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『グレン、あの子にお薬を飲ませてくれる? また風邪を引いてしまったのよ』
シスターが頼み事をしてくるのは、決まって彼女が乳飲み子の世話に追われているときだった。
薬とぬるま湯を持って子ども部屋へ向かうと、奥のベッドから痰の絡まった苦しそうな咳が聞こえてくる。その合間に挟まれる泣き声も。
『また泣いてる……』
毛布をめくれば、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした少女がいた。
シスターが切り整えた薄水色の髪と、それと同じ色をした瞳は儚くもあれど、ただそこにいるだけでよく目立つ。
ひと月ほど前にこの教会に預けられた新参者で、風邪を引くか泣いている姿しかグレンは見たことがなかった。
とにかく体調を崩しやすく、寂しがり屋だということだけなら分かる。ぐすぐすと泣きむせぶ少女の頭を撫でつつ、隙をついて薬を飲ませるのも最近は慣れてきた。
しかし。
『……』
今日も流れ作業のように薬を飲ませようとしたら、少女がプイと顔を背けた。おまけに両膝まで抱えて口元をガードする。
グレンは初めての抵抗に面食らった。今までの様子からして薬が苦手であるようには見えなかったが、今日は機嫌が悪いのだろうか。
その後も何度か薬を近付けてみても結果は同じだったので、グレンは仕方ないと溜息をつく。
『薬飲まないなら、他の奴らにうつるし、今日は一人で寝るしかないな』
『!!』
ハッと悲しそうな顔が振り向いた。寂しがり屋な少女にとって、一人ぼっちで寝るなんて出来っこないのだ。
『ぁ、ご、ごめん、なさい、おくすり飲むから、いかないで』
そう訴えてはまた泣き出した。グレンは首を傾げながらも薬を飲ませ、少女の望み通りしばらく子ども部屋に居残ることにする。
それからは、頭を撫でて薬を飲ませることに加えて、少女が寝付くまで手を繋いでやるようになった。
『グレン、ありがとう』
後日、元気になった少女はとても緊張した声でお礼を言った。
『あのね、グレン、私のね。──……私の名前、おぼえててほしいの』
◇◇◇
教会の二階に張り巡らされたパイプから、オルガンの音色が流れ出す。聖堂では今頃、揃いの服をまとった少年たちが、そこに讃美歌を添えていることだろう。
くぐもった歌声を遠くに聴きながら、グレンは目の前で行われる診察を眺めていた。
「発熱以外は特に問題ないようだよ。足の怪我も擦り剥いた程度だし、一晩寝れば良くなるだろう」
医者の男は静かな声で語ると、ベッドに横たわる娘に毛布をかけた。
「それで、君も診た方がいいかい?」
ふと振り向きざまに尋ねられ、グレンは逡巡する。今さらだが、贋物の中に心臓を預けたままの状態で診察を受けるのは不味い。「動悸がするって言うわりには心臓動いてないけど?」みたいなとんでもない状況になってしまう。
面倒事を避けるべく、代わりに思い浮かんだのは頭痛の方だった。
「あー……頻繁に頭痛が起きるんだが」
「ふむ、あまりにも回数が多いならゆっくり休んだ方がいい。それから規則正しい生活を心掛けることだ。昔、頭痛持ちだったどこかの王様が、脳に異常を来たして死んでしまった例もあるからねぇ。はいこれ、少なくてごめんよ」
歯に衣着せぬ物言いで語った医者は、グレンに少量の鎮痛剤を渡す。曰くシーラン周辺をほぼ無給で飛び回っているおかげで、調合用の薬草もカツカツなのだそうだ。
それを聞いたグレンは、飄々としながらも人の良さそうな顔をした医者を一瞥し、鎮痛剤を突き返す。
「ならいい。この後どうせ孤児院の検診にでも行くんだろ」
「やや! 勘がいいね。しかし君も患者なわけだし」
「そこまで深刻じゃない」
というのは実のところ不明だが、鎮痛剤であの頭痛やら心臓の異変やらが治まるとは思えないのも事実だった。
それなら治る確率の高い患者に薬を回すべきだろうと言えば、医者は困ったような笑みを浮かべる。
「君、柄の悪いお兄さんだと思ったら案外いい子だねえ。このお嬢ちゃんのこともすぐ助けたし」
「…………」
「わ、そんな人を殺しそうな顔しないでくれ、やっぱり怖いお兄さんだ」
へらへらした医者は鎮痛剤を受け取ると、代わりに解熱薬を置いて行った。これは常備品だから心配無用だと言い残して。
医者が退室した後、静寂を取り戻した部屋には相変わらず、清らかな讃美歌が小さく聞こえている。起伏の乏しいなだらかな旋律は、子守唄のようにも思えた。
ベッドに視線を戻したグレンは、脇に畳まれた白いケープを見ては肩をすくめる。青白い顔をした娘は、薄水色の髪を散らして未だ深く寝入っていた。
記憶違いでなければ、この娘は──グレンが幼い頃、一緒に教会で暮らした少女だ。
風邪引きで泣き虫の寂しがり屋。他の子どもたちより記憶がはっきりしているのは、ひとえに接した機会が多かったからだろうか。
あれから十年以上が経ち、当然のことながら記憶よりも大人びた顔つきに苦笑がこぼれる。
「……ん」
何かを探すように、白い手が控えめに泳ぐ。目覚める兆候を感じ取ったグレンは、昔と同様にその手を掴むと、ベッドの脇に屈んだ。
やがてゆっくりと瞼が開き、薄水色の瞳がこちらを捉える。寝ぼけた眼差しを無言で受け止めていれば、次第に彼女の表情が混乱に染まり始めた。
「起きたか? イーリス」
名を呼んだ瞬間、イーリスが飛び起きる。あまりの機敏さに驚く暇もなく、グレンは十年ぶりに会った友人から派手に押し倒されたのだった。




