専属のメイドさんがやってきた
パスパスッ、と空気の抜けるような音がして、的のほぼ真ん中に風穴が開く。サプレッサーの中でガスを逃がされ、弾丸を押し出す勢いを減じたとはいえ、その5.45mmの金属の礫は相手を殺傷するのに十分な威力を持っていた。的に空いた風穴は、それを物語るかのようだ。
もうちょい何とかならないものか……そろそろど真ん中をぶち抜けるような技量が欲しい、練習あるのみか。
そんな事を考えながら、AK-12のセレクターレバーを弾き上段へ。引き金を引いても弾丸が発射されない状態にしてからマガジンを取り外し、コッキングレバーを引いて薬室から弾丸を排出。これでこのAKはどう頑張っても、意図的に弾丸を込めない限りは発砲できない状態となった。
武器が安全になったのを確認し、メニュー画面を召喚。装備していたAK-12をタッチし装備一覧から解除する。すると先ほどまで右手で握っていたAKのグリップの感触が消失し、文字通り空気を握るような手応えの無さがやってきた。
やっぱり銃の反動は命中精度に左右するものなのだ、と、AKMからAK-74を経て、AKの最新モデルたるAK-12に乗り換えてつくづく思う。ストック越しに肩に来る反動がやっぱり違うのだ。7.62×39mmならばまだしも、これが7.62×54Rや7.62×51mmNATOで、しかもフルオート射撃だったらアカン事になっている。
反動の強さと言えばドイツの対戦車ライフルにマウザーM1918っていう対戦車ライフルがあってだな、それの反動が射手の肩をぶっ壊しに来るレベルで、それ故に1人の射手につき2発までしか撃てない『ツーショットライフル』というジョークも生まれたらしい。
話が脱線した。まあ、反動の小ささ万歳って事だ。今の小銃弾のトレンドが西側の5.56mm、東側の5.45mm、中国独自規格の5.8mmに落ち着いた理由も頷ける。これは確かに撃ちやすいし、弾道も素直で当てやすいだろう。
とはいえ、小口径弾さえあれば何とでもなる、という認識も危険だ。武器にも弾薬にも長所と短所がある。それらをよく理解し効率的に使い分けるのが今後重要になって来るだろう。これ1つで何でもできる、という夢のような武器など、少なくとも2022年の時点では生まれていない(未来永劫きっと無理だろう)。
とりあえずは満足できる結果を出して射撃訓練を終え、スラムの地下に用意した秘密の訓練場を後にする。いつものように路地裏を通ってスラムを抜け、建物の屋根を伝ってリガロフ家の屋敷の塀を飛び越える。ここまで来れば後は簡単、いつもの雨樋をよじ登って窓の枠に手をかけ、自室まで行けばいい。
さてさて、今夜の夕飯は何でしょう? イチジクのタルトがあるとミカちゃん嬉しいな。フルーツ全般が大好きなミカちゃんなので甘いものはだいたい大好きなのです。ああこら、そこ。ハクビシンが害獣だからって畑に罠仕掛けないで。
もう1階分昇れば自分の部屋が見えてくる、というところで、明かりのついている部屋が目についた。ここは確か父上の書斎……父上以外にも人影が見えたので、何か話でもしている最中なのだろうか。
ぐへへ、盗み聞きしてやろう。なんかポロっと弱みでも見せてくれりゃあ全力でぶっ刺しに行きますよぉミカエル君。
『―――とにかく内定おめでとう、2人とも』
『ありがとうございます、父上』
『父上が昔からご指導してくださったおかげです』
この声……アナスタシアとジノヴィの2人か。
リガロフ家に生まれた”4人”の子供のうち、最も才能に溢れた優秀な子とされている2人、長女アナスタシアと長男ジノヴィ。話の内容からすると、その2人に就職先が決まったらしい。リガロフ家の再興に繋がる、父上にとっては都合の良い就職先が。
『アナスタシアは帝国騎士団、ジノヴィは法務省の法務官補佐……見事だ。私は嬉しいよ』
『無論、これで満足するつもりはありません。今後も精進を続け、必ずや父上に育てていただいた恩をお返しいたします』
おーおー、涙が出るねぇ。父上に育ててもらった恩、か。ミカエル君も持ってるよ、父上に育ててもらった”怨”。なんかちょっと違うけど。
父上を全力で泣かせにかかっているのは長男のジノヴィ。俺の3つ年上の兄貴で、マカールほど露骨にミカエル君の事を嫌っているわけではないらしい。というか、あまり興味が無いというか気にもしていないといった感じだ。接する機会がほとんどなかったから本当はどうなのかは分からないが。
窓の外から見ている限りでは、ジノヴィは礼儀正しく命令に忠実、その上命令を確実に実行できるだけの実力を持つ。命令を疑わずに実行してくれるという意味では、父上からすれば”よくできた息子”なのだろう。
とはいっても、リガロフ家の誇る優秀な子供の片割れだ。「こっちには銃あるし余裕余裕www」とはいかないのも事実である。少なくとも、ジノヴィはそれほど強い。
にしても意外だ……ジノヴィが騎士団ではなく法務官になる道を選ぶとは。確かに法に関わる立場になるのだから、権力の地盤を固めるには良いのかもしれない。まずは法務官補佐で経験を積み、そこから出世して法務官、といったところか。いいねぇジノヴィ兄さん、出世コースじゃん。
『ところで父上』
『何だ、アナスタシアよ』
『その……ミカエルの件ですが』
え、俺?
姉の口から予想外の名前が出て、部屋の中の空気が一気に重くなったのをここでも感じた。2人仲良く並んで立っているアナスタシアとジノヴィ。長女の隣に立つジノヴィが「オイ馬鹿姉貴、なんでそこでアイツの名前を出すんだ」と言わんばかりに目線で訴えかけるが、リガロフ家最強の長女アナスタシアは意にも介さない。
父上も我が子を祝福する場で聞きたくない名を聞かされ、少し機嫌が悪そうだった。えー、俺そこまで嫌われてたの? ショック、ミカちゃん大ショック。うっかり部屋にフラッシュバン投げ込んじゃいそう。
あからさまに不機嫌そうな顔になる父上に、アナスタシアは容赦なく畳み掛けた。
『父上、彼を侮ってはいけない』
『……どういう事だ』
『確かに私たち2人と比較すれば、ミカエルは非力でしょう。しかしあれは貪欲です。除け者にされてもなお、貪欲に力を求めている。私にはその行き着く先に恐ろしいものが見えます』
『ミカエルが……あの忌み子が我が一族の脅威となると?』
『そこまではいかないかもしれませんが……あまり過小評価し過ぎないようお気を付けを』
『警告のつもりか?』
『ええ。ですが……場合によっては利用できるかと』
利用……俺を?
アナスタシア、何を言ってる……?
『使いようによっては、父上のお役に立つでしょう』
『ふむ……』
お姉ちゃん、なんて不穏な事を。
おいおいおい、嫌だよ俺。17歳になったら冒険者の資格取ってこの家出て行く計画なんだからさ。父上の権力のための駒にされるのは御免だぞマジで。
うわぁ、と思いながら窓の縁に手をかけて壁をよじ登り、自室の窓を開けて中へと転がり込んだ。とりあえず聞かなかったことにしよう。第一、今まで散々存在しない子だの忌み子だの随分とひどい扱いをしてきた癖に、ワンチャン使える兆しが見えてきたらコレか。
面の皮厚すぎるだろ。戦艦の装甲でも使ってやがるのか。
自室にある洗面所で手洗いとうがいを済ませ、溜息をつく。
今更ながら俺の部屋に触れておくけど、この部屋にはシャワールームと洗面所、トイレも備え付けてある。食事はメイドが持ってくる事で、部屋から俺を極力出さずに軟禁しておけるということだ。
あーやれやれ、なんでこーんな家に生まれたんでござんしょ……そんな事を考えながら部屋に戻ると、コンコン、と部屋のドアがノックされた。
「どうぞ」
『失礼します、ミカエル様』
ガチャ、とドアを開けて中に入ってきたのはレギーナ……ではなく、メイド服に身を包んだ蒼い髪の竜人の少女―――クラリスだった。
彼女と出会ってから2年、屋敷でメイドとして働きながら言葉を覚えていった彼女とは、もう当たり前のように言語を使った意思疎通ができるレベルになった。たまーにマイナーな単語とかが出てくると困る事はあるが、今のままでも日常生活には支障がない。
もちろん彼女が稀有な、というか存在すら知られていない竜人であることは隠してある。角も見つからないよう、彼女のものだけ特注のヘッドドレスとなっている。これは用意してくれたレギーナに感謝しなければならない。
それにしても……クラリスは随分と身長が高い。
多分、年齢は今の時点で17歳くらいだろう。俺よりも2つは年上なのだが……彼女の身長は180cmくらいはある。ちなみに先週身体測定したら183cmだった。嘘、まだ成長期なのこの子?
それに対して、ミカエル君の身長は150cmでぴたりと止まった。どれだけ牛乳を飲もうとも、身長は1mmたりとも、1ミクロンたりとも伸びていない。何故。
おかげでクラリスとの身長差が残酷な事になっている。歳はそんなに離れてないのに、まるで親子のような身長差なんだけどなにこれ。どっちか身長バグってない?
「夕食をお持ちしました」
「ありがとう、クラリス」
彼女が持ってきたトレイは2人分だった。
「レギーナさんから、一緒に食事を済ませてくるように、と」
「ああ、そういう事」
なにゆえ2人分あるのか。まさかミカエル君を肥え太らせて食材にする気ではないかと思いながら凝視していたら、クラリスはそれを察したようで的確な答えをくれた。
今日の夕飯はビーフストロガノフ。ライスとオリヴィエ・サラダもあるし、デザートのアップルパイもある。
ソファに腰を下ろし、いただきます、と手を合わせてからスプーンを手に取った。こっちの世界に転生してから15年、未だに前世の日本で暮らしていた頃の癖が抜けない。
ビーフストロガノフを口へと運びながら、ちらりと隣を見た。隣で夕食を美味しそうに口へと運ぶクラリスと目が合い、ちょっと気まずくなって目を逸らしてしまう。
彼女と意思疎通ができるようになって、分かったことがある。
―――クラリスには『記憶がない』。
自分がどうしてあんなところに居たのか、さっぱり覚えていないのだそうだ。人間消失以前の記憶どころか、自分が何者なのかすらも分からないらしい。唯一覚えているのは、自分の名前がクラリスであるという事だけ。
したがって、彼女には帰るべき場所も無い。ここに彼女を招いたのはどうやら正解だったようだ。
それともう一つ。
料理や家事は色々と壊滅的だが―――戦闘に関しては、クラリスには驚異的な力が備わっている、という事だ。一緒に屋敷に戻ってきた時、パルクールを駆使して屋根の上を移動する俺に平然と追い付いてきたことから身体能力の高さは知っていたが、確かに今思えば素手でゴブリンを巣ごと殲滅するという離れ業をやってのける時点で、それほどの力を持つ存在と認識するべきだったのかもしれない。
そういう事もあって、彼女には特別な仕事が与えられていた。
ミカエル君の護衛兼監視役、である。
忌み子たるミカエルが何をやらかすか分からない……だから父上がレギーナを通してそう命じたらしいのだ。とはいっても、クラリスは父上ではなく俺の味方、こっち側だ。だから無断の外出は見て見なかったふりをするし、他のメイドや姉弟に行き先を問われても口裏を合わせてくれる。
専属のメイドとしてはいう事なし……いや、あるわ。ごめんクラリス。
今、俺たちが口にしているこの濃厚なビーフストロガノフは、レギーナが作ってくれたものだ。最初は料理も覚えさせようと奮闘してくれたレギーナだったが、2年間みっちりと特訓してもクラリスが生み出したのはその……国際条約とかで規制されかねない化学兵器のオンパレードだったらしい。
噂じゃあ鍋が溶け、その瘴気は換気扇を腐食させたのだとか。一体どんなレシピで料理を作ればそんな化学兵器が錬成できるのだろうか。
今では『クラリスに料理を作らせてはならない』という、暗黙の了解まで生まれているのだそうだ。
「今日もスラムですか、ご主人様?」
「ん? ああ」
ピクルス入りのオリヴィエ・サラダに手を付けると、突然クラリスがそんな事を言った。
「ちょっと特訓をね」
「努力家ですね、ご主人様は」
「ありがと……あと、”ご主人様”はやめてくれ、なんか恥ずかしい」
クラリスだけだよ、俺の事を”ご主人様”って呼んでくれるメイドは。でも恥ずかしい、という事を伝えると、クラリスは笑みを浮かべながら首を横に振った。
「ですが、クラリスのご主人様はあなただけです」
「うーん」
「ご主人様があの時、クラリスを連れだしてくれなければ、ずっとあそこで眠り続けていたでしょう。あなたは自由を齎してくれたお方……ですからこの命ある限り、クラリスはあなたに尽くします。ご主人様」
この忠誠心の高さよ。
強くて可愛くて忠誠心クッソ強い竜人メイドとか最高か? これだよな異世界の醍醐味って。
「あ、ああ……ありがとう。俺もクラリスの主人に相応しくならないと」
「もう既に相応しいですよ、ご主人様は」
そんな話をしている間に、夕食を食べ終える。デザートのアップルパイの甘さと香ばしさがまだ口の中に残っているうちに、クラリスは2人分の食器を重ね、片付けるだけの状態にしてから再びソファに腰を下ろした。
いつの間に、しかもどこから取り出したのか、彼女の手には耳かき棒があった。しかもご丁寧に梵天―――あのふわふわもふもふのやつだ―――までついたやつである。
「さあご主人様、クラリスの膝の上へ」
ぽんぽん、と太腿を軽く叩くクラリス。恥ずかしくて顔が赤くなってしまうが、誰も見てないし2人きりだし……いいよね?
ぎこちない動きでそっと頭を預けると、クラリスは嬉しそうに微笑みながら頭を撫でてくれた。落ち着けと自分に言い聞かせるが、テンパる心境を反映してか、ハクビシンの尻尾はさっきからぱたぱたと揺れている。
「では、耳かきしてさしあげます♪」
「や、優しくしてくださいっ」
何言ってんだ俺。しかも声裏返ってるし……。
数分後、『にゃあああああん!』という鳴き声が屋敷中に響き渡る事になった。




