11-1
「──お、お久しぶりです、モニカ嬢……!」
冑の下から現れた緊張した顔に、グレンとモニカは一瞬だけ怪訝な表情を浮かべてしまった。
パラディース大公妃シャーロッテ・エストマンが、別邸までの案内役として残した一人の騎士。気合いの入った挨拶と精悍な顔立ちはしっかり見覚えがあるものの、肝心の名前が思い出せない。
初めて会ったのは確かレアード王国の大都市ラトレで、モニカが通っていた学院の先輩で、今はカレンベル帝国で騎士爵を賜って……と諸々の経緯や立場までも覚えているのに、なんと不思議なことに名前だけはさっぱりである。
グレンがその青年を上から下まで矯めつ眇めつ眺める傍ら、やはりモニカも笑顔で小首をかしげたまま「まぁ!」ととりあえずの相槌を打つ。
「お久しぶりです! ラトレでお会いして以来ですね、ええと、フォ……フォルギルベス……」
「あー、フォルベレストじゃねえか久しぶりだな」
「失礼ですよグレン、こちらの御方はギレスハルト様です」
「おまえこそ後輩のくせに堂々と間違えてんじゃねぇよ、こいつはギルクルガーだ」
その後もしばらく終わりの見えない名前当て大会が続行され、失意の底に叩き落とされた青年が自ら口にした名前はフォルクハルト・ギレスベルガーであった。
時間が経ったら──という感想も以前抱いた気がするので割愛する。フォルクハルトには悪いが、恐らく次に会うときも忘れていることだろう。
「申し訳ありませんフォルクハルト様、旅先にあなたとよく似たお名前の方が五十人ほどいらっしゃって……」
「適当言うな」
むしろ傷を抉るだけだからやめろとモニカの口を塞げば、その荒っぽい仕草を見たフォルクハルトがにわかに立ち上がる。
「あ、相変わらずだな貴殿はっ! モニカ嬢が首を痛めたらどうするつもりだ!」
「はいはい治す治す。それよりギレスベルガー、あんたまさか大公夫妻に仕えてたとはな」
気色ばむ青年を軽くあしらいつつ尋ねれば、生真面目な顔立ちが少しばかり和らいだ。大公妃からの指示を思い出したのか、すぐに小さく咳払いをしては色を正す。
「学院を卒業する間際に大公殿下からお声を掛けていただいたんだ」
「ではラトレでお会いしたときも、大公夫妻の護衛に当たっていらしたのですね」
「あ……ええ」
フォルクハルトがどこか気まずそうに首肯した。
きっとあのとき、彼らはレアード王室の動向を監視するためにラトレにやって来ていたのだろう。モニカに詳しい事情を話さなかったのは、単純な守秘義務であったとともに──レアード貴族である彼女の心情を慮ったのかもしれない。
(安心しろギレスベルガー、王室をハメたのはこいつの親父だ)
グレンが如何ともしがたい気分でフォルクハルトの心配顔を見ていれば、青年の心遣いなど全く知らないモニカが尊敬のまなざしを湛える。
「あっ! もしやお声を掛けていただいたのは、学院の闘技大会での優勝がきっかけだったのでは?」
「ご、ご存知だったのですか? 自分が大会で優勝したことを……」
「はい、私も会場で観戦しておりましたもの」
「へ⁉」
ボッ、と音が聞こえるほどフォルクハルトの顔が赤く染まる。自分の雄姿が想い人の目に映っていたというのだから、舞い上がるのも仕方あるまい。
ましてや見るからに闘技大会に興味がなさそうなモニカが──と、グレンはそこではたと気付く。
(こいつも当時は護衛候補だったのか?)
闘技大会でちょうどいい人材を探していたのだとしたら、まず第一にフォルクハルトに目を付けたはず。彼の性格や素性を調べ上げ、曲者の父親に資料を渡し──特に理由もなく却下されたのだろう。
何だか今まで以上にこの青年が哀れに思えてきたが、グレンは何も言うまいと口を閉ざしておいた。
照れに照れているフォルクハルトは、それでも自分の役目を忘れることなく案内を始めた。
大公夫妻の別邸は入り組んだ細道を抜けた先、聖霊のランプで照らされたいっとう賑やかな大広場の上層にある。ロジタ湾で獲れた魚を漁師たちが売りに出す市場は、いつも人でごった返しているという。
貴族の別邸と言うから、もっと開けた──人の気配のない静かなところに建っているのかと思いきや、グレンは意外な面持ちで辺りを見回した。
「こんなところに別邸があんのか?」
「ああ、あそこに」
前を行くフォルクハルトがすいと指差したのは、大広場の上に交差するアーチ状の石橋。その更に向こうでたっぷりと日の光を浴びる、いくつもの尖塔が特徴的な城だった。
広大なロジタ湾と大広場の様子が一挙に見下ろせそうな、大きなバルコニーがグレンの目に留まる。
「まぁ、立派な建物ですねぇ。まるで教会みたい」
ぼんやりと頭に浮かんだ印象が、モニカの言葉によって輪郭を持つ。確かにあの城は各国の都市にそびえたつ、大きな教会とそう変わらない規模の建造物だった。
「ここから見えるのは、大公殿下が別邸の敷地内に造られた教会です。あちらは市民にも開放されてますよ」
教会。
幼い頃、グレンが世話になっていた教会はあれほど立派なものではない。辺境の地にぽつんと建てられた、物寂しさと温かさを併せ持つ一軒家だった。
年季の入った木製の扉は、隙間風を完全に防ぐことはできなくて──年下の子どもたちは寄り添い、毛布に包まって寒さを凌いでいた。
ふと、そんな懐かしい記憶が脳裏をよぎったのなら、隣を歩いていたモニカがこちらを覗き込む。
「グレン、後で教会へ行ってみましょうか」
「あ?」
「あれほど大きな教会なら、身分問わず診てくださるお医者様がいらっしゃるかもしれませんよ」
「医者?」
思いきり怪訝な顔をしてしまってから、グレンは動きを止めた。
なにぶん記憶が飛んでいるせいで忘れがちだが、そういえば心臓の挙動がおかしいとモニカに指摘されていたのだった。
おまけに自分が筋金入りの頭痛持ちということも、彼女にはバレているわけで。
モニカの平素と変わらぬ笑顔を一瞥し、グレンは後頭部を手のひらで掻く。
「……医者に見せても変わんねぇよ」
「あら、もしかして過去にもう受診されたのですか?」
「いや別に」
「なら一度診てもらうべきですね! はい決まり!」
「待て勝手に決めるな、おい!」
有無を言わさぬ仕草で手を叩いたモニカは、そのままさっさとフォルクハルトの後を追いかけていく。そうして教会への訪問についてさっそく相談し始めたようだった。
少し前の自分なら、余計な世話を焼くなと突っぱねていたはずだが──この変わり様はどうしたことか。モニカも、自分も。
つきりと痛むこめかみを摩り、グレンが溜息まじりに歩みを再開したときだった。
「……?」
雑踏の中、すれ違った白い人影。
掠めそうになった肩を後ろへ引きながら、グレンは小柄な後ろ姿をなんとなしに見遣る。その人物は頭から足首まで覆ってしまう大きな白いケープをかぶって、急ぎ足で人込みの隙間を抜けていった。
「グレンー? 迷子になりますからちゃんと付いて来てくださいねー!」
「だ……れが迷子だ!」
雇い主の至って真面目な声音で放たれたからかいに、大声で文句を返す。
ちらりと後ろを振り返ってみたが、先程の人影はどこにも見当たらなかった。




