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大義とは


 氷の剣が、ゴキブリのように這い寄る敵を纏めて串刺しにする。機体を貫かれた敵は機能を停止したかと思いきや、そのまま装甲の表面に錆色の斑点を浮かべ、急激に錆び、崩れていく。


 部下たちを氷の防壁で守りながら、私は目を細めた。


 ―――なんだ、この敵は。


 初めて見る。法務省という、国家の中枢とも強い繋がりがある部署に居る関係上、帝国の最新技術を目にする事も多い。その最たるものがフリスチェンコ博士が生み出す戦闘人形オートマタなどで、祖国の未来を見ているかのようだと思ったのは記憶に新しい。


 だが今目の前に居るこの敵の群れは、彼女の誇る最新技術と比較すると、それよりも遥かに進んだ技術によって生み出されたものである、と確信せずにはいられない。


 まず第一に、フリスチェンコ博士の製造する戦闘人形オートマタと比較すると非常に小型だ。円盤型のボディに連発銃を乗せ、4本の細い足で歩行するという単純極まりないものだが、サイズは従来の戦闘人形オートマタと比較にならない程小型で軽量だ。


 技術者にとって、機械の小型化・軽量化は非常に高い壁なのだという。既存の設計からどれだけ無駄を省き、より効率よくしていくかの果てなき探求―――フリスチェンコ博士の熱弁が、頭の中で思い起こされる。


 通常、戦闘人形オートマタのサイズは2~3mが相場だ。今はそこから小型化する段階に入りつつあり、博士が研究所で試作型プロトタイプを製造していると聞いている(そしてそれを派手にぶっ壊していったのがミカなのだそうだ)。


 しかし今、我々に牙を剥くこの戦闘人形オートマタらしき兵器のサイズは1mにも満たない。円盤型の機体の直径は確かにそれくらいかもしれないが、全高に至っては犬や猫とそう変わらない。おかげで攻撃が非常に当てにくく、対処に苦労する。


「法務官、何ですかこいつらは!?」


「わからん」


 氷の防壁に隠れながら、マスケットに火薬を充填する部下の問いに返答する。いつもはすぐ的確に質問に答える事を信条としている私だが、こればかりは何とも答え難かった。”未知の敵”としか言いようがない。


 法務官補佐のニキータが放った弾丸が、連発銃を撃ちまくりながら距離を詰めてくる敵機の1体を直撃した。ゴギュ、と金属が抉れるような音を響かせ、円盤状のボディの左半分を大きく捥がれた敵機が擱座、そのまま錆び、崩れていく。


 幸い、我々の銃でも通用する相手のようだ。それは良いのだが、とにかく数が多い。多少の損害は考慮せず、物量で押し潰すタイプの兵器なのだろう。各個撃破でチマチマ数を減らすより、広範囲攻撃で一気に薙ぎ払った方が効率は良さそうだが……。


 いずれにせよ、我々は未知の敵と対峙している―――それは確かなようだ。


 我々よりも遥かに進んだ技術を持つ、未知の敵と。












 

 せいぜいベッド2人分くらいの幅しかない、護送車の荷台の中。中に居たのは護送対象のデニスと、3名の警備兵。もちろんデニスが変な真似をしたら即座に取り押さえるために一緒に乗り込んでいたものだ。まず、この状態でデニスが逃げられるわけがない。


 外部からの襲撃があれば、周囲の護衛部隊が対処する。奴に逃げ場などない―――その前提が崩れる瞬間を、俺ははっきりと見てしまった。


 狭っ苦しい荷台の中、足元を埋め尽くす血の海。その上に倒れているのは、武器を手にした状態で絶命している警備兵たちだった。いずれも心臓や喉元といった急所を切り裂かれていて、微かな動きすらない。


 そんな惨劇の只中、ただ1人佇んでいる人影に、俺は反射的にAK-19を向けていた。ハイドラマウントに装着されたレーザーサイトの紅い光が、その人影―――デニスの側頭部へと向けられる。


「お前、何を……!?」


「……ぇ」


 すっかり血にまみれた自分の両手と、右手に握られている血まみれのナイフを見ながら、痩せ気味の初老の男性―――バザロフの執事であるデニスは、まるでたった今目が覚めたかのような、まだ周囲で何が起こっているのかを飲み込めていない、とでも言いたげな表情でこっちを振り向いた。


 何だコイツ、サイコパスか? 自分のやった事に責任も持てない類の人間なのか?


 もしそうなら、とは思ったが、彼の仕草を観察しているうちにある事に気付く。


「え、え……これは……これはいったい……?」


 ―――もしかして、自覚がない?


 信じられないが、そう思わせるような言動と仕草だった。血まみれの荷台の中、ナイフを持って立つ自分と警備兵の死体。第三者から見れば、誰に聞いてもデニスが殺したと言うだろう。実際俺も、1秒前まではそう信じて疑わなかった。


 しかし今の彼はどうか?


 もしこれが演技だったならば奴は筋金入りのサイコパスだが……そうとも言い切れない。


 心の底から戸惑っているような雰囲気が、奴にはあった。


「い、いったいなにが……私は、私は……?」


「……ナイフを捨てろ、捨てるんだ!」


「まって……私は、わたしは……かれらを、ころしてなんか―――」


 ナイフを捨てろ、と再三呼びかけるが、混乱しているのか彼の耳には届かない。


 余程混乱しているのか、彼の話しているノヴォシア語の呂律が段々とおかしくなっていく。舌が回っていないような喋り方だが、それもやがては変わっていって―――。


 最終的にデニスの言葉は、別の言語へと変わっていった。


『―――Дes яaul au гelce』


「なんだ……?」


 ノヴォシア語……では、ない。


 いきなり彼の話す言葉が変わった。ノヴォシア語特有の巻き舌発音は確かにあるが、イントネーションもアクセントも違うし、聞いたことも無い単語ばかりだ。


 ノヴォシア語は語感的にロシア語、あるいはウクライナ語に近い言語だ(イライナ地方の言語はウクライナ語に近い)。しかしデニスが話し始めた未知の言語はというと、語感的にはロシア語を母語とする人間が話す英語のような、巻き舌発音を残した言語に聴こえる。


 こいつは一体どこの国の言語を話している?


 ちらりとモニカの方を見るが、彼女にとっても未知の言語のようで、モニカは首を横に振った。一緒に来たシスター・イルゼも同様で、聞いたことがない言語らしい。


 しかし隣に居るクラリスだけは、違う反応を見せていた。


「クラリス?」


「……」


 どういうわけか、クラリスはえらく混乱しているようだった。


 そういえば、と過去の事を想い出す。以前、パヴェルがタンプルソーダを始めて作ってくれた時の事だ。瓶に貼り付けられたラベルには未知の言語が書かれていて、結局クラリス以外は誰もその言語を読む事が出来なかった事がある。


 もしかしてデニスが話した未知の言語は、クラリスの母語なのか?


 言われてみれば、彼女と初めてであった頃に話していた言葉と何となく語感が……。


『―――私には理解できない』


「!?」


 唐突に、デニスの言葉が変わった。


 聞き覚えのあるノヴォシア語。しかし、先ほどまでのように混乱したデニスの声ではない。落ち着き払った……いや、落ち着きを通り越してもはや冷淡としか表現しようがないほど、聞き手をゾッとさせる声。


 話しているのは、間違いなくデニスだった。


『放っておいても消えゆく命。そんな弱い者を守って何になると言うのか』


「……何者だ、お前は」


 戸惑いすら浮かべなくなったデニスが、ゆっくりと顔を上げる。


 彼の顔にはもはや、何の表情も残っていなかった。恐怖も、困惑も何もない。まるで人間そっくりに造られたロボットのような無機質さだけが、今の彼の全てだった。


「答えろ、何者だ」


 レーザーサイトの光がデニスの眉間に向けられる。クラリスも、モニカも、そしてシスター・イルゼも銃を向けた。少しでも変な真似をすれば撃つ―――その意思表示のつもりだが、しかしデニスは顔色を変えない。


『弱き者は淘汰され、強き者だけが残る。それが世界の在り方だ。そうは思わないか、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ』


 コイツはデニスじゃない―――何となくだが、そう思えた。


 何者かがデニスを操っている。あるいは……こいつもあの機械人間とすり替えられていたか。


『弱者に”生”を肯定して何になる? この世界は力ある者のために在るべき、力こそが全てだ』


「お前、”組織”の者か?」


『いかにも』


 あっさりと認めやがった。


 どうでもいい事だと思っているのか、さらりと自らの正体を認めるデニス。銃口を向けられても動じない姿に、逆にこちらが威圧されているかのような錯覚を覚える。


『世界を変えるのは力であるべき。強大で絶対的な力こそが世界を変え、真の平和をもたらす。我々はそのために力を欲している』


「そのために村の皆を殺したのですか!?」


 問いかけたのは、ぎこちない手つきで銃を構えていたシスター・イルゼだった。


「村の皆をあんな……あんなことに……!」


『我らの大義のために必要な犠牲だった』


 どうでもいい、と言わんばかりの返答。必要な犠牲―――いったいどこが”必要な犠牲”だと言うのか?


 俺たちを消すためだけに、村を丸々一つ潰す事のどこに大義があるのか? そんな大義などあっていい筈がない。自分たちにとっては大義でも、相手からすれば理不尽な侵略行為そのものだ。


 イデオロギーのために踏み躙られる命など、そんなことがあっていい筈がない。


「そん……な……」


『まあ良い……ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ、もうこれ以上我々に関わるな』


「なんだと?」


『我らはただ、力のために活動しているにすぎん。ザリンツィクの一件も、そのための資金確保の一環だった』


「そのためにバザロフに手を貸したのか」


『バザロフ……奴は弱かった』


 力のため、資金のため。


 そのために自分たちとは関係ない人間の命は軽い、と? 


 だから消したのか、バザロフを。


 散々利用し、ヘマをして組織の存在が明るみに出そうになった途端に始末する―――やっている事があまりにも野蛮すぎる。


 このデニスの姿をした”何者か”の言葉には、そんなニュアンスが透けて見える。自分たちの大義のためであれば他者をどれだけ殺しても良い。力こそが絶対で、力なき者は淘汰されて当然―――なんとも人間とは思えない程過激な思想を持っているようだ。


『まあいい、それを知った上で我らの邪魔をしたいというならば好きにするがいい。その時はただ、歴史を繰り返してやるだけの事』


「何だと?」


 歴史を繰り返す―――何の事だ?


 意味深な発言に困惑していると、デニスは持っていたナイフを投げ捨てた。観念して投降する―――つもりではないらしい。


 奴の身体から高圧の魔力が放出され始めたのを感じ、その意図を理解した。危ない、などと言葉で警告している暇はない。クラリスがモニカを車外へ突き飛ばすのと同時に、俺もシスター・イルゼの手を引いて護送車の外へと飛び出した。


『これが最後通告だ、我らの邪魔をするな』


 低い声がそう告げた直後、背後で生じた爆風が全てを呑み込んだ。


 護送車の荷台が派手に吹き飛び、破片と火の粉が舞い上がる。衝撃波が周囲の雪を大きく抉り、リーネ郊外の雪原にちょっとしたクレーターを刻んだ。


 身体中を覆い尽くす雪の冷たい感触。ゆっくりと起き上がりながら、自分の身体が五体満足かどうかを確認する。幸いミカエル君の身体は五体満足、どこにも傷などついてはいない。


「無事か、イルゼ」


「え、ええ。なんとか」


 傍らで一緒に雪に埋もれていたシスター・イルゼも、どうやら五体満足で済んだようだった。クラリスも、そしてモニカも雪まみれになりながら起き上がるのが見えるが、目立った外傷はない。


 後ろを振り向くと、吹き飛んだ護送車の残骸が浅いクレーターの中でまだ燃えていた。


 自爆した……?


 目を細めながら、クレーターの底を見下ろした。


 爆薬でも仕込んでいたのか、それとも魔力を限界まで加圧したのか。一応、体内の魔力を限界まで加圧すれば自爆の真似事は出来なくはない……しかしそれをやるには機械を使わなければならず、どんなに熟練の魔術師でも自分の身体を爆弾に変える事など不可能だ。


 やはりデニスも、あの機械人間にすり替えられていたのだろうか。


「……」


 気が付くと、周囲でも銃声が止まっていた。


 護送車とその護衛隊を失った無人兵器たちの姿は既にない。無論、残骸すらも……組織の連中は現場に痕跡を残さない。


 案の定、そういう連中だった。


 クレーターの底を見下ろすシスター・イルゼの方をちらりと見て、俺は思った。


 奴らは人を人とは思わない、そういう類の人間だ。


 奴らと対話し、和解することなど不可能なのではないか―――理想が崩れていくのを感じながら、俺は静かに踵を返した。






架空言語解説

『Дes яaul au гelce(理解できない)』


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