11-7
“創生の地図”に関する共同声明の内容を詰めるべく、モニカは昨晩と同様、朝早くからクラウスとの話し合いに向かった。
一方のグレンは雇い主を執務室まで送り届けてから、別邸に隣接している教会へと足を運ぶ。
『昨日フォルクハルト様にお伺いしたのですが、ちょうど教会にお医者様がいらっしゃるみたいなので……体調のことを相談してみてはどうですか?』
モニカは提案する口調で告げたが、それが既に訪問の約束を取り付けた後というのは明白だったので、グレンは気乗りしないまま教会へ向かうことにした。
別邸の外へ出ると、地面に敷き詰められた淡い素焼きが眩しく照り返す。ふわりと鼻腔に滑り込む潮風の匂いを辿れば、無数の家屋を越えた先で、エメラルドの海がこれまた美しく煌めいていた。
キィキィと軋んだ音を立てる風見鶏を一瞥し、グレンが再び巨大な教会の方へ向き直ったときだ。
「みゃー」
足首をくすぐる柔らかな感触。見れば、まっしろけな子猫がグレンの靴にまとわりついている。それも一匹ではなく、二匹も。
それぞれ黄色いリボンを首に巻いていることから、飼い猫であることは確かだが──まさか大公のペットか、とグレンはゆっくりと足を引き抜いた。
「ララ、シャル、待ってちょうだい。危ないから籠の中に…………あ」
「あ……?」
そこへ現れたのは、子猫の毛並みにも負けない真っ白なモスリン生地のドレスを纏った貴婦人だった。
ヘッドドレスの陰にあっても血色のよい頬や、あどけなさの残る橙色の瞳。額の中央から分けた金髪はゆるやかに編み込まれ、華奢な左肩に乗っている。
そこまでなら単なる貴族の女人で終わったのだが、グレンは彼女の右目を覆う白い眼帯を見付けて絶句した。
「……伯爵令嬢と一緒にいた方ね」
硬直するグレンに対し、昨日とはまるで雰囲気が違う大公妃──シャーロッテ・エストマンは大変気まずそうな微笑を浮かべたのだった。
脚にじゃれついて離れない二匹の子猫を捕まえ、侍女が抱えている籠の中に入れると、大公妃から「どちらへ?」と問われる。グレンが逡巡の末に教会へ立ち寄ることを告げれば、歩きながら話そうとにこやかに言われてしまった。
そうして暫し、教会までの短い道のりを並んで歩くことになったのだが。
「……」
横目に窺ってみると、白皙の面が見るからに困り果てていた。自分で同伴を申し出てみたものの、どう話題を切り出せばよいのか分からない──と顔に思いきり書いてある。
そんな姿を見てますます訳がわからなくなったグレンは、どうかマティアスのように服を燃やされないよう祈りつつ口を開いた。
「……あー、大公妃様」
「な、何かしら」
「口封じなら出来れば命は取らない方向で……」
「え⁉ ち、違うの、わたくしはその……昨日のことで気を悪くしていないかと」
不躾な発言に後ろの侍女が視線を鋭くさせたが、すぐさまシャーロッテがそれを制する。たおやかな指先には、やはり昨日のような威圧感は宿っていない。
二重人格、それとも大公妃そっくりな影武者かといくつか推測してみたものの、グレンにはどれも見当違いであると分かった。
何故ならシャーロッテの周りには、昨日と同じく大量の聖霊が漂っていた。いくら姿形が似ていようと、寄ってくる聖霊の種類まで統制することは叶わない。
ゆえに同一人物と見て間違いないが──グレンがその変わりようについて言外に問えば、橙色の左目が控えめに笑った。
「クラウス様が、人前で弱さを見せてはならないと仰ったの。十五年も囚われていた哀れな姫などと呼ばせるな、気高く誰にも侮られない貴人になれと」
「……」
「あの孤島のような塔から出るときに、クラウス様と交わした約束です」
そう言ってはにかむ横顔には、十五年も一人で閉じ込められていた悲しみよりも、外に連れ出してくれた夫への感謝が色濃く表れていた。
欲に囚われたレアード王室の人間とは似ても似つかぬ、おっとりとした佇まい。これが本来のシャーロッテなのだろうが、よくあそこまで悪女の仮面を違和感なく被れるものだとグレンは感心してしまう。
気弱な姫なら、たとえ虐げられていたとしても血の繋がった家族を見限ることに、少しは躊躇を覚えそうなものだが。
「……わたくしね、王妃の子ではないの」
するとグレンの思考を読み取ったように、落ち着いた声が語る。
「父上……いえ、レアード王を誘惑した女性が産み落とした子ども。それがわたくしです」
ああ、とグレンはおぼろげに事情を理解した。
シャーロッテに王妃殺しの罪が着せられたのは、それが大きな要因なのだろうと。シャーロッテがクラウスの手を取ったのも、何ら不思議なことではない。
しかしグレンは、その後に続いた言葉に目を剥くこととなる。
「その女性は、レアードの初代王朝の血を引く方でした。わたくしは……王権復活のために、メーベルト家に送り込まれたのです」
引きつった顔で隣を見れば、シャーロッテは重大な秘密を明かした緊張感もなく、静かに港町の景色を眺めていた。
「だからわたくし、シュレーゲル伯爵令嬢とは親戚関係なの。仲良くできればと思っていたのだけど……」
大公妃はそこで急に肩を落とし、焦りを孕んだ顔でこちらを振り返る。
「まさかよりによって兄上を追い払う場面を見られてしまうなんて……! 令嬢は何も言っていなかったかしら? ああ、せっかく同性の友人ができるかもと思って会える日を楽しみにしていたのに、第一印象が悪すぎるわ……『そなた』とか言っちゃったもの……」
「妃殿下、シュレーゲル伯爵令嬢は聡明な方です。きっと妃殿下のお立場も理解してくださいますわ」
「そ、そう? 今日の午後にでもお話できないかしら、お茶は何がいいと思う?」
「いえ、まずは招待しませんと」
「はっ、確かにそうね」
侍女からの冷静な返答に、おろおろと納得する大公妃。グレンと話をしたがったのは、モニカの反応を聞きたかったからだろうか。心配せずともモニカ自体が詐欺師のようなものなので、そこまで焦らなくてもよいのだが。
すっかり毒気を抜かれたグレンが密かに脱力していると、ひとまず落ち着きを取り戻したシャーロッテも深呼吸を挟む。
「ごめんなさいね、取り乱して。その……伯爵令嬢のこともそうなのだけど、クラウス様から──あなたがハヴェル様のお弟子さんだと聞いて……」
「……ハヴェルと面識が?」
「ええ、相談したいことがあったから……クラウス様に紹介していただいたの」
そういえば昨晩、クラウスも「少し前に世話になった」と語っていたが、どうやらハヴェルに用事があったのは彼ではなく大公妃の方だったらしい。
シャーロッテの周囲に漂う聖霊を一瞥したグレンは、その相談の内容とやらを促してみた。
「ハヴェルに何を聞いたんです……か……」
しかしそのとき、シャーロッテがおもむろに眼帯を外したことで、グレンは言葉尻を小さくする。
──露わになった大公妃の右眼には、禍々しい濁りを秘めた宝石が埋まっていた。




