雪解けと旅立ち
永い、永い冬がようやく明けた。
全てを凍てつかせるノヴォシアの冬。その極寒の世界を生き延びる事が出来るのは、大地の精霊に赦された生命だけ―――大昔のノヴォシア人はそう信じていたそうだ。冬とは大地の怒りであり、あるいは大地がヒトの子に課す試練なのである、と。
絵本でもよくそういうフレーズが用いられている。子供の頃、よくレギーナが読み聞かせてくれた絵本もそんな感じだった。皆、冬に備えるために準備し、その備蓄で冬を越す。それが出来なければ死あるのみ……なんとも苛酷な世界である。
割とマジで、古代のノヴォシア人は何を思ってこんな過酷な地に定住を決めたのだろうか。
さて、そんなミカエル君も今朝ばかりは優雅に砂糖&ミルクマシマシクソ甘コーヒーを優雅にキメてる時間はない。雪解けをついに迎え、出発の日までカウントダウンが始まった以上、やる事はたっぷりある。
「ええと、ジャガイモは倉庫でよかったっけ?」
「ミカ姉、ジャガイモは倉庫の奥の方にお願いね」
「はいさー」
物資の買い出しと倉庫への搬入―――毎日がこの作業に費やされている。
昨日は大量の重油と真水、そして石炭を炭水車に積み込んだ。入りきらなかった分は倉庫へ保管し予備の燃料として利用する予定だ。まあ、結構な量を買い込んだとはいえ質の悪い燃料(工場とかで窯の燃料に使用する基準に満たない粗悪品だそうだ)を安値で買い漁ってきたそうだが、それでちゃんと走れるのだろうか。心配である。
まあ、機関車であるAA-20は元々『粗悪な燃料でも馬力を出せるように』というコンセプトで設計されているソ連の試作機関車である。パヴェルの手によって色々と魔改造されているが、その部分は変わらない筈だ。
さて、俺やクラリス、モニカにシスター・イルゼがこうして物資の搬入作業に追われている一方で、パヴェルとルカはというと機関車の最終チェックに入っている。冬の間、パヴェルは何もしていなかったわけではなく、毎日機関車の保守点検や修理、改善作業を欠かさず行っていた。その最終チェックというわけだ。
ザリンツィクまで来ればアレーサまであと一歩。とはいえここから先は楽勝……というわけではなく、山越えという試練が待っている。それに冬が終わったからといって油断はできない。地獄の冬の終わりを察知し、魔物たちも活動を開始し始める季節でもあるからだ。
”泥濘の春”―――ノヴォシアでは、春はそう呼ばれる。
雪解けによって地面は泥だらけ。舗装されていない道路なんか悲惨なもので、毎年のようにスタックする車を目にする。他にも底なし沼で溺死する冒険者とか、この季節だけ姿を見せる危険な魔物とか。とにかくこの世界は魔境である。
一通り物資を積み込んだのを確認し、シスター・イルゼの元へと駆け寄った。
「これで全部かな」
「ええ、食料品はこれで全部です」
随分積み込んだなあ、と思いながら倉庫を見渡す。機械部品とかはパヴェルの工房に置いているので、ここにあるのは食料品や日用品、真水に予備の燃料くらい。ノヴォシアの鉄道の車両はどれも大型だから、それを改装して用意した倉庫の中にはかなりの量の物資が入る。
これを買い集めるのにどれだけかかったんだろうな、と思う。とりあえず、コレでしばらくは缶詰とおさらばできそうだ。冬の終盤なんか凄まじいもので、どの家庭でも黒パンと缶詰が当たり前になる。血盟旅団も例外ではなかった。たまに蒸かしたジャガイモも出たけど。
「そういえば、アレーサは港町ですわねご主人様?」
「ああ。でっかい軍港があるし、海外の船も入ってくるから色んな品が集まるらしい。ああ、それと海産物も絶品だそうだ」
だばー、とクラリスの口から溢れるナイアガラの滝。涎出過ぎじゃね?
でもまあ、海産物か。元日本人としては楽しみでしかない。運が良ければ17年ぶりに寿司とか刺身にありつけそうだ。
アレーサはイライナ地方南部に広がる”黒海”に面した港町で、古くから漁業や他国との交易で栄えてきた歴史を持つ。そこから東部へ向かうと、イライナから黒海へとL字形に突き出る形で”アルミヤ半島”が鎮座しているのだが、最近はこのアルミヤ半島がちょっと問題になっている……いや、一ヵ月前の新聞が情報元なんだが、どうもアルミヤ半島は『ワリャーグ』と呼ばれる海賊の巣窟になっているのだそうだ。
なんかちょっと心配になってきた。アルミヤ半島とアレーサって目と鼻の先……ってほどでもないが、それなりに近い。それこそ、ワリャーグの連中がその気になれば簡単に襲えるほどに。
今のところワリャーグがアレーサに侵攻したという情報は入っていないが、心配だ。
ふう、と息を吐きながら、とりあえず作業が一段落したので食堂車で休憩でもしようかと倉庫を後にする。階段を上がって、同じ車両の二階にある食堂車に向かおうとしていると、車両のドアのところでモニカが目を輝かせながら何かを見つめていた。
外へと繋がるドアのすぐ近くにある壁。その表面のパネルが展開しており、その中から武骨なフレキシブル・アームが伸びているのが分かる。自在に曲がる事が可能で、なおかつ堅牢なそれの先端部に接続されている物にすっかり心を奪われているようだ。
『ラインメタルMG3』―――ドイツ製の汎用機関銃である。
以前から列車に武装を施すべき、という意見がメンバーから出ていたのだが、あれはその一環として各車両のドアの付近に搭載されたドアガンである。
「おほぉー……コレ素敵……!」
「……」
「見なさいよミカ、この力強いフォルムにこのベルト! 『フッ、俺ぁちょっとばかり危ねえぜ?』って語り掛けてきてるみたい……!」
機関銃を見るモニカの目がね、もうアレなの。歳上の男性に恋焦がれる乙女の顔なの。
とはいえ、危ねえのは確かにそうだ。
MG3の原型となったのは第二次世界大戦でドイツが製造した”MG42”という機関銃である。まあ、それの元になったのにも”MG34”っていう傑作があるんだが、長くなりそうなので割愛する。ただのミリオタの長話になってしまいそうだ。
MG42は元になったMG34よりも低コストで製造できるという強みがあったんだが、特に恐ろしかったのはその連射速度だ。高威力のライフル弾を凄まじい速度で遠距離からばら撒いてくるものだから、それを相手にする連合軍の兵士からしたらたまったもんじゃない。弾丸の暴風雨に突っ込んでいくようなものだったという。
MG42の設計自体にも特に大きな欠陥はなく、攻撃力も『ヒトラーの電動鋸』などと呼ばれる有様で、極めて完成度は高かった。後続となったMG3はそれの使用弾薬を西側諸国で一般的な7.62×51mmNATO弾に変更したものだ。
この前試射したんだけどね、ヤバかった。いつか撃つ機会がまたあるとは思うんだが、もうね……”電動鋸”に例えられるあの銃声を生で聞く日が来ようとは。アメリカにでも行かなきゃそんな経験できないと思ってたもんだからさ、ね?
ちなみにモニカは試射で逝きかけた。ちょっとこう、青少年の健全育成にガチで支障出そうな顔だったとだけ言っておく。そりゃあもうPTAを敵に回すレベル。やべえよアレ。
さてさて、武装と言えば他にも。
食堂車には向かわず、そのまま3号車へ。
3号車は一階が工房と研究施設、二階が射撃訓練場となっている。だが今日は射撃訓練場に入る手前のところに用事があった。
いつの間にか、射撃訓練場の入り口の脇に見慣れないタラップが追加されているのである。
視線を上に向けてみると、しっかりと閉ざされたハッチがある。タラップを上がってハッチのロックを解除して、雪諸共ハッチを押し上げると、冷たい風が車両の中へと流れ込んでくる。
外だ。
客車の屋根の上―――3号車の屋根の上へと通じるハッチ。何のためにこんなものを追加したのかと言いたくなるが、その答えはすぐ近くにある連装型のブローニングM2重機関銃を見れば分かる。
対空照準器もセットで搭載されたそれが、ハッチの縁を旋回できるよう搭載されたターレットリングに設置され、冷たい銃身を天空へと向けたまま静止しているのである。
この列車に初めて搭載された武装だ。
今はまだ機銃程度だけど、最終的には戦車砲を搭載する案も出ている。搭載する武装についてはパヴェルと協議を重ねながら吟味していくが、多分新しい車両を調達してそれに武装を集中配置する感じになるのではないか、と思っている。
戦車砲となると、砲弾の収納スペースの問題も出てくるからね……。
とはいえ、現時点ではこれで十分だ。列車の自衛用の武装としては最低でも12.7mm、妥協しても7.62mmという要望が何とか形になったと言ったところか。
まあ、願わくばこれの出番がやってこない事を祈りたいものだ……有り得ないだろうけど。
一応、この連装機関銃の銃座が1号車、2号車、3号車の車両後部上面に1基ずつ配置されている。今後は客車の簡易装甲化とか、機関車の前に警戒車を連結するとか、列車の防衛能力強化のプランも進めていきたい。
とにかく、ここからは周囲の様子がよく見えた。鈍色の空、雲の切れ目から顔を覗かせる太陽も、そして雪がまだ残るホームで顔中を石炭やら煤で真っ黒にしたパヴェルとルカが休憩しているのも、ここからよく見える。
何気なく、ザリンツィクの街を見た。
この煙突だらけの街ともそろそろお別れだな。
そう思うと、ちょっとだけ寂しく感じた。
ホイッスルの甲高い音と共に、レンタルホームへ駆けつけてくれた駅員が手旗信号を機関車へと向けて送り始めた。
機関車から顔を出したパヴェルがそれにハンドサインで応じ、発車許可を下してくれた駅員へ礼を送る。
いよいよだ―――自室の窓からその様子を見ていると、まるで巨人の咆哮みたいな汽笛の音がホームに響いた。何千年もの眠りから目を覚ました太古の巨人が起き上がろうとしているかのような重々しい汽笛の音。
やがて、ぐんっ、と客車が前方へと引っ張られ始めた。雪の残るホームが、黒煙を吐き出す工場の煙突が、段々と窓の縁へ引っ張られ、消えていく。
10月以来か、この列車が動き出すのは。
保守点検を徹底していたおかげか、列車の動きは快調のようだった。粗悪品の石炭を山のように喰らったAA-20のボイラーが炎を勢いよく吹き上げ、大量の蒸気を全身へと巡らせる。そのパワーはまさに怪力という表現が相応しく、重量が増加した客車をものともせずに加速していく。
《えー、ご乗車ありがとうございます。この列車はキリウ発、アレーサ行きとなっております》
相変わらずのパヴェルのアナウンスにちょっと笑いそうになりながら、窓の向こうの空を見上げた。
雲の切れ目から姿を現した太陽が、消えゆく雪原の中に穿たれた線路を―――俺たちの進むべき道を、光で照らしていた。
第六章『ザリンツィクの決戦』 完
第七章『アレーサへの旅路』へ続く
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