9-3
コンウェル侯爵領へ迎えにやって来たのは、プラネルト公爵家の家紋が入った豪勢な馬車だった。
ロベルトはモニカの姿を確認するなり心底安堵した様子で相好を崩し、やはり当然のように彼女の手の甲へと口付ける。貴族の挨拶とは分かっているが、それでも無性に腹が立つのはロベルトの顔のせいだと断じておく。
女癖を抜きにしても、こんな脳内お花畑野郎がレアード王国の次期公爵になるというのだから、かの国の行く末が心配になるのも無理はない。
もしや貴族がこんな人間ばかりだから、モニカは母国を信頼できないのだろうか。だとしたら何とも不憫である。
王権交代が繰り返し行われていく中で、力を弱めていったフェルンバッハ家。ベラスケス王国のアマデオが言い放った王家崩れという言葉からして、彼女もまた古い王家の血を引いているのかもしれない。その血を狙う輩はきっとごまんといるし、このロベルトでさえも例外とは言い切れないのだ。
そんな中で、彼女は一人──。
「グレン?」
「!」
ハッとわれに返り、ついでに自分の頬を引っぱたく。
ぽかんとしているモニカを前にして、グレンは唸り声とともに「何でもない」と低く呟いた。
「……? そうですか。私はロベルト様と同じ馬車に乗るように言われたので、グレンたちは後続の馬車に乗ってください」
「ああ……いや待て。ならピンク髪も連れて行け」
「ヒルデさんを? 何故」
「浮気野郎に何されても良いなら一人で乗れよ」
再会するや否やロベルトから不審者ばりに抱き締められたことを思い出したのか、モニカが少しの間を置いてから「わかりました」と素直に頷く。
するとすぐ近くから、大袈裟な咳払いが二人の間へと割り込んだ。会話の内容がしっかり聞こえていたのか、ロベルトは不満げにこちらを一瞥しては肩をすくめる。
「やれやれ、失礼ではないかな。僕がモニカに無体を働くとでも言いたげだね」
「まあな」
「否定しないか! モニカとは十年以上の付き合いなんだぞ、馬車の同乗ぐらい何てことな」
「ヒルデさーん、こちらの馬車の方が広いので一緒に乗りませんか?」
「え、モニカぁ⁉ どうして⁉」
またもや期待を裏切られたロベルトが情けない声を上げる。この男はいい加減、自分に信頼がないことを自覚すべきだろう。
グレンが溜息交じりにヒルデを見遣れば、少女も何らかの警戒心を覚えたらしく、同乗を快く引き受けた。
その際、気合いが入り過ぎて剣を思いきり握り締めていたことが効いたのか、会場までの道中でロベルトが不埒な言動をすることは終ぞなかったという。
□□□
「──モニカ様はこちらへどうぞ。ドレスをご用意しておりますので」
パーティー会場となっているトゥルヤ公爵邸に到着すると、すぐに見知った顔の侍女がやって来た。プラネルト公爵家に仕えている者たちだ。モニカの世話をさせるために、ロベルトが遥々ここまで連れてきたのだろう。
監視と表現した方が良いかもしれないが──モニカはふと息をついて、恭しく頭を垂れている侍女に声を掛けた。
「後続の馬車に乗っている金髪の男を、後で私の元へ連れて来なさい」
すいと伸ばした指先を追った侍女は、明らかに柄の悪いチンピラを見て僅かに動揺を見せたものの、「はい」と静かに返事をする。ここで異議を唱えるようではプラネルト公爵家の品位が問われるというものだ。
「他の方々については……くれぐれも失礼のないように徹底を」
「かしこまりました」
ヒルデとリュリュ、それから少年によって連れて来られてしまったエクホルムの悪魔。三人とも素性を隠しているばかりか、後者に関しては不用意に触れると爆発するような危険人物なので、説明が面倒になったモニカは「まとめて丁重に扱え」と指示を下す。
侍女がすぐに動き出したところで、モニカはグレンたちよりも一足先にトゥルヤ公爵邸の中へと入った。
開け放たれた大扉をくぐると、裾野の広い階段と無数の燭台がモニカを迎える。
来客をもてなす意味でも、内装は平素より豪勢に飾り立てられているのだろうが、しばらくぶりの光源の多さに少しばかり目が眩んだ。
「──お姉様!」
はたと足が止まる。
眇めていた目を開き、辺りを見回すと、鮮やかな紅赤をまとう乙女がそこにいた。
蜂蜜を溶かしたような亜麻色の髪に、しばしばチューリップに見立てられる可憐な桃色の瞳。
男女問わず庇護欲を誘うような潤んだまなざしは、心配だけを湛えてこちらを射抜く。
その麗しき乙女は間違いなく、異母妹のカルラ・フェルンバッハであった。
「……カルラ?」
絶世の美姫とまでたたえられた玉顔をほころばせ、カルラは優雅な所作で一礼する。
「お久しぶりです、お姉様。ご無事で何よりですわ。急に屋敷からいなくなってしまわれて、とっても心配しましたのよ」
「ええ、久しぶり……心配させたならごめんなさいね。それで、なぜカルラがここに?」
異母妹は「何をおかしなことを」と言わんばかりに小首をかしげた。
無論、その笑顔の意味するところは分かる。ロベルトの婚約者となったのだから、パートナーとして社交の場に出席するのは当然だ。ここにカルラがいても何ら不思議ではないだろう。
だがモニカはそんなことを呑気に尋ねているわけではない。
──嫌いで堪らないはずの異母姉の行方を探すような、心にもない行動をした理由を聞いているのだ。
ふと訪れた冷たい沈黙に、そばにいたプラネルト公爵家の侍女たちが息を呑む。互いに顔を見合わせては縮こまり、姉妹の再会を恐る恐る見守った。
一つも微笑を崩さないモニカを見てか、先に折れたのはカルラだった。微かに眉をひそめては、くるりとドレスの裾を翻す。
「ロベルト様がお詫びをしたいと仰ったの。裏切るような形で婚約を破棄してしまったから、どうかお姉様の今後に悪影響が出ないように、って」
「そう……」
「私もお姉様に悪いことをしちゃったんだもの。一緒にお詫びしなくちゃね」
「ふふ」
含み笑いに気付き、カルラが階段に片足をかけたまま振り返った。
モニカは心優しい異母妹に向かって微笑を投げ、身にまとうドレスへと視線を移す。
紅赤の生地には金糸の刺繍がふんだんに施され、大きく開いた胸元には真珠が隙間なく連なる。ふっくらとした袖に切り込まれたスラッシュは、レアード王国で流行っている最先端のデザインだろう。
少女のような可憐さを残しつつも、大人びた妖艶さをも放つドレスだった。
「今日も綺麗ね、カルラ」
「……え?」
「お父様はお元気?」
脈絡のない言葉に、桃色の瞳が困惑を浮かべた。サッと片手で口元を隠したカルラは、すぐに愛らしい笑顔で一瞬の隙を覆い隠す。
「お父様? ええ、変わらずお仕事に励んでいらっしゃるわ」
「なら良かった。お義母様はどう? 娘のあなたが遠くに出かけてしまって、寂しい思いをしていないかしら」
「まあ、何を仰るのお姉様。お姉様がいなくなったときもお母様はとても慌てていたのに──それよりも早くドレスを見に行きましょう? ロベルト様があれこれ手配してくださったのよ」
後妻を母と認めぬ語調に不快感を覚えたのか、半ば強引に話を終わらせたカルラに腕を取られ、モニカは二階の廊下へと誘導された。
彼女は柔和な笑みを維持したまま、チラと隣を歩く異母妹をうかがう。そうするとすぐに目が合い、毒気のない笑顔が返された。
「──ほら見て、お姉様の好みに合うようにいくつも取り寄せたんですって」
辿り着いた衣裳部屋には、なるほど確かに様々なドレスが準備されていた。
薔薇色の瞳に似せた華やかな赤、深みのあるモスグリーン、はっと目を惹くようなパステルブルー。その他にもいくつか趣向の異なるものが並ぶ。
それらをサッと一瞥したモニカは、にこやかな異母妹と侍女たちに応えるべく称賛の言葉を紡いだ。
「素晴らしいものばかりね。これを全部ロベルト様が?」
「ええ! そうよ、一つ一つ熟考して──」
「──まあ、そうなの? ロベルト様はフリフリの少女趣味なドレスばかりお選びになっていたから、違う方が見繕ってくださったのかと」
ピシッと空気が凍った。
お坊ちゃんの趣向をよく理解している侍女たちが目を泳がせる一方で、カルラは即座に彼女らの様子を隠すように立ちはだかる。
「ロベルト様も淑女の装いをお勉強なさったのではないかしら! お姉様は派手な色よりも落ち着いた色がお好きだものね!」
「どうしたのカルラ、そんな可愛い顔をして。何か隠し事?」
「もうお姉様ったら、カルラをいじめないでくださるっ? さぁさ、早くドレス選びに取り掛かりましょう! ああ、ロベルト様が用意してくださったものはどれも素敵ね!」
ボロが出始めたカルラを微笑ましく見守っていたモニカは、やがて異母妹の動きをそっと制止した。
「もう時間も遅いから、カルラはゆっくりしていて? 試着は明日の朝でも間に合うでしょう? 選ぶだけならこんなに大勢必要ないわ」
「え? 私、お姉様のドレスを一緒に選んで差し上げたくて。他人の意見も聞いてみたくありませんこと?」
「ええ、だから──違う人に聞こうと思って」
そのとき、衣裳部屋の扉がノックされる。入室を促せば、一人の侍女がおずおずと顔を覗かせた。
「モニカお嬢様、お連れの方はどちらでお待ちいただければ……」
「ここに通しなさい」
「へっ?」
「ここに」
目に見えて侍女はうろたえていたが、ゲストに反論できるわけもない。慌ただしく頭を下げては、どこぞで待たされている護衛役の青年を呼びに戻っていった。
その動揺っぷりを怪訝に思ったのか、カルラが首を傾げつつ尋ねる。
「…………お姉様、お連れの方って?」
「金髪のチンピラですよ」
「金髪のチンピラ⁉」
モニカの口から俗な言葉が飛び出したことに、カルラだけではなく侍女からも驚愕の声が上がった。これに愉快な気分を覚えたモニカは、くすくすと笑いながら彼女らの退室を促す。
「では皆さん、おやすみなさい」
扉を閉める寸前、こちらを振り返ったカルラの顔は、少しばかり引きつっていた。




