11-6
「……おい待て、どこ行くんだ」
大公との話を終えてから、グレンは黙々と歩き続けるモニカの後を追っていた。てっきり二階に用意された部屋へ向かうのかと思いきや、彼女の爪先は迷うことなく城館の外へ。
黒く塗り潰された夜空には、星々を隠すように雲が棚引いている。月影を遮ることによって生まれた薄闇の中、ひんやりとした潮風と共にモニカが振り返った。
「グレン。このまま共同声明のお話がうまく運べば、一度帝都に向かうことになると思います」
「ああ」
「……ハヴェルさんが、そこにいらっしゃるみたいですね」
こちらを向いたはずの薔薇色の瞳が、つと庭園の石畳に逸らされる。ほんの少し機嫌が悪そうな──拗ねたような横顔にグレンは目を丸くしてしまった。
だがそれは以前、ジェセニアで見た冷たいものではない。どちらかといえば、わざとそんな表情を作っているような印象を抱かせる。グレンの感覚は間違っていなかったようで、間もなく彼女は大袈裟に肩を竦めてみせた。
「私が如何にも長女らしく聞き分けのよい聡明な淑女の鑑でありながら、実はとても陰湿で子どもっぽいことなど既にグレンは承知していると思うので、言っておきますが……」
「……何だよ」
突っ込みどころ満載の自虐的な前置きに何も言えなかったグレンは、とりあえず続きを促す。
するとモニカはいじけた顔を打ち消し、辿り着いた四阿のベンチにすとんと腰掛けた。そうして膝上に乗せた鞄を両の手で抱いたかと思えば、自嘲気味に微苦笑を浮かべる。
「帝都にハヴェルさんがいると聞いて、がっかりしてしまいました。何だか、この旅がもう終わりだと言われたような気がして……」
せっかく仲直りしたのに、とモニカは自身の銀髪をくるくると人差し指に巻き付けて呟いた。
「………………」
ひく、と喉が引きつる。
トゥルヤ公爵邸での一件以降、それまでとは比にならぬほど素直に喋るようになったモニカは、遥かに接しやすくなった反面、グレンとしては少々困る部分もあった。
──誰に対しても甘え下手なモニカが、こういう些細な独占欲を見せる瞬間がクセになりつつある。
それに何だこの手は? 何を勝手に頭を撫でようとしているのかと、グレンは自分で自分の手を叩き落としておいた。
そもそも、だ。
グレンが教会を飛び出してからモニカに出会うまで、あらゆる他人と深く関わろうとしなかった理由は二つある。
一つはハヴェルに置いていかれたトラウマから。
そしてもう一つは──そんな大きなトラウマを抱えてしまうほど、他人に心を許しやすい自覚があったからだ。
教会で一緒だった年下の孤児に世話を焼いていたのも、彼らの顔や名前を今でも記憶しているのも、グレンの本来の性格ゆえだった。
だがそうして築き上げた分厚い壁は、つい最近自分から取っ払ってしまったわけで。
このままだと必要以上にのめり込んでいきそうだと、グレンが辛うじて己を律しようとすると。
「あっ、どうですグレン、帝都に行くまで……いえ契約が終わるまで親睦を深めるのは! ちゃんと思い出づくりをしておけばハヴェルさんに嫉妬しなくて済みますもの!」
「……嫉、妬……」
してるのか、中年の男に。
名案とばかりに胸を張るモニカは、自分が何を言っているのか理解していないらしい。これで相手がフォルクハルトだったら交際宣言と勘違いされてもおかしくないというのに。
いや、これでも一応本物の箱入り娘だから、そういうことには疎いのだろう。グレンは深く考えるのをやめて、モニカの隣に腰を下ろした。
「思い出づくりって?」
「え? それは………………。銅像でも作りますか?」
「盗賊の銅像なんてあってたまるか」
「言われてみれば私、家同士のお付き合いしかしたことがないのでよく分かりませんね。何をすれば良いんですか?」
「知るかよ」
「もう、真面目に考えてくださいます? グレンは私のお友だち第一号なんですよ、ちゃんと…………私だってお友だちの一人や二人いますが?」
「急に意地張るな」
ハッと発言を訂正したモニカに、それまで適当に相づちを打っていたグレンは小さく噴き出す。
「家同士の付き合いしか知らねぇって自分で言ったろ」
「あっ。いえ、いえいえ、帝都でお仕事をさせていただいた食堂の方々とか、フォルクハルト様とか!」
「なら会うたびに名前忘れてやるなよ」
「まぁ! さっきから意地悪なことばっかり!」
再び名前を忘れる自信があるのか、モニカはフォルクハルトについては深く触れなかった。
かくいうグレンも人のことは決して言えないのだが、彼女の正直な反応にまた笑いがこぼれてしまう。
そこで不意に会話が途切れたかと思えば、紅玉のような瞳がひょいと視界に入ってきた。
「……意外と動揺していませんね。ハヴェルさんのことで少しナーバスになっているかと思っていたのに」
「まさか気ぃ使ってたのか? お優しい雇い主様だな」
「いいえ、ただ……この契約が終わったら、ハヴェルさんの元に行きたいのかと、気になって」
歯切れの悪い言葉に何か言葉を返すより先に、ふと、グレンの頭にある光景が蘇る。
『お母様の地図を見付けたら……』
ベラスケス王国でハヴェルの姿を遠目に見かけたとき、モニカがその先を言うことはなかった。主にグレンが余所見をしたことが原因で。
きっと、あのときも同じようなことを尋ねたかったのだろう。グレンの様子を見て慌てて口をつぐんだであろう彼女の心境を思うと、少しの罪悪感が芽生えた。
「……特に決めてねぇよ」
「え?」
「ハヴェルと会ったらいろいろ聞きてぇことはあるが……昔と同じように暮らしたいわけじゃないしな」
厳密には、そう思わなくなったというのが正しい。
幼い頃、ハヴェルは父親に等しい存在だった。子が親を求めるように、グレンも消えた師を恋しがっていた。
だが──あれから既に十数年以上が経ち、グレンはもう子どもではなくなった。
今の自分が師に求めるのは昔と同じ安らぎではなく、過去の自分を納得させてやれる「理由」のような気がする。
そこに、今後のハヴェルとの接し方は含まれていない。
「勝手に拾ったガキを教会に預けて、三年もどこほっつき歩いてたのか気が済むまで問い詰める、だけ……」
グレンは淡々と語っていたが、きらきら光る薔薇色の瞳を見付けては言葉を霧散させた。
「ということは決まった予定はないと?」
「あ……? ああ」
「あら、あらあら、そうですか。ふふ」
いそいそと鞄を肩にかけ直したモニカは、上機嫌にベンチから腰を上げる。
「なら、焦って思い出づくりなどしなくても良さそうですね」
そして蕾がほころぶような笑顔を差し向けると、弾む足取りで城館に戻っていった。
四阿に取り残されたグレンはといえば、しばしの間、あらゆる思考と行動を停止させたまま彼女の後ろ姿を見送り──盛大な溜め息とともに項垂れたのだった。




