デニス護送計画
夕日の中に、人影が5つ。
黒い制服にボディアーマー、そしてヘルメットから突き出た大きな竜の角。
AKを背負った彼女たちが、こっちに向かって手を振りながら大きな声で呼んでいる。
けれどもその声は、クラリスの耳には届かない。
あれは誰?
私は誰?
バザロフ襲撃の一件を受け、デニスをキリウまで護送するという計画は延期となった。
ヴラジーミル・エゴロヴィッチ・バザロフの右腕であり、疫病蔓延計画の補佐をしていた奴の執事、デニス。万一彼まで粛清されてしまう事があれば、この一連の事件の実行犯―――その主犯格の口はほぼ完全に封じられてしまう。
それを防ぐため、憲兵隊も法務省も厳戒態勢へと突入。近隣の駐屯地から人員をかき集め、戦闘態勢を整え始める。
雪解けも秒読みに入ったそんなある日の事、とある情報が各方面へ、まことしやかにリークされた。
『デニスの護送は、3月29日、バザロフと同じルートで行う』。
それはある意味で、”組織”への挑戦状だった。
やれるものならばやってみろ―――鋭利に研ぎ澄まされた釣り針が、暗黒の海へ投下された瞬間だった。
果たしてうまくいくか。
雪道で揺れるブハンカの助手席(運転席は左側、助手席は右側にある。何か違和感あると思ったら日本と逆なのだ)でフロントガラスの向こう側を見つめながら、パヴェルが用意してくれたタンプルソーダの王冠を外す。
プシュッ、と噴き出るような音と共に、鼻腔の奥を狙い撃ちにするような刺激臭が、一瞬だけだが香った。
タンプルソーダの『四川スペシャル』という新しい味らしい。中華料理、その中でもやたらと辛い事に定評のある四川料理に使用されるスパイスをブレンドした激辛仕様との事だ。寒冷地にはもってこいの代物だそうだが、それを炭酸飲料でやる意味は果たしてあるのだろうか。
第一、ミカエル君辛いの苦手なんだよね……甘いのがいい、とっても甘いやつ。
地獄のような辛みに口の中を蹂躙されながらも、フロントガラスの向こうを走る護送車からは視線を離さない。雪道を走行するための特注のドーザーブレードをフロントバンパーやらグリルに装着した護送車は、豪快に雪を吹き飛ばしながら前へと進んでいく。
目指すは旧イライナ公国の首都、キリウ。今ではノヴォシア帝国に併合され、イライナ地方最大の都市として栄えている場所だ。バザロフは叶わなかったが、デニスはそこで裁判にかけられる。
死罪は確定だろう、意図的に疫病を蔓延させる計画の片棒を担いだのだ。そうじゃなくても法務官への攻撃や捜査の妨害もある。少なくとも二度は死ねるほどの罪をあの男は犯している。
だがそうなる前に、裁判にかけあらゆる情報を聞き出さねばならない。今回の罪に至った動機、そして彼らの背後に潜んでいるであろう”上位組織”について。
無論、それを望まぬ者たちもいる。
「……辛っ」
『そりゃ四川スペシャルだからな』
舌が焼けそうになるミカエル君の耳に、ヘッドセットからパヴェルの声が届いた。
『最初はブータン料理の味を参考にしようと思ったんだが』
「無慈悲が過ぎる」
ブータン料理ってアレじゃないっけ、唐辛子を野菜のノリで食材に使う……。
『分かってるとは思うが、護衛はリーネまででいい。そこから先はキリウ法務省と帝国騎士団が請け負う。リーネまで送り届けたら戻ってこい』
「はいよ」
それにしても、帝国騎士団まで動くとは……。
ノヴォシア帝国騎士団―――この帝国における、軍隊に相当する組織である。動員できる兵力がとにかく多く、一説では軍隊としての規模が世界一なんだとか。
さすがに姉上―――アナスタシアの所属する特殊部隊【ストレリツィ】までは動員されなかったようだ。まあ、あの部隊は帝国の切り札である。西の”グライセン”及び”神聖グラントリア”、海の向こうの”聖イーランド”、そして東の”大蒙古帝国”にジョンファ。周辺諸国との火種は絶えず、それが燃え上がらぬよう切り札は温存しておかなければならない。
だから今回の護送で動員されたのはごく一部に過ぎないが、それでも規模は大きい。”組織”の連中も、真っ向から帝国とやり合うのは本意ではない筈だ。
そうなると最大の襲撃チャンスは、ザリンツィクから城郭都市リーネまでの間。護衛を担当するのは憲兵2個小隊と法務省の実働部隊”執行部”、そして血盟旅団から派遣された4名。
俺、クラリス、モニカ、そして同行を強く希望していたシスター・イルゼ。彼女には一応、銃の使い方を教えてはいるが……まだ実戦で戦えるレベルではない。とりあえず回復魔術に関してはプロフェッショナルなので、彼女には現地でのサポートに徹してもらい、戦闘は俺たち3人で担当するという事で落ち着いた。
それにしても……。
バックミラーをちらりと見ると、後部座席で真剣な表情を浮かべるシスター・イルゼの顔が見えた。
彼女がここまで”組織”を追い求めるのは、復讐のためではない。なぜこのような手段を選んだのか、彼らを問い質すため―――そして可能であれば和解するためだという。
いくら何でも甘すぎるとは思うが、それが彼女の望んだことだ。
「さっっっむ!!」
後部座席から身を乗り出していたモニカが、ブルブルと震えながら車内へ戻ってきた。
社用車であるブハンカの天井には穴が開けられ、その縁にはターレットリングが装着されている。そしてそこから伸びるフレキシブル・アームの先端部にはというと、みんな大好き”ブローニングM2重機関銃”が、防護用の鉄板と一緒に据え付けられている。
さすがにいつまでも非武装は拙いだろうという事で、パヴェルが機甲鎧の整備の片手間に用意してくれたものだ。あくまでも彼が用意したのはターレットリングとフレキシブル・アーム、防護用の鉄板のみであり、機関銃本体は俺が転生者の能力で用意した。
こんなクソ寒い中お疲れ様だ。戻ってきたモニカにタンプルソーダの四川スペシャルを渡し、今度は俺が助手席から後部座席へ。背伸びをしながら手を伸ばして身体を引っ張り上げ、機関銃につく。
確かに外は想像を絶する寒さだった。この気温と雪に加え、40㎞/hで走行する車の屋根から身を乗り出すわけだから、風に身を晒す結果となる。がっちりと防寒対策をしていてもたちまち体温を奪われてしまうだろう。
ハクビシンは寒さに弱い。もちろん、ミカエル君も寒さに弱い。
パヴェルに貰った四川スペシャルを口に含んだ。口の中に辛みが広がり、身体の中が焼けるように熱くなる。確かに寒冷地ではこういう辛いものが重宝するが、それにしたってもっとこう、別のものでも良くね? という感じはある。味自体は激辛ラーメンのスープに四川料理のスパイスを足したような感じなんだけど、なにゆえそれを炭酸飲料として世に送り出そうとしたのか理解に苦しむ。アイツ味覚大丈夫だろうか?
「かっっっっっら!!」
車内から響くモニカの叫び。多分音量は105dBくらい。
機関銃に付着した雪を払い落し、リーネまであとどのくらいだっけ、と思った次の瞬間だった。
前方を進む護送車が、急に車体を大きく右へと振ったのだ。ブレーキをかけたというよりは、運転手が慌ててハンドルを切ったようにも見える挙動。一体何事かと思いつつ、敵襲に備えコッキングレバーを引いた。虎の子の12.7mm弾、その初弾が装填され、機関銃も臨戦態勢に入る。
アクセルを踏んでいないのか、雪による抵抗を受け、装甲化したトラックみたいな護送車がみるみる減速していく。ブレーキが追い付かず俺たちのブハンカはつい護送車を追い越してしまうが、その時に俺ははっきりと見た。
護送車の運転席―――そこに、奇妙な物体が取り付いているのを。
「あれは……!?」
最初は虫かと思った。
真っ黒なテントウムシ―――しかし世界のどこに、冬でも活動できて、しかもその直径が1mにも達し、その背中から機銃を生やしたテントウムシが居るというのか?
それは見るからに兵器であることが分かった。昆虫のように細い4本の脚が、円盤型の胴体からX字形に伸びている。胴体は砲塔のような形状になっていて、7.62mm程度と思われる口径の機関銃の銃身がそこから1本伸びている。
何と言えばいいのだろう……ソ連やロシア、ウクライナの装甲車にBTRシリーズがあるが、あれの砲塔を取り外して小型化、脚を生やして7.62mm対人機銃を搭載したような、そんな外見の兵器だった。
当たり前だが、人が乗っているわけではないらしい。
それが5体、運転席に取り付いて機関銃を連射しているのだ。
「敵襲、敵襲!!」
あらん限りの声で叫びながら、ターレットを旋回させてブローニングM2重機関銃の銃口を護送車の運転席へ。
運転手を射殺したと思われるその兵器は、生体反応が消えたのを確認したのか、運転席から飛び降りて今度は荷台の方へと進み始めた。割れた窓ガラスからは血だらけになった運転席と、その血の海の中で佇む憲兵隊の運転手の姿が見える。
クソッタレが、と悪態をつきながら、機関銃を撃った。ドドド、とアサルトライフルよりも重々しく、腹の奥底へ響くような銃声を響かせながら、12.7mm弾が放たれる。
曳光弾を含んだ50口径の火線が敵の無人兵器のうちの1体を捉えた。さすがに12.7mm弾クラスに対する防御力は無いらしく、弾丸を撃ち込まれた機体があっさりとスクラップと化す。背中に大きな風穴を開けられた無人兵器が傷口から血のようなオイルを流して擱座したかと思いきや、その黒い装甲の表面を急激に変色させ、3秒も立たぬうちに錆びた金属粉と化して、雪風の中へと消えていった。
あの技術、やはり。
アルカンバヤ村で俺たちが遭遇した連中と同じだ。撃破されると、技術の漏洩を防ぐためにああやって金属部品を微生物によって急激に酸化、錆びた鉄粉へと変えてしまう。こうなってしまっては鹵獲しての技術解析など出来よう筈もなく、奴らの正体が何なのかを知る術もない。
そして向こうも、技術の漏洩を畏れて新兵器を出し惜しみするという心配もしなくていい。
残り4機―――次の敵を狙おうとターレットを旋回させた次の瞬間、ヒュンッ、と弾丸が俺の左の側頭部を掠めた。
「!!」
半ば反射的に身を屈めつつ、ターレットを180度急旋回。今の弾道から敵の射撃位置を何となく割り出して、そこへ12.7mm弾の返礼を叩き込む。
ガギュ、と装甲を穿つような音を響かせ、背後から迫っていた無人兵器が擱座。同じように機体を急激に錆びさせ、そのまま崩れ去っていく。
4機どころではなかった。
「……!!」
薄暗い雪原の中、紅く光るセンサーの光。
40……50……いや、もっとだ。
何だコイツら、ゴキブリか!?
「そこら中に居るぞ!!」
今の銃撃で、距離を取って護衛していた法務省や憲兵隊の装甲車も異変を感じ取ったらしい。護送車へと距離を詰めてくる彼らだが、最も近い位置にいた憲兵隊の装甲車の運転席に、早くも例の無人兵器が取り付いていた。
拙い、と想い叫んだ頃にはもう遅かった。生体反応を元に、機銃の銃口を向けた無人兵器が弾丸を運転手に叩き込む。割れる窓ガラスに飛び散る血飛沫。射殺された運転手の代わりに助手席の若い憲兵がハンドルを握りつつ、ピストルで応戦する。果敢な反撃で運転手を殺した無人兵器が運転席から転がり落ちていくが、コントロールを失った装甲車はそのまま雪の中で横転し擱座。雪煙を噴き上げ動かなくなってしまう。
豪快なドリフトで雪煙を煙幕代わりにするクラリス。それで敵の無人兵器の視界を遮りつつ、ブハンカから仲間たちが飛び降りて反撃を開始する。
俺もとりあえず、射線の安全を確認してから撃った。重々しい銃声と派手なマズルフラッシュ。照準器の向こうで次々に敵の無人兵器が”砕けて”いく。
しかし、数が多い。1体や2体倒したところで、次々に雪の中から無人兵器が這い出てくる。
次の瞬間、接近してくる無人兵器の一団に、猛烈な勢いで飛来した岩塊の散弾が牙を剥いた。鋭利なナイフのような岩塊が装甲を容易く穿ったかと思いきや、まとめて5体の無人兵器の動きを止めてしまう。
「ミカ、行け!!」
さっきの横転した装甲車の後部ハッチから部下を救出しつつ叫んだのは、兄のマカールだった。
「デニスを!」
頷き、ブハンカの屋根から飛び降りる。雪の上に三点着地をキメつつ、ハイドラマウント付きのAK-19をスタンバイ。セレクターレバーを弾いてセミオートに切り替えつつ、無人兵器を狙った。
幸い、敵は5.56mm弾でも撃破できる程度の防御力しかないようで、ドットサイトのレティクルの向こうでは3発も被弾した敵機が、オイルを血のように撒き散らしながら崩れ落ちていった。
別の一団に、またしても岩塊が襲い掛かる。
マカールの魔術だった。
次男であるマカールの属性は土、適性はC+。お世辞にも優秀な魔術師とは言い難いレベルではあるが、彼もミカエル君と同様に努力で力を伸ばしたタイプの人間である。
魔術を発動したマカールの周囲の地面が隆起したかと思いきや、サイコキネシスでも使っているかのように、岩塊が宙に浮き始めた。
土属性魔術”岩塊投撃”。魔力で力場を形成し足元の地盤を隆起、それを敵に投擲するという、単純だが威力の高い術である。質量こそ火力を体現する攻撃と言っていいだろう。
兄上の支援を受けながら、護送車の後部へと辿り着いた。とにかく今はデニスを連れ出し、リーネで待っている騎士団へ身柄を預けなくては。
そう思いながら扉を開けた俺たちの目に飛び込んできたのは―――予想外の、衝撃的な光景だった。