1-8
「──フォルクハルト様から護衛の申し出は受けましたけど、お断りさせていただきました」
「何で!!!!」
にこやかに果汁水を飲むモニカの向かい、小卓を蹴り倒しかねない勢いでグレンは立ち上がり、直後に打ちのめされたように床へと転がった。
薄暗い路地から打って変わり、二人は大都市ラトレの賑やかな酒場にやって来ていた。ここへ来る前、襲い掛かってきた不審な男を騎士団の駐留所まで引きずったところ、治安維持に協力してくれた礼にと小遣いを受け取ったのだ。
その金で遅めの昼食を取ることになったのだが──心穏やかな時間にはあいならず。
グレンはよろよろと席に着くと、到底理解できない思考を問うべくモニカを見た。
「お前やっぱ馬鹿だろ……? 優良物件が尻尾振って護衛を申し出てんだぞ、素直に扱き使ってやれよ」
「フォルクハルト様は誇り高きカレンベル帝国の騎士様ですよ? 終わりの見えない旅に付き合わせるわけにはまいりません」
「俺は付き合わせて良いってか!?」
「はい!」
だって盗賊だし。モニカは顔に本音を貼り付けて元気に頷いた。反射的に張り倒しそうになったが、ぎりぎりのところでグレンは耐え忍ぶ。
まさか好青年の模範として生まれたようなフォルクハルトが、ここまで呆気なく振られるとは想定していなかった。あれほど使いやすい駒はなかなか無いというのに、どうしたらこの女は家に帰ってくれるのだろうか。
ダメ元で家族の心配を仄めかしてみようか、いや、モニカの家庭事情から鑑みてこれもあまり効果は期待できない。それなら。
一通り思考を整理し終えたグレンは、険しい表情でモニカを見据えると、神妙な口調で語り掛けてみた。
「さっきの男、俺じゃなくてお前を狙ってたぞ」
行儀よくフォークを動かしていたモニカが、ふと笑みを消した。
些細な変化を見逃すことなく、グレンは静かに追い討ちをかける。
「聖遺物なんざ探さない方が良いんじゃねぇか? どこの国も聖遺物に繋がる手がかりは随時募集中って聞くしな。お前のことも……いや、お前の母親か? 既に情報を掴まれてる可能性もあるぞ」
「……」
「俺はこの先もあんな物騒な連中と関わるのはごめんだね。それこそ俺みたいな賊じゃなくて、大人しくレアードやカレンベルに協力を仰ぐのが賢明だと思うんだがな、お嬢さん」
呼び掛けに併せてこつこつとテーブルを指で叩いて問えば、ゆっくりと薔薇色の瞳がこちらへ寄越される。
暫しの睨み合いを経て、先に相好を崩したのは彼女だった。ゆるやかな弧を描いた唇が、やがて小さな声を紡ぎ始める。
「信頼できる伝手があるなら、そうしたいのですがね」
「あ?」
「先程の男が帝国の手先ではないと断言できないうちは、誰にも頼ることはないでしょう。例えフォルクハルト様であってもそれは変わりません。お母さまの地図は、どこの国にも渡してはならないから」
我が母国レアードなどもってのほか──酒場の喧騒に紛れてしまいそうな声は、しかし明瞭な響きをもってグレンの耳に届く。
彼女の細い指先が鞄へと伸び、中にある宝石箱をそっと撫でた。
「私が今、お母さまとの約束を果たすために必要としているのは、絶対に裏切ることのない忠実な手足です。そこで愛情などという不安定なものを、間違っても信じてはならないのですよ」
不安定な愛情ゆえに心変わりを起こした元婚約者が聞いたら、泣いて土下座でもするのではないだろうか。ついでに初恋真っ最中のフォルクハルトも号泣する。
それはともかく──とんでもない女に捕まったものだと、グレンは忌々しい気分で笑った。母親の遺した聖遺物にどんな曰くがあるのかは知らないが、これは一刻も早く逃げなければならない。
今度は情に訴えるような生温い手ではなく、この無駄に据わった心を折る方向で考えるべきか。
話は終わりだと言わんばかりに微笑んで食事を再開したモニカを一瞥し、グレンは溜めに溜めた息を吐き出したのだった。
(……一部同意はするがな)
それはそれ、これはこれと言い聞かせて。
「さてグレン! お祭りの気分ではありませんし、このまま北上していきましょうか!」
「あー、はいはい」
「ちなみに“目覚めの森”をちょっと覗いていくのは駄目ですか?」
「観光じゃねぇんだよ駄目に決まってんだろ」
□□□
緊迫した空気はやがて枝葉に吸収され、次第に落ち着きを取り戻したラトレの片隅。橙色の硝子灯がいくつもぶら下がる幻想的な館では、外の喧騒を受け付けぬ静けさが漂っていた。
半円に切り取られた豊かな緑が、うっすらと涼しげな影を落とす室内にて。無音の空間に響いたのは、扉の軋む微かな音だった。続けてこつりと、硬質な床を誰かの踵が鳴らす。
「さっきの騒動は何だったんだ?」
「は、どうやらエクホルムの悪魔が出たなどと叫んだ者がいたようで……広場を確認してみましたが、それらしい人影は見当たりませんでした」
「悪戯か」
兵士を片手で下がらせると、濡羽色の髪を持つ偉丈夫はゆったりとソファに腰掛けた。両の耳に揺れる大きな金環がきらりと煌めけば、隣で静かに紅茶を飲んでいた貴婦人が口を切る。
「……エクホルムの悪魔とは……?」
「うん? 巷で人気の死神だ」
「死神……。初めてお聞きしました」
赤茶に染まった鮮やかな水色を見詰めたまま、貴婦人は不思議そうな声音で驚く。死神という言い回しをそのまま受け取ったようで、瑞々しい唇にはありありと驚きが滲んでいた。
ほんのりと紅潮した白い右頬の上、きらびやかな宝石と金糸で縫われた眼帯に、武骨な指をそっと這わせる。そうすることでようやく彼女は、男の視線が自分に向けられていることに気付いた。
眼帯に覆われていない左目が、すいとこちらを振り向いて瞬く。
「何でしょう?」
「いや。あまり私の話を鵜呑みにするな。心配になる」
「信じろと仰ってわたくしを妻にしたのに?」
慎ましやかに笑う新妻に苦笑した直後、二人きりの部屋に新たな訪問者が現れる。
入室を促せば、何故だか随分と沈んだ顔の部下がそこにいた。いつもの引き締まった生気溢れる態度が消散している様に、二人は思わず目を見合わせてしまう。
「どうした、フォルクハルト。この短時間で何が起きた」
「……はっ……い、いえ何でもありません! ご所望の品をお持ちしました」
慌てて取り繕った部下は恭しく跪き、丁寧に包装された小さな鉢植えを差し出す。オレンジ色の花びらを大きく広げたラトリアが、丸く敷き詰められた土に所狭しと咲き乱れていた。
それを見た妻は嬉しそうに頬をゆるめると、「ありがとう」とやわらかな声で部下に礼を述べる。
「満足か?」
「はい。ごめんなさい、我儘を言ってしまって」
「気にするな。久々にゆっくり話せた。まあ……その花ぐらい、言ってくれればさっさと取り寄せたが」
「ラトレに赴いて、自然の香りを堪能しつつ花を愛でるのが醍醐味だと、侍女が申しておりましたから」
「そうか」
上機嫌に語る彼女の腰を支え、男は悠然とした足取りで部屋の外へと向かった。その際、幼い少女のような笑みを浮かべていた妻の顔が、一瞬にして妖艶なものへと変わる。
何者も平伏してしまう威圧感をもって二人が登場すると、ホールに整列した護衛騎士が背筋をぴんと伸ばし、主人の指示を静かに待つ。
「帝都に帰還する。レアード王室の監視は今後も続けるように」
「はっ」
揃いの黒衣を纏った夫妻は大都市ラトレの東方──レアード王国の都がある方角を一瞥し、豪奢な馬車に乗り込んだのだった。
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