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苦あれば……落あり(その3)


『箱入りで育てすぎたな』


 中原さんの店で横に寝かせた綾瀬を見つつ電話をかけると、御手洗さんは開口一番そう言った。


「ど、どういうことです。ていうか大丈夫なんすか、綾瀬は」


『一時的なショックに過ぎん、すぐに戻る……一応な。だが病は気からだ。綾瀬のは、これまでの人生で他人に悪意を向けられた経験がほとんどない』


「……耐性がないと?」


『その通り。だから呪いの影響を受けやすい。黒い思念を向けられるだけで体調を崩すほどに』


 呪ってやる、という言葉だけでも過敏に反応してしまうということか。


 それは……あまりにも生きづらいだろ。


「早く復帰できないんですか御手洗さん」


『両手足ギプスだぞ。ついでに骨延長してもらおうかと思っているくらいだ』


「デカくなると強さに逆補正かかることあるからやめましょうよ……」


『冗談だ。ともあれ、八雲のが掛け合っていた代理の術師がもうじき到着する。そいつに指示を仰いでおけ。ただ……』


「ただ、なんですか」


『どんな術師でも、それこそ私でもどうにも出来ん呪いというものも存在する』


 そら恐ろしいことを言って、御手洗さんはしばし沈黙を挟む。


 俺がいったいどういう呪いなのか聞きたくてたまらなくなり、ようやく尋ねようとしたところで口を開く。


『自縄自縛。自分を呪うことは、どんな呪術師でも止められない。外側ではなく内側のことだからな』


「自分を……」


『須々木の』


 言葉を切って、俺に集中をうながす。


『お前はお調子者でノリが軽いし頭の中は助平そのもの、どうしようもない軽佻浮薄ぶりの空前絶後の愚か者だ』


「はあ」


『おい、なあ。このように言われて、なぜ反駁はんばくしない?』


「え、いやなぜって言われても」


 事実を言われて怒ってもしょうがないというか。そういうありのままの自分でいようと思ってるというか。深い考えはありませんが。


「反論もないですし、まったくその通りだなぁと」


『…………なるほど、根が深い』


 それだけ返して、御手洗さんはいまの悪口雑言についてはこれ以上触れないつもりのようだった。何、なんだったのいまの。


『まあいい。とにもかくにも、綾瀬のの傍に居てやってくれ。いまはそれだけでいい、お前が居ればあれは安心する。気からというなら、それが一番気を保つ方法だ』


「わかりました」


 素直に指示に従うこととして、俺は通話を切る。


 ソファで横になった綾瀬を見る。大きな胸が、いまは規則正しく上下して眠っている。尋もいまはおとなしい。やっとこ泣き止んで、疲れたのか綾瀬の隣で寝てた。


「一時的な過換気症候群だね。僕も何回か見たことある」


 前後を逆にした椅子にまたがるように腰かけ、背もたれに顎を載せた佐野が俺を見上げてつぶやく。


 ここに綾瀬を運び込んでから、さっき起きたことについては話しておいた。綾瀬が取り乱した理由、うちの親の離婚についても話すことになったが。そこについてはさすがに顔を引きつらせていた。ヨソの家庭の踏み込み過ぎた話題だしな。


「そっか。まあ、呪われた……とかじゃないらしいぞ。単に他人からの害意に弱いんだと」


「ああ。そもそも他人に悪く見られないように御手洗さんが守ってたんだもんね」


「ん、どうやらそうらしい」


 ひとに恨まれる経験、憎まれる思い出。そういうのがほぼないから、対面で直接ああいう意識を向けられるだけであてられてしまう……ということのようだ。


 代理のひととやらが到着するまでは、しばらくおとなしくしといた方がよさそうだな。


「自分のあずかり知らないところで、自分の責任の外側で。降ってわいた不運に襲われるって……しんどいだろうね」


「全部偶然だって笑いとばせりゃよかったんだろうけどな」


 そういう図太さを持つには、綾瀬はいささか繊細過ぎたのだろう。


「なあ佐野。お前に限って大丈夫だとは思うけどよ」


「なんだい?」


「綾瀬が気に病むこと、ないようにしてくれよな」


 いまのこいつは、周囲で起きる不運や不幸をどれも自分のせいかもしれないと、そう恐れてるから。


 俺の言わんとするところをくみ取ってくれたのか、佐野は半笑いで目を伏せると、軽く片手を振った。


「わかってるよ。だいたい僕だって、半分以上こんなの偶然だろうと思ってるからね。そりゃまあ、綾瀬さんちを中心にいろいろ治安の悪化が起きてるけど。原因と結果の因果関係なんて、どこまでさかのぼればいいかわかんないんだし」


「『あるかもしれない』って思わせることがまじないの本質だ、って心理学の本で読んだことあるけどよ。それでいくと綾瀬はマジで、まじないに掛かりやすいタイプってことだろな」


 催眠術とかもよく効きそう。……エロ催眠、とか一瞬脳裏をよぎったがさすがにそんな場合じゃないので置いておく。つーか催眠とかなくても言うこと聞くしなコイツ……。


「金もルックスも学力も運動神経も……俗に考えて他人にうらやましがられるモノなんでも持ってんのに。そん代わりに呪われるだの悪意向けられるだのを考えると、うらやんでいいもんでもねぇなと思うよ」


「だね。だいたい綾瀬さんは、その能力や備えたもののどれもが、べつに自らの欲しいものとかではないんだろうし。欲しいのは──たったひとつだけ」


「なんだよ。俺とか言うつもりかよ」


「正解」


 にひひと笑んで、肘で脇腹をつっついてくる。


「逆に言えばどれだけ呪われようがひとに悪く思われようが、須々木さえ無事に手に入るならほかはどうでもいいんじゃないかな」


「重てぇよ。あとそれお前の考えだろ」


「僕の、っていうか。恋する乙女みんなに共通の考えだと思うよ?」


「……そういうもんか」


「そういうもんです。でもだからこそ、僕とか倉刈さん、須々木に妹さん。みんなに迷惑がかかる原因になってるかも、ってことに悩んでるんだろうね」


 直接に綾瀬の叫びを聞いていないのに、今日の帰りの時点で佐野は綾瀬が悩んでることを察していたらしい。空気の読めるやつはちがうな。


「自分が傍にいたら好きな人に迷惑かかる……ってなったらさ。やっぱり僕でも身を引こうかと考えるよ」


「ホントか?」


「半分くらいはね」


「もう半分は?」


「もう半分の本心は、『それでも構わない。一緒に地獄に堕ちよう』って抱きしめてほしい」


「…………」


「……………………、」


「………………………………」


「…………うん、まあ。そういうところはね。僕にも、ハイ。ある、っていうか」


「さらっと言おうとしたのに結局照れてしどろもどろになるのやめろ」


 取り繕えてない感じがちょっとイイなと思っちまうだろうが。


 でも……そういうもんなのかね。


 だれかに好かれたいって気持ちは、そのだれかが自分のためになにを支払えるかまでを考えてしまう、と。そういうもんなのかね……。


「俺にはよくわからん」


「男子だもの。乙女心わかるはずないし、わかってくれないくらいでいいんだよ」


「うそつけ。お前なんか絶対察してちゃんで構ってちゃんだろ」


「そりゃ、状況によっては否定できないかなぁ」


「使い分けすんのかよ。ズルくね?」


「女はもともと、ズルいもんだよ」


 肩をすくめて佐野は言う。次いで手を伸ばし、綾瀬と尋の頬を順につついた。二人とも起きない。


「……須々木ってさ」


 手を引っ込めて背もたれの上に両腕を重ね、それを枕にしながら佐野が俺の眼を見る。


「あん?」


「家のこと、もしかしてずっと悩んでた?」


「なんだよ急に……べつになにも考えちゃいねぇよ。不仲について触れないようにしてたのはほれ、話題に出すと空気悪くなんだろ? 単にそんだけのことで、悩んじゃいないっての」


「そっか」


「冷えた家庭だの離婚だのなんざ、ありふれた話だしな。そもそもの不仲の原因も……なんだ、誤解によるもんでな」


「あ、えっと。須々木、話しにくいなら無理には」


「いやべつにそういうのはないぜ? むしろお前が暗い話聞きたくないとかならやめるけど」


「あー……じゃあ、聞きかけちゃったのは僕が話進めたからだし。最後まで聞いとく」


 責任感じて聞くようなことでもないけどなぁ、うちの父と母の話なんて。とは思いながらも、その辺が互いの妥協点かなと考え直したので俺は語ることにする。


「長い話じゃないけどな。親父がお袋の浮気を疑って、でも冤罪だった。そんでお袋が疑われたことにキレてそれっきり家の中で会話しなくなり、時は流れていまに至る。おわり。……おい短すぎたな。脚色すりゃよかった」


 冗談めかして言ったが、やっぱ話自体が暗ぇからな。佐野は笑わなかった。


 じーっと俺の顔を見上げたままで、たまにまばたきするばかり。んだよ。なんか言いたいことあんのかよ。


「ねえ、須々木」


「話がつまらんかったとかの文句なら受け付けねえぞ」


「催促しといてそんなこと言わないってば。そうじゃなくてさ。その」


 一度だけうつむき、たたたっ、と背もたれの上を各指で順に叩いた。リズムをつけるようにして、すうっと息を吸う。


 つづけて、俺をもう一度見上げる。


「僕だったら、裏切らないし疑わせないよ?」


 しばたいた瞳の上でまつげが濡れていた。


 えらくイイ顔で言い切ったが……ぅん?


「なんだ裏切らないって……疑わせない、ってなんだよ唐突に」


「……ごめん。こんなタイミングで言うような話じゃなかったかも」


「や、別段お前がいつどのタイミングで俺に話しようが、ぐっすり寝てる深夜とかじゃなけりゃ聞くけどよ。いまのは、意図がつかめん」


「そのままの意味だよ、僕は須々木のこと裏切らない。須々木を心配にさせて、疑わせるようなまねもしない……って、ああ。言えばいうほどいまじゃなかった気がする。ごめん」


 佐野は平謝りして、椅子を立った。顔洗ってくるね、と言って奥の手洗いに消える。


 ひとりになってしばし、考えて。


 文脈が整い繋がってきたので、俺はああー、と納得した。


 同時にちょいとハズくなり、かつ、申し訳なくなる。


「告白だったのか……」


 どんなときでも絶対に味方だという宣言。さすがにこれを拾えなかったのは気まずい。


 つっても、俺が落ち込んでると思っての励まし込みの言葉なんだろうが。実感としてべつに俺が落ち込んでいないので、妙な温度差ができちまった感じだ。


 悪いことしたかな。うーんと首をひねっていると、綾瀬が起きてくる。


「あ……、あたし、は」


「目ぇ覚めたか綾瀬」


「須々木さん? その、さっきの悪漢は」


「ぜんぶ終わってるから気にすんな。それより気分とかは悪くねえのか」


「いえ、いまは落ち着いてますが。突然呼吸が乱れて、気分が悪くなってしまって……」


「まだ安静にしてろよ。無理しなくていいからな。とりあえず今日は帰ったらさっさと休もうぜ、学校もちょいとばかし自主休校でいいだろ」


「いいんでしょうか?」


「つーか無理させると俺があとから八雲さんにどやされそうだしよ」


 勘弁してくれ、というポーズを取りながら俺が言えば、綾瀬はそうかもしれませんねとほほ笑んだ。


 しばらくは、休めばいい。代理術師とやらが来たら解決することだ。御手洗さんはああ言ってたが、綾瀬に限って自分を呪うような落ち込み方は……俺がなんかつっぱねたときに自分を責める程度で、それ以上のものはない。


 だから大丈夫だ。


 そう、思っていたのだが。


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