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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
10.しるべを新たに

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10-6

 カレンベル帝国のトゥルヤ公爵領から北東へ、セレニ高山を右手に据えながら馬を走らせること三日ほど。

 緑ばかりだった景色にだんだんと水辺が増え、街には淡い色の素焼きが優しく彩りを添え始めた。ベラスケス王国の紅土がつくる硬派な街並みと比べると、カレンベル帝国は開放的な印象を見る者に与える。


 光の神々が一柱、海神タウラフの愛した大地には、今日も爽やかな潮風が漂っていた。


「──いつ来ても心地よい場所ですねぇ」


 公爵邸から乗り潰してしまった馬を売り、グレンはがやがやと騒々しい大通りへと戻る。そこで待っていたモニカの言葉にしたがって、彼は視界の端から端まで広がる青に視線を投じた。


 ここは帝都オルステッドの南にある港町シーラン。

 透き通ったエメラルドの海に面した街並みは、貴婦人のまとうドレスよろしく豊かな色彩で構築されている。

 華美な印象を持たせないのは、単にこれらの建築物が帝国で定められた景観法に則っているがゆえだ。崖に沿って敷き詰められた無数の家屋を淡い色で統一することによって、真っ青な空と吸い込まれそうな海を引き立てているのだとか。


 タウラフの美しい海を保全する動きは、自ずとカレンベル帝国を大陸一の観光地として確立させるに至ったのだ。


「……パラディース大公ってのは帝都にいんのか?」


 グレンは白い煉瓦で作られた塀に腰掛け、眼下の往来を何となしに眺める。高低差の激しいシーランは、家屋を増やすたびに階段も増えていくため、地元の人間でも迷子になりやすい。

 事実グレンも今、この大通りから下の通路に下りる方法が分からない。飛び降りるしかないのでは、などと首を捻っていると、潮風を大きく吸い込んだモニカが口を開いた。


「大公殿下は帝都にいらっしゃるほうが珍しいと聞きました。ただ、奥様の──シャーロッテ妃殿下はよくシーランに足を運ばれるとか」

「……そういやおまえ、そのシャーロッテっていう女はレアード王室から輿入れしたんじゃなかったか」

「ええ。第三王女シャーロッテ・メーベルト様……ですが、私は殿下とお会いしたことがなくて」


 いつも王家が公の場に出てくるときは、国王と第一王子マティアスを筆頭にした五人の子どもが主な面子で、そこに第三王女シャーロッテは含まれていなかったとモニカは言う。


「シャーロッテ殿下は王宮の塔に幽閉されていたのです」

「は? 幽閉?」


 王家の姫に相応しくない扱いに、グレンはつい驚いてしまった。対するモニカも気の毒そうな顔で溜め息をつき、間者から得たという話を小さな声で語る。


「表向きはご病気ということでしたが……シャーロッテ殿下は、王妃殿下殺害の容疑を掛けられてしまったそうです」

「……いつの話だそれ」

「シャーロッテ殿下が五歳の頃ですね」


 五歳の女児が母親を殺した罪で幽閉。大丈夫かあの王家、とグレンは遠い目で海に浮かぶ小舟を見詰めた。

 しかし実際にシャーロッテ王女は二十歳になるまで塔に幽閉され続けたという。十五年も表に出てこなかった末姫の存在を、国民はおろか貴族も忘れていた頃──王家が例の大失態を犯した。


「帝国と敵対していたザイデル王国を支援したことが、パラディース大公によって暴かれたのです。まぁそれは……」


 モニカがふと言葉を途切れさせ、こちらを振り向く。何だと見返せば、薔薇色の瞳が無邪気に細められ。


「お父様が大公殿下に密告したんですけどもね」


 だろうな──グレンはまだ見ぬ伯爵の所業に頬を引きつらせた。


 パラディース大公クラウスは王家の背信行為を知るや否や、自らの足で王都へやって来たという。先触れも寄越さずに現れた大公に、間者曰く王家の慌てぶりは哀れなほどだったそうな。


 それもそのはず、このクラウスという男は── “常勝の獅子”の異名を持つ戦上手な将軍だった。


 カレンベル帝国に刃向かった国々をことごとくねじ伏せた張本人が、突然レアード王国を訪ねたのだ。宣戦布告でもされるのではないかと、王宮は極限の緊張状態で大公を迎えた。


「大公殿下はお父様の立場を考慮してくださったのか、レアードを滅ぼすことはしませんでした。その代わり、ご自分とシャーロッテ殿下の御子を次期国王に据えるようにと」

「王家のプライドをズタズタにすることが目的だったと」

「そうですね」


 王妃殺害の罪を擦り付け、十五年も虐げていた末姫が次期国王の母になる。それだけでも王家にとっては耐え難い屈辱だっただろう。

 更に、今後レアード王国は帝室の血によって支配されることとなり、メーベルト家は次第に政治中枢から弾き出されていく算段だ。

 なるほど、道理であの形だけの王家が悪足掻きをするわけである。


「で、おまえはその大公に助けを求めようとしてんだな?」

「はい。レアード王室を監視している大公夫妻なら、マティアス殿下を牽制することが可能でしょう」


 確かに大公ともなれば、アストレア神聖国にも多少は強く出られる。モニカの聖遺物を悪用するかどうかは、人となりを見ない限りまだ何とも言えないが。


 とにかくモニカは、この港町シーランによく訪れるという大公妃シャーロッテとまずは接触を試みるつもりのようだった。同じレアード出身の彼女なら、話を聞いてもらえる可能性はあるだろう。

 なら行き先はシーランにある大公の別邸か、とグレンが当たりをつけたのもつかの間、モニカが「あっ」と思い出したように口許を覆う。


「でもどうしましょう、シャーロッテ殿下は……噂によると大変な悪女であるとか」

「ああ、おまえみたいな──ぶぇ」


 何の悪気もなく返した相槌は、頬にゆっくりと拳が埋まったことで中断された。


「心外ですねグレン、私は変人と言われることはあっても悪女と呼ばれたことはありませんよ」

「変人はあんのか安心した」


「──おい、町外れに軍隊が来てるぞ。シャーロッテ殿下がいらっしゃったのか?」


「!」


 不意に聞こえた話し声に、二人はハッと後ろを振り返る。

 行商人らしき男と、漁から帰ってきたばかりの若者がすぐそばを通り過ぎた。


「ああ、そういやまた来るって聞いたが……」

「稀代の悪女がシーランをお気に召したってのは本当なんだなぁ」

「はっはっは、俺たち下々の民には寛大だから安心しな! 興味ねぇだけかもしれないけどな」


 彼らをつと見送ったグレンは、同じように大きな目を動かしていたモニカと顔を見合わせる。


「行ってみましょうか」



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