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雲の上、災禍の果て


「―――では、以上で登録完了です。これからの活躍に期待します」


「ありがとうございます」


 ぺこり、と頭を下げるシスター・イルゼ。彼女の手の中では新品のバッジ―――冒険者であることを意味するバッジが、頼もしい輝きを発していた。


 これでシスター・イルゼも冒険者の1人。血盟旅団メンバーとしての登録も同時に済ませていたので、面倒な手続きはもう必要ない。


 まあ、これでギルドランクがCからDに下がってしまったわけだが……こればかりは仕方あるまい。ギルドランクは所属している冒険者のランクの平均で上下するから、新しい仲間を加えればランクが下がってしまうのは必然である。しかも血盟旅団ウチの場合、あくまでもSランクのパヴェルとCランクのモニカが平均値を引き上げていただけだからなぁ……つーか何者なんだパヴェル、アイツマジで。


 冒険者バッジを眺めるシスター・イルゼもどこか嬉しそうだ……というより嬉しいのだろう、喜んでいる。修道服の腰の後ろに開けられた穴から伸びる狐の尻尾が、嬉しそうにぶんぶんと左右に揺れている。


 お気づきかもしれないので一応述べておくが、獣人はとにかく素直だ。中には例外もいるが、感情がどう頑張っても耳とか尻尾の動きに現れてしまう。おかげで獣人の大半は感情豊かだ。ラノベとかによくいる無表情系キャラとかクールな奴は、一応は存在するが圧倒的に少数派となっている。


 やっぱりシスター・イルゼも例外ではなかった。血盟旅団のメンバーの中では特に大人びている彼女だが、ちゃんと喜怒哀楽は持ち合わせていたらしい。


 ちなみにさっき願書に記入する時に見てしまったんだが、シスター・イルゼって年齢は18だったのね。俺より1つ上。


 未成年なのにこの大人っぽさってすごいよな。面倒見がいいとか、そういう言葉では片付けられないのではないだろうか。


「ふふっ♪」


「嬉しそうだね」


「ええ、やっと本当の意味で仲間になれたような感じがしますから」


 本当の意味、か。


 何だろう、彼女の置かれていた環境の事を考えるとその言葉に含まれる重みが、一段とずっしりっしたものに思えてしまう。


 シスター・イルゼの祖国は西方の軍事大国『グライセン王国』。最新技術を惜しみなく軍事転用する事により、近年急速に勢力を伸ばしてきているとされている。ノヴォシア帝国も最大限に警戒している仮想敵国の1つで、最近では隣国の『ゾクソン王国』と”ドルツ地方”の覇権を巡り争っていると聞く。しかしドルツ諸国を傀儡として飼い慣らしておきたい『神聖グラントリア帝国』からすると、破竹の勢いで進撃するグライセンは目の上のたん瘤だそうで……とにかく彼女の故郷は何かと争い事が絶えない。


 そんな祖国に嫌気が差し、こっちにやってきたのだ。言葉も通じず、文化も異なる異国の地。そんなところで1人残された彼女にとっては宗教こそが拠所であり、人々を救済する事こそが使命であったのだろう。


 それを根こそぎ奪われた―――残酷な現実に晒されてもなお、彼女の心にどす黒い復讐の炎が燈る事はない。


 強い人だ、本当に。


 願わくば、彼女がそこまで思い詰めずに過ごせる毎日が訪れますように。きっと俺たちを見守っているであろう神様にそう祈ってみる。気まぐれであることに定評のある神様は、果たして迷える子羊の願いを聞き入れてくださるだろうか?


 ザリンツィクの街中には相変わらず雪が目立ったけれど、その量は以前よりも減少方向へと転じている事が見て取れた。今はもう3月、雪解けまであと1ヵ月となった。そろそろこの街ともお別れだ。雪解けが訪れ、他の街との往来が可能になったら、俺たちはありったけの物資を積み込んで南方の港町”アレーサ”を目指す。


 そこに居る筈なのだ、彼女が。


 俺の”本当の母親”が。


 管理局を後にし、駅前の広場を経由して列車へと向かう。街中には食料の配給に並ぶ人々の列が今日も連なり、除雪が済んだ道路を古めかしいデザインの車が走っていく。遠方の工場からは濛々と煙が立ち上り、頭上を覆い尽くす雪雲の中へと吸い込まれていく。


 ザリンツィクの日常だ。


 何の変哲もないただの一日。


 願わくばその日常から、少しでも疫病の恐怖が遠ざかってくれますように。


 俺たちのやった事が、決して無駄にならない事を祈りながら駅へと入った。改札口で駅員に冒険者バッジを提示、17番のレンタルホームへと向かう。


 線路を跨ぐ通路を通過して階段を降りていくと、見慣れぬ制服に身を包んだどこかの隊員が2名、客車のドアの近くに立っているのが見え、反射的に右手を腰のホルスターへと近付ける。いつでもMP17を引き抜いて応戦できるように備えたつもりだったが、相手が腕に装着している腕章を見て、警戒心は自然と緩んだ。


 キリウ法務省の法務官補佐たちだった。腰には伸縮式の警棒と、最近配備されたばかりのペッパーボックス・ピストルが収まったホルスターを下げている。


 彼らは列車に戻ってきた俺を見るなり、キレのある動きで敬礼して出迎えてくれた。


「ミカエル君だね? 法務官がお待ちです」


「兄上が?」


 何だろうか、こんな時に。


 何か捜査で進捗でもあったか、それよりもヤバい案件でも見つけたか。


 さすがに強盗の件で逮捕に乗り切った……は無いか。兄上に限ってそんな事はしないと信じたい。たぶん。


 法務官補佐たちの表情が硬い事から、少なくともヤバい案件であることは確定らしい。急ぎ足で列車に乗り込み、応接室としても使われている食堂車に向かうと、そこにはやはり兄上―――ジノヴィが居た。白い制服に蒼いコートを身に着け、頭には白い制帽を被っている。


 カウンターでグラスを磨くパヴェルが「早く座りなよ」と言わんばかりに視線を向けてくるので、俺は何も考えずに兄上の向かいに腰を下ろした。


「兄上、本日はどのようなご用件で?」


「……バザロフが殺された」


 単刀直入に、兄上はとんでもない事実をさらりと言った。


 兄上―――法務官ジノヴィは、あまり物事を飾り立てるようなことはない。淡々と事実のみを語る。だからなのだろう、何も知らない相手から”冷たい男”、”冷血漢”といった誤解を受けやすいのは。物事を飾らず、淡々と述べるその姿勢に冷たさを感じてしまうというのは分かる。


 そういう人間なのだ、兄上は。


 いや、そんな事はどうでもいい。


 バザロフの死―――予想できた事態ではあったから、そこまで過度に驚く事でもなかった。


「いつです」


「昨日の夜だ。城郭都市リーネ郊外に差し掛かったところで護送車が襲われた。生存者はゼロ、バザロフ共々護衛の兵士まで皆殺し(ブラッドバス)だ」


「……」


 例の”組織”の仕業と見て間違いないだろう。奴らの事だ、ヘマをした末端の連中を、危険を冒してまで助けようとはすまい。救出するよりも、口を既に割っている可能性も考慮して護衛の兵士諸共殺してしまうのが確実だ。『死人に口なし』とはよく言ったものである。


 しかし、それにしてはアクションが早い。てっきりもう少し遅いタイミングで始末するものと思っていたが、これは先を越されたな。


 バザロフの巻き添えを喰らう形で犠牲になった警備兵たちが哀れでならないが、兄上がその件でここに来たという事は、それだけこの事態を重く見ているという事だろう。


「回収した証拠品から、連中には結託していた転売業者の他に、利益をちらつかせ指示を出していた”上位組織”が存在したらしい。今回、バザロフを消したのはその刺客だろうと私は見ている」


「……奇遇ですね、私も同じ予測をしていました」


「今後は警備員を増員して対応するが……次に狙われる恐れがある相手といえば、”あの男”しか居ないな」


「ええ」


 ―――バザロフの執事”デニス”。


 兄上の話だと、法務省と憲兵隊がバザロフ逮捕のために屋敷に踏み込んだ際、かなり取り乱した様子で抵抗したのだそうだ。信じがたい事にガトリング銃まで持ち出して抵抗したのだとか。


 それが単なる主人への忠誠心から来るものとは考えにくい。おそらくだが、バザロフ同様に法務省に探られてはならないものがあったのだろう。あるいはバザロフたちの一連の計画に、腹心として深く関わっていたか。


 いずれにせよ、あの男の粛清も免れないだろう。計画を間近で補佐してきた男だ、バザロフほどの優先順位は無いにせよ、連中にとって消さねばならない人間である事に変わりはない。


「そこで一つ、考えがある」


「何となく分かりますよ、兄上」


 そう言うと、クラリスがコーヒーを運んできてくれた。兄上の分は何も余計なものを入れぬブラック。一方の俺の分のコーヒーは、マグカップの中身が飽和状態になるほど砂糖とミルクをぶち込んだクソ甘コーヒー・ミカエルエディション。


 コーヒーに砂糖が入っているというより、砂糖にコーヒーが入っていると表現した方が適切なレベルのそれを口へと運び、口へと含む前に兄の考えを口にする。


「―――デニスを餌に使う、と」


「―――分かってるじゃあないか」


 どうやら兄上と俺の思考回路は似通っているようだ……そりゃあ産んだ母親こそ違えど、父は同じ。身体を流れる血の半分は同じなのだ。赤の他人、というわけではない。


「奴を餌に、連中の背後に居る上位組織を引き摺り出す。ぜひ協力してほしい」


 簡単に言ってくれるが、こいつは骨が折れそうだ……。













 ドットサイトのレティクルが的と重なった。


 反射的に人差し指が引き金を引く。パンッ、と放たれた弾丸が火薬の臭いと反動リコイルだけを置き去りにして、レティクルの向こうの標的へとめり込んだ。


 マガジンの中身が空になった事を確認し、安全装置セーフティをかける。コッキングレバーを引いて薬室の内部を確認、弾丸が装填されていない事を目視でチェックし、銃を”意図的に装填しない限りは”人に害を与えない安全な存在へと変えておく。


 ”ハイドラマウント”というパーツを試してみた。


 ピカティニー・レールを介して、装着位置から随分と高い位置にドットサイト、そしてその前方の一段低い位置にレーザーサイトをマウントする事を想定して設計されたパーツだ。


 火力重視のAK-308を使う時はともかく、汎用性と取り回しを重視したAK-19を使用する際、俺は銃口寄りに装着したハンドストップに指をかけ、ハンドガードを横から握り込みつつストックを肩に押し付けるようなスタイルでの射撃を多用する。


 そうなると左手の親指がハンドガード上部に乗る事となってしまい、機関部レシーバー上に装着したドットサイトの視界の下部を遮る形になってしまうのが、以前から気になっていた。加えて将来的にレーザーサイトの搭載も考えていたので、この構え方を矯正するか、それとも指で遮られないような場所にマウントするかの対策を迫られていたのだが……。


 そこで試したのがこのハイドラマウント、というわけだ。


 黒く塗装し直したそれを凝視してみる。高い位置にマウントされたドットサイトと、その前方、基部から斜め上に伸びた位置にマウントされたレーザーサイト。従来の小銃では前例のないマウント位置であり、かなり奇抜な外見になっている。


 西側の小銃に搭載する事を想定していたようだが、我らがピカティニー・レールは偉大である。東側の小銃の大ボス、AKにもちゃんと搭載できた(レールの規格さえ同じならば当たり前である)。


「それにしても、大丈夫なのかしら」


「何が?」


 カチッ、カチッ、とHK13用マガジンに訓練用の5.56mm弾を装填しながら、モニカが不安そうに言った。


「相手よ。”組織”って、そのヤバい連中なんでしょ?」


「ああ」


 アルカンバヤ村で見たあの機械人間たち―――あんなものをあれだけ用意できるほどの技術力と軍事力、それに加えバザロフの護送隊をあっという間に殲滅してしまう練度の高さ。断片的な情報の段階で、相手がどれだけ強大な存在なのかが分かってしまう。


 今までの相手とは別格。それだけは、その残酷過ぎる事実だけははっきりと分かった。


 けれどもそれから目を背けていられるか?


 いずれはこうして邂逅する運命なのだ。その時、目を塞いだまま現実から目を背けていたら、滅ぼされるのは俺たちの方である。


 抗わなければならない。


 奴らに―――強大な敵に。


「奴らを放置していれば、やがてはノヴォシア中で―――いや、世界中でザリンツィクの二の舞になる。それだけは防がなければ」


「それはそうですが……しかしご主人様、今回は相手が悪すぎます」


 珍しくクラリスが否定的な意見を口にしたので、俺は思わず顔を上げてしまった。今までのクラリスといえば、俺の言う意見は肯定するのが殆どで、こうして異論をぶつけてくるという事は全くなかった。


 成長してくれたか―――イエスマンではダメだ、と思っていたので主人としては嬉しい。しかしその一方で、あのクラリスですら首を横に振りたくなるほどの相手である事を意味している。


 遥か格上の存在。


 確かにそうなのだろう、勝ち目はないのかもしれない―――だが、それでも。


「俺、この依頼を受けようと思う」


 クラリスの紅い目を見つめながら、きっぱりと言った。






「今回のザリンツィク、そしてアルカンバヤ村のような惨劇をもう二度と繰り返したくない」







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