9-11
「……そ、そういうことだったのか……」
騒がしさの残る公爵邸の一室にて、婚約者は嘆息と共に項垂れた。
彼のそんな反応を見るのは初めてで、カルラは借りた上着で何となしに自分の体を隠す。
「……申し訳ありません、ロベルト様。私、お姉様をかえって危険な立場に……」
アストレア神聖国の神官が訪ねてきたこと、彼らが聖遺物を求めてモニカの行方を捜していること。姉の身柄を保護するため、独断で王家に話を持っていってしまったこと──カルラは正直に全てを話したところだった。
ついでに「あなたに話しても仕方がないと思い、黙って計画を実行しました」と付け加えると、更にロベルトが床に沈み込んでしまった。
「い、いや……君にそう思われても仕方ないから、謝らないで」
「ロベルト様は、メーベルト王家が危ういことをご存じだったのですか」
「……」
彼はかぶりを振る。恐らく王位継承に関しては王家から箝口令が敷かれていたのだろう。カレンベル帝国との軋轢が広く知られれば、辛うじて保たれている王家の求心力が失われてしまう。
遠縁とはいえプラネルト公爵家はメーベルト家との結び付きが今もなお強く、当主であるロベルトの父も、本心はどうであれ口を閉ざす方針に従った。
……もしや異母姉がそれらの事情を詳しく知っていたのは、その公爵から情報を得ていたのだろうか。何とも恐ろしい人だ。
「……マティアス殿下はどちらに?」
「それが……エクホルムの悪魔と廊下で鉢合わせたら気絶してしまって」
特に怪我は負っていないが、巷で噂の殺人鬼を目の当たりにして即行で意識を飛ばしてしまったらしい。王子の威厳など皆無である。
反対に、ロベルトは至っていつも通りであった。彼の方こそパニックに陥りやすい男だと思っていたのだが、悩ましげに頭を抱える姿はカルラの知る脳内花畑のクソ浮気野郎とは程遠い。
「カルラ、とにかく……殿下が起きる前に屋敷を発とうか。君を王家に預けるとモニカが困るみたいだから」
「……ですが、公爵様にご迷惑をおかけすることに」
「父上は伯爵と仲が良いから、大丈夫だよ」
「王家には何と説明するのですか? もし王家が聖遺物の隠蔽を建前に、公爵領を包囲するようなことになれば戦にも発展しかねませ」
「ああーっ! カルラ!」
今後の懸念をつらつらと並べ立てていたカルラを、慌ててロベルトが制止する。膝立ちのままこちらへやって来ては、先程から絶賛落ち込み中のカルラの手を掬い上げた。
「大丈夫、カルラはこの優良物件と名高い僕、ロベルト・アンデが必ず守ろう!」
「不安……」
「ちょ、あの、そんな蔑むような目しないで! 本当に大丈夫だから」
思いきり顔を歪めて手を払ってしまったが、そんなカルラの頭を撫でるロベルトの手つきは優しいものだった。
──もしも異母姉を王家に渡していたら、この頼りない笑顔も優しさも見れなくなったのかと思うと、少し背中が寒くなった。
いや、もっと以前から自分の身を欲しがる輩がいたと知った今では、ロベルトがどれだけ婚約者を大切にしているかが分かる。彼は未成年の女子に手を出すことも、妻を単なる欲望の捌け口にすることも、絶対にないのだから。
「……ロベルト様は」
「何だい?」
「お姉様と結婚したかったんじゃないの」
思いの外、不貞腐れたような口調になってしまった。ロベルトの驚いたような顔をまっすぐ見ることができず、半ば意地のように睫毛を伏せる。
しかし、彼から返ってきたのは、予想だにしない返答だった。
「……。僕は多分、モニカもカルラも女性として見れてなかったんだと思うよ」
え、とカルラは口を半開きにして固まる。
子どもの域を出ない自分はともかくとして、年齢の近い異母姉まで?
「は⁉ だから適齢期の女性を取っ替え引っ替え……⁉」
「アッ違う違う‼ 彼女らと一線を越えたことなんてないよ! いやまぁ獣よろしく押し倒されたことはあるけど──そもそもそういう意味じゃなくて、君たちは何と言うか、どっちも妹みたいな……」
一線を越えたことがないと聞いて安堵よりも驚愕が上回ってしまう辺り、自分がどれだけロベルトのことを知らないのか痛感する。
戸惑いを抑え込めぬまま話の続きを促せば、彼はどこか自嘲気味に頬をかいた。
「モニカはね、昔はとても元気で活発な子だったんだよ。屋敷でメイドを巻き込んで隠れんぼをしたり、僕とかけっこをしたがったり、ミレーユ夫人と外でお昼寝したりね」
先妻の名が出るということは、それはきっとカルラが産まれるより前の話で、どうしたって彼女が知り得ない時間だった。あの薄笑い常備の異母姉がそれほどやんちゃな少女だったなんて、にわかには信じがたい。
「でも、ミレーユ夫人が病で亡くなってから……ちっともそういう遊びをしなくなって。僕もしばらく面会を拒否された」
「……お父様は?」
「伯爵は忙しかったからね。あの頃は彼も王宮で活躍していたし──モニカのことを気にかけられなかったんだと思う」
今でこそ父エッカルトが屋敷にいる時間が多いのは、王家が迷走し始めたことに加えて、すっかり様変わりしてしまった長女のためでもあったのかもしれない。
だが少なくとも当時、モニカは誰にも会いたがらなかったし、誰も傍にいてやることが出来なかったそうだ。
「無理を言ってモニカに会いに行ってみたら、瞼が真っ赤に腫れてて、痛々しいぐらいに痩せてて、何にも話してくれなくて……あの子は賢いから、母君の死をすぐに理解してしまったんだ」
あの姿は見ていられなかったと、ロベルトは沈んだ声で語る。
父エッカルトは娘を公式行事に参加させる名目で、気分を変えさせるべく外にも連れ出したそうだが、少女に元の笑顔は戻らなかった。
そこでロベルトが取った行動は、モニカを笑わせる道化になるということだった。
「まぁそれがいつもの戯言なんだけど……自分のことを持ち上げまくってから椅子から派手に落ちたり廊下で滑ったりね。そしたら、ちょっとだけモニカがこっちを見て反応してくれるようになって……」
「……公爵様、よく止めませんでしたね」
「ま、まあ今も癖が抜けないのは確かだけども」
いちいちフルネームを名乗ったり自分を美形だと宣ったり気障なポーズを取ったり、そういったロベルトの自信過剰な振舞いは、ただモニカを元気付けるための戯れだったらしい。
もはやそれが性格の一部となってしまっている今、プラネルト公爵から注意されそうなものだが、意外にも黙認されているとか。
「もしかしたら僕の無能っぷりを晒させて、家を中立のままにさせたかったのかもしれないね。公爵家は多方面から変なのが寄ってくるし……王家とズブズブの関係になれば、今ごろ僕もザイデルの支援に荷担させられてた」
今思えば、といったふうに笑ったロベルトは、レアード王国の情勢を正確に理解しているようだった。
遊んでばかりの次期当主なんて評価も、お人好しな彼を王家の駒にさせないための印象操作だったのかもしれない。
カルラもまんまとその話を信じていたので、少し恥ずかしい思いで肩をすくめる。
「ええと、それで……そうだな。道化ごっこは続けながら、僕はモニカに友達を増やしてもらおうと思って、いろんな家の子女に片端から声を掛けたんだよ」
──多分、それが駄目だった。
ロベルトの声が微かに強張った気がして、そっと顔を覗き込む。垂れ目がちな瞳はカルラを一瞥すると、困ったような微笑を浮かべた。
「僕がモニカを一人で置いて行ってしまったんだと、今さら気付いたよ」
「え……」
「モニカは、大勢に囲まれた僕を見て……余計に寂しくなったのかもしれない」
あれが逆効果だったことに、今日に至るまで気付けなかったと笑った彼は、後悔のにじむ目許を覆い隠す。
あの日以降、モニカは張り付けたような笑みを浮かべるようになり、ロベルトとも一定の距離を置くようになったという。
まるで、自分たちは別の世界の住人だとでも言いたげに。
「その後も僕はモニカのためと思って悪手を踏み続けたんだから、婚約破棄は必然だったんだろうけれどね」
「ロベルト様……」
「……でも」
彼が静かに息を吐き出す。胸の内を吐露したおかげか、幾分かスッキリとした顔をカルラに向けた。
「──見たかい? カルラ。君のお姉さん、本当はあんなに笑えるんだ」
ラトリアの花を貰い、無垢な少女のように笑う姉の姿が脳裏をよぎる。
人間味あふれる笑顔に、カルラやロベルトのみならず、あの場にいた全員が魅了されてしまったことだろう。モニカを捕縛するつもりだった王子までもが呆けた顔をしていたのだから。
いや──姉を攫っていった盗賊だけは、あんな笑顔をいつも見ているのかもしれないけれど。
「……何かムカついてきたから殴っておけば良かった……あのチンピラ……」
「はは、カルラも素直に、一人前になったからモニカと一緒に仕事がしたいって言えば良かったのにぐぇ!」
「わ、私が何をしたいですって⁉ それよりロベルト様、私と結婚する気があるならとっとと浮気相手との縁を切りなさい‼」
「え、だ、だからあれはモニカのために相談に乗ってもらってて」
「そう思ってるのはロベルト様だけです! 女が油断ならないのはお姉様と私で懲りたでしょうが‼」
「は、はい」
ロベルトの胸ぐらを掴んで思いきり揺さぶったカルラは、耳を真っ赤にしながら大股に部屋を後にしたのだった。
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