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【江戸時代小説/仇討ち編】

【江戸時代小説/仇討ち編】流転の仇討ち

作者: 穂高

 昼休み、教室にいたおれ、嘉賀善嶺(かがよしみね)は校内放送で職員室に呼び出された。

 隣の席に腰かける友人の鶴木南典(つるぎなんてん)がからかってくる。

「なにか仕出かしたのかよ」

「なんの心当たりもねぇよ」

 後ろの席に座る幼馴染みで親友の多門寺京市(たもんじきょういち)が背中を押す。

「いいから、早く行ってこい」

「お、おう……」

 そのとき、なぜだかおれは悪い予感がした。そして、こういう勘は大抵当たるものだ。

 しばらくして、教室に戻ったおれに南典が尋ねる。

「で、なんだった?」

 おれは震えた声で告げた。

「じいちゃんが、死んだって……」

 それは、高校二年の夏休みに入る直前の出来事だった。

 *

 親代わりだった祖父が死んだ。

 夏休み、南典と京市と約束して計画立てていた海への旅行が、祖父の遺品整理に替わった。

「南典は親の実家に着いていくから来れないって連絡があった」

「そっか。京市はいいのか、じいちゃんとか……」

「ほら、うちは寺だし、家も隣だからさ。盆まではお前んとこ行って手伝うよ」

「サンキュな、助かる」

 京市は昔っからお人好しで、こっちがうっとうしくなるほど世話好きなやつだ。でもそれが今回ばかりはありがたかった。

 おれは元々おじいちゃんっ子で、小さい頃に親を亡くしてからというもの、祖父が育ててくれたようなものだった。そんな祖父が急に死んで、ひとりだと今頃おれはさみしさに耐えられなかっただろう。

「ばあちゃんからは蔵の整理を頼まれてんだ」

「ならさっそく始めようか」

 京市はおれや南典よりも頭がいい。特に歴史には詳しかった。

「もし蔵からいいもん見つけたら持ってっていいって」

「いいもんってなんだよ」

「お宝だろ」

「あるのか、そういうの」

「一応、江戸時代からここに住み続けてるとは聞いてる。お宝があるかどうかはわからねぇけど……見つけたもん勝ちな」

 ははっと笑う。

 おれがこうして笑えるのも京市がここにいてくれるおかげだった。

「しっかし、いつ来てもこの庭すごいな」

 京市が祖父の家の庭を眺める。

 松の木や梅の木が植えてあって、奥には小さな祠がある。

「あの祠にはなにが祀ってあるんだっけ?」

「さぁ? 前に一回じいちゃんから聞いたけど忘れちまった」

「この池もそうだけど、手入れ大変そうだな」

 六畳ほどの広さの池もある。金魚はいるが藻が生えていて底は見えない。

 中庭を通り、ようやく蔵に辿り着く。

 閉ざされた扉の取っ手部分の金具を引っ張る。

「ぐっ、重いッ」

「手伝うよ、せーのっ」

 ゴゴゴォとまるで一度開けたら戻せないような低音が辺りに響いた。

「随分、埃っぽいな……」

 蓄積された埃が、天井の小窓から射し込む太陽の光に照らされてキラキラと舞っている。

 長年だれも立ち入っていないのだ。

「とりあえず、全部外に出すか」

「ああ。中庭を抜けた先の部屋使っていいって。そこに置いていこうぜ」

 朝から手をつけて、気がつけば夕方だった。

「あとこれ一個だ」

 五十センチ四方の重箱を持ち上げようとするが、ひとりではなかなか持ち上げられない。

「京市、こっち手伝ってくれ」

 京市とふたりがかりでやっと持ち上がったそれを中庭に面する部屋まで持っていこうとする。

 しかしそのとき、おれが石につまずいて体制を崩した。

「やばいッ」

 ふらついたおれのせいで京市までバランスを崩す。

「善嶺ッ」

 慌てる京市の声、焦る京市の顔、そして勢いよく水面に顔をぶつけ、全身が冷たい水に浸かるのを、おれは一瞬にして感じとっていた。

 *

「……みね、善嶺っ」

 だれかがおれのことを呼んでいる。

「ん……京、市……?」

「気がついたか!」

 なにがあったんだっけ……ああ、そっか、おれ池に落ちて……。

 京市の髪から雫が顔に降ってきて今自分は横になっているのだと知る。

「ははっ……京市もびしょ濡れじゃん」

 そう言って京市の髪を触ろうとした途端、肩を持って強制的に起こされる。

「笑ってる場合か!」

 いつも怒らないはずの京市が珍しく声を荒らげる。

「見ろよ、これ!」

「なんだよもう、池に入ったくらいでそんなに怒らなくたって……」

 辺りを見渡す。

「うちって、こんなだっけ……?」

 そこは道行く人が和服姿で、どこかの町の道端におれたちは座っていた。

 読めない文字の看板。並ぶ日本家屋。鐘の音は響くし、道行く人々はおれたちのことを奇っ怪なものを見るかのように珍しがってゆく。そして、五キロほど向こうには一等高くそびえ立つ建物がうかがえた。

「城、か? あれ……」

 いやいやいや、意味わかんねぇし! どこだ、ここ。どうなってんだ、いったい!

 恐るおそる京市に確認する。

「おれ、生きてる?」

「顔青ざめてるけど生きてるよ」

「ま、まず、頭ん中整理しよう!」

 おれはぽんと手を打ってこれまでのことを順に追っていった。

「……そしたら、おれが足くじいて池に突っ込んで……」

「気がついたらここにいた」

「それで、ここはいったいどこなんだ?」

「悩んでいても仕方ない。あのひとに聞いてくる」

 京市はそれだけ言い残して、道端で風車を売る女の子に話しかけにゆく。

「度胸あるな、あいつ」

 待っているとなにやら怪訝な顔をして戻ってきた。

「よく聞けよ、ここは今——」

 京市が思ったより真剣な面持ちなので、ごくっと唾を飲み込む。

「元禄十一年だって」

 そう言われてもいまいちパッとしない顔のおれに京市が易しく言い直してくれる。

「つまりは江戸時代ってことだ」

 頭の中が真っ白になり、耳を疑う。

「え? 今なんて?」

「俺たちはどういうわけか、江戸時代にタイムスリップしたんだよ!」

 京市の必死さに我に返るおれ。

「ええぇぇぇぇぇえ!!!」

 京市が混乱するおれに右手を差し出す。

「ほら、善嶺、立って」

 まだまだ不安は隠しきれないが、ひとまず親友のその手を取っておれは立ち上がったのだった。

 *

 ガシャン、立ち上がると同時に物音がした。ふと下を見てみると三十センチぐらいの刀が落ちていた。

「これ、京市の?」

 拾い上げる。

「いいや。どこから出したんだよ」

「知らねぇよ。おれのもんじゃねぇ」

 道端で言い合っていると周りの視線に気がつく。

「な、なんかさ、周りの人みんなこっち見てんだけど……」

 おれがそう言うと京市はおれの手をパッと取り、そのまますたすたと路地の裏手に回った。

「きっとこの服が目立ち過ぎるんだ。どこかで着替えないと……」

「金ねぇのに、どうやって着替えるんだよ。そもそも元の世界にどうやって戻るんだよ」

 京市に尋ねてもなにか考えているのか返答はこない。

「なぁ、聞いてんのか?」

 おれは少しイラついて京市の肩をこづいた。

「ちょっと落ち着け、善嶺。今、なにかいい案を考えるから」

 京市の視線がおれが持つ刀をとらえる。

「これだ!」

 貸してと言われ、京市に刀を渡す。

「これを売ってお金に替えよう。それしかない」

「元の世界に戻る方法を先に考えたほうがよくねぇ? あと腹も減ってきたぞ」

 意見が分かれ、京市は渋い顔をする。

「確かに元の世界に戻る方法の手がかりはこの刀だけ……これを売ってしまうのは不味いか」

 刀を返され、京市は真剣な眼差しでおれを見てくる。

「一緒のところに落ちてたってことは、これが元の世界に戻る鍵になるかもしれない。おまえが大事に持っておいてくれ」

 刀を渡されたはいいが、持って歩くのは面倒くさいので、とりあえず刀を腰のベルトに差してみた。

「いっちょ上がり。で、これからどうする?」

「着替えと服だ。なんか売れそうなもん持ってないか」

 京市は物々交換で着替えと飯を手に入れてみせると断言した。

「ポケットにあったのはこれだけなんだけど」

 ポケットに手を突っ込んで出てきたのは小銭、全額九十円とスマートフォン。

「スマホ! ……は圏外か。使えねぇのかよ」

 一瞬、期待したが自己完結で終わる。

 一方、京市は長年愛用して身につけてきた数珠を出した。

「いいのかよ、大事なもんなんだろ、これ」

「善嶺だけに物を出させるわけにはいかないからな。これでも二束三文にしかならないだろうけど、やってみよう」

 物々交換をふたりでやれば早いんだろうけど、京市はおれにこの路地裏で待つよう指示した。服が珍しいために目立ち過ぎて、ひとが警戒するからだ。

「おかえり。どうだった?」

 京市は笑顔で帰ってきたのを見て、おれは内心期待した。

 しかし、京市の手には薄い布二枚。

「なんだこれ」

「浴衣だよ。これだけにしかならなかった。ごめん……」

 声のトーンが低く、あからさまに肩を落としているので、おれはあえて明るく振舞ってみせた。

「いや、いいよ! 十分じゃん! 早速、着替えよう」

 交代ごうたいで路地裏で着替えを済ませることにした。

「なぁ、浴衣の帯ってどうやんの?」

 和服なんて滅多に着ないおれはやり方がわからず京市に聞いた。

「貸してみろ。こうやって……」

 京市は慣れた手つきでおれの腰に手を回して帯をそれらしく結んだ。

「おお、いい感じだ! ありがとな!」

 笑ってみせると、京市はすぐに体を離してそっぽ向いた。

「顔赤いぞ、大丈夫か? 京市」

「な、なんでもない。日焼けだよ、たぶん」

 脱ぎ捨てた現代の服を丸める。

「これ、どっかにしまっておきてぇな」

「あぁ、いざというときに必要になるかもしれないな」

 あ、と京市が思いついたように言って、ついて来いと言うのでその通り行くと、ある神社に行き着いた。

「この辺りの草むらに隠しておこう」

「おう。なぁ、京市……この神社、おれ、知ってるんだけど」

 おれはこの神社に初めて来たのに、なぜだか見たことがある気がした。

 子どもの頃から遊びに行っていた神社そっくりだったのだ。

「あぁ、わかってる。この神社、きっと現代までここにあるんだ」

「この時代から存在したってこと?」

「そうだ」

 時代をさかのぼって来たことがだんだんと現実味を帯びてきて、おれは少し怖くなった。それを明るい話題で忘れようとしてみせる。

「今が夏でよかったよな。こんな薄い服で出歩くなんて、冬だったら凍死してたぜ」

 はははと笑っていると向こうの草陰からガサガサと物音がした。

 まだ慣れないこっちの時代。

 そっとのぞいてみる。

「エッ」

 おれは驚いて、自分の目を疑った。

 そこには、自分と瓜二つの顔をした男が、京市と同じ顔したやつと濃厚にキスしている姿があった。

「えっえっえっ」

 後ずさるおれ。

 その肩を受け止める京市。

 おれは京市を見た。

 京市もおれを見る。

「京市? あ、あそこにも、京市?」

 どうなってるんだと頭が混乱して、目が点になる。

 しかし、そんなおれを他所に、京市はひどく落ち着いた様子だった。

「おそらく、あれはこっちの時代の俺たちだ」

 京市が説明してくれるが頭に入ってこない。

「キ、キ、キスしてんだけどッ、なぁ、どうなってんの?」

 慌てたおれが体を反転させ、京市にしがみつく。

 すると京市はおれの視界にやつらが入らないように腕を頭に回してきて、ぐいっと引き寄せた。

 京市の胸の鼓動が聞こえる。

 ドクドク早く波打つそれは、顔に出さないだけで、京市も平気じゃないことを示していた。

「んぁッ」

 背中から男物の喘ぎ声みたいなのが聞こえて、おれは瞬時にこの時代のおれの声なんだと理解した。

「んやぁ、そこ……だめぇ……」

 お、おれの声や姿で変なこと言うんじゃねぇ!

 奮起して怒鳴りに行こうと身をひるがえすが、その腕を俯く京市に取られて動けなくなった。

「離せよ、京市。おれはあれが許せないっ」

 パッと顔を上げ、本気で怒った顔をする京市。

「なんて説明するんだよ! こっちのふたりは恋仲なんだよ、この時代では! 好き合ってるんだから放っておいてやれよ!!」

「ありかよそんなん、最ッ悪だ!」

 おれは頭を抱えてひざから崩れ落ちる。

 羞恥心が怒りに変わって、それが今度は悔し涙に変わる。

「京市……せめて、聞かないでくれ……あんな声、おれじゃない……」

 泣きそうな眼で京市を見ると、苦しそうな表情の京市と目が合った。

「そうだよな……京市も気分いいわけないよな、自分とそっくりな姿であんなことしてるの見てるのは……」

 そんなことを言ってる間にもこっちの時代のおれたちの絡みは激しくなっていく。

「もう行こう。ここから離れたい」

 そう言った京市は険しい表情をしたまま、なにも喋らなくなった。

 *

「今、何時なんだろ……」

 時計がなく、おれたちは空腹に見舞われていた。

 すっかり日も沈んでいる。

「なぁ京市、もうさっきのことは気にすんなって」

 こんな時代に飛ばされて、頼れるのは京市だけだ。おれはなんとか励まそうと試みる。

「おれも忘れるよう心がけるから」

 そのときだ。今来た道のほうから悲鳴が聞こえた。

「行ってみよう!」

 京市と一緒に走り出す。

「なにがあったんだ!」

 元来た道を戻ると人だかりができていて、その中心にはこの時代のおれたちがいた。

「境内の階段から足を踏み外したんだって……」

 野次馬のだれかがそう言った。

 取り囲んだ中心にいるおれとそっくりな顔したやつが頭から血を流してぐったりしている。

 その傍らでは先ほど睦み合っていた京市の顔したやつが涙を流しながら叫んでいる。

「今やったのはどこのどいつだ。背中を押したろう! おれの善宗をこんな姿にしやがって……! 善宗っ、しっかりしてくれ、善宗ッ……」

 おれはなにもかも怖くなって後ずさる。

「この時代のおれ、死んじゃうのか……? 殺される……?」

 後ずさるおれとは違い、京市は前に出てゆく。

「お、おい京市、どこいくんだよ」

「おまえは見るな」

 そう言って、京市は野次馬の中に消えてゆく。

 おれはその輪から抜け出して京市が戻るのを待った。

 しばらくして、青ざめた顔をして京市が戻ってきて言った。

「どうやら階段から突き落とされたらしい……」

「こっちのおれはどうだった?」

 聞きたくない答えが返ってくる。

「あれじゃ……きっと助からない……」

 京市は首を横に振った。

 そのとき、野次馬のひとりが京市とぶつかって、京市が体制を崩した。

「京市ッ」

 前のめりになったおれと、偶然にも唇が重なり——次に目を開けたときには、じいちゃんの家の庭だった。

「あれ……? 戻ってる」

 池の横で尻もちを着いた状態で、痛いところといえば頭くらいだった。

 そばには京市もいた。

「京市、平気か?」

「あぁ。現代に戻ったみたいだな」

 高々に昇る月を見上げて京市がほっとしたように言う。

「それにしてもなんで……」

 さっきまで大勢の中にいたのに。

 色々な考えが頭をよぎる。

 それは京市も同じだったようで、京市は立ち上がるとある推測を口にした。

「あっちの世界のおまえが死んだから、元の世界に戻れたのかもしれない……」

 ひんやりした空気が身を包む。

「え? 待って、向こうのおれが死んだ? それにキ、キスしたよな、京市と……」

 唇に手をやりながら京市を見た。

「……そうだったか? 気のせいだろ」

 確かに残る感覚を京市に否定され、勘違いだと知る。

「そっか。そうだよな」

 おれはあははと笑い、いい加減すき過ぎて痛いくらいのお腹をなでながら京市と飯を食うことにした。

「食べ終わったら花火しねぇ?」

「あるのか?」

「さっき見つけた。湿気ってるかもしんないけど」

 おれたちはそうそうに食べ終わると花火をしながら少し話をした。

「こっちの時間ではまだ七時だったんだな。三時間くらいじゃん、あっちの世界に行ってたのって」

「あぁ、大体そんなもんだな」

 線香花火に火をつける。

「なんか、色々ありすぎてついてけねぇわ、おれ……」

 いきなり異世界に飛ばされて……向こうの世界でもおれがいて。そいつが、京市に似たやつと体の関係つくってて。挙句、階段から落とされて死んで……。

「頭が一個じゃ足りねぇよ……」

 頭を抱えるおれに、京市はふっと笑う。

「なに笑ってんだよ」

「いいや。善嶺が悩むの珍しいなと思って」

 京市が持っていた線香花火とおれが持つ線香花火がくっついてバチバチ火花を闇に咲かせる。

「なんで?」

「おまえはいつも後先考えるより先に行動するだろ?」

 くっついた線香花火が地に落ちる。

 おれにはそれが合図のように思えた。

「もう一度、行こう!」

 京市が立ち上がったおれの顔を見てため息をつく。

「江戸時代に? 本気で言ってるのか?」

「あぁ! おれを殺したやつを捕まえに行こう! じゃねぇと、報われねぇだろ、おれが!!」

 恋仲だったんなら、向こうの京市がなおさら可哀想だ、と胸を張って言うと、京市はさらにため息をついて、しばらく黙り込んでから言った。

「本当に行けたときのために準備をしよう。まずはこの服から」

 その言葉で京市もやる気になってくれたのだと嬉しくなる。

「それと善嶺、ひとつ探し物を……」

 京市はやっぱり賢かった。

 *

「共にゆこう、地獄までも……」

 時折みる夢で、いつも京市に似たやつが言ってくるんだ。

 悲しい目をしていて、今にも泣きそうな声で。

 だけどおれは、そいつが京市じゃないことを知ってるから、だから最後までその言葉に返事は返さない。

 でも、それでもなぜだか泣けてくる。

 目が覚めたら布団の中で、涙が出ていて、おれは必ずこう思う。

 おれがおまえの涙をとめられたらって。

「……嶺、善嶺? 聞いてるか」

「お? おう。なんだ?」

 そうだった。おれたちは今、江戸時代に来てるんだった。

 京市が予想した通り、前に似た状況を作ってじいちゃんの家の池に飛び込んだ。

 するとやっぱり目を開けたら江戸時代のどこかの通路にいた。

 おれたちは今回、予習をしてきた。

 まずは服の準備。和服は京市が一度家に帰って二人分用意した。

 京市のじいちゃんの家は寺で、戦国時代からあるとかないとか聞いたことがある。

 その間におれは京市に頼まれたある物を探していた。

「蔵から取り出したこの中にあるんだけどなぁ、どこやったっけ……?」

 探し物は家系図だ。

「ん? これか」

 京市とおれは着替えを済ませたあと、家系図を広げた。

 いかにもな感じの巻物だ。

「向こうの世界の俺はおまえのことを確か“善宗”って呼んでたな」

「そのひとを探せばいいってこと?」

 ふたりして読みにくい筆文字をたどっていく。

「あ、あった!」

「元禄十一年没……やはりあの年に死ぬってことか」

 愕然とするおれ。

「大丈夫か? 善嶺」

「……京市は平気なのかよ」

「今のところ予想範囲内だ」

 京市がさらに巻物をひもといてゆく。

「この系図からすると、善宗さんは結婚をしていない。弟さんが結婚して子どもをふたりつくってることになってる」

「へぇ——」

 自分の家の家系図なのに知らないことだらけで他人のものみたいに思えてくる。

「京市、深夜近くだけど、どうする? 行くの明日にする?」

「なんだよ善嶺、ビビったのか?」

「そ、そうじゃねぇけど……池に飛び込んで行けませんでしたぁとかなったら恥ずかし……」

 ふっと京市が笑う。

「そうなっても、俺しか見てねぇよ」

 なぁんて、言って飛び込んだら、来れるんだもんなぁ江戸時代。本当にどうなってんだ、あの池の構造。

「刀……というか、脇差か。持ってきたか?」

「ん? あぁ、ちゃんと腰に差してるぜ。それにしても、賑やかだな」

「あぁ、夏祭りの時期に来ちまったみてぇだな」

 わんやわんや、屋台は立ち並び、通りはひとで溢れている。頭上では時折、花火の音がした。

「祭りとなると、今は元禄十一年の七月だ」

「さすがは京市」

 でも前に来たときがいつ頃かわからねぇと意味がねぇ。

「善嶺の考えてることなら大体わかるよ」

 京市はそう言って紙を見せた。

「祭りのチラシ?」

「今日は祭りの当日だ。この間、おまえが死んだのは“明日”だ」

「え?」

 京市は初めてこっちに来て神社に行ったとき、このチラシが捨ててあるのを見たそうだ。そこから、あの日は祭りが終わったあとなんじゃないかと推測したのだという。

「明日、おれが神社で死ぬのか。ならそれを止めれば!」

 こっちのおれがだれかに殺される運命も、その方法も時間も知ってる!

「こっちが先手だ!」

 きっと上手くいく。そんな予感がした。

 おれたちはまずこっちの時代の自分たちを捜すことにした。

「おい、あれ見ろ」

 運よく見つけ、後を追う。

 夏祭りで賑わう通りはひとでごったがえしていて、善宗さんたちの背が人ごみの中に消えてゆく。

「見失っちまう! 京市ッ」

 おれは後ろから着いてくる京市に手を差し出した。

「手ぇ繋がねぇと京市ともはぐれちまうからッ」

「あ、あぁ……」

 おれたちは江戸中のひとがわいわいと楽しく過ごす中、男同士で手を繋いで移動した。

 こんなん、いつ以来だ。小学生……いや、幼稚園ぶりか。

 そのとき、一際、血相を変えて同じ方向を目指す見知った影を見た。

「ありゃ、南典か?」

 一瞬の影。それは人ごみにのまれて消えていった。

「なぁ、今の見たか?」

 立ち止まって京市に尋ねる。

「なにを?」

「いや、南典に似たやつを……」

 京市は俺の手を引っ張った。

「それより早く行かねぇと見失うぞ」

 腑に落ちないおれのこころを置いて、おれたちはふたりの跡を追った。

「この辺りにいるはずだが……」

 京市もおれも辺りを見渡す。

 暗くて向こうのほうまではよく見えない。

「どこに行ったんだ……」

 途方に暮れたそのときだった。

「だれか! だれか来てくれぇ! ひとが突き落とされて溺れちまった!!」

 すぐ近くで男が叫んだ。

 声のしたほうに行くと橋の上に横になる影と、それに寄り添う影。

「善宗ぇ!」

 その声にぴくりと耳が反応する。

 まさか!

「ゔっ!!」

 思考回路がなにか掴みかけた途端、おれは急に胸が苦しくなってその場にうずくまった。

「どうした、善嶺ッ!」

「く、苦し……息ができな……」

「おい、善嶺ッ! しっかりしろ!!」

 意識を失う直前、聞いたのは、おれを必死に呼ぶ京市の声だった……。

「ぷハッ! ゴホッゴホッ……」

 気づいたら、じいちゃんの家の庭先だった。

「まるで自分が溺れたみてぇ……」

 全身が怠くて腕は上がらなかった。

 京市が起き上がらせてくれる。

「気がついてよかった」

 京市の安堵する声と共に、おれはへとへとになりながら、夜明けを迎えた。

 *

 とりあえず、風呂に入り、ご飯を食べ、それから寝た。

 わかんねぇことだらけだけど、体力勝負な気がしたからだ。

 昼過ぎ、おれたちはばあちゃんに起こされて、飯を食っていた。

「一体、どういうことなんだろうな」

 京市が佃煮をつまんで、唐突に口を開く。

「一度目と二度目、時刻は同じくらいだったが、日付けと殺され方が違った」

「階段から落とされたとか、池で溺れたとか騒いでたけど、本当にそうなのか怪しいよな」

 だれか突き落とした実行犯がいるというのも、もしかしたら気のせいで、実は善宗さんが自分ですっ転んで死んでるだけなのかも……なぁんて考えが、おれの頭をよぎる。

「いや、犯人がいるのは間違いないと思う」

 京市が真剣な顔をした。

「一度目のときに、俺の顔したやつが叫んでたろ“今やったのはどこのどいつだ、背中から押したろう”って。それだけならまだしも、二度目のときは知らない男が“突き落とされて溺れた”ってはっきり言っている」

 これが証拠だと言わんばかりな口調。

「確かにな」

 これからどうする……止められるのか、おれに。いや、おれたちか。

「あとな、善嶺」

 京市の声のトーンが変わった。

「おまえ、祭りのとき、南典を見たって言ったろ」

「うん」

「あのとき、実は俺も見たんだ……」

「なんだぁ、やっぱり京市も見てたんじゃんか」

「いいか、よく聞け善嶺」

 次の瞬間、京市は思いがけないことを口にした。

 南典とは中学一年からつるみ始めた仲だ。

 最初は暗くて陰気くさいやつだと思ってたけど、慣れたやつにはからかってきたりもするし、おれよりやんちゃなところがあったりもする。

 おれが知ってる南典は知った仲だと人当たりがよくて、決してひとを傷つけるようなやつじゃない。ましてや、ひとを殺すなんて……。

「向こうの時代の南典が、おまえのご先祖さんを突き落としたところを、実際この目で見たんだよ!」

 重い雰囲気になる。

「いやいやいやいや、あるわけないって。南典とは友だちなんだぜ?」

 京市はおれの肩を掴んで、はぐらかすおれに必死に訴えてくる。

「俺の見間違いかもしれない。それでもいい。こっちの時代のおまえと南典が友だち同士でも、向こうの時代ではそうとは限らない。とにかく、気をつけろよ。なにがなんでも死ぬな!」

 なんだか怖いくらいに京市が必死だ。

「う、うん。気をつける」

 おれは心して池に飛び込んだ。

 目を開けると江戸時代だけど、隣に京市がいない。

 きょろきょろ見回すと、前をゆく京市の姿があった。

「いたいた! 放っていくなよ、もう!」

 そう言って肩に手をやって気づく。振り返ったその顔は見たまんまは京市だけど、こっちの世界の京市だった。

 やっべぇ!! 変に遭遇しちまった!

「なんだい、善宗。えらく慌てて……今日は会えないんじゃなかったのかい?」

 話を合わせるしかねぇ!

「そ、それが京市……じゃなかった……あなたのことが、頭から離れなくって……」

「おや、今日は京一郎って呼んでくれないのかい?」

「き、京一郎……?」

 は、恥ずかしい! なんだこの付き合いたてのカップルみたいな会話は!

「おいで、善宗」

 京市と同じ声に釣られて身を寄せるとあごを固定され口づけされた。

「ぅんっ……んぁ、はぁっ……京一ろ……ちょ……んぁ、っと、待っ……」

 唇がそっと触れ合うだけじゃない。舌まで絡めるような濃厚な口づけだった。

「んァッ……んんっ……あっ、ふぁ……」

 だんだんと気持ちよくなってくるその行為に抗おうとして、京一郎の胸を押すがビクともしない。

 離してほしい……でも、傷つけたくない。

 おれの中で色んな感情が織り交ざって、あたまがくらくらした。

「ん、善宗……」

 ハッと我に返る。

 おれは善宗じゃないッ! 言葉にできないかわりにドン、と突き放す。

「よ、用事思い出したから帰る!」

 油断した! 京市と同じ顔のやつとあんなキスするなんて! なんか熱いし、どうなってんだ、おれの体っ。

 そんなことを考え、とぼとぼと歩いていると、また同じ顔に会う。緊張が走るが、今度は現代の京市だった。

「別々の場所に飛ばされるなんてな。大丈夫だったか? 善嶺」

「う、うん……」

 まだ唇の感覚が残ってるよ……ううっ。

「なにがあった?」

 なにが、と聞いてくる時点で京市にはなにかがあったのだろうということはバレている。

 隠しておけないおれは素直に喋った。

「こっちの時代のおれの名前は“京一郎”というのか」

「いや、問題はそこじゃないだろ」

「なんだ? キスなら俺ともう経験済みじゃないか」

 どういう意味で言っているのだろうと考える。

 よくよく思い出してみると一度目に帰ったときに野次馬と背中がぶつかって京市とキスしていた。京市は気のせいだって言ったけど。

「嘘つき……」

 俺が冷ややかな目で見ると、京市がぐっと顔を逸らす。

「でもおまえが、京一郎とのが嫌だってんなら上書きしてやるよ」

 京市がキスを迫ってくる。

「ま、待って……!」

 怖くなって目をつむったが唇に触れられる感覚はない。

 恐るおそる目を開けると京市はしたり顔でこっちを見ていた。

「あ! はめたな!」

「ははっ! 善嶺は変に意識し過ぎだって。これで肩の力抜けたろ?」

 京市の言う通り、肩の力が抜け、もやもやしていた頭の中がすっきりした気がした。

「もう一度、京一郎を捜そう。まだ近くにいるかもしんない」

 おれたちは江戸の町を駆けた。

 日付けも殺され方も決まってないんじゃ京一郎を捜して、こっちの時代のおれと接触するのが一番だ!

「見つけた!」

 京一郎の背を見つけて笑顔になったのもつかの間、その前方で揺らいだ影に驚愕する。

「な、なんで……」

 京一郎が善宗を抱きしめている。

 その服は真っ赤に染っていた。

「間に合わなかったのかよ……」

 善宗の背中がばっさりと斬られているのだ。

「つ、辻斬りだぁッ!!」

 通行人の叫び声に、おれたちを含む、その場に居合わせた全員が遠巻きにふたりを見つめる。

「善宗ッ……俺の可愛い善宗。来世も一緒になろうな……」

 血溜まりに衣を染めて京一郎が呟くその様子に、もはや善宗は助からないと確信した。

「次のタイムリープで助けてやるからなッ!」

 気合いを入れたそのときだ。

 背中に焼けるような痛みが走った。

「痛ッてぇ!! なんだっ!?」

 おれは立っていることができずにその場にしゃがむ。

「善嶺……背中が痛むのか?」

 心配してくれる京市には悪いけど構っていられないほど痛くなってきた。

 返事もろくに返せずにおれはその場で意識を失ってしまった。

 *

 どれくらい経ったのか。

 背中の痛みはもう全然しなくなっていて、そばには京市が遠くを見つめて座っていた。

「どうしてまだ江戸時代なんだ? 善宗が死んだら帰れるんじゃなかったのかよ」

 おれは起き上がりながら問いかける。

 京市は深刻な表情を浮かべて言った。

「もしかしたら、帰る方法が違うのかもしれない」

 今までは善宗が死んだからだと思っていたおれたちだったが、今回おれたちは待っても待っても一向に元の時代に帰れる気がしなかった。

「いつもどうやって帰ってたっけ?」

 一度目は善宗が階段から突き落とされて死んだと同時に帰ることが出来た。

 二度目は善宗が池に突き落とされてのを見ていたら急におれが苦しみ出して……そこからおれは意識がない。

「おれたち、二度目はどうやって帰ったんだ?」

 おれが京市に尋ねると、京市は言いたくなさげな表情をしていた。

「京市はもうわかってんだろ、帰る方法。おれにも教えろよ!」

 おれは怒って京市の胸ぐらを掴みかかった。

 それぐらい切羽詰まっていたのだ。

「……だ」

「聞こえねぇよ! もっとはっきり言えよ!」

 京市はおれの手を振りほどいて叫んだ。

「キスだ! キスしたら戻れるんだ!!」

「はぁぁぁぁぁぁ???」

 顔が真っ赤になるのがわかった。

「じ、じゃあ、二度目はどうしたんだよ!」

「息してなかったから人工呼吸した」

 なるほどな!

 謎が解けたわけだ。

「じゃあ、今回もすれば帰れるってことか? その……キ、キスを……」

「どもんなよ、こっちまで恥ずかしくなるだろうが」

 京市はふぅとため息をつく。

「仕方ねぇだろ、意識しだしたら止まんねぇんだから!」

 おれは髪をがしがしかいて困ったように京市を見る。

 すると京市は真面目な顔してこっちを見ていた。

「目をつむれ、善嶺」

「や、やんのか……!」

 い、今ここで? ちょ、ちょっと待て。まだこころの準備が……。

 近づく京市。

「んなマジな顔すんなって……怖ぇよ、京市……」

「早く帰りたいんだろ。いいから、目ぇつむれ」

 おれは堪えるようにギュッと目をつむった。

「あ、犬の糞踏んでる、善嶺」

「へ?」

 京市の言葉に釣られて目を開けてしまうおれ。

 唇が重なった。

 一瞬の出来事だった。

 京市は緊張したおれを和ませようと嘘を言ったのだ。

「元に戻ってる……」

 悔しいが京市が言ったことは当たっていた。

 まばたきをする間に世界は変わっていたのだ。

 *

「どうやら、キスが現代に戻るトリガーらしいな」

 京市はひとりうなずいている。

 おれはそれどころじゃなかった。

「京市は平気なのかよ!」

 なにが、という風にこっちを見られる。

「おれとキスすんの、平気なのかよ!」

 恥ずかしさが入り混じった涙声で言うと、京市は真面目な顔して近寄ってくる。

 おれは本能的に後ずさった。

「善嶺となら俺はしてもいいと思ってる」

 それだけ言うと、京市はそそくさと部屋のほうに行ってしまう。

 やけに真面目な声なので咄嗟に言葉が出てこなかった。

「な、なんなんだよ……おればっか振り回されてるみたいじゃんか」

 その夜は京市の隣で寝るのが気まずかった。

 おれは朝までぐっすり寝られず、翌朝は睡眠不足でぐったりしていた。

 重い体を引きずって食卓につく。

「善嶺、寝不足か?」

「ちょっとな……」

「今日は行くのやめておこう」

「いや、行くよ。向こうのおれたち救わなきゃ」

「でもな、善嶺。俺、思うんだが……」

 次の瞬間、京市は驚くべきことを口にした。

「感覚が、繋がってきてるんじゃないか?」

 なんだって?

「どういう意味?」

「善宗さんが斬られたときだよ、おまえ背中痛がっただろう。それに溺れたときは呼吸困難になってた。それって、つまり善宗さんとおまえの感覚機能がどういうわけか繋がってきてるんじゃないか?」

「じ、じゃあ、このままいけば、善宗が殺された途端、おれも死んじゃうってこと!?」

「あぁ、おそらくはそうなる……」

 残されていた時間は、おれたちが思っているよりも短いものだった。

「向こうに行けるのも、あと一、二回ってところだと思う」

 それ以上行ってもし殺されるのが止められなかったら死ぬってことか。

 そうそう実感はわいてこないけれど、緊張感が身を包んだ。

「今度こそ、止めてみせるッ」

 おれたちはまたとない覚悟で池に飛び込んだ。

 江戸時代に着くと、京市が目の前にいて、おれを押し倒すような形だった。

 目が合う。

「きょ、京市ッ! ちょ、退けよ」

「わ、悪い」

 おれたちは気まずい雰囲気になりながらも当初の目的を確認し合う。

「あと数回のチャンスなんだ。むざむざ殺されるのは避けたい」

「うん」

「善宗や京一郎との接触を優先するか、南典を捜すか、どっちにする?」

 こうやって京市が聞いてくるということは、どっちかを選んで成功する確率は五分五分なんだろう。またはどっちを選んでも成功しないかもしれない。

 賢い京市でも決められないってことか……。

「南典を捜すのは時間がかかると思う。京一郎とかなら、出会った場所に行けばなんとかなるかも」

 ……そのなんとかなったためしがないんだけど。

「わかった。そうしよう」

 京市と手分けして京一郎や善宗を捜した。

 すると京市がどちらかの家を見つけたようで、おれを案内してくれる。

「善嶺! こっちだ! あの中に入って行った」

 指さす先には大きな武家屋敷。

「表からは入れねぇ。裏に回ってみよう」

 おれたちは忍び足でこっそり部屋の様子をうかがう。

 すると中から睦み合う声が。

「ぃゃ、京一郎……そこっ、だめぇ……」

「どうして? おまえのここは俺のことを捕まえて離さないよ?」

「あはっん、や……おかしく、なるぅ……んぁッ……」

 だぁかぁらぁ! おまえらそういうことやってる場合じゃないって!!

「京市、今のうちに南典を——……」

 隣でのぞく京市の顔を見た。

 今まではこういう状況になったら、自分がいっぱいいっぱいで周りなんて見る余裕なかったから気付かなかった。だけど、このとき、京市は苦しそうな顔をしていて、それもそのはずだ。下に目線を落とすと、京市の袴が山になっていた。

「え、京市、まさか勃って……」

「見るなっ」

 小声で怒られ、目に手を当てられる。

「な、なんでもねぇから、あっち向いとけ」

 京市の声が震えている。

「だ、大丈夫、おれもちょっとそういう気分なったし……」

 目元の京市の手を掴んで、京市を見た。

 目が合って、心臓が早くなる。

「手、退けてみろ……」

 そう言って京市が無意識に押えていた股間の手を退かせてくる。

「な、なにすんだよ……!」

 焦ったおれは体勢を崩し尻もちをついてしまう。

 その隙に京市の手が袴の横から滑り込んできて、おれの勃ち上がりかけたそれを柔らかく包んだ。

「ば、っか、なにして……」

「ヤラシイもん見てあてられたんだ。善嶺は悪くねぇよ」

 京市は言いながら袴の帯を解いてゆく。

「待って、なにすんだよ……」

「好きなひとでも思い浮かべて目ぇつむっとけ」

 その瞬間、勃起したあそこが生温い感覚に包まれる。

「京市ッ……うそ、だろ……おま、なにして……」

 気持ちよすぎて言葉にならない。たとえそれが男子であり、親友の口の中であっても。

「んぁ、京一郎ッ……そ、そこぉ……いいっ……もっと……、もっと突いてぇ…………」

「ここだね。いっぱいイッて、俺の善宗……ッ」

 部屋の中でさらに激しくなっていく行為を背後で感じとりながら、こっちの動きも活発になっていった。

「ゃ、はな、せ……」

 まさか京市がこんなことするなんて。なんで? 好きなひとってなに……?

「……ぅあ、んッ……ゃ、京市ッ……も、もぅ……」

 待って待って! いくっ! 出るっ!

 京市はおれが出したものをすべて受け止め、尿道に残った精液も吸い出した。

「はぁっン」

 放心状態のおれは動くこともままならず、はぁはぁと荒い息を吐く。

「どうだった?」

 そう問われて視線を外す。

「わ、悪くはなかったけど、びっくりした……それにしても、なんか熱くね?」

「熱くなるようなことしたからじゃないか?」

 そう呑気に喋っていたが、実は火事だった。

「しまった! 中のふたりは!」

 土足で部屋に上がる。

 しかしふたりは息をしていなかった。

「煙にやられたんだ。ここも直に火の手が回る! 逃げよう!」

 京市はおれの手を取る。でもおれはその手を振り払った。

「いや、おれはこいつらを運び出す!」

 京一郎を担いで出入口に向かおうとするが、自分より背が高い上に体重もある。

 寝不足気味の体は疲労困憊だった。

「手伝う!」

 すると、おれの後ろに火の手が迫ってきた。

「京市だけでも逃げろ! 火がすぐそこまできてる!」

「逃げらんねぇよ!!!」

 京市が怒鳴った。

「好きなやつ放って逃げれるかよ!!」

「えっ」

「ぼさっとしてねぇで手をかせ!」

 おれはこちらに伸ばされた京市の手を取り、瓦礫と煙の中からふたりで脱出した。

 結局、おれたちはあのふたりを救出することはかなわなかった。

「善嶺、ごめん」

「なにが」

「元禄十一年の主な出来事っていったら“江戸の大火”だ。忘れてた」

「もういいよ……この火事、歴史に残るほど大きかったんだな」

「あぁ」

 焼け地一帯から遠退いて高台から眺める。

「全身に焼けるような痛みとかないか?」

「ん、平気。たぶん、煙吸って死んじゃったんだ。だから……」

「そうか……」

 おれは目をつむり、京市がキスをした。現代に戻るために。

「どうした、善嶺」

「……止められなかった! クソっ、あのときどうして……もっと早く、おれが気づいていれば!!」

 地団駄を踏むおれに京市が肩に手をおこうとする。

「触んなッ」

 パシッ、勢いよく手を払い退けてしまった。

「ご、ごめん。京市にあたるつもりじゃ……」

 京市は縁側に腰を下ろし、隣に来るよう手招きする。

 呼ばれた通りおれは京市の隣に座り、ため息をついた。

「悔しいのは京市も同じだよな……ごめん、おればっかり……」

 自然に涙が出てくる。

「泣いていいよ。やるせないときはだれにだってある」

 おれは京市の肩に頭を預け、ひとしきり泣いたあと、立ち上がる。

「ありがと、京市! やる気出た!」

 京市の言葉で自分を取り戻したおれは涙のあとを拭う。

 そうだ、負けてらんねぇ。おれだってやるときゃやる男なんだ!

 おれたちは最後の旅に出ることにした。

 *

 おれたちは彼らがいた家を訪れた。

 しかし留守のようで、表も裏も閉まっている。

「帰ってくるのをここで待つか、捜しに出るか、どうする?」

 京市の言葉に返事をしようと思ったそのときだ、真横でいきなり大声を上げたやつがいた。

「嘉賀善宗とお見受けいたす!」

 その声の主は南典だった。いや、この時代の南典といったほうが正確だ。

 視線の先には並んで歩く善宗と京一郎の姿がある。

「それがしは鶴木南千と申す者。我が姉、みつを死に追いやったその罪、己が命で贖いませい!」

 南千と名乗る男はいきなり刀を抜いた。

 間近で見る本物に体は固まって、呼吸をするのも忘れる。

「俺の後ろにいろ」

 京市がかばっておれの盾になってくれる。

 善宗のほうを見ると向こうは狼狽えているようだった。

「確かにそれがしは嘉賀家長男、善宗でござる。しかしながら、みつ殿と申すお方に心当たりがござらぬ」

「なにをたわけたことを!」

 南千は問答無用という風に斬りかかる。

「本当だ!! 一度、話を……!」

「ぬかせ!」

 南千の剣さばきをツバメが舞うようにして右に左に避ける善宗。

 しかしそれも長くは続かず、二の腕をわずかに斬られてしまう。

「どうした、善宗殿。そこ腰の太刀は飾りか?」

 誘惑する南千に、京一郎が叫んで止めに入る。

「耳をかすな、善宗! これは仇討ち! ひと違いであっても、それを抜けば仇討ちに同意したことになるぞ!」

 それを聞いた善宗は懐から脇差を取り出した。

「あっ、あの脇差!」

 おれが腰に差しているのと同じものだと思い、腰に触れたが感触がない。

「あれ? 京市、おれの小刀知らない?」

「おい、まさか、なくしたのか?」

 おれたちが慌てて脇差を探す片側で、その間にも仇討ちは続く。

 善宗と南千の間に流れる空気は真剣そのものだ。

「ひと違いとは言わせぬ! みつは京一郎殿を慕っておった! だが、そこに念弟と名乗るおまえが現れた! 失意のうちに姉は自殺! それがしは善宗、お主のことが許せぬ!!」

 南千が一度斬った二の腕に向かって斬りかかる。

「武士の命、二度と握れぬようにしてやる!」

 それを脇差一本で凌ぐ善宗。

「泡のように水に流せるものでも、ましてや、昨日事といって、時が経てば気が紛れるものでもない! この記憶(うらみ)だけは!!」

 斬ってかわして、凌いで攻めて、激しい大立ち回りの末、善宗の脇差が南千の喉元、あと数ミリのところで止まる。

「……すまぬ。お主の姉上には申し訳ないことをした」

 善宗の声は震えていた。

「この命でよいなら、どうぞ持っていってくれ」

 脇差を捨て、両の腕を大きく広げる善宗。

 青い空を見上げ、目をつむる。

 遠くのほうから同心らが騒ぎを駆けつける音がしている。

 それを聞いた南千は言った。

「善宗殿、お主とは別の時代で逢いとうござった」

 *

 現代に帰ってきたおれたち。

 仇討ちの一件がおさまると同時に脇差が見つかり、おれたちは元の時代に戻ってきた。

「それにしても殺されないでよかったよな」

 最後、南千は自ら命を絶った。

 それによって、繰り返されてきた殺人がもう二度と起こることはない、おれはそんな気がしている。

「お疲れさん、善嶺。助かってよかったな」

 京市と縁側に座る。

 向こうの世界では昼だったけど、今は夜だ。

 月が高く出ていて、初めてタイムスリップしたときのことを思い出す。

「色々あったよな。生きてるってすげぇな」

 感傷にひたっていると、突然、京市がおれの頭をなでた。

 おれは不思議と怒る気にはならず、照れながら京市を見る。

「な、んだよ……いきなり……」

「好きだ、善嶺」

 京市の真剣な眼差しにこころ打たれて、つい口が滑る。

「おれも……」

「そうなのか?」

「たぶん……」

 京市はふっと笑う。

「うん、今はそれでいいよ。嬉しい、善嶺……」

 京市の体が迫ってきて、おれは自然にその場に倒れた。

「善嶺……したい……」

 耳元で囁かれ、腹の奥がきゅんとなる。

「痛くしないから……」

 こんな切羽詰ったような京市を見るのは初めてに等しくて、おれも雰囲気にのまれていた。

 袴を脱ぎ捨てる。

「そんなまじまじ見んなよ、恥ずかしいから!」

「綺麗だよ」

 同性にそんなことを言われて浮かれるおれもおれだった。

「おれ、やり方……わかんねぇんだけど、教えてくれる……?」

 上の服を脱いだ京市の肩を押す。

 京市に座らせ、おれは四つん這いの格好になった。

「どうしたらいい?」

 と、とりあえず、これ咥えるんだよな??

 京市の肌の色は白いけど、持ち上がりかけているそこはピンク色をしていた。

「んぁ、はっ、あ、ん……」

 なんか飴舐めてるみてぇ。味とかあんましないし、これならいけるかも。

「善嶺、それくらいでいいよ」

「え? まだイってないんじゃ……」

「こっちでいきたい」

 京市の手が尻を触る。

「な、なるほどなァ……」

 緊張して声が裏がえる。

「嫌ならやめるよ。無理強いはしたくない」

 京市がしゅんとしたのを見て、なんだか可哀想な気がしてくる。

「いいよ、痛くしねぇなら、やっても……」

 京市はなんていうかテクニシャンだった。

 江戸時代で口でされたときもそうだけど、京市にされるとすぐ果ててしまいそうになる。

 今はおれのものを片手で扱きながら、後ろの穴に指が入れられている。

「ン、ぁ……ッあ! 京、市……そ、そんなにされると、おれ、もう……」

 イク寸前で指が抜かれ、前を握る手が離される。

「なっ……んで……?」

「俺ももう限界なんだ……挿れていい?」

 有無を言わさず京市の猛々しいものが突き入れられてくる。

 粘膜が擦られ、おれは呻いた。

「ンぁぁッ! ふ、ぅん……ぁ、あぁっ……」

「そんな声で乱れるなよ……我慢がきかなくなる」

「ん、いいから、今まで我慢させた分、いっぱい……」

 おれは京市の首に手を回す。

 脚も京市の腰に回して密着させた。

「まさか、おまえとこうなれるなんて、思ってもみなかったよ」

 いつも涼しげな眼差しを向けてくる京市が、熱視線で汗まみれになっていうから、おれは思わず笑ってしまった。

「なに笑ってんだよ、善嶺」

「いや、京市も余裕ないんだなぁって」

 グッと腰を高く突き上げられる。

「ンぁッ! ちょ、照れ隠しに激しくすんなよ!」

 京市が耳元で囁く。

「おまえのいいところ、教えてくれ」

 おれは思わずドキッとし、京市にしがみついた。

 それを合図に京市が激しく腰を振る。

 繋がったとこ、焼けるみてぇに熱い……。

「ぁァん、んぁ、そ、そこっ、そこッ!」

「ココ?」

「そ、そぅ……や、ぁ、んッッ……はぁ、あっ、んぁっ……きょ……京、市ッ……ぅあ、あっあっ……」

 涙とか鼻水とかたぶん顔はぐちゃぐちゃで全身はふたりの体液でめちゃくちゃなんだろうけど、そんな恥ずかしさより今は京市と繋がっていられる幸せな気持ちのほうが勝っていた。

「善嶺……好きだ」

「ん、おれも」

 おれたちはこのとき、はじめて時代を越えないキスをした。

 *

 新学期を迎え、いつもと変わらない教室。

 だけどそこに南典の姿はなかった。

 どうやら唐突に転校が決まったらしい。

 真っ赤な紅葉がひらりと舞って、おれの机にすっと落ちた。

 おれは南典のこと、大切な友だちとして、絶対に忘れない。

「聞いてるか、善嶺」

 後ろの席の恋人が肩を叩く。

「なんだっけ?」

 おれと京市はあれから恋人同士になった。恋人同士と言っても一緒に帰ったり勉強したり……まぁ、時々エッチなこともするけど、親友の延長線上みたいな、ごくごく普通の関係だ。

「修学旅行、一緒に観光しよう」

「おう!」

 修学旅行、当日。

 おれたちは沖縄にいた。

「いやぁ、晴れててよかったよな!」

 綺麗な青い海、白い砂浜!

 なにもかもが眩しく見えて、おれははしゃぎ過ぎた。

「善嶺ッ、危なッ!」

 バランスを崩したおれを助けようと京市が手を伸ばしたが、時すでに遅く、ふたりして海の中へ。

 それなのに、気がつくと草木が鬱蒼と生い茂る場所にいた。

 ガシャリ、蹴ったなにかを京市が拾い上げる。

「これは……手裏剣か?」

「あれ? それ、じいちゃんちの蔵から持ってきたやつだ。御守りになるかなぁと思って……」

 そう言ってから、嫌な予感と共に既視感を覚える。

「退け退けぇい!! 吉法師様のお通りじゃ!!」

 馬に乗った侍みたいなひとが駆けてゆく。

「京市、吉法師ってだれ?」

「……織田信長」

「信長って、生きてたの何年だっけ?」

 まずい予感しかしない。

 このときばかりは京市の答えが聞きたくなかった。

「正確には覚えてないけど、これだけは言える」

 泣きそうになっているおれに対して、京市は真剣な面持ちで告げた。

「ここは、戦国時代だ……!」

 *

 己が憎しみ、水に流せるか。

 記憶の奥底に忘れられるか……!


 おわり

2021/06/16 執筆

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