾げながらこっちを見るノンナに「悪魔退治の専門家だよ」と短く説明してから、もう一度シスター・イルゼの方を見た。


 エクソシスト―――悪魔退治、あるいは除霊などの、怪異や怪奇現象に対抗するためのエキスパートたち。人に取り付いた悪魔や成仏できない幽霊の除霊などを請け負う彼らは、神や精霊、英霊を祀る教会が保有する唯一の実働部隊という側面もある。


 シスター・イルゼがエクソシストだというのは初耳だった。いや、仲間の経歴を根掘り葉掘り聞くのもマナー違反だから、何で今まで黙ってたんだという批判はお門違いなのだが。


「幽霊退治とまではいきませんが、トンネルの中をさまよう彼らから皆さんを守る事はできるかと」


「具体的には?」


「聖水を媒体にして結界を張り、幽霊からの干渉を遮断するんです。完全には出来ないとは思いますが、対策するのとしないのではかなり違うかと」


 完全には出来ない、か。


 依然としてリスクは残るが……しかし、怪奇現象の対処に慣れたエキスパートが居るというのは心強い。


「ノンナ、ルカ、お前らは?」


「俺は賛成!」


「ノンナも。シスター・イルゼが居れば幽霊なんて怖くないよ!」


「……決まったようだな」


 腕を組みながら葉巻に火をつけていたパヴェルは、葉巻を右手の指に挟んだままニヤリと笑った。


 そういやこの幽霊がらみの話が始まってから、彼はたった今初めて笑みを見せたような気がする。


「―――準備が完了次第、当列車はヴァルネンスク・トンネルを突破する」













「それにしても意外だったなぁ、シスター・イルゼがエクソシストだったなんて」


 パヴェルの工房にある、壁際にででんと置かれた大きな窯の中。赤々と燃え盛る炎の中で順調に焦げていく鶏の骨を見つめながら、思った感想を正直に本人にぶつけてみる。


 ちなみに現在進行形で焼き加減がウェルダンを通り越しているチキンの骨は、昨日の夕飯に出たフライドチキンの骨である。やっぱりフライドチキンって骨が有るか無いかで違うよね。俺は骨がある方が好きだけどみんなは?


 あーやべ、昨日の夕飯思い出してよだれ出てきた……ジューシーな食感のチキンにたっぷりの肉汁、そしてサクサクの衣にパヴェル特性のスパイスときた。あんなん美味いに決まってるだろって叫びたくなるレベルである。もちろんモニカ絶叫済み、103dB。


「ふふっ、そういえば言ってませんでしたね」


「やっぱり悪魔退治とかに駆り出されたりした?」


「数えるくらいしかありませんけど」


「へえ……」


 焼けた骨を窯から引っ張り出し、作業台の上へ。用意していた小型ハンマーで、パリパリの煎餅みたいになるまで焼いたチキンの骨を砕いていく。こんがり焼けたチキン、上手に焼けました。


 トントンと骨を砕いていると、後ろで水銀の瓶のコルク栓を抜いていたシスター・イルゼが笑みを浮かべながら、エクソシスト時代の話を始めた。


「あの頃は大変でした。グライセンに居た頃なんですが、全土から悪魔に取り付かれた主人を救ってほしいとか、飼い犬が行方不明になったのは悪魔の仕業だとか、そんな依頼ばかり舞い込んできたんです。私も先生も大忙しでしたよ」


「やっぱり、本当に悪魔っているものなの?」


「ええ、悪魔というのは存在します。けれど、本当の悪魔がヒトに取り付いているケースというのは極めて稀なんですよ」


「そういうもの?」


「はい。大概は行ってみたら単なる夢遊病だったとか、勘違いだったとか、精神的に病んでいて幻を見ただけとか、そういう顛末ばかりでした」


 なんというか、アレだな……信仰心も大事だけど、思い込み過ぎるのもまた問題だな。悪魔は確かに存在するのかもしれないけど、なんでもかんでも理解できない事を悪魔のせいだ、と押し付けるのもどうかとは思う。


 個人的な見解だけど、悪魔ってのはヒトの内に常に潜んでいるものだと思う。それが表に出てくるのは、きっと何かたがが外れた時なのだろう。大切な人を失ったり、自分の夢を踏み躙られる絶望。それが心の奥底の重石を揺るがし、瘴気が溢れ出る。そしてきっと、それが悪魔になるのだ。


 そんな精神論を頭の中で思い浮かべていると、シスター・イルゼが「あ、でも何件か本当に悪魔に取り付かれた人は見ました」と、とんでもない事をさらりと言ったものだから、危うくチキンの骨を砕いていたハンマーが指を直撃するところだった。


「え、マジ?」


「ええ。その人、黒魔術に興味があったみたいで……儀式で本物の悪魔を召喚したみたいなんですが、手順を間違ったせいで身体を悪魔に乗っ取られてたんです」


 そんな人マジでいるのか……。


「うわぁ……」


「凄かったですよ。その人のお家を先生と一緒に尋ねた時、その人庭で放し飼いにしてた鶏を襲って生き血を啜ってましたからね」


「ひぃぃぃぃぃ……!」


 ぴーん、とハクビシンの尻尾が伸びる。ダメだ、あんまり想像したくない。何だよそれエクソシスト案件じゃねーかよ……正直『単なるオカルトだろwww』程度に思ってたけどマジだったわコレ。


「そ、それで?」


「とりあえずベッドに縛り付けて、その周囲に術式を水銀で描いて、私と先生で半日ほど詠唱を続けて悪魔には魔界にお帰りいただきました」


「お、お疲れ様です……」


 半日間詠唱とかなにその地獄、怖すぎる。


 大丈夫だろうか。エクソシストって精神病みそう……いや、ああいう教会の実働部隊になるような人って信仰心が厚い人ばかりだからその辺は問題ないのだろう。宗教というよすがは、それほどまでに人を強くするものなのか。


 砕いた骨を集め、シスター・イルゼが用意していた水銀の中へとぶち込んだ。その辺に置いてあったマドラーで水銀と骨をよく混ぜてから、今度はそれをタンプルソーダの空瓶の中へそっと注いでいく。


 水銀と焼いた動物の骨は、魔術を使用する際に使う触媒の祈祷にも使う基本的な素材だ。だから魔術師になろうとする者の家や拠点には、必ずと言っていいほどストックがある。


 この列車も例外ではなく、パヴェルの工房には触媒用の素材がいくつもストックされている。いつかきっと、ルカやノンナたちが魔術師になると言い出したその時は、触媒の作り方とか教えてあげよう。


 そういえばクラリスって魔術使わないよな……普通に身体能力高いし不要なのかもしれないが、魔術が使えると何かと便利だ。後でおススメしてみるか。それとも無神論者なのだろうか?


 水銀を注いだタンプルソーダの瓶の中に水を注ぎ、コルク栓で蓋をしていく。同じ手順でそれを30本ほど量産してから、シスター・イルゼは言った。


「ではこれを列車の各所に置いて、テープで固定してください」


「これで結界が?」


「ええ。ただ、列車の全域をカバーすることはできませんから、1号車に集中的に置きましょう。後は機関車ですね」


「そうだな……」


 機関車、か。運転を担当するのはパヴェルだろうけど、大丈夫だろうか。


 出来上がったばかりの聖水を持って、とりあえずは1号車へ。一緒に持ってきたテープを使い、水銀入りの瓶をペタペタと床の角や窓の縁、部屋の入口に固定していく。


 祈祷を施した水銀入りの聖水が、霊の干渉を阻む防壁となるのだという。とはいえシスター・イルゼ曰く『私の技量では効果は不完全』との事で、もしかしたら……という事も十分にあり得る。


 一通り固定してから、今度は炭水車脇のキャットウォークを通って機関車へ。運転席ではツナギ姿のパヴェルが、機関車を後進させているところだった。


 もう既に例のトンネル―――ヴァルネンスク・トンネルの入り口が見えている。ただただ暗い亡霊たちの巣窟。40年もの間、そこを通過しようとした者は誰もいない。


 俺たちは果たして無事に突破できるか、それとも40年ぶりの獲物となるか―――全ては幸運の女神さまの気分次第ってか。


「おう、ご苦労さん」


「パヴェルさん、聖水をここに置いていきますね」


「ありがとよ」


 そう礼を言いながらも運転を継続する彼の傍らには、もう既にAK-15があった。取り回しなんぞ知った事かと言わんばかりのロングバレルにグレネードランチャー、PK-120とブースター装備のAK-15。敵兵には有効かもしれないが、果たして幽霊に通用するのだろうか。


 運転席にも3つ、聖水入りの瓶を置いてからテープで固定。これで大丈夫だ。きっとパヴェルを守ってくれる。


「聖水はこれで全部だ」


「了解。んじゃあ後は部屋で待機してろ、何があっても外には出るな」


「はいよ」


 もう既に、ヴァルネンスク・トンネルへと向かう線路のポイントは切り替わっている。


 レバーを操作して後進から前進に切り替えるパヴェル。幸運を、と彼に言い残し、俺とシスター・イルゼは1号車へと向かった。


 どうか無事に突破できますように―――今はただ、神に祈る事しかできない。




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