波紋
「痛ましい出来事だ」
食堂車でブラックコーヒーを口に運びながら、マカールは険しい表情でそう呟く。
幸い法務省所属の隊員に死傷者は出なかったし、キリウ憲兵隊から派遣された人員にも被害は出なかった。しかし……ザリンツィク憲兵隊から派遣された5名の死亡が確認されるという大惨事になってしまったのは、確かに痛ましい意外に表現する術がない。
こちらの死者は5名……しかもそんなに犠牲者が出たというのに、肝心なデニスの護送にも失敗という有様だ。とはいっても、デニスに関してはそもそも最初からあの機械人間にすり替えられていた可能性が濃厚なので、作戦が成功するとか失敗する以前の問題なのだが。
「完敗……ですね、俺たちの」
「ああ。こんな悔しい思いをしたのはいつぶりか」
「姉上に剣術の訓練で手も足も出なかった時以来じゃないですか」
ぴたり、とコーヒーを飲むマカールの手が止まる。何故それを知っていると言いたげな目で睨んでくるが、ミカエル君は知っているのだ。長女アナスタシアの胸を借りた剣術の訓練で、マカールはアナスタシアに一撃も攻撃を当てる事が出来ずにボコボコにされた事を。
変にプライドの高いマカールの事だ、あの後散々悔しがったのだろう……今のリアクションを見る限りでは図星らしい。その証拠に、腰の後ろから伸びるライオンの尻尾が不機嫌そうに揺れている。
「ともあれ、今回の一件は大事になりそうだ。俺も兄上も、引き続き迅速に事件の関係者の摘発と護送を継続する。何か追加の情報があったら、すぐに教えてほしい」
「分かりました、兄上」
「それにしても……」
コトン、と空になったマグカップをテーブルの上に置くと、すかさずクラリスがそれを拾い上げ、熱々のコーヒーを淹れ始める。兄上もここを訪れる回数が増えたからか、クラリスにすっかり”好みの甘さ加減”を覚えられてしまったらしい。角砂糖2つ、ミルクは無し。リガロフ家には甘党が多い(byマカール)。
深刻そうな顔つきのまま、彼は視線を自分の手に落とした。
「あの兵器はいったい……」
「……分かりません」
あの兵器―――リーネ郊外で俺たちを襲ってきた、あの装甲車の砲塔に脚を生やしたような兵器の事だろう。
全高1m未満、直径1m程度。ソ連の装甲車にBTRシリーズがあるが、あれの砲塔を小型化して昆虫みたいな脚を4本生やしたような、なんとも言い難い姿の兵器だった。おそらく個々の戦闘力ではなく、物量で一気に押し潰すような運用を想定した兵器なのだろう。当然ながらあのサイズだ、人間は乗っていない。
何者かが遠隔操作しているのか、それとも高度なAIを搭載し自立行動しているのか……謎は尽きない。できる事なら1機でも鹵獲したかったのだが、それすらも叶わない。
「せめて鹵獲できれば……」
撃破、あるいは戦闘継続が不可能となった個体は即座に”錆びて崩壊する”という、なんとも厄介な機能まで搭載されている。個人的にはこれが一番痛い……普通の兵器であれば、撃破して戦場に残った残骸を回収し、それがどういった技術で造られた兵器なのか解析する事も出来る。
それだけじゃあない。部品に刻まれているシリアルナンバーを辿れば、それがいったいどこの工場で製造されたパーツなのかまで辿る事も出来る筈だ(こればかりは手間がかかるのでパヴェルのやる気次第になるが)。
しかしあの兵器は―――というよりも”組織”の兵器全般に言える事だが、奴らは痕跡を一切残さない。兵器が撃破されれば内部に搭載しているであろう例の微生物を活性化、そのまま微生物に装甲の表面から内部部品、電気配線に至るまでを喰らわせ、錆びさせることで兵器を解析不可能なレベルにまで自壊させるのである。
おかげで未だに解析は一切進んでおらず、分かった事は『”組織”はこの世界の技術水準よりも遥かに進んだ技術を持っている』事と、『この証拠隠滅は未知の微生物によるものである』事の2つだけ。
でもまあ、無駄じゃあない。どういう技術を使ったのか、現場に残った錆だらけの鉄粉から微生物を隔離し、パヴェルがその微生物を培養し始めた。うまくいけばあの技術を俺たちの”裏事業”にも活用できそうだ。
しかし今は、今回の作戦と……アルカンバヤ村で犠牲になった人々のために、心を悼める時であろう。
「そろそろ雪解けか」
運ばれてきた熱々のコーヒーを冷ましていたマカールは、ふと窓の外を見た。ホームに降り積もる雪の量も、明らかに先週と比べると減っている。線路は雪の中からその錆びた頭を晒し、コンクリートで舗装されたホームも顔を覗かせている。
雪解け―――つまりは、この工業都市ザリンツィクとの別れが近いという事を意味する。
「春になったら南に行くんだろ。アレーサか?」
「ええ、本当の母に会いに行こうかと」
「そうか……お前も大変だな、ミカ」
……まあ、幼少の頃はこの出生のおかげで色々と苦労させられたけどね。
もし庶子ではなく三男として生を受けていたら……なーんて思う事があるが、俺にとってはこれがベストだったのかもしれない。三男になっていたら父上に利用され、最終的にはどこの馬の骨かもわからん貴族の所へ嫁がされたりしていたかもしれない。
けれども今は自由だ。そしてその自由を得るための力を身に着ける猶予期間は、17年もあれば十分だった。魔術も鍛錬もほぼ独学だったけど、おかげで今の俺がある。
それに、これが全部自分で手に入れたものだとは思わない。レギーナが、クラリスが……仲間たちが支えてくれているからこそ、こうして自由で居られるのだ。
ヒトは独りでは生きられない―――たしかにそうだ、よく言ったものである。
「それにしてもお前、大人っぽくなったよな」
「そうですか?」
「ああ、なんか大きなものを背負ってるように見える」
背中が大きくなった、とでも言いたいのだろうか。
何かを背負っている自覚はない。強いて言うなら仲間の命だろうが……血盟旅団はそんな堅苦しいギルドではない筈だが。
「まあいいや。さて、俺はこの後仕事がある。まだまだ摘発せにゃならん連中がわんさか居るからな」
「無理は禁物ですよ、兄上」
「分かってるよ」
空になったマグカップをテーブルの上に置き、マカールは席を立った。ぺこり、と一礼するクラリスに会釈した彼は、去り際に「それじゃあ、ミカを頼む」なーんて兄貴らしい一言を告げ、列車の出口の方へと歩いていった。
とりあえず俺も兄上の後へとついていき、ホームまで見送る事にする。
「そういえば兄上」
「なんだ」
「姉上……エカテリーナ姉さんは今、どちらに?」
ちょっとばかり気になった事があったので、兄上に尋ねてみる。リガロフ家の次女、エカテリーナ・ステファノヴァ・リガロヴァについてだ。
アナスタシアは帝国騎士団特殊部隊『ストレリツィ』所属、ジノヴィはキリウ法務省実働部隊『執行部』所属、そしてマカールはキリウ憲兵隊の指揮官。リガロフ家の子供たちは皆、(庶子を除いて)立派な役職に就き、祖国の繁栄に貢献している。
それはいいのだが、ちょっとばかり次女の……姉弟の中で唯一俺に優しくしてくれたエカテリーナ姉さんの事が気になったので、思い切って尋ねてみたのだ。姉上は元気だろうか。
「第七マリエス教会のシスターになったよ。聞いた話だと”ハンガリア”出身の貴族と婚約関係にあるんだとか」
「ハンガリアの?」
ハンガリア王国―――ノヴォシアの南西に位置する大国の一つだ。正式名称がやたらと長い事でも知られ、一応書いておくが『王国議会において統治が承認された諸王国と諸民族による神聖ハンガリア王の国家』。もう既に二重帝国の出汁が効き始めているんですが……。
「ああ。向こうから来た……なんだっけ、”バートリー”とかいう一族の長男と婚約関係にあるんだそうだ」
「バートリー……バートリーですか」
「珍しい名前だよな」
「そりゃあ異国の人ですからね」
異国の人と婚約……このまま行けば国際結婚か。父上の権力強化のために利用されたわけじゃなく、ちゃんと自分で伴侶を選んだ結果であることを祈りたい。
ともあれ、姉上はゴールイン直前か。何だか羨ましい。
「もし姉上に会う事があったら、マカールは大手柄で出世中ですって伝えておいてくれ」
「分かりました、色々盛ってお伝えしておきます」
ぐっ、と親指を立て、ホームを去っていくマカール。彼の後ろ姿に手を振ってから踵を返そうとすると、いつの間にかそこにはメイド服姿のクラリスの姿が。
「クラリス?」
「えへ、えへへ……」
普段は(主に俺以外の相手に)クールな印象を与えるクラリスだが、今ばかりは違う。顔に浮かべる表情でも、そしてまるで遊びに夢中になる仔犬の如くぶんぶん振りまくるドラゴンの尻尾の動きを見ていても、随分とまあ嬉しそうだな、というのだけは伝わってきた。
なんか思い当たる節がもう思い浮かぶ。
「お兄様、”ミカを頼む”ですって。うふふ、言われなくてもご主人様はこのクラリスがしっかりお守りいたしますわ。えへへ」
「お、おう……」
「あっ、もしかしてアレでしょうか。その、ご主人様の伴侶として……という意味で”ミカを頼む”って……」
「落ち着け???」
「ご、ご主人様? クラリスはその……い、いつでも準備はばっちりです……わ?」
「クラリスさん?」
「ふ、不束者ですが、何卒」
「落ち着きなさい???」
最近分かった事がある。
時折、クラリスは暴走する……ああ、毎回か。ごめん、いつもの事だったわ。
「結局、デニスは最初の段階で既に機械人間にすり替えられていたようだな」
そう考えるのが普通だろうな、と思いながらタンプルソーダを口に含み、ブリーフィングルームのテーブル上に散らばる資料を整理するパヴェルとシスター・イルゼを見守っていた。
いくら組織から見れば末端の末端で、必要とあらばいつでも切り捨てられる捨て駒のバザロフとはいえ、監視無しの状態で好き勝手させるのも危険だったのだろう。
あの手の小物は金と権力次第で簡単に自分の信念を捻じ曲げる。もし”組織”以上に待遇の良い相手が現れたらそっちに流れる可能性もあるだろうし、デニスの身体を操って話していたと思われる”何者か”の口ぶりから察するに、連中はまともな実力も無いバザロフから組織の実態を暴かれるのをかなり警戒していたようだ。
あの機甲鎧もそのための戦力援助だったのだとしたら納得がいく。
「何なんだ、アイツらの目的は。資金を集めてこの世界で何を……?」
「分からん。だが、あんな他人に成り代わる機械人間を配下に置いてるんだ、既にノヴォシアの上層部にも入り込んでると考えるべきだろうな」
「もしかしたら皇帝も既に……?」
「笑えませんね、それは」
まさかな、なーんて思いながら口にすると、シスター・イルゼが珍しく笑顔を見せた。とはいっても、なかなかにキツいジョークに対する苦笑いだったのだが。
もっと自然に笑える毎日になればいいな、と思いながらタンプルソーダを飲み干した。
「んで、用件って?」
「ああ。例の鉄粉から採取した微生物だが、培養に成功した。数も増やしてるからそのうち装備に転用できるぞ」
「仕事が早い」
誰かこの人の給料UPさせてあげて。血盟旅団ブラック企業じゃないんで……あ、団長俺か。
「んで研究結果だが」
とんっ、とテーブルの上にタンプルソーダの瓶を置くパヴェル。中には厚さ数ミリの小さな金属片が収まっていて、既にその表面には錆色の斑点が浮かびつつあった。
「やはり予測通り、この微生物は金属を喰って錆に変えている事が判明した」
「他の物質は?」
「色々試してみたが反応なしだ。金属と……あとはアレだ、プラスチック類。あれも喰う」
プラスチック類……兵器のパーツに使う素材だ。やはり証拠の隠滅には金属のみでは都合が悪かったのだろう。とはいえ、なんでもかんでもバクバク喰うようでは問題なので、何らかのリミッターでもかけられている可能性がある。
「それとこの微生物、氷点下では不活化する事が判明している」
「不活化?」
「ああ。考えてみろ、組織の兵器が襲ってきた環境を」
そういえば、アルカンバヤ村での戦闘も、そしてデニス護送計画での戦闘も屋外での戦闘だった。しかも周囲は雪だらけで、気温は余裕の-7℃。春の訪れが秒読みに入ってもコレである。
なるほど、気温か……気温が低い状態だと微生物は休眠状態を維持し、気温が上がると活性化する、と。じゃあ撃破された時にどうやって活動してたんだとは思ったが、被弾した際の熱で目を覚ます事もあるだろうし、兵器に微生物を活性化させる装備でも搭載していたのだと考えれば納得のいく結果ではある。
「俺はコイツを”メタルイーター”と名付ける事にした」
「金属喰らい?」
「ああ。今はまだ研究段階だが、コイツを弾薬の薬莢に塗布すれば足元に落ちた薬莢を踏みつけてスッ転ぶ心配がなくなるし、砲弾に充填してばら撒けば敵の武器を無力化する事だってできるかもしれん。数少ない成果だ、使わせてもらおうぜ」
それはいい、そうしよう。
組織からの小さな贈り物だ。
”異世界人”が持ち込んだ文明は数多いが、音楽も例外ではない。
異世界から転生してきた転生者。彼らが広めた名曲もまた、彼らの心を動かすものだ。祖国の文明が発展し娯楽も増えたが、やはりこうして静かな場所で、お気に入りの音楽を聴くのが彼にとっての最大の娯楽であった。
特に最新の再生機器を使った、ノイズのない音楽を彼は好む。かつての”同志”の中には敢えてレコードで音楽を楽しむ者もいたが、彼にはそれが理解できない。せっかくの美しい旋律がノイズで台無しではないか、と常々思う。
特にこの、ドビュッシーの『月の光』はお気に入りだった。ピアノの美しい旋律を聴いていると、頭の中に思い浮かぶのは白銀の満月と、それを表面に映す夜の湖だ。自分の内側に意識を向けていると、嫌な思いは消えていくものである。
かつての上官はジャズを好んでいた、という話を聞いたことがある。物静かで上品なクラシックとは対照的だ。
そんな美しい旋律の中に、女性の声が響いた。
【バグは削除されたようだな、同志】
『ええ、”同志団長”。計画は滞りなく予定通りに推移しております』
【よろしい。我らの作戦計画にイレギュラー要素など不要。手段は問わぬ、発見次第削除せよ】
『はっ』
【それにしても……”血盟旅団”、か】
思わぬ組織の名を口にする”同志団長”。音楽を聴いていた彼は、思わず目を細めた。
血盟旅団―――今回の計画を嗅ぎ付け、ザリンツィクでの資金調達計画を潰してくれた相手だ。ザリンツィクなど計画の一部、末端の一つが消されただけに過ぎないが、しかし今まで外部からの妨害で損害を被る事など一度もなかった。
それだけに、彼女は興味を持ったのだろう。
それが彼にとっては腹立たしい事だった。彼女のような、同志団長のような偉大な人が意識を向けるに相応しい相手などではない。あれはただの道端のゴミ、恐竜から見た羽虫のようなものだ。意識せずに前進し、踏み潰した事すら知覚しない―――その程度の相手であった筈だ。
しかし連中は弁えず、同志団長の興味を勝ち取った。それが許せない。
心の中に浮かぶ湖に波紋が広がる。その感情の変化はネットワークを通じ、通信相手たる”同志団長”の元にも届いていた。
【落ち着け、同志】
『しかし』
【怒りは適切な場面で爆発させよ。不要な怒りはプログラムを狂わせるバグとなり得る】
『……申し訳ありません』
【いずれにせよ、奴らは泳がせておけ。しかし油断はするな】
『了解です』
頭の中から圧力にも似た感触が消え、軽くなるのを感じた。通信が切れたのだ。
ふう、と息を吐きながら、彼は思う。
あんな、捨て置けばやがて消えるだけの弱小ギルドに何を気を付ける必要があるのか、と。