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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
9.フェルンバッハの仮面

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9-1

「──ま、まさかこの僕を投げ倒すなんて……無礼な男だ! プラネルト公爵家のロベルト・アンデと知っての蛮行か⁉」


 眼前に勢いよく突き付けられた人差し指。それをひょいと片手で退けたグレンは、目の前に立つ変質者──もといロベルト・アンデを上から下までサッと眺めた。

 整髪料できっちりと固めずに、そっと撫でつけるに留めた黄茶色の髪。その顔つきは強面とは程遠く、童顔の優男と形容すべきか。程よく垂れた二重の目は、なるほど確かに女を誑かすのに向いているかもしれない。


 ──これがモニカの元婚約者かと、グレンは深く納得しつつ適当な謝罪を口にした。


「そりゃ申し訳ない。てっきり婦女を狙った変態の類かと」

「何だと⁉ へ、変態⁉」

「坊ちゃま、落ち着いてください。確かに先程の行動は変態と間違われても仕方ありません」

「お前まで何を言う!」


 老齢の執事は表情一つ変えずに、ロベルトの服についた土埃を手早く払う。身内から冷静に窘められてしまったロベルトは、そこで仕切り直すように咳払いをした。そうして豪奢な膝丈のコートをしっかりと伸ばしつつ、先程から曖昧な笑みで沈黙しているモニカを見遣る。


「モニカ、さっきはごめんよ。驚かせてしまったかな」

「ええ、とても。身の危険を感じました」

「そこまで……?」


 期待していたような反応ではなかったのか、ロベルトがいたく傷付いた様子で胸を押さえた。苦笑いを浮かべた彼は、しかしすぐさまハッとする。何やら心得顔でモニカの傍へ歩み寄っては、彼女のほっそりとした手を掬い上げた。


「ああ、そんなに怒らないでモニカ。手紙にも書いた通り、今回の婚約破棄は僕も本意ではなかったんだ。直接謝ろうと思っていたのに、君が知らぬ間にどこかへ消えてしまって……とても心配したんだよ?」


 どうやらモニカの素っ気ない──グレンからしてみればいつも通りの態度を、ロベルトは婚約破棄への怒りと捉えたらしい。

 彼は許しを乞うために手の甲へ口付けると、タイミングよく執事から差し出された花束を受け取る。

 真珠や薄紙で上品に装飾された、薔薇のブーケだ。


「モニカ、どうか受け取って。君の成人を祝ってあげられなかったから」

「‼」


 成人と聞いて、必死に忘れようとしていたラトリアの花がグレンの頭をよぎる。ギクリと肩を跳ねさせては咳き込むグレンを怪訝そうに一瞥し、ロベルトは気を取り直して元婚約者を見詰めたが……。


「……まぁ……ありがとうございます、ロベルト様。でも……」


 じっと花束に瞳を固定していたモニカは、にこりと口角を上げる。だが、その美しい赤を受け取ることはせずに、するりとロベルトの手から逃れた。



「荷物になるのでお持ち帰りください」



「え」

「ご用件は?」


 ぴしりと顔色悪く硬直するロベルトの後方、執事が「ほら」と言わんばかりに瞑目する。

 御付きを大勢連れているわけでもなし、フェルンバッハ邸から遠く離れたカレンベル帝国の道端で花束など貰っても、確かに邪魔でしかないだろう。

 すげなく成人祝いを拒否されたロベルトは思考停止した様子で、足元を進む蟻の行列を眺めていたが。


「……。こほん。モニカお嬢様、坊ちゃまが黙り込んでしまったので、僭越ながら代わりに発言をお許しいただけますでしょうか」

「ええ、どうぞ」

「ありがとうございます。本日はモニカお嬢様のお迎えに参ったのです。こちらをお受け取りください」

「……迎え?」


 執事が恭しく差し出したのは、一通の手紙。モニカはそれに軽く目を通すと、真意を問うような視線を向けた。


「プラネルト公爵家と懇意になさっている家門のパーティーに、私を招待すると?」

「そうだ!」


 ロベルトが勢いよく顔を上げる。また馴れ馴れしく彼女の手を握っては、前のめりに言葉を続けた。


「お詫びをさせてくれモニカ、僕は無責任に婚約を破棄した責任を負わねばならない。君の今後を真剣に考えて保証すべきなのだよ」

「まぁ! まさか新しい婚約者をこのパーティーで見繕えと仰るのですか? 残酷なことを命じるのですねロベルト様、私は今とっても悲しくて傷心旅行をしている最中ですのに」

「いっ、いや違うそういう意味ではなく! え⁉ やっぱり悲しんでくれていたのかい⁉」


 白々しく口元を覆って俯くモニカの台詞に、見事に騙されては話を脱線させるロベルト。この短時間でそこの執事の苦労が窺い知れた。

 さりとてロベルトは何か重大な任務を思い出した様子で我に返り、慌てて首を振る。


「と、とにかく参加だけでもしてくれないかい、モニカ。君と親しくなりたい帝国貴族も沢山いると聞いたし、ドレスも用意したから何も心配しなくていいよ」


 いくら今は貴族としての活動を控えているとは言っても、モニカが伯爵家の人間であることに違いはない。例え相手が浮気性のぼんくらであっても、家格が上である公爵家からの厚意を無下にすることは出来ないだろう。

 況してや仕立てに金も時間もかかるドレスまで用意しているのなら、さすがに逃げられない。モニカは諦めたように溜息をついて、渋々と了承の返事をした。


「分かりました。でしたら会場の方にお部屋を用意していただけますか? 同行者が複数おりますので」

「あ、ああ! お安い御用さ、人数分だけ用意する──が……」


 喜色を露わにしたロベルトはそこで、ようやくグレンの存在を訝しく思ったようだ。こちらを振り返ってはまじまじと顔を凝視する。


「……君は? 見たところ平民だろう、どうやってモニカと知り合った」


 屋敷に忍び込んだら心臓を抜かれて──などと正直に話せるわけがないので、グレンはチラと雇い主の方を窺った。案の定、モニカは微笑を湛えたまま人差し指を立てる。適当に誤魔化せと言ったところか。

 しかし困った男だ。話に聞いただけとは言え、先に婚約破棄を持ちかけたはずのロベルトが、未だモニカの周りにいる男を警戒する理由は何とも度し難い。

 状況だけ見れば、女癖の悪いロベルトが見目麗しい姉妹を揃って手中に収めんと動いているようにも捉えられる。


(けどコイツ──)


 思っていたよりは、顔つきが捻じ曲がっていない。

 若くして見境なく女を取っ替え引っ替えして、それを誰にも咎められる立場にない輩というのは、どことなく軽薄で偉ぶるものだ。その醜悪な性根が顔面に浮き上がってくるのは、何も珍しいことではないだろう。

 てっきりロベルトもその類いかと思いきや、彼の見た目は良くも悪くも単なる金持ち坊ちゃんである。

 周囲に流されやすそうな印象はあるが──まあいい。ひとまず会話を続けようと、グレンは久々に人当たりのよい笑顔を貼り付けた。


「お嬢様から護衛を頼まれただけですよ。よそのお坊ちゃんが気にすることじゃあないと思いますがね」

「んな……っ僕は余所者じゃない! 君が金目当てでモニカに近付いた可能性だってあるだろう!」

「いやいや、正当な依頼ですよ。ほら」


 グレンが懐から引き抜いた黄玉トパーズのペンダントを見て、モニカが目を丸くしているのが分かった。前報酬として貰い受けた金品はここまでの道中でしれっと換金してしまったが、このペンダントは──他の品で十分な額になったから、まだ手元に残したままだ。

 断じて、断じて彼女の母親の形見だからとかそんな理由ではない。これに関しては本当に偶然残っていただけだ。

 誰にともなく心の内で言い訳を並べていると、意外にもこのペンダントはロベルトに効き目があったらしい。信じられないと言わんばかりに後ずさり、やがてモニカを振り返っては必死の形相で問う。


「モ……モニカ‼ あ、あれは亡き母君のペンダントだろう⁉ 何であの男に渡してしまったんだい⁉」

「まぁ……覚えていらしたのですね、ロベルト様。……何でと問われましても──」


 モニカはゆっくりと小首をかしげて、はにかむような笑みを浮かべた。



「……何でだと思います?」



 それは言うなれば、蕾が開花にあわせて香りを濃くするような、見事な変わり様だった。あどけなさを伴った笑顔は恐ろしいほどに、婀娜あだっぽくも可憐に咲いて。

 ロベルトに勘違いを起こさせるための演技だと理解はしていても、つい目を奪われてしまった。

 呆気に取られている元婚約者の横をすり抜けて、モニカは何とも自然な動きでグレンの左腕に寄り掛かる。


「さて、ヒルデさんたちにお知らせしに行きましょうか。……グレン?」

「……⁉」


 まさかこのまま紳士の真似事をして歩けと言うのかと凄い顔をしてしまったが、グレンは辛うじて平静を装いつつ脇を開いた。するとモニカが上機嫌にそこへ手を添えて、ロベルトと執事に一礼する。


「では後ほど」

「……モ、モニカ……!」


 情けない呼びかけを清々しく無視して、二人はその場を後にした。


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