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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
9.フェルンバッハの仮面
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9-8

 ホールに颯爽と現れた長身の男。皆が頭を垂れて彼を迎える中、モニカもそれに倣って辞儀をする。無論、傍にいたロベルトも何か言いたげな顔をしながらも会話を中断し、恭しく頭を下げた。

 静まり返った会場を突き進み、今宵の主賓は真っ直ぐにこちらへ向かって来る。これほどの人がいながら、既にモニカの姿をあらかじめ確認していたかのような、迷いのない足取りだった。


「シュレーゲル伯爵令嬢、久しぶりだな。顔を上げなさい」

「はい」


 許しを得て礼を解けば、マティアス・メーベルトは満足げな笑みを浮かべる。

 レアード王国の王子であり、ロベルトの従兄にあたる彼とは何度か面識があった。面識があるだけで友好的な関係では決してなく、彼自身は旧王家の血を引くフェルンバッハ家を何かにつけて敵視しており、他の貴族を使って父を陥れようとしてきた筆頭と言えよう。ゆえにロベルトを介さなければ、こうして直接会う機会など滅多に設けなかったのだが──じろじろと全身を舐めるような不躾な視線は、相変わらずのようだ。

 有り体に言えばモニカはこの男が嫌いだった。幼い頃、まるで奴隷でも見るような目つきが恐ろしくて、ついロベルトの後ろに隠れてしまった程度には。


(間に合わなかったか)


 やはりダンスの申し出など無視しておけば良かったと、モニカがほんの少しだけ目を逸らしたとき、それを咎めるかのように右手を掬われる。

 手の甲に押し付けられたマティアスの唇に、手袋越しだというのに背筋が粟立った。


「今年で成人したのだったな。すまない、花を持ってくるのを忘れてしまった」

「……いえ、お気遣いなく」


 妙に優しげな口調で語り掛けるマティアスを見上げ、控えめな笑みを返す。また一つ愉悦を深めた彼は、モニカの手を掴み寄せては従弟の傍から引き離した。


「どうだろう、伯爵令嬢。成人祝いに私と一曲踊ってもらえないだろうか。君とロベルトが婚約関係にあったものだから、今まで気軽に誘えなくてな」


 少しばかり大きな声で告げられた言葉に、周囲がにわかにざわめく。傍から見れば、マティアスが以前からモニカに懸想していたと捉えられてもおかしくない発言だった。


(カルラ、もしかして──私とマティアス殿下の婚姻をお膳立てするつもり?)


 つと視線を移してみれば、異母妹がサッと逃げるように顔を背ける。図星のようだ。


「少し甘やかしすぎたかしら……」

「うん? 何か言ったか?」


 ぼそりと呟いたモニカは、気を取り直してマティアスに微笑を返す。


「マティアス殿下、もしかして私を引き取ってくださるのですか?」


 彼にだけ聞こえるよう、甘やかに尋ねてみれば、驚いたようにその瞳が丸く開かれた。しかしそれもつかの間のこと、モニカの背を抱き寄せては歪んだ笑みをこちらへ近付ける。ゆるやかな銀髪を指先に絡めるしぐさは、まるで所有物を愛でるかのように遠慮がない。


「ああ、そのつもりでここへ来た。お前が私のものとなれば王太子妃、ゆくゆくは王妃だな。フェルンバッハの血を絶やすことなく、王位にも返り咲くことが出来る。悪くないだろう?」

「ふふ、そうですね」

「しかし意外だ。もっと私に怯えて遠慮するかと思ったのだがな。王太子の妻ともなれば、形振り構っていられないと?」

「ふふ、そうですねぇ。王太子妃の座は魅力的です」

「……何がおかしい?」


 我が物顔で髪や体をいらいながらも、先程から適当に笑ってばかりのモニカにようやく違和感を抱き始めたらしい。マティアスが怪訝な顔で尋ねる。

 この男もロベルトと同じで、モニカのことがどうにも臆病で引っ込み思案に見えているようだった。そんな節穴の目でよく王族を名乗れるなと思いつつ、目の前にある忌々しい顔を両手で挟む。

 そして。



「ひとつお伺いしたいのですけれど──()()()とはどなたのことです?」



 ぐりっと両頬に拳を埋め込んでやれば、アホ面のマティアスが硬直した。

 近くでそわそわとしていたロベルトも、モニカの突然の暴挙に「あっ」と口元を覆う。視界の端ではカルラが信じられないと言わんばかりに、目を見開いていた。

 彼らの反応に肩をすくめたモニカはと言えば、なおもぐりぐりとマティアスの頬を抉りながら囁く。


「私、王太子妃となってフェルンバッハ家の地位を復活させることが出来るなら、婚約もやぶさかではありません。ですが肝心の王太子がいらっしゃらないなら無理なお話だと思いませんこと?」

「な……にを、言っている? ここにいるではないか、レアードの王太子がここに。それより手を離せ」

「虚栄を張るのもいい加減になさって、マティアス()()殿下。あなたは次期国王の座をすでに逃したはずですよ、それなのに先ほども王太子などと皆に呼ばせて……恥ずかしい御方」


 かっと王子の顔が赤みを帯びる。公衆の面前で暴力を振るうような人物ではないが、なかなか身の危険を感じる表情だ。

 そんな短気な王子にモニカは笑って見せ、あざけりを込めた声で囁いたのだった。



「あなたがたはカレンベル帝国の怒りを買った。もう二度とバカな真似をしないよう、帝室から監視も付けられているのでしょう? 例えば、ほら、どこぞの国に武器を横流しするとか……」



 勢いよくマティアスが顔を離した。

 先程とは一転してすっかり青褪めた頬に、モニカは愉快な気分でドレスを払う。


 今しがた語った話は、レアード王室の失態……否、大失態と呼ぶべきか。彼らが数か月前から必死に隠している恥ずべき出来事だった。


 ことの詳細は至ってシンプルだ。

 長きにわたって友好を築いてきたカレンベル帝国との貿易の裏で、メーベルト家はあろうことか帝国と交戦中だったザイデル王国を密かに支援した。

 武器や食料、果てには魔術師の提供まで、それはそれは懇切丁寧にサポートを行ったそうな。

 王家としては自国に火の粉が降りかからぬよう立ち回っていたつもりだろうが、帝国から見れば単なる背信行為、立派な裏切りである。


 結局カレンベル帝国とザイデル王国の戦は帝国の勝利に終わり、メーベルト家の愚行も呆気なく白日の下にさらされ、次のような報復措置がなされた。


 ──カレンベル帝国パラディース大公クラウス・エストマンと、レアード王国第三王女シャーロッテとの間に生まれた子を、次期国王に据えること。


 つまりは純血である王太子マティアスを差し置いて、帝室の血を継いだ子どもがレアードの君主になるということだ。


 それは実質、長く続いたメーベルト王朝の終わりと言えよう。


 だからこそマティアスを始めとした王家は、死に物狂いで帝国の機嫌をうかがって報復措置の内容を変更してもらえないかと奮闘しているわけだ。


「どんなに手を尽くしても、帝国はあなたがたの罪を水に流してはくださいませんよ、殿下」

「なぜそれを……っまだ間者がいたのか」


 忌々しげに独り言つ彼を無視し、モニカは被せるようにして告げる。


「私、泥船に乗る趣味はございませんの。沈むならお一人で沈みなさいな……哀れに助けを求めるお姿を、陸地で見守って差し上げます」


 酷薄な笑みで挑発を繰り返せば、いよいよマティアスの肩や唇が怒りに震え始めた。ここで一つも言い返せない辺り、王家が既に引き返せないところまで来てしまっていることがよく分かった。

 どうせこの程度なのだ、王太子という肩書にあぐらをかいていたような男は。

 そんな体たらくだから──我々に足をすくわれたというのに。

 何も言わないなら話は終わりだと、モニカが踵を返したときだった。背後から舌打ちが聞こえ、左腕が加減なく掴まれる。



「北の連中がお前を捜している。奴ら、()の在り処を探しているそうじゃないか」



 ほら、とモニカは想像通りの返しに呆れてしまった。

 すぐにボロを出すだろうとは思っていたが、やはり聖遺物狙いでこの話を持ち掛けたらしい。モニカが冷たい表情で後ろを振り返れば、どこか勝ち誇ったような笑みが出迎える。


「婚姻という形を拒むのなら、おまえを誰の目にも届かない場所に保護するしかあるまい。奴らにこれ以上、力を与えぬように」


 北の連中──それが指し示すところはアストレア神聖国に他ならない。


 彼らの動向を、帝国がかねてより注視していることは周知の事実だ。聖遺物は各国にとって権力の象徴であり、光の神々の加護を得た証でもある。既に“全知の書”を所持する神聖国が二つ目の聖遺物を手にするような状況は、帝国に限らずどこの国だって阻止したいだろう。


 だが今のレアード王室にそのような国際情勢を気にする余裕などない。彼らはただただメーベルト家の格を下げたくない一心で、帝国に媚を売ろうとしているだけ。

 御為ごかしを、とモニカは口角を上げた。


「存在するかどうかも分からぬ宝を帝国に献上して、王位に就かれるおつもり? ふふ、夢物語ですね」

「は、それはどうかな」


 そのとき、冷えた笑みを浮かべて対峙するモニカとマティアスを見かねて、頭に疑問符を浮かべたロベルトがそうっと声をかけてくる。


「……え……と、先ほどから何の話を……」


 ちらりと視線を移してみれば、訳が分からない顔で二人を見比べている。……どうやら彼は、カルラに何も聞かされずに連れてこられたようだ。ただ本気でモニカと話をするためだけに、ここまで。

 ふっと笑いをこぼしたモニカは、それを悟られる前に口許を片手で覆う。


「ロベルト様、殿下は何か勘違いをなさっているようです。大切な従弟を弄んだ罪で私を幽閉すると仰って……」

「な、この……っ」

「ゆ、幽閉っ⁉ そんなことで⁉」


 よく通る大きな声で驚いてくれたロベルトのおかげで、遠目に様子をうかがうばかりだった貴族たちが騒然となる。

 マティアスが怯んだ隙をついて腕を振りほどき、モニカはすぐさま元婚約者のそばへと後退した。そして痛む左手首を擦りながら、動揺中のロベルトに耳打ちする。


「ロベルト様、すぐにカルラを連れて帰ってください。屋敷にはしっかり警備を敷くこと。プラネルト公爵様にも、王家とは必要以上に関わらぬよう父からご忠告は差し上げておりますので」

「へ……」

「どうか妹をお守りください。あの子の夫として」


 こちらを振り向いたロベルトは、何が何だかと言わんばかりにうろたえていたが、モニカの真剣な眼差しを見て息を呑む。


「お約束を、ロベルト様。何があっても妹の身を優先……」

「君は?」

「え?」


「カルラは僕が守ろう、約束する。でも……それなら君は誰が守るんだ」


 守る?

 誰を?

 ──私を?


 カルラさえ安全な場所に匿ってくれればいい。人質を取られてしまえばモニカは王家に従わざるを得ず、否応なく“創生の地図”に関する情報を吐かねばならなくなる。


 それさえ避けてくれれば、あとは──。


「私は……ひとりで……」



「──モニカお嬢様」




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