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ミレーユ・フェルンバッハは、シュレーゲル伯爵エッカルトが突如として迎え入れた謎多き花嫁だった。
建国の功臣フェルンバッハの末裔たるエッカルトには、それまで数えきれぬほどの縁組が打診されていた。にも関わらず浮いた話一つ聞こえてこないことから、男色家だの不能だのと不名誉な噂がばらまかれることもしばしばあったという。
そんな中で現れた銀髪の花嫁は、レアード王国貴族たちから否応なしに注目されることになった。
「お母様の生家である男爵家は、度重なる借金で首が回らない状態だったそうです。それを助けたのがお父様だったとか」
婚姻を結び、何かしらの利益を保証した上で借金を肩代わりする──政略結婚にありがちな話だ。
モニカの両親もそんなよくある貴族家庭の一例だったが、レアードの貴族たちは首をかしげた。
つぶれかけの男爵家、しかも領地も財産もない娘を引き取って、一体何の利益があるのかと。
況してやそれが、己の損となるような行動を一切取らないエッカルトならば、裏に何かあるに違いないと皆が勘繰った。
そうして一部の貴族が、手始めに件の男爵家について調べてみたが──。
「お母様の実家は焼き払われていました」
「焼き……」
「売り払われていた」の間違いではないのかと、ぼんやりと火の聖霊を見詰めていたグレンは口を開けてしまう。
彼の隣では、モニカが少し落ち着きなく髪を梳る。
「お母様のご両親は当時すでに亡くなっていて、雇われていた使用人も見付からず……お母様の周囲については何も分からない状態になっていました」
「……いや……それ絶対おまえの父親がやったんだろ」
「はい、私もそう思います」
心臓箱入れ娘の父親なら何をしでかすか分からない。ついさっき聞いたモニカとのやり取りの時点で、エッカルトという男が食わせ者であるのは明白だ。
モニカも自分が生まれる前の出来事であったため、借金の話にたどり着くだけでも骨が折れたと語る。
「そもそも男爵家が借金をしていたのは本当なのかと思って、当時のことをプラネルト公爵様に伺ったら……」
──分からない、との返答が寄越された。
何でも、男爵家が借金をした相手として、貴族と親しい高利貸しや有名な豪商の名がいくつも噂に挙がったらしい。しかし一家門をつぶしたなんて汚名を表立って着たがる者などいるはずもなく、各々が否定を口にした。
果てには誰が不当な取引を持ちかけた、誰が後ろ暗い商売に勧誘した、と互いを貶める流れへと発展し、次第に事の発端であるはずの男爵家の話は忘れ去られていった──。
「……父親の仕業だろ」
「そうだと思います」
二度目の確認に、モニカも同じようにコクリとうなずく。
エッカルトはあらゆる情報を隠蔽し、交錯させることで妻の出自を完全に隠してしまった。
そうして外野を争わせている間にさっさと式を挙げてモニカを授かったというのだから、絶対に関わりたくない人物だとグレンはひそかに遠い目をしてしまう。
「まあ聖遺物が関わってんなら、そんぐらいするのか……って」
そうか、だから徹底してミレーユを無害な貴族子女に仕立て上げたのかと、グレンは伯爵の行動にようやく納得した。
エッカルトは最初から、ミレーユが“創生の地図”の保持者であると承知の上で結婚したのだ。現在公表されている三つの聖遺物よりも遥かに危険な力を持つ地図が、誰にも見付からぬように細工をして。
「……身寄りをなくしたお母様が地図の扱いに困って、相談したのだと思います。お父様は私欲と無縁な人として有名ですから」
初代王朝の親戚筋であるフェルンバッハ家は、植物神ラートルムの聖遺物“目覚めの森”の管理に関わっていた過去があるという。
エッカルト自身の評判と合わせて、ミレーユは彼が相談相手として適任だと判断したのだろう。彼女の選択は正しかった。
「ですが、いくら大衆の目をごまかせたとしても、アストレア神聖国の“全知の書”だけはどうしようもありません。神の目がお母様と地図を見付け出すのに、それほど時間は掛からない」
「実際もう見付かったみてぇだしな」
この旅の途上でモニカを狙っていた不気味な刺客に、異母妹のカルラに接触してきたというアストレアの神官。彼らが“創生の地図”をフェルンバッハ家からたどろうとしているのは、火を見るより明らかだった。
知らぬ間にとんでもないことに首を突っ込んでいたようだと、今や後悔する機さえ逃したグレンは、しかし以前ほどうんざりした気持ちにはならず。幾分か冷静さを保ったまま、現在の状況を鑑みることが出来ていた。
「アストレアは聖遺物の隠し場所までは分かってない、と」
「はい、お父様が予想を立てていましたが……“全知の書”は未来を丸ごと知るものではないはずだと。なにぶん、魔術には詳しくないので憶測に過ぎませんが」
「いや、その見立ては間違ってない」
エッカルトは恐らく、光の神々と暗黒の闘争が終結してから今日に至るまで、アストレア神聖国が未だ一度も大陸の覇権を握っていない事実を踏まえてそのような仮説を立てたのだろう。
今から何百年も昔に、カレンベル帝国から独立する形で建国されたアストレア。分裂の所以は、信仰の姿勢に関する議論が噛み合わなかったがゆえと聞く。
そのためアストレアとしては、今現在カレンベル帝国を主軸とした東大陸の情勢を全くもって歓迎しておらず、分裂後もたびたび衝突を起こしているのだ。
もしも“全知の書”で今後の未来が全て見えているのなら、将来アストレアが覇権を握っても握らなくても、そんな無駄な争いはしないし、する必要がないだろう。
「聖遺物は神の力で創られた物だ。人間が扱うには莫大な、それこそ贋物以上の対価が要求されると考えて良い。だから……アストレアは“全知の書”を断片的にしか閲覧できてねぇはずだ」
「……なるほど。魔術師の方からしてみれば当然の推測というわけですね」
「まあ……聖遺物は贋物とは違う。この認識が適用されない可能性も十分あるがな」
ともかくアストレアが現時点で知り得た情報は、“創生の地図”がどこかに眠っていること。そしてそれを特定の血筋──ミレーユとモニカが所持していることの二点だろうか。
彼らはモニカを地図ともども手中に納め、宿敵カレンベル帝国に対する強烈な切り札として活用するつもりなのだろう。
「……初めから帝国に助けを求めなかった理由は? レアードが論外なのは今日でよく分かったが」
「言ったではありませんか。帝国と言えども正義の味方ではありませんし……私を狙う刺客がアストレア神聖国の手先だと判明するまでは、どこを頼るわけにもいきませんでした」
曰く、モニカが旅立つ少し前から不審な影が伯爵領を探っていたという。いち早くそれに気付いたエッカルトは検問を厳しくすることで対処したが、それらを捕縛するまでには至らず。
やむを得ず、父娘は当初から予定していた「陽動作戦」を行うに至ったのだ。
「お父様は最初、私ではなく使い捨ての人材を用意するつもりだったようです。あらかじめ北方の各所に隠した偽の地図を、彼らに探させる予定でした」
「それがどうしておまえが出てきてんだよ、帰れ」
「だって」
グレンの至極真っ当な意見に笑ったモニカは、小瓶に入れたラトリアを見詰めて呟いた。
「……私、そのためだけに産まれたのに」




