濡れ手で……あわわ(その3)
御手洗さんと謎の男との遭遇から、約束通り佐野を送ることとなった。
倉刈さんは佐野が俺と二人きりになろうとしていたことにひどく難色を示したが、路地裏含めてなにやらきな臭いことと尋がひしっと俺に張り付き「帰るんだったらわたしお兄ちゃんと行くから」とガード役を成していることとで自分を納得させたらしく、名残惜しそうに去った。
「このあたりでなにか起きているのか、少し聞き込みしてくる。御手洗さんのことも、なにかわかったら連絡するわ」
「頼んます。あんなん徘徊してるってなると、おちおち妹も外に出せないし」
「お、お兄ちゃんがわたしを案じてくれてるぅ~! 愛? 愛だよねこれ!」
「はいはい兄弟愛ね。そんでお前、日中の居座り先は見つかったのか」
「あー、まあそれはそれなりに……ちょっとアルバイトというか。日中居てもいい場所は、見つけた」
「中学生なのにアルバイト、よく見つかったものだね」
私服に着替えてきた佐野がぼやく。尋はむーと口をとがらせつつ「バイトっていうか、……お手伝い的なやつ。そこの図書喫茶の」と返した。お手伝いか。見栄張ってバイトって言ったなこいつ。
ついでなのでその喫茶とやらへ挨拶に行くと、感じの良さそうなご年配の女性・中原さんが目尻の皺をくっきりさせながら「ええ、そう。さっき話がまとまったの。お兄さんもお暇ならいつでもいらっしゃいね。平日でも大丈夫だから」とお誘いいただいた。
見渡すと、商店街におさまる古い建物で、なんとなく信頼感のある店だ。店主も女性だし。
「お前、飛び込みで働かせてくださいっつったのか?」
俺が横にぼそっと訊くと、尋は頬を掻く。
「うん、まあ。えっと、通りかかったらパソコンそーっと触っては手を離して、困ってるの見えたから。横から口出したら、パソコン担当になった」
「なるほどな」
ではなにかのご縁と思いますのでよろしくお願いします、と頭を下げる。
すると後ろで佐野が「意外としっかりしたお兄ちゃんやってるね……」と感心したような声をあげる。俺は肩をすくめて振り返った。
なに言ってんだかなぁこいつは。中原さんから、そのお孫さんとか知り合いとかここの常連とか、女子との出会いに繋がるかもしれねぇだろう。俺はすべての縁を可能性と信じてキープしておくぞ。
「あ、大丈夫。なんとなく顔見たら考えてることわかった」
「まだなんも言ってねぇんだけど俺」
「いや、熱い思いが伝わってきたよ。目から。文学少女狙いかな?」
「ああ。そういえば俺の周囲、眼鏡枠はいなかったと思ってな」
「コンタクトのひともいないね、現状。たしかに空いてる属性だった」
「だからってダテ眼鏡とかで枠に入ろうとすんなよ?」
「しないしない。眼鏡仕草は天然モノじゃないと無価値でしょ。僕は、普段コンタクトで自宅だと眼鏡とかそういうのにグっとくるかな」
「気を抜いた感な。常時眼鏡に比べると邪道かもしれんけど、シチュ込みだとな。そそるよな」
「わかるー」
以心伝心だぜ。
とかやってたら「いちゃつくなー!」って尋に間へ割り込まれた。べつにいちゃついてねぇよ。こいつとの日常なんだよこれ。最近出来てなかったけど。
さて、ともあれ帰路につく。
流れで佐野と俺が話そうとすると、さっきのように時々尋が間に入って妨害してきた。けど佐野は佐野で綾瀬のように卑屈ではないので、やんわりとうまく受けている。
近い年齢層の同性とのあいだでバランサーを担ってたことが見受けられる動きだった。陸上の部活仲間とのかかわりを聞く限り、実際そういうフシはあったんだろうが。あとで妹がすまんねぇとでも詫びておこう。
そうしてだらだら喋りながら歩いているうち、ちょっと暗くなってきた向こうでなんやら赤いパトランプの耀きが見えた。
「んん? あれ、佐野お前んちの近くか?」
「えっ。やだなホントだ」
「なに、ケーサツ? 事件?」
俺たちはぱたぱたと野次馬根性で駆け寄ってみる。
パトカーは佐野んちからもうちょい先に停まっており、なにやら聞き込みとかしてる様子だった。
建物は……ん、見覚えあるな。なんだっけこの角地の建物。佐野んちにゲームやりに来たあんときに見たような。
「そうだ綾瀬が使ってたウィークリーマンション、だっけ」
のっぺりしたつくりの建物がなんだったかを俺は思い出した。
そうそう、お地蔵さまに拝んだらヒビ入ったんだよなあのとき。ヤなこと思い出したわ。
「泥棒? みたいだね」
野次馬の列の前の方から伝言ゲームされてきた情報を佐野が述べる。おっかねえなぁ。
「まあ綾瀬の奴も、いまは家に定住してっから回避できただけで。まだここ住んでたら危うかったかもしれんよな」
「だね……犯人捕まったみたいだけど、身近でこういうの連続するとやだな」
「ふうん。んなら妹、さっきの図書喫茶で働くみたいだし。しばらくのあいだ、帰りくらいはこうやって送ってやろうか? どうせ俺も妹迎えにいくなりするだろうし」
「いいの?」
「なんかあったら寝ざめ悪ぃだろ。尋もいいな、それで」
俺が視線をやると、尋は腕組みして損得勘定していた。
だが最終的に、佐野を送り届けたあとは俺と二人きりということで納得したらしい。「手を打ってあげる」と高圧的に佐野にガン飛ばした。やんわり受けて佐野は「ありがとう、妹君」と返している。相性悪しと感じたか、尋は微笑みに対して歯をむいて返した。やめなさい猛犬。
「にしても、治安悪いなぁなんか」
パトランプと雑踏から遠ざかりつつ、俺は素直にそう述べる。尋が「こわいこわい。お兄ちゃん妹の鼓動きいて? こわさでバクバク」とどうでもいいこと言いながら腕にしがみついておっぱい押し付けてきたが無視しつつ、夕飯のこと考えて歩く。
今日も綾瀬は来ないんだっけ。バイトねぇんだもんな。そうなると魚は手に入らんし冷凍してた肉でも使うか……と、尋の相手しつつ頭の一部で家事思考。
やがて家に戻ってきた俺はエレベーターで自室の階まで上がり、
鍵を取り出そうとして、固まった。
「な、なんじゃこりゃ」
「ひぇっ。おっ、お兄ちゃん。さっきまでのジョーク的なのじゃなくて、マジこわい」
俺たちはひしっと抱き合う。
そこには。
鍵を開けようとした泥棒がいたと思しき、鍵穴へのひっかき傷が多く残されていた。
……ちょっと勘弁しろよ、俺の日常のジャンルというか毛色変わってきちゃうぞ。
#
それから数日後。
いろいろあっても日常というものの強固さは案外あなどれないらしく、べつに大きくなんか起きるようなこともなく、俺は生活に戻っていた。
そして生活に戻るということは、生活の問題の方に直面するということで。
「期待というものは、生きてく上で不可欠な要素じゃないかと思っている」
俺がささやくと、佐野が動きを止めた。
――失敗を絶望とは言わない。
――苦渋を絶望とは言わない。
ではなにが絶望をもたらすか? それは期待ができなくなったとき、だ。
俺は鉛筆を指の間に挟み、クルクル回した。
「人間、希望とか期待するものがなけりゃ生きてけないだろ?」
「そうだねぇ」
前の席で俺の答案用紙を受け取り、前に回している佐野はうなずいた。
「だから俺はどんなときでも、期待だけは捨てないようにしてるんだ」
「宝くじって期待値がめちゃくちゃ低いって知ってる?」
「やめろ俺の鉛筆ダイスを見てそういうこと言うんじゃない」
1~4までと、残る2面に『振り直し』と書いたお手製運試しアイテムでテストに挑んでいた俺に佐野は呆れたような顔をした。
「結局、あんまり勉強できなかったんだね」
「だいたいの教科は大丈夫だったんだがな。暗記科目で覚える時間がちょいと足りなかった」
言い訳になるが、さすがにああいうことあった後はしばらく勉強も手につかなくてな。警察にいろいろ話すことになってひどくつかれたのだ。倉刈さん対策というか御手洗さん襲撃のおかげで鍵を変えていたのが、不幸中の幸いだったな。ありがとう御手洗さん。
「追試になったら手伝ってあげるよ。僕いい覚え方知ってるんだ」
「おお、ありがとよ……ん、お前いまカバンから出しかけた本はなんだ」
「なんでもないよ」
「なんでもなくねぇだろ『記憶上書き術(初期化篇)』って書いてあったぞ。お前まだあきらめてないだろ洗脳路線」
「出会い方が最悪だった二人がくっつくラブストーリーって世の中にあふれてるけどさ、あれって批判されないよねぇ」
「なにが言いたいのお前」
「つまり過程がどうあれ。結果がすべてじゃないかな?」
「お前も大概、屁理屈屋だよな……偶然が相性のズレを生んでたのを時間がすり合わせたってのと、人為的な手段で相手を思うがままにしようとしたってのとを同列にならべるのは無理あんだろ」
「偶然は必然に優る派、かい?」
「偶然は避けられねんだから、なるべく排除しない方がいい派だ」
でないと偶然とか不運に殴り倒されたとき立ち上がれなくなんぞ。
などとは言わないで、俺は机に突っ伏した。だはー、つっかれた。瞑目。意識シャットダウン。
中間も今日で最終日。
精も根も尽き果てた俺は、しばらくはなにもしないでぼーっとしたいと願う。睡眠は最高の瞑想であぁぁるぅぅ……。家訓その2な。
ところがまどろみかけた俺に向かって、ばーんと教室の引き戸が開く音がした。うるさいよ。
「須々木さんっっっ!!」
うるさいですよ。語尾にちいさい『つ』を連続させたような強発音するんじゃないよ。
「生まれて十六年になりましたっっ!」
おめでとう。そういや今日だったね。
「須々木さんに捧げられるしあわせを噛みしめたいです……今日は誕生日祝いということで、ぜひとも課金させてくださいっっ!」
「だってさ須々木」
「パスしてくんな佐野。文章題だったらあきらかにおかしいだろいまの発言。なんで誕生日祝いで金払おうとしてんのあいつ」
のそっと身を起こすといつも通りの綾瀬がはしゃいでいる。周りもこの奇行に慣れてきてしまったので「お、おう」「発作だ」「いつもの」「かわいい」とぼやいている。発作とか言ってやるなや。あとかわいいってのは同意しなくもないが無責任に褒めてこいつの奇行の責任取れんのか、ああぁん?
綾瀬の片手にはスマホで課金の音がジャラジャラ、その間隔と音から察するに、かなりの興奮がうかがえた。
このテンションなのにテストが終わるタイミングまで待っていただけ、こいつにしては努力した方だろう。
「まあだからって受け取らんけど」
「な、なぜ……!」
「だーから単に金だけ出されても萌えが無……ん、なんかスマホんとこメッセージ来てるぞお前」
「メッセージですか? あ、お母さんだ」
ぶんぶんと掲げているスマホの画面に通知がきていたので、俺は指摘する。綾瀬はそそくさとアプリを開いてなにやら文言を確認していた。
ひとしきり視線で画面をスクロールしている様子だった綾瀬は、ほよっと画面から顔を上げる。
俺と佐野と、あと窓辺の方向を見て綾瀬が言う。
「誕生パーティー、やるそうです」
「誕生」俺がつぶやく。
「パーティー」佐野が継いだ。
「やるというの?」
窓辺に構えていたらしい倉刈さんが最後に繋いだ。いつの間に、とももはや言う気にならない。
こくんと綾瀬がうなずく。
「えっと、その。みなさん、ご参加くださいますか?」
どうやらこの場の三人がご招待されているらしく、俺たちは顔を見合わせる。
その一瞬に去来した思いはみな同じく、『綾瀬家のパーティー、どんなのだ?』という不安にも似た疑念だろう。ぶっちゃけ信用できる要素がまるでない。
けれど断るわけにもいかない。俺はダチに呼ばれた、という理由。佐野と倉刈さんはおそらく「綾瀬にこれ以上俺の脇を固められたくない」的なやつ。
や、そんな実家訪問したことで俺の対応が変わるとかねぇんだけどな。どうもその辺へご理解いただけてないようなので。
「まあ、そんなら行くけどよ」
言いつつ俺もスマホを取り出す。いつもやってるソシャゲを開くと、フレンドメッセージが届いていた。
『ケーキお願いね』とお使い頼むような八雲さんからの文面である。へいへい。お任せ下さいよっと。俺はそう返信しておいた。