10-2
「──いや思いっきりハメてるじゃねぇか!」
「きゃあびっくりした」
のんびりとした語りを聞き終えて分かったのは、この女はやはり魔女だということ。
飛んで火に入るなんとやら、最初から罠に掛けられていたと知ったグレンが傍らの木を蹴りつければ、その向こうから笑い混じりの悲鳴が返ってくる。
夜闇の手前、はらはらと木の葉が落ちる様を忌々しげに睨んでから、グレンは深く項垂れてしまう。
「くそ、何か妙だと思ってたんだよずっと……」
「黙っているのも何だか申し訳ないから、こうしてお話ししてるんですよ」
ひょこ、と木の向こうからモニカが顔を覗かせる。悪戯が成功した子どものような笑顔に、ここ最近ずっとこびりついていた憂いの色は見当たらない。
トゥルヤ公爵邸から馬を飛ばすことしばらく、身を隠すのにちょうどいい森林を見付ける頃には、モニカの調子はすっかり元通りになっていた。
いや、むしろ──今まで以上に晴れやかというか。
真珠の髪飾りをぷちぷちと外しながら、モニカが編み込まれた銀髪をほぐしていく。
「お父様があまりにも頑なだったものですから、私も焦っていたんです。あのままだとお母様との約束を遂行できなかったでしょうし。あっ、この真珠売りましょうか、良いお金になりそうですね」
「好きにしろ。……それよりおまえ、母親との約束について詳しく話せ」
グレンは彼女に背を向けて座ると、右手の指輪を回して聖霊を召喚した。
ふわりと現れた小さな火の玉は、濃紺の景色から各々の色彩を生みだす。頭上を高く覆う樹冠にも淡い緑色が宿ったところで、風の音に衣擦れが混ざった。
「グレンに見せた手紙を覚えていますか?」
「ああ。あの手掛かり皆無の」
「あれはダミーです」
さらりと告げられた言葉に、グレンは頬杖をついた状態から顎をずり落とす。
いや、確かにあんな適当な手紙一つで聖遺物が見付かるはずないと、自分も散々文句は言ったが。
あの手紙が本当に何の価値もないのなら、モニカの旅は全く違う意味を持つことになる。宝探しなんてお気楽なものではなくて、例えば。
「……“創生の地図”が北にあるように見せかけるためか」
「はい。正解です」
だからモニカは「目的の半分を達成している」と言ったのだ。
彼女は聖遺物を探し出すのではなく、その本当の隠し場所から注意を逸らすために北へ──旅へ出なければならなかった。
そしてモニカが騙す相手は、度々モニカを襲ってきた刺客、すなわちアストレア神聖国だったというわけだ。
「何でそこまでして地図を隠す? ただの地図じゃねぇのか」
光の神々が創ったと言われる遺物には、どれも不思議な力が宿るとされる。もちろんモニカの言う“創生の地図”とやらにも、何らかの力が込められているに違いない。
しかし地図となると──重大な遺産の在処でも記されているのだろうか。あまりピンと来ないグレンが問いをぶつければ、少しの間を置いてモニカが答えた。
「……“創生の地図”は地母神アルマが産み出した聖遺物なのです」
「!」
天空神を頂点に据える光の神々。その序列二位にあたるのが、天空神の娘であり妻でもある地母神アルマだ。
それだけでもかなりの価値を誇るだろうが、続いたモニカの言葉には驚愕せざるを得なかった。
「あの地図は、天地創造の際に用いられたまごうことなき神器。悪用されれば──大地と海の形が変わることになるでしょう」
それはつまり、国も民もまとめて死に至らしめることが可能なのだと、モニカは静かに告げる。
「神々は混沌のうねりでしかなかった粘土のような世界を、七柱で分担し整形したと言われています。アルマはかの地図に世界の形を描くことで、大地を自在に操りました」
「……書き込むだけで世界の形が変わるってのか?」
「はい。ひとつ山を描けば地殻が盛り上がり、ひとつ大陸を消せばそこは海に沈むでしょうね」
まさしく神話の世界だ。そんな馬鹿げた威力を誇る聖遺物が、今もどこかに眠っているというのだから手に負えない。
しかも、とグレンは思わず後ろを振り返った。
「おまえの母親、ずっとそんなもん持ち続けてたのかよ」
一人の人間が背負うには、“創生の地図”はあまりに荷が勝ちすぎる。
そもそもなぜモニカの母親が、危険な聖遺物を所持することになったのだろう。娘であるモニカが、母と同じくそれを守るために動かねばならない理由は何だ。
ごそごそとドレスを分解しているモニカの肩が、少し気落ちしたようにすくめられた。
「残念ながら、お母様が地図を持っていた理由は私も知りません。お父様は教えてくださらなかったので」
「はあっ? 殴ってでも聞けそこは!」
「お父様を殴る? 楽しそうですね、試してみれば良かったです」
くすくすと笑ったモニカは、そこでまた一つため息をついて、どこか困り顔でこちらを振り返った。
「ところでグレン、ちょっと話は変わるのですが」
「あ?」
「コルセット外してくれません?」
「…………は?」
ちょっとどころか全く関係ない話に、グレンは濁音混じりの声で応じてしまった。
当人は自身の背中に両手を回し、固く結ばれた紐の先端を持ち上げる。
「先程からずっと外そうとしているのですけれど、全く緩む気配がなくて……話しながらだと疲れてきました」
「……はあ……」
「これから使う予定もありませんし、紐を切っていただけませんか?」
「はあぁ」
グレンは段階的にため息を力強くしつつ、億劫な動きで立ち上がった。
茂みを掻き分ければ、隠れていたモニカの体が露になる。胸元からふくらはぎまでを覆う白い──ドレスのようにも見える下着は、腰を絞る頑丈なコルセットで固定されていた。
モニカが長い銀髪を体の前に移動させれば、自ずと華奢なうなじと背中が晒され、グレンは目の毒だと思いつつも短剣を引き抜く。
ひとまず石のように固い結び目をほどくことは諦め、芸術品のごとく華麗に交差した紐に刃を差し込んだ。
「……グレンって、意外と人の世話に慣れていますよね」
「気のせいだ」
「鞄も持ってきてくださいましたし、外套も着せてくださいましたし、手際が良かったなぁと思って」
トゥルヤ公爵邸から脱出するときのことを挙げられ、グレンは苦い顔で紐を引っ張る。しかしまだ結び目が残っていたので、コルセットは外れずモニカが呻いただけだった。
仕方なしにグレンは再び短剣を用いて、ホールに通された紐を地道に切っていく。
「……教会にいたときに、ガキの世話してただけだ」
「まぁ! そうなのですか」
「確実におまえほど手は掛からなかったけどな」
「どういう意味ですぅぐっ」
心外だと言わんばかりの反応を、グレンはコルセットを力任せに引っ張ることで遮る。するとようやく鎧のような下着がモニカの体から剥がれ、すとんと草むらに落ちた。
「ふう、ありがとうございます。やっと解放され──あっ!」
固まった腰をほぐす要領で伸びをしたモニカは、そこで思い出したように頭の花飾りを取る。続く言葉が容易に予想できたので、グレンはそそくさと踵を返したが。
「グレン! このお花、どちらで購入したのですっ?」
「どちらからも購入してねぇよ」
「え? でもラトリアはこの付近で栽培されてませんよ?」
「だから……おい早く着替えろ、こっち来んな」
あろうことか下着一枚で明るみに出てこようとした彼女を茂みに押し戻し、グレンは仕方なしに口を開く。
「……おまえ、俺が踏み潰したラトリアを鞄に入れてただろ」
「え……? ま、まあ……っ、婦女子の鞄を漁ったのですか……⁉ 盗みは働いてもそんな輩ではないと思っていたのに!」
「違ぇよバーカ!! おまえが毒矢で倒れたときに! 中身が出てきたんだよ!」
わざとらしく狼狽するモニカに素早く反論したグレンは、馬鹿馬鹿しい気分でその場にあぐらをかいた。
「小瓶の効力で、まだ完全には枯れてなかった。……それを水の聖霊で再生させただけだ」
以前のように保存用の小瓶に入れておけば、またしばらく枯れずに持つだろうとぶっきらぼうに付け加える。
ついでに、公爵邸で鞄から小瓶を出したのはヒルデで、替えの服やら何やらを詰め込んだのもヒルデだと強調しておいた。
これで満足かと鼻を鳴らせば、やがて後方から小さな笑い声が漏れ聞こえる。
「そうでしたか。魔術でそんなことも……理由を聞いても?」
「コソ泥が踏んだ汚い花を拾うご令嬢があまりに哀れでな」
本心をありのまま話してやると、モニカは気分を害した様子もなく含み笑いを返した。
枝を踏み折る音が近付き、やがて視界の隅で銀色が揺れたかと思えば、着替えを終えたモニカが隣に腰を下ろしていた。彼女はその手に携えたラトリアの花を、透明な小瓶にそっと入れては微笑む。
「私、薔薇を頂く機会が多いのですが、本当はこのお花の方が好きなんです。お母様の部屋に飾られていたラトリアが、とても良い香りで……」
蓋をしっかりと嵌めたモニカは、樹冠の隙間から覗く星空を仰いで告げた。
「……ねえグレン。聖遺物にも少し関係することなので……聞いていただけます?」
──お母様の話。




