9-2
プラネルト公爵家の馬車が見えなくなる頃、モニカがそっと手を外した。後ろを気にしながら、少しばかり疲れを宿した様子でため息をつく。
「まさかロベルト様が追いかけてくるとは……」
「おまえと縒りを戻したい感じだったじゃねぇか」
「そう見えましたねぇ」
語る横顔に先程のような華やかな笑顔はなく、今はただ厄介な追手の思惑を見通そうとするのみ。不覚にも惜しむ気持ちが頭をのぞかせたなら、グレンはハッとわれに返っては渋い顔をした。
先程から一人で百面相を繰り広げている彼の心情など知る由もなく、くるりと踵を返してモニカが言う。
「カルラを放って何をしているのだか……」
心底呆れた声音は、ロベルトを軽蔑するように見えてその実、彼の婚約者となった異母妹を案じているようにも捉えられた。横切る彼女の銀髪をつと見送ったグレンは、後を静かに追いつつ尋ねてみる。
「……おまえ、わざと妹にあのぼんくらを押し付けたのか?」
「まぁ聞こえの悪いことを。私が振られただけですよ。そして婚約破棄の悲しみを和らげるために今は傷心旅行中で、護衛として雇った男と何やらただならぬ関係に陥っているという設定です」
つまり振られたのも設定の内かと、グレンは密かに頬を引きつらせた。
浮気者のロベルトを捨てる先として異母妹を選ぶ辺り、やはり血も涙もない──と思ったが、これも貴族の務めとやらの一つなのかもしれない。シュレーゲル伯爵家とプラネルト公爵家の婚姻自体を失っては、そこに付随する利益をも手放すことになる。社交界の華として有名な異母妹を使ってそんな不利益を回避しつつ、モニカ自身は傷心旅行と称して心置きなく聖遺物探しを始められるという算段だったのだろう。
……これまでの旅路でモニカの性格を多少理解してきたせいか、もう驚かなくなってきた。
彼女にとって、亡き母との約束はそこまでして果たすべき事項なのだ、と。
「とりあえず、パーティーには出席しましょうか。会場もコンウェル侯爵領の近くだったようですし……グレンはヒルデさんたちと待機していてくださいな」
「ああ──……あ?」
そこで視界に映ったのは、目立つ薄紅色の髪だった。腰掛けたベンチにはちゃんと黒髪の少年もいる。傭兵や市民が利用する食堂の前で、軽い朝食を取っていたようだ。
二人は何の問題もないとして、ベンチの下にいるピンク色の子ブタを見付けてしまったグレンは足を止める。
昨晩から姿を消していたエクホルムの悪魔が、どうやら近くにいるようだ。
「──ねぇリュリュ、子ブタのお洋服って街で買えるものなの……?」
「買えないよ。布だけもらって自分で縫ってるんじゃないかな」
「エクホルム殿が……あのフリルを⁉」
そうだな不気味な話だなとヒルデの反応に同意しながら、グレンとモニカが彼らの元へ合流しようとしたときだった。
こんがりと焼いたパンを平らげたリュリュが、おもむろに背を丸めてベンチ下の子ブタに手を伸ばす。ひょいと抱き上げた少年は、未だすっぽんぽんの子ブタを膝に乗せ──あろうことかひっくり返した。
「⁉ だ、駄目よリュリュ、エクホルム殿の恋人にそんなはしたない格好させたら──」
自分でも何を言っているか分からないのか、ただただ殺人鬼の怒りを買いたくない一心で少年の行動を咎めるヒルデ。
しかし当のリュリュはまじまじと子ブタを眺めて、一言。
「いや、この子オスだよ」
ガシャン。
二人の背後、けたたましい音とともに双剣を取り落とす男。
振り返ったヒルデが王女にあるまじきとんでもない形相で固まる一方、全く気付いていないリュリュは子ブタを元に戻しては平然と語る。
「名前も服装も女の子っぽいからメスかと思ってたや」
「……りゅ、リュリュ……」
「まあ、あのお兄さん性別とか気にしなさそうだよね」
「いやめちゃくちゃ気にしてる……」
「え?」
上半身を捻ったリュリュは、そこでようやくエクホルムの悪魔が衝撃で動けなくなっていることを知った。真ん丸な瞳を瞬かせ、うろうろとさまよわせた後、そっと子ブタを差し出したのだった。
▽▽▽
予想外の事実を知ったエクホルムの悪魔は、昨晩自らの過去を語ったときの数倍は動揺していた。いかんせん多方面の知識に欠けている殺人鬼は、恋人と称して止まなかった子ブタがオスであることなど全く想像していなかったらしい。
だからと言って、子ブタの股を食い入るように凝視するのはそろそろ止めてほしいものだ。
「おい、人が飯食ってるそばでブタのタマ見てんじゃねぇよ」
「まさかブランシュがオスだったなんて……ブリギットから産まれたからてっきりメスかと……」
「どんな理屈だ。おまえもしかして父親から産まれたのか?」
「はっ」
薄色の瞳が、確かにと言わんばかりにこちらを振り返る。誰かこいつに生物の営みについて教えてやれと他力本願なことを考えながら、グレンは深いため息をついてしまった。
「ふふ、でも天空神も父神でありながら地母神を産みましたし、あながち有り得ないことでも」
「話をややこしくさせるな」
あろうことか神話を持ち出してきたモニカをすぐさま制止するも、彼女は素知らぬ顔で焼き魚を切り分けていく。海神タウラフに祝福を受けた地というだけあって、ここカレンベル帝国では川も海も年中活きのよい魚が獲れる。聖遺物“青き宝”があるセレニ高山の頂には広大な塩湖もあるため、そこで得られる豊富な塩も特産品の一つだった。
ゆえにカレンベル帝国に行ったら必ず食べるべきはシンプルな塩焼き、という世間の常識に則り、モニカはもぐもぐと咀嚼してから満足げにそれを飲み込んだ。
「いくらブランシュちゃんが男の子でも、そんなに凝視されるのは恥ずかしいと思いますわ。そろそろやめてあげないと」
「そうだな……すまないブランシュ」
そうしてやんわりと窘めに掛かれば、エクホルムの悪魔が素直に言うことを聞いて子ブタを降ろす。ようやく見苦しい格好から解放されたブランシュは、珍しく疲れたように腹ばいになってしまった。
食堂にいる客からもホッと安堵の息が漏れたところで、頃合いと見たのかモニカが再び口を開く。
「さてと。おなかも満たされたことですし、お二人に言っておかなくては」
「なに?」
「実は先程、懇意にしていただいている公爵家の御子息から、パーティーに出席してくれと頼まれまして。帝都に行くにしろ、聖遺物“青き宝”を見に行くにしろ、リュリュさんたちを少しお待たせしてしまうと思います」
モニカの言葉に、リュリュとヒルデは顔を見合わせつつも素直にうなずいた。
「いいよ。僕たち急いでるわけじゃないし、貴族の集会って断るのも一苦労でしょ」
「私たちは無理を言ってモニカ殿とグレン殿に同行させていただいてる身ですので、どうかお気になさらず」
十四、五の青少年とは思えないほどしっかりした返答である。直情径行の殺人鬼も見習ってほしい。などとグレンが考えている間にも、三人は着々と今後の予定について話を進めていった。
「では一緒に会場まで行きましょうか。エクホルムさんはどうされます?」
「? 俺は…………」
ここで別れる、と言おうとしたのだろう。しかしエクホルムの悪魔は、切々と何かを訴えかける碧海の瞳に気付いては動きを止めた。
「…………もう少し、いる」
「嬉しいよありがとうお兄さん、西大陸に行く気持ちが決まったらいつでも言ってね」
「リュリュ落ち着いて」
毎度思うが、少年の知識欲は殺人鬼への恐怖など木端微塵に吹き飛ばしてしまうほど強い。まるで故郷へ帰る親戚を引き留めるかのような調子で話しかけるリュリュに、一方のヒルデはもちろん青褪めていたが。




