濡れ手で……あわわ(その5)
「じゃあ僕はなにか贈り物でも買いにいってこようかな」
家の方向がばらける辺りで、佐野はととんと前に進み出るとそう言った。
「一応そういうの考えるんだなお前」
気遣いのデキるやつ、と思った俺が感想を向けると、佐野は肩をすくめた。
「べつに仲悪いとかじゃないからね。イベントごとはイベントごととして、普段の関係は一旦脇に置くくらいの度量はあるさ」
「私も用意しようかしら。邪魔にならずあと腐れなく処分なり使い切るなりできるもの、とか」
「その方向で考えてもらうと僕とも被りそうだなぁ……」
「あなたと同じセンスだと思われるのは心外ね」
「あ、言いましたね? それなら勝負しようよ倉刈さん。どっちが綾瀬さんにプレゼントをよろこんでもらえるか」
「上等よ。受けて立つわ」
「あとで吠え面かかないでくださいよ?」
「後頭部へのブーメラン投げがお上手ね」
綾瀬越しに唐突にバトルを勃発させる二人だった。どっからでも戦いに繋げられるその才能なんなの、蛮族?
「誕プレねえ。俺はどうすっかなぁ」
「なにあげても喜ぶってわかってるでしょ須々木」
「だからってなんも考えず目に入ったものホイと渡すのも違うだろ? 人としての格とか器に関わる問題だぜ」
いかに新鮮な驚きや喜びを与えられるか。
そういう能力にこそ人間性ってのが現れるというもんだろう。腕組みする俺に、佐野は横目で問うてきた。
「ふーん……ちなみに参考までに、須々木だったらどういうものが欲しいんだい?」
「いろいろあってDVD化とかされてない古い邦画のVHS」
「はい須々木くん。ご所望の品よ」
「このタイミングで?!」
どこからともなく倉刈さんが取り出した細長いVHSに俺はおののく。佐野は「ぶいえいちえす、初めて見た」とぼやいていた。
つーか欲しがってることを知られてるのはいまさら驚かないが、なんでいま持ってんの? 俺が「欲しいんだアレ」という発言をする今日のこのときまで、ずっと持ち歩いてたの?
「新鮮な驚きと喜びが、あったでしょう?」
「フフンとドヤ顔で微笑まれてもこわさしかないですしさりげなく俺の心読むのやめてください……でもありがとうございます、今度お返しするんで」
「期待してるわ」
おどろおどろしいパッケージ(当時最新のVFXを駆使したホラーだ)の映画を受け取りつつ、俺は恐々として言った。なんか見るのこわいなこのVHS……倉刈さんの情熱でへんな映像を念写とかされてない? 大丈夫?
「ていうか須々木、わりと映画好きだよねそういえば」
こわごわとカバンにしまっている俺を見て佐野が言う。倉刈さんも横でこくこくうなずいていた。
「そうか? 人並みだと思ってっけど」
「人並みじゃぁないと思うよ。みんなで呪いでくっついたときも『とりあえず映画観るか』って感じだったし、検索履歴とか視聴履歴もチラっと見ただけで映画ばっかなのわかったし」
「映像系のサブスクも常に稼働してるわよね」
「まあそうすね……言っても、流し見も多いんすけどね、俺。だからめちゃくちゃ好きで好きで見てるとかじゃないんです。視聴環境にこだわるとかでもなし」
「では、習慣みたいな感じかしら?」
「そういうこと」
なんということはない。
うちは父親が映画好きだっただけだ。その影響。
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うちの父と母は大学の映画研究サークルで知り合ったらしい。
撮影もするサークルだったそうだが、そこでの関係は──なんと監督と主演女優。
この話をすると誰しも「ロマンチックだねぇ、物語性ある」などと返してくるのだが、まぁ俺に言わせりゃ属性のひとつだけ抜き出して描写すれば、誰だって主人公とヒロインだ。だらっと間延びして尺もテキトーに引きで惑うのを描写すれば、誰だってエキストラだ。
そして主人公だろうがエキストラだろうが、スタッフロール後の人生になにが起きるかなんて。
しあわせが続くかどうかなんて、わからんのである。
「モブのエキストラの通行人F、って感じで目立たず生きてぇな」
「おかえりぃー。どしたのお兄ちゃん、帰ってそうそうにセンチメンタルとかメランコリーっぽいこと言って」
「いやべつに。そういう気楽な方がいいってぇだけだよ。ただいま」
返事があると思ってなかったので若干こっぱずかしくなりながら、リビングの尋と目を合わせずにキッチンへ入る。
手を洗い、さてケーキを仕込むかと準備をはじめた。
ひょこっとキッチンカウンター越しに顔を出し、尋は俺が出したボウルやふるいや泡だて器を見て目を丸くする。
「あれっお菓子作り? めずらしー最近やってなかったのに。……はっ! もしかしてかわいい妹に振る舞ってくれるの」
「お前の分じゃねえ。綾瀬が誕生日なんだよ」
「あの女には振る舞うのに妹はおあずけなの?! 何プレイ!?」
「何プレイでもねえよ。だからお前の分も、食いたいなら残してやるよ。タッパーで持って帰るわ」
「え、持ち帰りってことは出かけるの? いつもはあの女、うちに来るじゃん」
「今日は綾瀬んちに行く。自宅パーティーになるんだとさ」
「……風船浮いてたり折り紙の鎖が頭上にかかってる感じ?」
「そこの思考だけ兄妹でそっくりなのなんかヤだなおい」
一般家庭出身の想像力の限界を感じる。まあ人間、経験からしか語れねぇよな何事も。
しかしよくよく想像を膨らませてみると、自宅パーティーつってもあの八雲さんだ。めちゃめちゃ豪華なケータリングとか、あるいはシェフ呼んで三ツ星料理とか出してたらどうしよう。俺のケーキめっちゃ浮くんじゃないのか。
「……タッパー、デカめの持っていこうかな。ホールで入るくらいの」
「ぜんぶ持ち帰ってくれるの?! やった! おなか空かせてこないと……ちょっとその辺走ってくるね」
「つい先日までひきこもり一直線だったのにケーキにつられた程度でアクティブすぎるだろ」
「毎日お兄ちゃんがケーキ作ってくれるなら、毎日フルマラソン完走だってできると思う」
「俺アスリート養成してたつもりないんだけど。とりあえずそこどけそこどけ、材料並べて計ってセットしてからじゃないと落ち着かねんだ」
「わりとそういうとこは細かいよねお兄ちゃん」
「菓子類は数字が命なんだよ。メシは途中で味見て調節できるけど、ケーキはオーブン突っ込んだら焼き上がるまでなんも変えられんだろ」
「……………………?」
「ぜんぜんピンときてない顔してんじゃねぇよ、家庭科が5段階評価で1だった妹よ」
かつて電子レンジを炎上させるというやらかしで学校に呼び出されたときを思い出すよ。あ、ちなみにそれで落ち込んだとかひきこもりの原因になったとか、そういうドラマ的なアレはとくにない。こいつのひきこもりは自らの怠惰欲求に忠実に従ったまでだ。
キッチンカウンターの向こうでぴょんぴょん跳ねながら(下に響くからやめろ)、尋は俺に言う。
「で、今日はいつ帰るのお兄ちゃん。朝帰りとかは妹ゆるしませんからね」
「しねぇよ。向こうの親も居んだよ」
「でも向こうの親にも迫られたようなこと、GWに熱でうなされながら言ってたじゃん!」
「それはまあ向こうもいろいろ気が動転してたのであってだな……」
シャワーに入ろうとしてきたことですね。ちょっとアレは俺も興奮もとい動転しかけたけどね。でも結局はなにもねぇから。
「夕方からメシ食えば八時には終わるだろ。お前今日はバイトだっけ」
「あーうん。でも今日はお迎えはいいよ? 七時には終わるもん」
「さよか。暗くなるから気を付けろよ。さて結局なにつくるかな……あえて新メニューでも作ってみるか?」
レシピ本を出してめくりつつ、俺は「好奇心こそ人生、だしな」とぼやく。
すると尋はぴくっと反応して、湿気た目つきで俺を見つめる。
「……お父さんの家訓だ」
「ん、ああ。ことあるごとに耳にしてっと、やっぱり頭に残るなこういうの。自分で考えたよーなやつから単に借りてきた言葉までいろいろだけど」
『中座と言い訳は長いほど怪しい』なんて、あきらかに経験から生まれてそうな言葉だし。
全部で十二もある家訓だが、あんまりくどくど父が言うからすっかり頭に染みついている。その割に俺は暗記科目が苦手なんだが……。
なんて考えていたら、急にスンとした尋が俺の横を抜けて、廊下を玄関に向かいテクテク歩いていく。
キッチンスペースから顔を出して背中を見送ると、ハイカットスニーカーに足を入れてかかとを潰しながら、尋は言う。
「じゃ、わたしそろそろ中原さんとこ行くねー。図書喫茶のバイト」
「そんな時間か。迷惑かけんなよ」
「うん……ね、お兄ちゃん」
頑強な鍵に付け替えたため開錠にやたら時間かかるようになったドアをがちゃがちゃやって押し開けながら、外からの光を横顔に受ける尋がぼやく。
「気に入ってるとかだったら、アレなんだけど」
そんなにテンションの低いあいつの様を見るのは、ひさしぶりだった。
「家訓って、口にしなくてもよくない?」
閉じていくドアの向こう側から、漫画だったら吹き出しだけ差しこまれるような感じで。
「──たいして守れちゃいないしさ。わたしたち」
ぱたんと音がして、あいつの軽い足音が去っていく。
俺は一、二秒固まってから。
「守れてねぇの、一コだけだろ」
ふんと鼻を鳴らして、冷蔵庫をがちゃっと開けた。